第七巻 資本市場 第九回 発行市場
告げ書は十二枚の紙を糸で綴じたものだった。
表紙に墨で大きく書いてあった。
——磁邢鉄道会社、株を売り出すの告げ。
修平は詳定官の詰所の卓で、刷り上がったばかりの一冊を一枚ずつめくった。
一枚目。会社の名。磁州の閻守業の問屋の隣の建物の所。会社の法に従い、会社と名乗ること。株を持つ者は、株に払った額を限りとして負うこと。
二枚目。何を造るか。磁州の鋼の場の北から、邯鄲、洺州を経て邢州まで。百六十里。駅、七つ。橋、五つ。車を直す場、一つ。道を動かす者の学びの場、一つ。
三枚目と四枚目。費えの見込み。棒と枕の木。橋の鋼と石。駅の建屋。車。土地の買い上げ。合わせて百八十万貫。賀通遠の組の見積もりの写し。
五枚目。銭をどこから集めるか。株、百万貫。会社の証文、六十万貫。民の行の長い借り、二十万貫。——このたび売り出すのは、株の百万貫分。
六枚目。株の中身。一株、額面十貫。売り出す値も十貫。株の数、十万。そのうち三万を、この道を言い出した四十二の家が先に引き受ける。残りの七万を広く国中に売り出す。
七枚目。いつ、どこで、どうやって買えるか。
八枚目。董事の名。閻守業ほか六名。掌事、晏崇礼。監事、一名。元は河北西路の転運司で、勾当の官を二十年務めた者。
九枚目と十枚目。道が何年目にどれだけの荷と人を運ぶ見込みか。何年目から儲けが出る見込みか。
十一枚目。危ういこと。
修平はその一枚を長いこと読んだ。
——鋼の場の鋼は、工部と兵部と軍器監の三つの印で配られる。道の棒の鋼が見込みどおりに配られぬ年は、道の開く日が遅れる。
——邯鄲の南の滏水の支流の橋は、大水の年に石の橋脚が崩れるおそれがある。
——道が開くまで、少なくとも二年。その間、儲けは出ない。分け前もない。
——道が開いた後も、見込みどおりの荷と人が運べるとは限らない。
十二枚目。
——株は、会社に銭を貸すことではない。会社の持分を持つことである。会社は、株の元を返す約束をしない。
——有限の責めとは、損をしない権ではない。損の上限を先に決めておく決まりである。
修平は告げ書を閉じた。
十一枚目をこれほど長く書いた告げ書を、自分の世で読んだことがあったか、と少し思った。あったのかもしれない。読まなかっただけで。
◇
「なぜ十一枚目を書くのだ」
閻守業が言った。
夏の終わりの磁州の会社の建物だった。董事たちが告げ書の最後の文案を確かめる議だった。
「売れなくなる」
董事の一人、邢州の米の商人が言った。春に、株を返すから千貫を返してくれ、と言えるのか、と問うた目の細い男だった。彼も董事の一人に選ばれていた。
「橋が崩れる、鋼が来ない、二年、儲けがない。——そんなことをわざわざ告げ書に書いて、誰が十貫を出す」
「書かなかったら」
修平は言った。
「二年、分け前がなかったとき、株を買った者は会社に騙されたと言います。橋が崩れたとき、そんなことは聞いていないと言います。——会社の法には、欺いた者には有限の責めは及ばない、と書いてあります」
董事たちが顔を見合わせた。
「書いておけば、欺いたことにはならない」
修平は言った。
「書いておいて、それでも買った者は自分でその危うさを選んだのです。——揚州の証文の裏の順を選んだ寡婦のように」
閻守業が長いこと十一枚目を見ていた。
「……書け」
閻守業は言った。
「書いて、売れぬのなら、この道はまだ敷く時ではない」
◇
秋の初め、開封の竇守義の行の前に人の列ができた。
修平はその列を、行の向かいの茶館の二階の窓から見ていた。
竇守義の行は開封で磁邢鉄道会社の株を受け付ける行だった。開封のほかに、磁州の会社の建物、相州と邢州と大名府と、揚州と杭州の民の行。七つの場所で同じ日に受付が始まった。
告げ書はひと月前から七つの場所で、一冊五十文で売られていた。小報が告げ書の二枚目と、六枚目と、十一枚目を写して載せた。
列は行の門から東へ五十歩ほど続いていた。
官の服の者がいた。戸部の若い吏員だった。俸の中から少しずつ貯めてきた、と後で竇守義が教えてくれた。
商人の手代がいた。主の銭を主の名で百株申し込みに来ていた。
女がいた。東水門の外の紡ぐ場の女頭の何四娘だった。二株、と申し込んで、帳場の手代に名を自分で書いた。
白髪の老人がいた。綾錦院の機匠の頭の陶大年だった。一株、と申し込んだ。——名は孫娘の名で書かせた。
修平は窓からその背中を見ていた。
陶大年の孫娘は十五になっているはずだった。紺の綿の布の上着を着ていたあの子の名が、磁州から邢州への道の十万分の一の持ち主として、帳面に書き込まれた。
修平は茶館の階段を降りた。
陶大年は行の門の脇の柳の下で、杖にもたれて休んでいた。修平に気づくと、白い眉を少し上げた。
「林どの」
陶大年は言った。
「笑うて、くだされ。——十二で蘇州に弟子入りして五十年あまり、花楼機の前に座ってきた男が、鉄の道の株を買いました」
「笑いません」
修平は言った。
「孫娘さんの名で」
「あの子は機匠にはなりませぬ」
陶大年は言った。
「綾錦院の機はわしで終わりかもしれぬ。東水門の外の紡ぐ場の機械が平の布を織る。——あの子は、機械の時代を生きる」
陶大年は杖の先で地面を軽く突いた。
「十貫は、わしのひと月半の俸です。あの子の嫁入りまでに、この十貫がどうなるか。——倍になるかもしれぬ。紙切れになるかもしれぬ。告げ書の十一枚目にそう書いてあった。孫に読んで聞かせてもらいました」
「読んでどう思われましたか」
陶大年は少し笑った。
「花楼機も同じです。糸が一本切れれば、錦が一枚駄目になる。——駄目になることを知っておって、織る」
陶大年は杖を持ち直して、東の方へゆっくりと歩いていった。
◇
行の中は戦のようだった。
帳場に手代が八人。それに中央銀行から鄭仲謙が寄越した吏員が、四人。
申し込む者はまず告げ書の十二枚目を、手代に読み上げてもらった。——読めない者もいた。読み上げを聞いて、名と株の数とを帳面に書く。書けない者は手代が書き、本人が爪印を押す。
それから銭を払う。一株、十貫。銭で払う者もいた。竇守義の行や他の行の預りから振り替える者もいた。
払われた銭は、行の中の磁邢鉄道会社の名の預りの口に入った。
夕方、行の戸が閉まった後、竇守義が修平のいる二階へ上がってきた。
竇守義は疲れた顔をしていた。けれど目は光っていた。
「今日だけで、開封で九千株」
竇守義は言った。
「電信で、磁州と相州と揚州と杭州から数が届きました。邢州と大名府からは早馬で、明日。——七つの場所で合わせて二万八千株」
「一日で」
「一日で」
竇守義は窓の外の暮れていく通りを見た。
「受付は十日。——このままなら、七万株では足りませぬ」
◇
足りなかった。
十日目の夕方、七つの場所から電信と早馬とで数が集まった。
申し込み、十一万三千株。
売り出すのは、七万株。
磁州の会社の建物で、董事たちと晏崇礼と監事とが集まった。修平は開封から黄河を渡る舟を入れて一日かけて、衛州の港へ出て、そこから北の鉄の道に乗って来ていた。衛州から鶴壁を経て磁州まで、一日足らず。——一年前まで五日かかった道だった。
「売り出す株を増やせばいい」
董事の一人が言った。
「十一万三千、全部売ればいい。百十三万貫、集まる。——会社の証文を刷らずに済む。借りずに済む」
「増やせません」
修平は言った。
「告げ書に十万株、と書きました。——十万株と書いた告げ書を読んで、自分が十万分の一を持つと思って、申し込んだ者たちがいます。会社があとから十四万株に増やせば、その者たちは十四万分の一しか持てない」
監事が頷いた。転運司で二十年、勾当の官を務めた男だった。
「告げ書に書いたことは、会社の約束だ」
監事は言った。
「書いたとおりにしか売れぬ」
「ではどう分ける」
閻守業が言った。
「申し込みの順か」
「順にすれば」
晏崇礼が言った。
「初日に開封の行の前に並べた者が有利になります。磁州から遠い揚州や杭州の者は、告げ書が届くのも遅い」
晏崇礼は兵部の駅の吏を十五年務めた男だった。駅の割符を公平に配るやり方を知っていた。
「ではくじか」
「くじにすると」
修平は言った。
「二株だけ申し込んだ紡ぐ場の女頭が外れて、一株も持てないかもしれない。千株を申し込んだ商人の主が当たって、千株全部持つかもしれない」
しばらく誰も言わなかった。
監事が帳面を開いた。
「申し込みの大きさ別の数がある」
監事は言った。
「十株以下の申し込みが、六千二百人。合わせて二万一千株。——十株を超える申し込みが二千人あまりで、合わせて九万二千株。二十株、五十株の者もいれば、百株、千株の大口もいる」
修平は監事の帳面を覗き込んだ。
「十株以下の申し込みは全部そのまま売る」
修平は言った。
「二万一千株。——残りの四万九千株を、十株を超える申し込みに、申し込んだ数の割合で分ける。千株を申し込んだ者には、五百株あまり。百株を申し込んだ者には、五十株あまり」
閻守業が眉を上げた。
「小さい者を先にするのか」
「小さい者が国中に多いからです」
修平は言った。
「この道は十万の手で持つ、と春に閻どのの家で申し上げました。——千株を持つ者が七十人いる道より、十株を持つ者が七千人いる道の方が、十万の手に近い」
閻守業はしばらく修平を見ていた。
「……大口の者たちは怒るぞ」
「怒ると思います」
修平は言った。
「だから分け方を告げ書と同じように、七つの場所に貼り出します。——分け方が見えていれば、怒っても、欺かれたとは言えません」
董事たちは票を入れた。晏崇礼と監事は票を持たなかった。
修平の言った分け方が通った。
◇
余った株を申し込んだ者たちには、払った銭が返された。
払った銭が返されたとき、戸部の若い吏員が竇守義の行の帳場で泣きそうな顔をしていた、と竇守義があとで言った。二十株を申し込んで、十一株になった。——二十株、全部持てると思っていたのに、と。
秋の初めの十日目。払い込みの期日が過ぎた。
磁邢鉄道会社の名の預りの口に、百万貫が揃った。
中央銀行の本院の帳面で、七つの場所の民の行の預りから、竇守義の行の会社の口へ銭が振り替えられた。——一日で終わった。十年前なら、荷車で銅銭をひと月かけて運んだ額だった。
その晩、鄭仲謙が統計局の数を持って詳定官の詰所に来た。
「国中の民の行の預りの総額」
鄭仲謙は言った。
「この十日で、磁邢の会社の口の分を除いて、七十万貫あまり減った。——株を買った者たちが自分の預りを会社の口へ移した」
「会社の口では増えた」
「百万貫」
鄭仲謙は言った。
「四十二の家の分も入れて。——銭は消えたのでも生まれたのでもない。八千の家の預りから、一つの会社の預りへ移っただけだ」
鄭仲謙は帳面を閉じた。
「そして明日から会社の口から、鋼の場の口へ、石工の組の口へ、邯鄲の地主の口へ移っていく。——鋼の場はその銭で炉の者に賃を払い、石炭を買う。石工は石を切る者に賃を払う。地主はどこかの行に預ける」
「預りは国中を巡る」
「巡る」
鄭仲謙は言った。
「ただ、巡る道筋が変わった。今までは、八千の家の預りは民の行を通って、商人に短く貸されていた。——これからは、その一部が会社を通って鉄の道の棒になる。二十年、戻らぬ棒に」
鄭仲謙は少し黙った。
「民の行の者たちは預りが減ったと嘆くかもしれぬ。——だがあの者たちは冬に、道に長く貸すのは嫌だと言うた。その嫌だと言うた分を、株を買った八千の家が引き受けた」
「はい」
修平は言った。
「八千の家は民の行と違って、明日返せとは言えない銭で引き受けました」
◇
その翌日、磁州の会社の建物で、晏崇礼が最初の紙に印を押した。
鋼の場への棒の注文だった。一年目の分。
二枚目は、邯鄲の南の土地の買い上げの代銀の払い。三枚目は、賀通遠の組への測りの代。四枚目は、橋の石を切る石工の組への前払い。
修平は晏崇礼の脇でその紙を見ていた。
「百万貫が今日から、棒と土地と石になっていきます」
晏崇礼が言った。
「一年後、この預りの口にはほとんど何も残っていないでしょう」
「はい」
修平は言った。
「それでいいのです」
晏崇礼は印を置いた。
「林どの。一つ分からぬことがあります」
晏崇礼は言った。
「春に閻の旦那の家で林どのは、株は会社から元が戻らない、と言われた。戻る道は別にある、と」
「はい」
「その別の道で株が売り買いされて、値が十一貫になったとします。十五貫になったとします」
晏崇礼は預りの口の帳面を指で叩いた。
「その値上がりの分はこの口に入るのですか」
「入りません」
修平は言った。
晏崇礼が少し意外そうな顔をした。
「会社に銭が入るのは、今度の一度だけです」
修平は言った。
「会社が株を新しく売り出したとき。——十貫で売り出して、十貫が会社に入った。それで終わりです。その後、株を持つ者同士がその株を十五貫で売り買いしても、会社には一文も入りません。入るのは売った者の懐です」
修平は紙に書いた。
——会社が新しく株を売り出し、買った者の銭が会社に入る場。これを一つ目の市と呼ぶ。
——会社は、一つ目の市で入った銭で棒と土地と石とを買う。
——その後、株の値がいくら上がっても、会社の蔵は増えない。
「私の国ではこれを、株を出す市、と呼びました」
修平は言った。
「会社が元手を集める市。——今度の十日間の七つの場所の行の帳場が、それでした」
晏崇礼は紙を見ていた。
「値上がりしても会社には入らない」
晏崇礼は言った。
「では会社を預かる者は、株の値など気にしなくていいのですか」
修平は少し考えた。
「気にしなければならない日が来ます」
修平は言った。
「次に会社が株を新しく売り出したいとき。——そのとき株の値が十五貫なら、新しい株も十五貫近くで売れる。五貫なら、誰も十貫では買わない」
晏崇礼はゆっくりと頷いた。
「今は関わりがない。けれど次の一度のときに関わる」
「はい」
◇
監事が分厚い帳面を卓の上に置いた。
株を持つ者の名の帳面だった。十万株。四十二の家の、三万株。七つの場所から集まった、七万株。
名は八千三百あまり並んでいた。
修平は帳面をめくった。
閻守業。三千株。汪徳潤の家。千二百株。邢州の米の商人の家。八百株。——四十二の家の名が最初の頁を埋めていた。
その後に頁をめくってもめくっても、十株、五株、二株、一株の名が続いていた。
戸部の若い吏員。十一株。
何四娘。二株。
陶大年の孫娘の名。一株。
相州の頁に牛把頭の名があった。鶴壁の坑夫頭。二株。爪印だった。
修平は帳面を閉じた。
八千三百の名の一つ一つが、この道の持ち主だった。この道に銭を貸した者ではなく。道が稼げば共に稼ぎ、道がしくじれば共に失う。
その中の何人が十一枚目を読んだのか。
修平はそれを数えることはできなかった。




