第七巻 資本市場 第七回 株式会社
「寺は田を持っております」
范汝舟が言った。
初夏の戸部の詳定官の詰所だった。卓の上に会社の法の草案の紙が何十枚も散らばっていた。書いては消し、消しては書いた墨の跡だらけの紙だった。
「寺の田は住持の田ではない。住持が死んでも次の住持が来ても、田は寺のものだ。——寺の名で田を買い、寺の名で小作に貸し、寺の名で訴える」
范汝舟は丸い顔を少し赤くしていた。
「それに義荘があります」
「義荘」
孟季常が言った。
「范の家の義荘です」
范汝舟は言った。
「私の家とはずいぶん遠い同じ姓の家の話ですが。——昔、范の家の偉いお方が蘇州に田を置かれた。一族の貧しい者に米を配り、嫁入りと弔いの費えを出し、子らに学問をさせるための田です。田はそのお方のものではなく、義荘のもの。管める者は代々替わる。けれど義荘は百年続いております」
修平は筆を止めた。
この国にはもうあった。人の寿命を越えて、名で持ち物を持ち続ける仕組みが。
「会社も同じです」
修平は言った。
「会社は株を持つ者たちの寄り合いではありません。株を持つ者とは別の一つの家です。——会社の名で棒と車を持ち、会社の名で証文を出し、会社の名で鉄を買う約束をし、会社の名で訴え、訴えられる」
刑部の賈知節が頷いた。
「株を持つ者が死んでも」
「会社は続きます。株は子に譲られる。売られる。——株を持つ者は入れ替わる。けれど道は、同じ会社が走らせ続ける」
修平は紙に書いた。
——会社は、株を持つ者とは別の一つの家として法の上に立つ。
「私の国ではこれを法の上の人、と呼びました」
修平は言った。
「人ではないが、法の上では人のように持ち、約束し、訴え、訴えられる」
賈知節は少し眉を寄せた。
「寺は人ではないが刑部で訴えられる。——そう言えば分かる。法の上の人、と言えば、町の者は首を傾げる」
「では寺と義荘と同じ扱い、と」
「それでいい」
賈知節は言った。
「新しい言葉は少ない方がいい。刑部の吏は新しい言葉が一番嫌いだ」
◇
鉄の道は二十年、三十年走る。
二十年の間に株を持つ者は何度も入れ替わる。閻守業は六十に近い。四十二の家の主たちの半分は二十年後には生きていない。
鉄の道は人の寿命より長い。
——だから会社という別の家が要る。
修平はその晩、詰所の灯の下でそう書いた。
書いてから少し考え込んだ。
人の寿命より長い家を国中にいくつも作る。その家は自分の名で持ち物を増やし、自分の名で人を雇い、自分の名で借りる。——その家を誰が治めるのか。
◇
四月の初め、磁州から閻守業が一人の男を連れてきた。
三十代の終わりの痩せた男だった。日に焼けて、目の下に深い皺があった。
「晏崇礼と申します」
男は言った。
「兵部の駅の吏を十五年。田守信どのの下で。——去年の秋から、衛州の港の鉄の道の学びの場で、駅の者に区間の札と刻の表を教えておりました」
閻守業が言った。
「磁州から邢州への道を預ける者を探しておった。賀どのに相談した。——賀どのがこの男を挙げた」
晏崇礼は頭を下げた。
「鉄も、石炭も、米も商ったことはございません。道の上で車と人と刻を動かすことしか知りません」
「それでいい」
閻守業は言った。
「商いは私が知っておる。——道を動かすことは、私は知らぬ」
修平は二人を卓の前に座らせた。
「閻どのは株を持つ者の一人です。四十二の家の長としてたくさんの株を持つ」
修平は言った。
「晏どのは株を持っていない。——けれど道を毎日預かる」
修平は紙に三つの丸を描いた。
一つ目の丸に「株を持つ者たちの会」。
「株を持つ者たちが年に一度集まる。株の数に従って一票ずつ。——ここで会社の大きなことを決めます。道を延ばすか。新しく株を出すか。儲けをどれだけ分けるか。会社を畳むか」
二つ目の丸に「董事」。
「株を持つ者たちの会が何人かを選びます。——董事。董は正す、という字です。会社の大きな方向を正す。董事は、月に一度集まって会社を預かる者を見張り、年の帳面を確かめ、株を持つ者たちの会に報せる」
三つ目の丸に「掌事」。
「董事が選びます。——会社を毎日預かる者。車の出る刻を決め、駅の者を雇い、石炭を買い、帳面を付ける」
修平は三つ目の丸を晏崇礼の前に置いた。
「晏どのはこれです」
晏崇礼は紙を長いこと見ていた。
「私がこの道を毎日動かす」
「はい」
「私は道を持っていない」
「持っていません」
修平は言った。
「持っているのは十万の手です。——晏どのは十万の手から道を預かる」
晏崇礼は顔を上げた。
「では私は十万の手に何を約束すればいい」
「道を自分の家のように使わないこと」
修平は言った。
「会社の銭を自分の銭のように使わないこと。——そして年に一度、何をしたかを帳面で見せること」
◇
「そこが一番難しい」
閻守業が言った。
「持つ者と預かる者が同じなら、使い込む者はいない。自分の蔵から自分の蔵へ移すだけだ。——持つ者と預かる者が別になれば、預かる者はいつか、持つ者の銭を自分の銭のように使い始める」
閻守業は晏崇礼を横目で見た。
「この男がそうだと言うのではないぞ」
「分かっております」
晏崇礼は言った。
「駅の吏を十五年やって、駅の馬の飼い葉を自分の家の馬に食わせる吏を三人見ました。——三人とも最初は一束、二束でした」
閻守業は少し笑った。
「それで決まりをいくつ作る」
修平は紙に書き並べた。
——掌事は、年に一度会社の帳面を、株を持つ者たちの会に見せる。持ち物、負い目、元手。一年の稼ぎと費え。
——帳面は董事が確かめる。董事の他に帳面だけを検める者を、株を持つ者たちの会が選ぶ。監事。監事は掌事とも董事とも縁のない者から。
——董事と掌事は、会社の銭を自分や自分の家の商いのために使ってはならない。
「最後の一つが閻どのに関わります」
修平は言った。
閻守業が眉を上げた。
「閻どのは董事の一人になるでしょう。——そして閻どのの家は鉄の問屋です。道の会社は棒の鉄をどこかから買う」
閻守業は黙った。
しばらく黙っていた。
「……私の問屋から買えば」
「閻どのが董事として決めたのか。問屋の主として決めたのか。——株を持つ十万の手からは分かりません」
修平は言った。
「閻どのの問屋の鉄が一番安くて、一番よいのかもしれない。けれどそれを閻どの自身が決めてはならない」
閻守業はしばらく修平を見ていた。
それから自分から言った。
「董事が自分の家と会社との間で商いをするときは、他の董事に先にそう申し出る。その商いを決める議には加わらぬ。値と量と相手とを帳面に書いて残す」
修平は少し驚いた。
「閻どの」
「四十年問屋をやった」
閻守業は言った。
「番頭が自分の親類の鍛冶から高く買っていたことが二度あった。——二度とも帳面で分かった。帳面に書いてあったからだ」
修平は閻守業の言葉をそのまま紙に写した。
——董事が、自分の家と会社との間で商いをするときは、他の董事に先に申し出る。決める議には加わらない。値と量と相手を帳面に残す。
「もう一つあります」
修平は言った。
「董事と掌事が決まりに背いて、会社に損をさせたとき。——わざと、あるいはひどく怠って。そのときは、董事と掌事は自分の家の蔵で償う」
晏崇礼が少し息を呑んだ。
「有限の責めは株を持つ者の決まりです」
修平は言った。
「会社を預かる者の決まりではありません」
◇
帳面の形を決めたのは統計局の鍾九思だった。
鍾九思は五十の半ばを過ぎていた。戸部で二十年算盤を弾き、統計局に移ってからは、おかしな数を見つける役を務めてきた。
「会社ごとに帳面の形が違えば」
鍾九思は詳定官の詰所の卓に何冊もの帳面を並べて言った。揚州の組の帳面。磁州の工場の帳面。竇守義の行から借りてきた泉州の海の商人の帳面。
「持ち物の欄に何を入れるか。台の減りを何年で見込むか。まだ受け取っていない代銀を稼ぎに入れるか、入れないか。——家ごとに違います。揚州の組は舟の減りを見込んでおりません。磁州の工場は見込んでいる。同じ一万貫の儲けでも、中身が違う」
鍾九思は一冊の白い帳面を開いた。
欄が刷ってあった。持ち物。負い目。元手。一年の稼ぎ。費え。台と建屋と舟の減りの見込み。借りの利。儲け。分けた分。残した分。
「会社の法で会社と名乗る者は、この形で帳面を付ける」
鍾九思は言った。
「統計局がこの形を刷って売ります。——形が同じなら、株を買う者は磁州の道と揚州の舟とを同じ物差しで比べられる。監事もどこを見ればいいか分かる」
修平は白い帳面の欄を指でなぞった。
太府寺の蔵の一の等の尺と同じことだった。——物差しが国中で一つなら、測った数を比べられる。
「減りを何年で見込むかは」
「台は十年。建屋は三十年。舟は邵どのに聞いて、十五年。鉄の道の棒は賀どのに聞いて、二十年」
鍾九思は言った。
「会社がそれより短く見込むのは構わない。長く見込むときは、監事の名で理由を書かせる。——減りを長く見込めば、一年の費えが減る。儲けが大きく見える」
修平は少し笑った。
「おかしな数を見つける役の目ですね」
「おかしな数はたいてい減りの欄から出てきます」
鍾九思は笑わずに言った。
◇
都堂の議は夏の初めの暑い朝だった。
左丞相の李徳彰が会社の法の草案を卓の上に置いた。草案の束は指の幅ほどの厚さになっていた。
李徳彰は五十五になっていた。
「林詳定が戸部・太府寺・刑部・工部・中央銀行と、半年かけて作った」
李徳彰は言った。
「会社と名乗る者は、株を持つ者とは別の一つの家として、寺や義荘と同じく名で持ち物を持ち、約束し、訴え、訴えられる。株を持つ者は出した額を限りとして負う。董事と掌事と監事とを置き、年に一度帳面を見せる。元手の下限。会社と組とを看板で分ける。——欺いた者には、限りのある責めは及ばない」
右丞相の張文謹が草案の最初の一枚を指でめくった。
張文謹は七十になっていた。指が少し震えていた。
「会社という家が国中にできる」
張文謹は言った。
「その家は人よりも長く生きる。人よりも多くの銭を持つ。——百年続けば、一つの県よりも大きな家になるかもしれぬ」
張文謹は草案を置いた。
「義荘は一族の貧しい者のためにある。寺は仏のためにある。——会社は何のためにある」
都堂の中が静まった。
李徳彰は少し考えてから答えた。
「株を持つ者の儲けのために」
「それだけか」
「それだけでは道は敷けませぬ」
李徳彰は言った。
「株を持つ者が儲けるには、道が荷と人を運ばねばならぬ。荷と人を運べば、磁州の鋼が衛州の港へ下り、邢州の麦が開封へ来る。——儲けのために作る家が国の荷を運ぶ」
張文謹は長いこと李徳彰を見ていた。
「儲けのために作る家が国の荷を運ばなくなったときは」
「法を変えます」
李徳彰は言った。
「この法は最初の法です。十年後に足りぬところが必ず出る」
張文謹は少し笑った。
「私は、十年後にはもうこの座にはおらぬ」
張文謹は草案の上に手を置いた。
「李左相。——この法の最初の一枚に一行足してくれぬか。会社は法の下に立つ、と。会社がどれほど大きくなろうと、法の上には立たぬ、と」
李徳彰は筆を取り、草案の最初の一枚の余白にその一行を書き足した。
都堂は草案を御前廷議へ上げることを決めた。
◇
御前廷議はそれから十日後だった。
皇帝は草案の最初の一枚を読んでいた。張文謹の一行が書き足された一枚だった。
「林詳定」
皇帝は言った。
「会社という家は朕の民か」
修平は少し考えた。
「民ではございません。——けれど法の上では民のように扱います。持ち物を持ち、約束し、訴え、訴えられる」
「税は」
「納めます」
修平は言った。
「会社の商いに商税を。会社の持つ田と屋敷に田と屋敷の税を。——寺と義荘と同じく、名で納めます」
皇帝は少し笑った。
「税を納める、民ではない家か」
皇帝は草案をめくった。
「寺と義荘と同じだ、と李左相は申した」
「はい」
「寺には住持がいる。義荘には管める者がいる。——会社には董事と掌事、か」
皇帝は董事と掌事の項を読んでいた。
「董事は株を持つ者たちが選ぶ。掌事は董事が選ぶ。——朕は選ばぬのか」
「選びません」
修平は言った。
「中央銀行の委員と同じく、でございますか」
李徳彰が口を挟んだ。
「いや」
皇帝は言った。
「中央銀行の委員は朕が任じた。任じて手を離した。——会社の掌事は朕が任じもせぬ」
皇帝は草案を閉じた。
「朕の国に、朕が任じぬ者が治める、朕の民ではない家が国中にできる」
座の間が静まった。
修平は黙って皇帝の言葉を待った。
「よい」
皇帝は言った。
「朕が全部を任じれば、全部の道のしくじりが朕のしくじりになる。——衛州の道は朕が負う。磁州から北の道はその道を選んだ者たちが負う。朕が負うのは、その者たちが互いに欺かぬための決まりだ。冬に林詳定がそう申した」
皇帝は筆を取った。
「会社は法の下に立つ。——右相の一行はよい一行だ」
皇帝は草案の最後の一枚に裁可の朱を入れた。
◇
夏の初め、会社の法が下った。
開封の州橋の脇の告示の板に、法の要のところを抜き書きした紙が貼り出された。小報がそれを写して売った。
半月後、磁州の閻守業の問屋の隣の建物に新しい看板が掛かった。
——磁邢鉄道会社。
看板を掛けたのは閻守業ではなかった。晏崇礼だった。梯子に登り看板を釘で留めた。閻守業は梯子の下で見上げていた。
同じ月、揚州の運河の東岸の邱承緒の家の門の看板が架け替えられた。
——通済舟運会社。
春に刷った四百枚の証文を持つ者たちには、邱承緒の組から一軒ずつ書き付けが届けられた。組が会社になること。証文の約束は会社が引き継ぐこと。ただし、組の七つの家の蔵はもう証文の後ろには立たないこと。それを承知しない者には、秋の終わりまでに額面の百貫とその日までの利とで証文を買い戻すこと。
四百枚のうち買い戻しを求めたのは十一枚だった。
揚州の塩の商人の寡婦は求めなかった、と聶仲和の手紙にあった。——会社の半年の帳面を茶館の壁で読んだうえで、と。
修平は手紙を畳んで詰所の箱の中にしまった。




