第七巻 資本市場 第十四回 将来価値と現在価値
「二年、何も来ないのだぞ」
任守恒は言った。
秋の終わりの、磁州の会社の建物の董事の議の後だった。任守恒は邢州の米の商人だった。春に閻守業の家で、株を返すから千貫を返してくれ、と言えるのか、と問うた目の細い男。夏から磁邢鉄道会社の董事の一人だった。
「告げ書の十一枚目に書いた。道が開くまで、少なくとも二年。儲けは出ない。分け前もない。——それなのに、竇どのの行の板では十三貫五百文で売り買いされておる」
任守恒は窓の外の北の野を見た。測りの組の小さな旗が点々と延びていた。
「十貫で出した株に二年、何も来ないと分かっていて、なぜ十三貫五百文を払う者がおる。——わしなら、二年後に分け前が来始めてから買う」
修平は少し考えた。
「任どのは二年後に買えば、いくらで買えると思いますか」
「知らぬ」
任守恒は言った。
「道が開いて分け前が来れば、もっと高くなっておるかもしれぬ」
「では今、十三貫五百文で買う者は」
修平は言った。
「二年後の値と二年後から二十年の分け前とを、今、十三貫五百文と見ている、ということです。——任どのはそれが高すぎると思われる」
「高すぎるとも、安すぎるとも分からぬ」
任守恒は言った。
「分からぬから腹が立つ」
修平は少し笑った。
「分かるようにしてみます」
◇
開封の統計局の機械の部屋だった。
計算の機械が八台並んでいた。十二桁。足すことと引くことしかできない。掛けるときは何度も足す。割るときは何度も引く。
韋明遠と鍾九思と修平とが、一台の機械の前に立っていた。
「今日の百貫と」
修平は言った。
「十年後の百貫と。——どちらが値打ちがあると思いますか」
「今日の百貫だ」
鍾九思がすぐに言った。
「今日の百貫は今日、米が買える。十年後の百貫は十年待たねば、何も買えぬ」
「それに」
韋明遠が言った。
「今日の百貫を国の証文に入れておけば、十年後には百貫より多くなっておる」
「はい」
修平は言った。
「国の十年の証文の利回りが今、五分半だとします。——今日の百貫を国の証文に入れて、毎年の利をまた国の証文に入れ直していけば、十年後にはいくらになりますか」
鍾九思が機械の前に座った。
百貫。一年目の利、五貫五百文。足す。百五貫五百文。二年目の利。百五貫五百文の五分半。——掛けることができないから、五分半を五分と半分とに分けて、それぞれ足し上げる。
鍾九思の指が機械の把手を回した。歯車の音が部屋に響いた。
十年目。
「百七十貫と八百文あまり」
鍾九思が言った。
「今日の百貫は、十年後の百七十貫あまりと同じ値打ち」
修平は言った。
「では、逆に。——十年後に百貫を受け取る約束があるとします。それは今日のいくらと同じ値打ちですか」
鍾九思は少し考えた。
「百七十貫の、百貫だから」
鍾九思はまた機械の把手を回した。今度は、引いて割った。
「五十八貫と五百文あまり」
部屋が静かになった。
「十年後の百貫は、今日の五十八貫半」
韋明遠がゆっくりと言った。
「今日、五十八貫半を国の証文に入れておけば、十年後には百貫になる。——だから十年後の百貫を今日、五十八貫半より高く買う者は、国の証文を買う方が得だ」
「はい」
修平は言った。
「先の銭を今の銭に直した値打ち。——私の国では、今の値、と呼びました。先に受け取る銭を今いくらと見るか」
◇
鍾九思が一枚の紙に表を書き始めた。
縦に、年。一年後。二年後。三年後。十年後。二十年後。三十年後。
横に、利。四分。五分。五分半。六分。七分。八分。九分。十分。
枡の一つ一つに、その年に受け取る百貫の今の値。
「これを全部機械で出します」
鍾九思は言った。
「掛けられぬから、一つの枡に足し上げが何十回。——八台の機械で三日」
「三日でできますか」
「できます」
鍾九思は言った。
「月初めの確かめを一台ずつずらしてやれば」
三日後、表はできあがった。
縦に三十の年、横に八つの利。二百四十の枡。一つ一つに数が入っていた。算盤で十に一つを弾き直して確かめた、と鍾九思は言った。
修平は表の十年後の行を指でなぞった。
四分なら六十七貫あまり。
五分半なら五十八貫半。
九分なら四十二貫あまり。
十分なら三十八貫あまり。
「同じ十年後の百貫でも」
修平は言った。
「何分で直すかで、今の値がずいぶん違う」
◇
「何分で直せばいい」
韋明遠が言った。
「国の証文なら、国の証文の利回りで。——国は十年後にほぼ間違いなく百貫を返す」
修平は言った。
「磁邢の十年後の分け前はどうか。——道が開くのが遅れるかもしれない。邯鄲の南の橋が崩れるかもしれない。荷が見込みより少ないかもしれない。十年後に分け前が百貫来るかもしれないし、五十貫かもしれない。一文も来ないかもしれない」
修平は表の九分の列を指した。
「確かな約束と確かでない見込みとを、同じ五分半で直すのはおかしい。——確かでないほど大きな分で直す。磁邢の十年後の百貫を九分で直せば、今の値は四十二貫。国の証文の五十八貫半より、ずっと小さい」
鍾九思が帳面に書きつけた。
——確かでない先の銭は、大きな分で直す。今の値が小さくなる。
「その九分というのは誰が決める」
韋明遠が言った。
「誰も決めません」
修平は言った。
「株を買う者が一人一人、自分の中で決めています。——この道はどれだけ危ういか。国の証文に比べて、どれだけ余分に利が欲しいか。竇どのの板の上の十三貫五百文という値は、磁邢の株を買った者たちが、それぞれの分で先の分け前を直して足し合わせた見積もりのぶつかった結果です」
韋明遠は表を長いこと見ていた。
「任どのの問いに戻ろう」
韋明遠は言った。
「二年、何も来ない株に、なぜ十三貫五百文を払う者がおるのか」
「三年目から二十年、三十年の分け前を今の値に直して足し合わせたら、十三貫五百文を越える、と見込んでいる者がいるからです」
修平は言った。
「二年何も来ないことはその見込みの中にもう入っています。——一年目と二年目の枡が空いているだけです」
◇
修平は表の上にもう一枚紙を重ねた。
「利が変わるとどうなるか」
修平は言った。
「春に中央銀行が利を五分から五分半に上げました。——国の証文の利回りも上がった。もし来年、中央銀行が利をまた上げて、国の証文の利回りが六分半になったら」
鍾九思が表の六分と七分の列を見比べた。
「国の証文を買えば、六分半取れる。——磁邢の株を買う者は、国の証文より余分に欲しい分を、その上に乗せる。九分ではなく、十分で直す」
「十分で直せば、十年後の百貫の今の値は」
「三十八貫あまり」
鍾九思が言った。
「九分なら四十二貫だった」
「磁邢の道は何も変わっていません」
修平は言った。
「橋も、棒も、荷も同じ。十年後の分け前の見込みも同じ。——ただ、中央銀行が利を上げただけで、先の分け前の今の値が一割近く下がる。株の値にも下がる力がかかります」
韋明遠が腕を組んだ。
「会社の稼ぎが変わらずとも、利が上がれば株の値は下がりうる」
「はい。利が下がれば、逆に上がりうる」
修平は表の一年後の行と三十年後の行とを指で示した。
「それに、遠い先ほど利の違いが大きく効きます。——一年後の百貫は、九分で直しても、十分で直しても、ほとんど変わらない。九十二貫近くと九十一貫。三十年後の百貫は、九分なら七貫あまり、十分なら五貫あまり。二割あまり違う」
修平は紙に書いた。
——儲けが遠い先にある会社ほど、利の上がり下がりに株の値が大きく揺れる。
「通済の舟の会社はもう稼いでいます。儲けが今年、来年にある。——磁邢の道と唐州の銀の山は、儲けが何年も先にある。同じ利の上がりでも、磁邢と唐州の株の方が大きく下がる」
鍾九思がぽつりと言った。
「唐州は、銀が出るのがいつか、誰にも分からぬ」
「はい」
修平は言った。
「ですから唐州の株の値は、利にも噂にも一番大きく揺れると思います」
◇
修平は磁州へ表の写しを持っていった。
任守恒は表をしばらく黙って見ていた。
「わしは米の商人だ」
任守恒は言った。
「秋に新米を買う。春まで蔵に置く。春に売る。——春の米の値は秋より高い。その差で商いをしておる」
任守恒は表の一年後の行を指でなぞった。
「秋に百貫で買った米を、春にいくらで売れれば、わしは損をせぬか。——蔵の番の賃。鼠に食われる分。湿って値の落ちる分。それに、百貫を米に替えず行に預けておけば、半年で二貫は利がつく」
任守恒は顔を上げた。
「春に百八貫で売れなければ、米を蔵に置く意味がない。——わしは二十年、そういう算段をしてきた」
修平は石塘村の呉家の籾の蔵を思い出していた。
二年目の秋から、修平は呉守田の帳面を付けた。三年目からは上の段に籾、下の段に銭。——秋の刈り入れの後、県の市の籾の値はいつも安かった。国中の百姓が一度に籾を売るからだった。春になれば値は上がった。
呉守田は毎年、秋に籾の半分を売り、半分を蔵に残した。
「全部春まで置いておけば、もっと儲かるのに」
あの頃の修平は帳面を見ながら、そう言った。
呉守田は笑った。
「秋に売らねば、冬の塩と油と何老三の家への貸しの籾が出せん。それに蔵の籾は鼠も食う。湿りもする。——春の値がどれだけ高くても、冬を越せなければ、春は来ん」
呉守田は帳面の秋の欄を太い指で叩いた。
「今の一俵と春の一俵とは、同じ一俵じゃない」
十五年前の村の土間の話だった。
「同じことです」
修平は言った。
「任どのは、秋の百貫と春の百八貫を比べてきた。この表は、今の銭と先の銭とを比べる表です。——ただ米は半年先。道の分け前は二十年、三十年先」
任守恒は表を畳んだ。
「二十年先の米の値を算段した者はおらぬ」
「いません」
修平は言った。
「だから、十三貫五百文の値はいつも動きます。——二十年先を見込む者たちの見込みが、毎日少しずつ変わるから」
任守恒は少し笑った。
「それで腹は立たなくなったか、と聞きたいのだろう」
「はい」
「立つ」
任守恒は言った。
「立つが、どこに腹を立てればいいかは分かった。——わしは二年、何も来ないことに腹を立てておった。本当は、二年後に道が開くかどうかを、わしらが請け合えぬことに腹を立てるべきだったのだ」
任守恒は窓の外の測りの組の旗を見た。
「道が約束の日に開けば。先の分け前の見込みが少し確かになる。確かになれば、九分ではなく八分で直す者が増える。——株の値が上がる」
「はい」
「遅れれば下がる」
「下がります」
任守恒は頷いた。
「董事の議で、邯鄲の南の橋の石の検めを急がせよう」
任守恒は言った。
「株の値のためではない。——道のためだ。だが、道が確かなら値もついてくる」
◇
統計局はその表を刷った。
鍾九思が表の頭に題を書いた。——先の銭を今の値に直す表。
表の下に、韋明遠が一行書き添えた。
——この表は、何分で直すかを決めない。何分で直すかは、先の銭の確かさと今の利とで、読む者が決める。
表は、竇守義の行と、揚州の聶仲和の行と、磁州の会社の建物とに配られた。
配られて三日目、竇守義の行の帳場で、一人の若い男が表を広げていた。
三十の手前。杭州の両替の店の三男だった。游子敬という名で、この秋に開封へ出てきて、州橋の東に小さな店を構えた。株と会社の証文とを、客に代わって竇守義の行の板に出す店だった。客から手間の代を取った。
「唐州の株は、四分の列で読むべきです」
游子敬は帳場の手代たちに言った。
「銀が出れば、唐州の坑は国の証文より確かに稼ぐ。確かなものは小さな分で直す。——四分で直せば、唐州の先の儲けの今の値は、十四貫どころではない」
竇守義が帳場の奥から出てきた。
「銀が出ればな」
竇守義は言った。
「出るのが何年先か、どれだけ出るかは、誰も知らぬ。——知らぬものを四分で直すのは、確かなものの列の読み方ではない」
游子敬は笑った。怒った笑いではなかった。
「竇どのは、両替の番頭の頃の目で見ておられる」
游子敬は言った。
「私は杭州で、茶引の売り買いを十年見てきた。——茶の山の来年の茶を買う権の札です。来年の茶が豊作か、不作か。札の値は、茶が摘まれる前に動く。先の値は、先に読んだ者が勝つ」
竇守義は黙った。茶引や塩引の札が、市で額面から離れて売り買いされてきたことは、両替の番頭なら誰でも知っていた。
游子敬は表を丁寧に畳んで懐にしまった。
竇守義はその背中をしばらく見ていた。後で修平にその話をしたとき、竇守義はこう言った。
——あの男は悪い男ではありませぬ。頭もよい。ただ、表のどの列を読むかを、自分の見込みで決めておる。自分の見込みが外れたことが、まだ一度もないのでしょう。
修平は刷り上がった表を一枚、詳定官の詰所の壁に貼った。
二百四十の枡。一つ一つの数は正しかった。八台の機械で三日かけて、十に一つを算盤で確かめた数だった。
けれど、どの列を読むかは、表が教えてくれない。
修平は表の前にしばらく立っていた。
自分の世で、この表と同じ形の表を何度も見た。人々は表の数の正しさを信じた。どの列を読むかの危うさを忘れた。——先の儲けがいつまでも確かに増え続けると皆が思ったとき、人々は小さな分の列を読んだ。小さな分で直せば、先の銭の今の値は大きくなる。株の値はどこまでも上がる。
表は嘘をつかない。
嘘をつくのは、どの列を読むかを決める人の見込みの方だった。
修平は表の四分の列の三十年後の枡に指を置いた。三十貫あまり。——十分の列なら五貫あまり。同じ三十年後の百貫が、読む列ひとつで五倍あまりになる。
游子敬の読む列と竇守義の読む列との間のどこかに、唐州の株の値がある。それがどちらへ寄っていくのか。修平にはまだ分からなかった。




