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第七巻 資本市場 第十五回 なぜ価格は動く

 竇守義の行の帳場の奥の壁の小さな板は、半月の間に何度も書き換えられた。


 修平はその半月の板の字を、竇守義の手代に毎夕写させた。写しは日付と一緒に、詳定官の詰所の卓の上に積まれていった。


 秋の終わりの一日目。


 磁州の鋼の場が五つ目の高い炉の石を積み始めた、と磁州から電信が届いた。霍長庚が、鶴壁の道が延びた春に要る、と言った炉だった。鋼が増えれば、磁州機械の刃と軸とがもっと売れる。——その日の夕方、磁州機械の株は、十二貫八百文から十三貫四百文に上がった。


 四日目。


 中央銀行の会合の判断の文書が、本院の門の脇の板に貼られた。利は、五分半に据え置く。ただ、一行書き添えてあった。——職人の賃の上がりが、磁州・相州・衛州の外へ広がるなら、次の会合で利を上げることもありうる。


 その日、磁州機械のほかの株が軒並み下がった。磁邢は、十三貫五百文から十三貫。唐州は、十五貫から十三貫五百文。通済は、十六貫から十五貫八百文。


 七日目。


 河北西路の北で、例年より半月早く霜が降りた。邢州の綿の畑が遅い摘みの分を傷めたらしい、という噂が開封に届いた。——磁邢の道はまだ敷かれていない。邢州の綿は、道が開いてから運ぶ荷の見込みの一つだった。磁邢は、十三貫から十二貫七百文に下がった。


 十日目。


 軍器監が、磁州機械に刃と軸の受けとを三年分まとめて頼んだ、と洪克勤の名で工部に報せが来た。——磁州機械の株は、十三貫四百文から十四貫二百文に上がった。


 十二日目。


 唐州の南の山で、掘り直した坑の奥に昔の坑夫が掘り残した太い銀の筋が見つかった、という話が揚州の茶館から流れてきた。どこから出た話かは分からなかった。——唐州の株は、十三貫五百文から一日で十八貫になった。


 十四日目。


 邯鄲の南の、滏水の支流の橋の石の橋脚の検めが終わった、と晏崇礼の名で会社の建物の前に貼り出された。石は、大水の年にも耐える。——磁邢の株は、十二貫七百文から十三貫三百文に戻った。


 十五日目は何も起きなかった。電信も噂もなかった。それでも、板の字は三度書き換えられた。十三貫三百文。十三貫四百文。十三貫二百文。——売りたい者と買いたい者とが、それぞれの都合で板の前に来たからだった。


  ◇


「毎日動いている」


 鄭仲謙が写しの束をめくりながら言った。


 詳定官の詰所だった。中央銀行から鄭仲謙が。統計局から韋明遠が来ていた。


「会社の中身は、半月でそれほど変わってはおるまい。磁邢の道の棒は、半月前と同じ所までしか敷かれておらぬ。唐州の坑の機械もまだ据え終わっておらぬ」


「中身はほとんど変わっていません」


 修平は言った。


「変わったのは、中身についての報せです。——報せを聞いた者たちの見込みが変わった」


 修平は写しの束の脇に紙を置いた。


 半月の出来事を一行ずつ書き出した。


 ——鋼の場の五つ目の炉。先の儲けの見込みが増える。

 ——中央銀行の、利を上げることもありうる、の一行。先の銭を今の値に直す分が大きくなる。

 ——邢州の早い霜。道が運ぶ荷の見込みが減る。

 ——軍器監の三年分の注文。先の儲けの見込みが確かになる。

 ——唐州の銀の筋の噂。出どころの分からぬ見込み。

 ——邯鄲の南の橋の検め。道が約束の日に開く見込みが確かになる。


「先の儲けの見込みが増えれば、株を欲しがる者が増えて、値が上がる」


 修平は言った。


「利が上がりそうになれば、国の証文の方が魅力を増す。株の、先の銭の今の値が小さくなる。——値が下がる」


 修平は紙にもう一行書いた。


 ——天気。戦の噂。新しい技。石炭や鉄の値。朝廷の決まり。会社を預かる者の交代。


「どれも株の値に映ります。——けれど、株を売り買いする者は誰も先のことを本当には知りません。霜が綿をどれだけ傷めたか。唐州の坑に本当に銀の筋があるのか」


 韋明遠が写しの十二日目の行を指した。


「唐州の十八貫も見込みか」


「見込みです」


 修平は言った。


「出どころの分からない話を、どれだけ信じるか、の見込み。——十八貫の値は、唐州の坑に銀の筋がある、と決まった値ではありません。ある、と信じた者たちが十八貫を払った、という値です」


 修平は少し言葉を切った。


「株の値は会社の本当の値打ちではありません。今、分かっていることと、今、皆が見込んでいることとの下で売り買いが成った値です」


  ◇


 鄭仲謙が写しの束を卓に置いた。


「中央銀行としては、別のことが気になる」


 鄭仲謙は言った。


「磁邢の株は秋の初めの十貫から、今十三貫あまり。唐州は十貫から、十八貫。——株の値がこう上がり続けるなら、物の値にも響くのではないか。職人の賃も、米も」


 鄭仲謙は統計局の物の値の表を広げた。


 開封・杭州・成都・広州・泉州・江陵・京兆府。十二年前に七つの市で始め、六年前に十五の市、去年二十の市に広げた調べ。米、麦、塩、油、薪、炭、布、魚、青物。——民の暮らしの籠。


「この籠の中に、株は入っておらぬ」


 鄭仲謙は言った。


「入っていません」


 韋明遠が言った。


「籠は、民が日々買う物の値です。株は日々買う物ではない」


「株の値は持ち物の値です」


 修平は言った。


「田の値。屋敷の値。国の証文の値。株の値。——籠の中の物の値とは、同じ値でも、別の並びの値です」


 修平は紙に二つの丸を描いた。一つに「持ち物の値」、もう一つに「籠の値」と書いた。


「株の値が四割上がっても、それだけで米の値が四割上がるわけではありません。——株を売り買いするとき、動いているのは、もうある銭です。買った者の預りが売った者の預りへ移る。銭の量が増えるわけではない」


「では関わりがない、と言うのか」


「関わりがないとも言えません」


 修平は二つの丸の間に細い線を何本か引いた。


  ◇


「一つ目の線」


 修平は言った。


「紡ぐ場の女頭が言っていました。自分の二株に二十八貫の値がついているのは、悪い気はしない、と。——悪い気がしない者は、財布の紐を少し緩めるかもしれません。株を売っていなくても。持ち物が増えたと思えば、今年は娘に一枚多く衣を買ってやろう、と」


 修平は細い線の一本に「持ち物が増えたと思う気持ち」と書いた。


「二つ目の線。——竇どのの行は、閻どのの株を質に取って、一万四千貫を貸しました」


 鄭仲謙が頷いた。


 修平は続けた。


「行が貸せば、行の帳面に新しい預りが生まれる。十二年前に戸部の詰所で申し上げた行の貸付の話です。——株の値が上がれば、質の値打ちが増えて、行が多く貸せる。多く貸せば預りが増える。その預りで鉄が買われ、人が雇われる」


 二本目の線に「質の値打ち、行の貸付」。


「閻どのはあの一万四千貫で鉄の石を買いました」


 修平は言った。


「それだけではありません。閻どのの問屋はこの冬、荷車を十台新しく誂えたそうです。——磁州の車大工が三人、新しく弟子を取った。弟子の親の家に賃が入る」


 鄭仲謙が少し眉を寄せた。


「閻どのの株の値が四割上がったから、荷車が十台増えた」


「閻どのはそうは言わないでしょう。問屋の商いが伸びたから、と」


 修平は言った。


「けれど、竇どのの行が閻どのに貸したのは、閻どのの株の値が十三貫だったからです。——八貫だったら貸さなかった。貸さなかったら、荷車は五台だったかもしれない」


「三つ目の線。——会社が次に株を売り出すとき、株の値が高ければ、少ない株で多くの銭が集まる。汪どのの車の工場は、十二貫で売れたから建て始められた。集まった銭で建屋が建ち、台が買われ、職人が雇われる」


 三本目の線に「会社が銭を集めやすくなる」。


 修平は三本の線を指でなぞった。


「この三つの線を通って、持ち物の値の上がりが籠の値へ染みていくことはあります。——一度に、ではなく。少しずつ。どれだけ染みるかは、国の商いのそのときの様子による」


 鄭仲謙は紙を長いこと見ていた。


「逆は」


「逆も同じ線を通ります」


 修平は言った。


「株の値が下がれば。——持ち物が減ったと思った者は、紐を締める。質の値打ちが減れば、行は貸した銭の返済を急がせ、新しく貸すのを渋る。会社は次の株を売り出せない。建屋も、台も、職人も止まる」


 修平は紙に書いた。


 ——株の値の上がりは、そのまま物の値の上がりではない。

 ——けれど、株の値と物の値とは、持ち物が増えたと思う気持ち、質と行の貸付、会社の銭の集めやすさ、を通って繋がっている。


「持ち物の値と籠の値とは、別の並びです。——別の並びだけれど、閉じた部屋に分かれているのではありません」


  ◇


 鄭仲謙はしばらく黙っていた。


「中央銀行が見るものが増えるな」


 鄭仲謙は言った。


「籠の値と、職人の賃と、行の貸付と。——それに、株の値と、株を質にした行の貸付の額」


「はい」


 修平は言った。


「中央銀行が株の値を上げ下げしようとするのではありません。——株の値は中央銀行の目当てではない。けれど、株の値が行の貸付と財布の紐とを通って、籠の値に染みていく道筋は、見ておかねばなりません」


 韋明遠が帳面に書きつけた。


「統計局の月の表に足す欄」


 韋明遠は言った。


「国中の公認の行が、株と会社の証文とを質に取って貸している額。——竇どのの行だけでなく、全部の行の」


「それに、何のために貸したか」


 修平は言った。


「商いの仕入れか。建屋か。——株をもっと買うためか」


 鄭仲謙が顔を上げた。


「株を買うために、株を質に借りる者がいるのか」


「竇どのの行に一人来たそうです。竇どのは断りました」


 修平は言った。


「今はまだ一人です」


 鄭仲謙は韋明遠の帳面に自分の字で一行書き加えた。


 ——株を質にした貸付のうち、株を買うための分。別の欄に。


  ◇


「一つ、分からぬことがある」


 韋明遠が言った。


「株の値が先の儲けの見込みで動く。見込みが正しければ値は正しい。見込みが外れれば値は外れる。——では見込みが正しいか外れているかは、いつ分かる」


「後になって、です」


 修平は言った。


「磁邢の道が開いて三年、五年、荷を運んで儲けが帳面に出てから。——そのとき、秋の終わりの十三貫が安かったのか、高すぎたのかが分かります」


「それまでは」


「それまでは誰にも分かりません」


 修平は写しの束の唐州の行を指した。


「ただ、見込みの中にも、筋の通った見込みとそうでない見込みとがあります。——鋼の場の五つ目の炉は、磁州から電信で確かに届いた報せです。邯鄲の橋の検めは、会社が名で貼り出した。唐州の銀の筋は、揚州の茶館から、誰が言い出したかも分からずに流れてきた」


 修平は少し言葉を切った。


「値が筋の通った見込みで動いているうちは、いい。——そうでない見込みで値が上がり、上がったこと自体がまた次の見込みを呼ぶようになると」


 修平はそれ以上は言わなかった。


 韋明遠も鄭仲謙も、それ以上は問わなかった。


  ◇


 三日後、揚州の聶仲和から手紙が届いた。修平が唐州の銀の筋の話の出どころを問い合わせた返事だった。


 ——茶館の主に聞きました。


 ——話を持ち込んだのは、唐州から来たという坑夫風の男でございます。唐州の南の山の掘り直した坑に、ひと月入っていた、と申しておりました。奥の古い坑の壁に、指の太さの白く光る筋が何本も走っていた、と。


 ——男は茶を一杯飲んで、その話をして帰っていきました。名は名乗りませんでした。


 ——次の日から、茶館の客がその話を別の客に話しました。三日後には、筋は腕の太さになっておりました。


 ——唐州の会社からは何の報せも出ておりません。私の行から唐州の会社の建物に電信で問い合わせましたが、まだ返事はございません。


 修平は手紙を二度読んだ。


 坑夫風の男が本当に唐州の坑夫だったのかどうか。白く光る筋が、銀だったのか、ただの石英の筋だったのか。——誰も確かめていなかった。


 確かめないまま、四貫五百文が株の値に乗っていた。


 修平は手紙を、鍾九思の写した鉱質の台帳の頁と同じ箱にしまった。


  ◇


 その日の夕方、修平は州橋の東の游子敬の店の前を通った。


 秋に開封に出てきた杭州の両替の店の三男の店だった。竇守義の行の板に、客に代わって株を出す店。——戸口はふたつ分の幅しかなかった。


 店の前に人が溢れていた。


 店の中の壁に紙が貼ってあった。竇守義の行の板のその日の値を、手代が走って写してくるのだという。唐州銀山会社。十八貫。


 その脇に、もう一枚紙が貼ってあった。


 ——唐州の坑、銀の筋、見つかる。揚州より。


 出どころは書いていなかった。


 店の奥で、游子敬が客と話していた。修平の官の服に気づくと、軽く頭を下げた。悪びれた様子はなかった。


 修平は店の前を通り過ぎた。


 唐州の南の山の坑の奥に、本当に太い銀の筋があるのかもしれない。あるなら、十八貫は安いのかもしれない。


 修平は、統計局の鍾九思に頼んで写しを取らせた、坑冶寺の鉱質の台帳の唐州の山の頁を思い出していた。


 その頁には、石の番号と、石の中の銀の多さの見積もりとが、羅蘭徳の字で書いてあった。


 見積もりは、多くはなかった。


 もちろん、台帳の見積もりは、坑の口の近くの表の石を割って調べたものだった。坑の奥の古い坑の壁に何があるかまでは、台帳には書いていない。——台帳が外れていることもありうる。


 けれど、会社は何も告げていなかった。


 銀の筋が本当に見つかったのなら、会社はそれを会社の名で告げればいい。見つかっていないのなら、見つかっていない、と告げればいい。——邯鄲の南の橋の検めを、晏崇礼が会社の建物の前に貼り出したように。


 告げないまま、茶館の噂が値を押し上げていた。


 修平は州橋を渡った。橋の下を汴河が暗く流れていた。


 詰所に戻ったら、坑冶寺へ一通書こう、と修平は思った。喬仲堅は今も坑冶寺にいる。唐州の南の山の表の石を、誰が、いつ割ったのか。——それを確かめてもらうくらいは、詳定官の務めの内だろう。


 務めの内かどうか、少し迷った。


 迷ったまま、修平は筆を取った。

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