第七巻 資本市場 第四回 社債価格と利回り
中央銀行の判断の文書は、春の半ばの会合の翌朝に、本院の門の脇の板に貼り出された。
十年前の秋から、会合のたびにそうしてきた。板の前には、両替の店の小僧や、行の手代や、小報の書き手が、朝から群がっていた。
修平は統計局から回ってきた写しを、詳定官の詰所で読んだ。
——銀行の間の短い利を、年五分より五分半へ導く。
——物の値は、この一年ならして三分半あまり上がった。目当ての、ならして二分前後を上回る。とりわけ、鉄と石炭と木と煉瓦と石灰の値が上がっている。鉄の道と工場と舟の場の普請が、国中で始まっているためである。
——普請そのものを抑える意図はない。ただ、普請の銭を、行が今の利のまま貸し続ければ、物の値の上がりが、職人の賃と米の値へ広がる恐れがある。
——次の会合までに、物の値の上がりが鉄と石炭の外へ広がるかどうかを見る。
修平は写しを卓に置いた。
鄭仲謙の字だった。十年の間に、中央銀行の文書はずいぶん短く、はっきりなった。
◇
ひと月後、揚州から手紙が届いた。
揚州の行の主、聶仲和からだった。年の初めに、邱承緒の家の広間で首を振った男だった。
——通済の組の証文が売り買いされ始めております。
修平は手紙を読み進めた。
四百枚の証文は、春の初めに揚州の四百の家の蔵へ散った。そのうちの何枚かが、ひと月も経たぬうちに持ち主を替え始めた。
最初に売ったのは寺だった。春の嵐で本堂の屋根が飛んだ。十枚のうち五枚を売りたい。
寺の会計の僧は邱承緒の組の門を叩いた。証文を返すから、百貫ずつ返してくれ。
組は断った。証文の元は、五年目の満期に返す約束だ。今、返す銭は組にない。四隻の舟の腹の中に入っている。
僧は運河の岸の茶館へ行った。春の初めに証文を一枚買った、あの茶館の主の店だった。茶館の主は、揚州の証文を持つ者たちの顔を知っていた。
五枚の証文は、茶館で三日のうちに別の家へ売れた。
——一枚、百一貫で。
聶仲和の字がそこだけ少し大きかった。
——額面百貫の紙が、百一貫で売れました。利、七分。揚州の行に一年預けても、四分。国の証文を買っても、五分あまり。この紙を欲しがる者が多かったのでございます。
修平は手紙を裏へめくった。
——ところが、中央銀行の文書が揚州に電信で届いて、十日のうちに九十九貫になりました。
——そして、先月の末。組の古い方の一隻が、長江の口の瓜洲の浅瀬に乗り上げました。春の水の引きが例年より早かった。舟は壊れておりません。けれど、水が戻るまでひと月動けません。
——今、茶館での値は九十四貫でございます。
——同じ月、揚州の行が持つ国の十年の証文は、九十九貫から九十六貫へ下がりました。瓜洲の浅瀬の後も、九十六貫のまま動いておりません。
手紙の最後に、聶仲和は一行書き添えていた。
——茶館の主に、組の証文はいったい、いくらが本当の値なのかと問われました。私には答えられませんでした。林詳定にお伺いしたく。
◇
詰所には、戸部の孟季常と、太府寺の范汝舟と、中央銀行の鄭仲謙が集まった。統計局から韋明遠も、算木の箱を抱えて来ていた。
修平は聶仲和の手紙を卓の上に広げた。
「国の証文が九十九貫から九十六貫に下がった」
孟季常が言った。
「それは分かります。中央銀行が利を上げた。——新しく出る国の証文は、前より高い利を付けねば売れない。前の五分の証文を、額面の百貫で買いたい者はいなくなる。値を下げて、ようやく買い手がつく」
孟季常は少し笑った。
「十年あまり前、林どのがこの詰所で話されたことです。中央銀行が国の証文をたくさん買えば、値が上がり、利が下がる。——逆に、利が上がれば、値が下がる」
「はい」
修平は言った。
「同じことが組の証文にも起きています。中央銀行の文書が出て、十日で、百一貫が九十九貫になった」
「国の証文は三貫下がった。組の証文は二貫」
韋明遠が算木を動かしながら言った。
「組の証文の方が、下がり方が小さい。——満期が五年だからか」
「そうです」
修平は言った。
「国の証文は満期まであと九年。組の証文は五年足らず。利が上がったときに損をするのは、低い利を長く受け取り続けねばならない者です。——九年、五分で我慢する者と、四年、七分で我慢する者。長く我慢する方が、値が大きく下がる」
范汝舟が帳面に書きつけた。
——満期が長いほど、利の動きに値が大きく揺れる。
「そこまでは国の証文と同じ話だ」
鄭仲謙が言った。
「問題はその後だ」
鄭仲謙は手紙の瓜洲の浅瀬の行を指で叩いた。
「瓜洲の後、国の証文は動かなんだ。組の証文だけが、九十九貫から九十四貫に、五貫下がった。——中央銀行は、この月、何もしておらぬ。利も変えておらぬ」
◇
「舟が一隻、ひと月止まった」
修平は言った。
「それで、組が七月の朔日に利を払えるかどうか、揚州の者たちが少し心配になった。——舟は壊れていない。水が戻れば、また動く。けれど、組の稼ぎがひと月分減る。邱どのが利を払う銭を蔵に積んでいるかどうか、茶館の客には分からない」
修平は紙に二本の線を引いた。
一本目の線の上に「国の証文」。二本目の線の上に「組の証文」。
「国の証文を持つ者は、瓜洲の浅瀬で何も心配しません。国の利は国中の税から出る。一隻の舟が止まっても、国の税は減りません」
修平は二本目の線の脇に書いた。
——舟の稼ぎ。組の蔵。邱どのの帳面。
「組の証文の値には、国の証文の値にはないものが入っています。——この組が、約束どおり利と元とを払えるのか。その危うさです。危うさが増したと皆が思えば、買い手はもっと安くなければ買わない」
「では九十四貫は組が危うい、という値か」
孟季常が言った。
「組が少し危うくなったと、揚州の者たちが思っている、という値です」
修平は言った。
「本当に危ういかどうかは別です。邱どのが利を払う銭をちゃんと積んでいれば、七月の朔日には利が払われる。そうなれば、茶館の者たちは安心して、値はまた戻るかもしれません」
范汝舟が首を傾げた。
「それなら、邱どのが蔵の中を見せればいい」
「見せれば値は動くでしょう」
修平は言った。
「組の帳面を年に何度か外に見せる。——それは後で必ず要ります」
韋明遠が算木から顔を上げた。
「もう一つあるのではないか」
韋明遠は言った。
「国の証文は、開封でも杭州でも揚州でも、どこの行でも売れる。組の証文は、揚州のあの茶館でしか売れない。——買い手が少ない。急いで売りたい者は安く売るしかない」
「はい」
修平は言った。
「売りやすさ、です。寺は屋根を直す銭が、今要った。三日で五枚売れたのは運がよかった。——買い手のいない日に、売りたい者が来れば、九十貫でも売れないかもしれません。売りにくい紙を持つ者は、その売りにくさの分も値を下げて買います」
修平は紙の余白に三つの言葉を書いた。
——利の上がり下がり。
——約束を守れるかの危うさ。
——売りやすさ。
「国の証文と組の証文との値の差には、この三つが入っています」
鄭仲謙が腕を組んだ。
「利の分は、中央銀行が動かす。危うさの分は、組が動かす。売りやすさの分は」
「市が動かします」
修平は言った。
「買い手と売り手が一つの場所に多く集まるほど、売りやすくなる。——揚州の一軒の茶館では、まだ市とは呼べません」
◇
「聶どのの問いに戻ります」
修平は言った。
「組の証文の本当の値はいくらか。——私にも答えられません。けれど、茶館の主が何を取り違えているかは言えます」
修平は新しい紙を一枚出した。
四つの言葉を上から順に書いた。
——額面。
——値。
——利。
——利回り。
「額面は、紙の表に刷ってある百貫です」
修平は言った。
「組が五年目に返す約束の額。——これは、茶館の値がいくらになろうと、変わりません。九十四貫で買った者にも、五年目には百貫が返ってきます」
修平は一つ目の言葉の脇に「百貫。変わらない」と書いた。
「値は今、茶館で売り買いされている額です。九十四貫。——明日には九十五貫かもしれない。瓜洲の舟がまた沈めば、八十貫かもしれない」
二つ目の言葉の脇に「九十四貫。毎日変わる」。
「利は、紙の表に刷ってある七分です。額面の百貫に対して、年に七貫。——これも変わりません。九十四貫で買った者にも、年に七貫が払われます」
三つ目の言葉の脇に「七貫。変わらない」。
「そして、利回り」
修平は四つ目の言葉を指で押さえた。
「今、この値で買った者が、買った銭に対して年にどれだけを受け取るか、です」
「九十四貫を払って、年に七貫」
韋明遠がすぐに算木を並べた。
「七分四厘あまり」
「そうです。額面で買った者には、七分。九十四貫で買った者には、七分四厘あまり。——同じ紙、同じ七貫でも、買った値が違えば、買った者の手元の銭に対する稼ぎが違う」
范汝舟がゆっくりと言った。
「値が下がると、利回りが上がる」
「はい。それに、九十四貫で買った者は、五年目に百貫が返ってきます。六貫多く戻る。——それを、五年足らずにならして足せば」
韋明遠がまた算木を並べた。
「満期まで持てば、ならして九分に近い」
修平は紙の四つ目の言葉の脇に、三つの数を並べた。
——紙に刷った利、七分。
——茶館のその日の値で買って、年ごとに受け取る分、七分四厘あまり。
——満期まで持って、戻る額まで入れた分、九分近く。
「茶館の主がただ、利、と言うとき、この三つのうちのどれを言っているのか。——それを、まず分けてもらわねばなりません」
◇
孟季常が紙をしばらく見ていた。
「一つ、分からぬことがある」
孟季常は言った。
「値が下がって損をしたのは誰だ」
「寺から百一貫で買った家です」
修平は言った。
「百一貫で買った紙を今売れば、九十四貫。七貫の損です。——ただ、売らなければ、損はまだ決まっていません。満期まで持てば、年に七貫を受け取り、五年目に百貫が戻る。買ったときに見込んだとおりに」
「では、誰も損をしておらぬのか」
「売った者は決まった損をします。売らない者は、今日売ればこれだけ損をする、という値が付いているだけです」
修平は少し言葉を切った。
「それに、九十四貫で新しく買った者は、九分近い利回りを手に入れます。——値が下がったことで、得をする者もいる」
鄭仲謙が手紙の最後の行をもう一度読んだ。
「邱どのの組が、この夏もう四隻造りたいと言うてきたら、どうなる」
鄭仲謙は言った。
「新しい証文を刷る。——今、茶館で九十四貫の証文と同じ紙を、百貫で誰が買う」
修平は頷いた。
「誰も買いません。新しい証文は、今の利回りに合わせねばならない。九分に近い利を付けて、ようやく額面で売れる」
「九分」
鄭仲謙は言った。
「七分で借りられたものが九分になる。——組の商いは何も変わっておらぬのに」
「組の商いは変わっていません。けれど、組を見る揚州の目が変わった」
修平は言った。
「一度、証文の値が下がると、次に借りるのが高くつく。高くつけば造れる舟が減る。——危うさが増したと思われた商いは、次の銭が集めにくくなる」
修平はそれ以上は言わなかった。
自分の世で、それが一つの国の全部の商いに同時に起きたことがあった。証文の値が国中で一度に下がり、どの会社も次の銭を集められなくなった。——それは、この国のずっと先の話だった。
范汝舟が丸い顔を少し曇らせた。
「太府寺で組の証文の値を定めてはどうか」
范汝舟は言った。
「市の米の値が乱高下するとき、太府寺は市易の倉から米を出して、値をならしてきた。——組の証文も額面の百貫で売り買いせよと、茶館に札を掛けさせる。そうすれば、寺から百一貫で買った家も損をせぬ」
修平は少し考えた。
「百貫で売り買いせよ、と定めれば」
修平は言った。
「今、九十四貫なら買う、という者は、百貫では買いません。寺が屋根を直す銭を要るとき、茶館に行っても、誰も買ってくれない。——値は百貫のまま止まります。けれど、売りたい者が売れなくなる」
范汝舟は黙った。
「それに、九十四貫という値は、揚州の者たちが瓜洲の浅瀬をどう見たかの報せでもあります」
修平は言った。
「値を百貫に縛れば、その報せが消えます。邱どのも揚州の行も、組がどう見られているのかが分からなくなる。——値を動かないようにするより、値が何によって動いたのかを、皆が確かめられるようにする方がいいと思います」
「米とは違う、か」
「米の値をならすのは、明日の飯が食えなくなる者が出るからです」
修平は言った。
「組の証文を持つ者は、少なくとも百貫を蓄えられた者です。——明日の飯の話ではありません」
范汝舟は帳面の先ほどの行の下に、もう一行書きつけた。
——値を縛らず、帳面を見せる。
「聶どのに返事を書きます」
修平は言った。
「本当の値は分からない。けれど、値と、額面と、利と、利回りとを分けて考えてほしい、と。——それから、邱どのに、組の帳面を七月の朔日の前に茶館の壁に貼り出すよう勧めてほしい、と」
◇
七月の朔日、通済の会社は四百枚の証文の半年分の利を一文も欠かさず払った。
瓜洲の浅瀬の舟は、夏の初めの水で浮いた。
聶仲和から二通目の手紙が届いた。
——邱承緒どのが、六月の末に会社の半年の帳面を、茶館の壁に貼り出しました。舟ごとの客と荷の数。稼ぎ。油と石炭の代。瓜洲で失ったひと月分。そして、利を払うために、別に積んでおいた三千貫。
——七月の朔日に利が払われた翌日、茶館での値は九十八貫に戻りました。
——国の証文は九十六貫のままです。中央銀行の利がそのままでございますので。
修平は手紙を畳んだ。
詰所の壁には、あの日書いた四つの言葉の紙が貼ってあった。
額面。値。利。利回り。
その脇に、修平は一行書き足した。
——値は、利と危うさと売りやすさとで動く。帳面を見せれば、危うさの分が動く。
書いてから、修平は揚州の茶館の壁を思い浮かべた。組の帳面の紙が貼られ、客たちが茶碗を手に、それを見上げている。
茶館の壁の紙の端は、運河の湿った風に少しめくれているだろう。誰かが茶碗を置いて、指でそれを押さえ直す。——修平はその指のことをしばらく考えていた。




