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第六巻 産業 第十七回 鉄道の実現

 鋼は二つの卓に同時には載らなかった。


 工部の書庫の長い卓の片側に、賀通遠と、杜布林と、沈維新。反対の側に、軍器監の洪克勤と、兵部郎中の曹允恭。修平は卓の端に、統計局の帳面を抱えて座っていた。


 春の初めだった。


「鉄の道の棒は、あと二万本」


 賀通遠が言った。


「磁州の鋼の場から鶴壁を経て、衛州の港まで。冬の初めまでに敷ききるには、ひと月に二千五百本。——去年の暮れに壺を二つにしてから、鋼の場の鋼は月に四十万斤を越えました。それでもその全部を棒に注いで、なお足りない」


 洪克勤が口を開いた。


「軍器監は銃の筒の試しに、鋼が要る」


 洪克勤は言った。


「三年前の夏の廷議で、陛下から工部と軍器監とに委ねられた。一つ目の段は、古い火筒を作り直す試し。二つ目の段は、機械と鋼が揃ってから新しく作る。——鋼は揃い始めた。今、試しの筒を作らねば、二つ目の段が何年も遅れる」


「どれだけ要るのです」


 杜布林が問うた。


「棒の五十本分」


 洪克勤は言った。


「量は多くない。——ただ筒の鋼は、棒の鋼とは違う。杜布林どのの別の壺で、別の石で作っていただかねばならぬ」


「別の壺を焚けば、その分、棒の壺が止まる」


 賀通遠が言った。


 曹允恭が紙を一枚、卓の上に出した。


「兵部からも一つ」


 曹允恭は言った。


「北の軍鎮の弩の枠と、馬具の金具。——今、古い鉄で作っておる。鋼の場の鋼を少し回していただければ、折れる数が半分になると、軍器監の試しで分かった」


 書庫の中が静まった。


 誰も怠けてはいなかった。誰も欲張ってもいなかった。


 鋼が足りなかった。


  ◇


 修平は統計局の帳面を卓の上に開いた。


「数を並べます」


 修平は言った。


「鋼の場のひと月の鋼。去年の秋からの月ごと。——鶴壁の二本目の縦の坑が、夏には石炭を出し始める。磁州の西の坑は来年。石炭が増えれば、高い炉を四つ目に増やせる。四つ目の炉が火を入れるのは、杜布林どのの見立てで、秋の半ば」


 修平は帳面の月ごとの列を指で辿った。


「春と夏は、今の鋼でやりくりする。秋の半ばから、鋼は三割増える」


「棒の敷く日は冬の初めと、朝廷に申し上げてある」


 賀通遠が言った。


「秋の半ばから増えた鋼では間に合わぬ」


「間に合いません」


 修平は頷いた。


「ですから棒を二つに分けてはどうでしょう。——鶴壁から衛州の港までの全ての棒を、冬の初めまでに揃える。ただし、鶴壁から磁州までの北の区間の棒は、来年の春に回す」


 賀通遠が眉を寄せた。


「冬の初めに開くのは、鶴壁から衛州の港まで」


「石炭の坑と河の港。——四年前の廷議で、賀どのが言われた、毎日重いものが必ず行き来する道の、一番太いところです」


 修平は言った。


「磁州の鋼の場へは、来年の春に延ばす。その間は、鋼の場へは鶴壁の石炭を、今までどおり荷車で。——延ばした分の棒の鋼が、春と夏に浮きます。浮いた鋼で軍器監の筒の試しと、兵部の金具とを」


 洪克勤と曹允恭とが顔を見合わせた。


 賀通遠は長いこと黙っていた。


「……一本の道を二度に分けて開くのか」


「最初の一本でしくじることは許される、と」


 修平は言った。


「四年前の廷議で、賀どのが言われました。——半分で、先にしくじっておく方がいいのかもしれません」


 賀通遠は少し笑った。


 それから、壁の地図の細い墨の線の鶴壁と衛州の間に、朱で印を付けた。


 沈維新が紙に筆を走らせた。


 ——鋼の配り。春と夏は月ごとに、鉄の道の棒、何本。軍器監の筒の試し、何本分。兵部の金具、何斤。秋の半ば、四つ目の炉の火の後に改めて議す。配りの数は、工部・兵部・軍器監、三つの印をもって定め、月ごとに統計局が鋼の場の帳面と突き合わせる。


 三つの印が紙の上に並んだ。


 修平は印の並びを見ながら、この一年何度この形の紙を見たかと思った。数えるのはとうにやめていた。


  ◇


 夏、修平は賀通遠と、衛州の北の淇水の岸に立っていた。


 河を渡る鋼の橋が架かっていた。


 石を積んだ二つの橋脚。その間を、鋼の場の板を鋲で継いだ長い桁が渡っていた。桁の上に枕の木と、二本の棒。


 橋のたもとに蒸気の車が一台止まっていた。衛州の試しの道でこの春から走ってきた車だった。車の後ろに、石を満載した荷の車が十台繋がれていた。


「車と石とで、道がこの先運ぶことになる一番重い荷の、一倍半」


 賀通遠が言った。


「それを橋の真ん中に止める」


 橋の下の河原に、柱が一本立てられていた。柱の頭に蘇玄機の器が据えられていた。器の細いねじの先が、桁の下の面に軽く触れていた。


 車がゆっくりと橋へ出ていった。


 車が橋の真ん中に止まった。


 河原の柱の脇で、工部の技官が器の盤を読んだ。


「沈み、盤の刻みで、四十」


 技官が叫んだ。


 賀通遠は手元の紙を見た。紙には、韋明遠の機械で足し上げた、桁がこの重さでどれだけ沈むはずかの数が書いてあった。


「三十八の見込み」


 賀通遠は言った。


「——車を戻せ」


 車が橋から下がった。


「戻り、盤の刻みで、零」


 技官が叫んだ。


 賀通遠は長い息を吐いた。


「沈んで戻った」


 賀通遠は言った。


「戻らなければ、桁が曲がったまま、ということ。——曲がったままの桁は、いつか落ちる」


 賀通遠は橋の石の橋脚を見下ろした。


「この橋は、毎年秋の終わりに同じ重さを載せて、同じように測る。大水の後にも。測った数を橋の帳面に書く。去年より多く沈んだら、何かが変わっている」


 修平は橋の桁を見ていた。


 この桁の鋼は、磁州の鋼の場のどの壺のどの日の鋼か、帳面を辿れば分かる。その鋼の石は、鉱質の台帳のどの山のどの坑の石か。


 辿れる、ということがこの橋を渡らせていた。


  ◇


 相州の西の丘の切り通しは、夏の終わりに抜けた。来年の春に延ばす北の区間の切り通しだった。


 粘土の棒で岩を砕くたびに、切り通しの底から人を上げ、半刻待った。坑の中と同じだった。爆ぜた後の気が底に溜まる。崩れかけた岩が後から落ちてくる。


 賀通遠の組は、岩の質ごとに穴に詰める棒の数を、帳面に書いていった。青い、硬い岩には何本。砕けやすい、赤い岩には何本。棒が多すぎれば、切り通しの壁まで崩れる。少なすぎれば、岩が割れ残る。


 切り通しの壁には、崩れを防ぐ石の段が積まれた。


 粘土の棒の蔵の帳面の番号は、秋までに一度も狂わなかった。


 鶴壁の坑の蔵で合わなかった三本は、まだ見つかっていなかった。


  ◇


 秋、衛州の港の脇に、鉄の道の学びの場が開かれた。


 四年前の暮れの廷議で、賀通遠が言った。道を敷くより先に、道を動かす者たちを育てる場所が要る、と。


 集められたのは百人あまりだった。


 貝爾の学びの場で許しの札を得た機関士と火夫。兵部の駅から、呉承烈が選んで寄越した駅の吏と、駅の卒。鶴壁の坑の木の道で箱を押してきた坑夫。衛州の港の荷の人足。


 教えることは多かった。


 車を焚く。車を走らせる。止める。——蒸気の車は馬と違って、急には止まれない。


 道を毎朝歩く。棒の継ぎ目が緩んでいないか。枕の木が腐っていないか。二本の棒の間の広さが、決めた幅に収まっているか。——賀通遠が、衛州の工場の測る部屋で、太府寺の蔵の尺から写した二の等の尺に比べさせた、鉄の物差しで。


 駅で荷を受け、人を乗せ、切符を売る。


 そして、一番大事なこと。


 道の上で車と車がぶつからないこと。


 賀通遠はそのやり方を、兵部の駅の吏、田守信とひと月かけて決めた。


 鶴壁から衛州の港までの道を、駅と駅の間で三つの区間に分ける。区間ごとに一枚の木の札を作る。札は区間の両端の駅の、どちらかにしかない。


 札を持った車だけがその区間に入れる。


 区間を抜けたら、札を向こうの駅に渡す。向こうの駅からこちらへ来る車は、その札を持って初めて区間に入れる。


「一つの区間に、札は一枚」


 田守信は学びの場の百人の前で、札を掲げて言った。


「札は一枚しかないゆえ、一つの区間に車は一台しか入れぬ。——駅の者が居眠りをしても。電信の線が切れても。札を持たぬ車は区間に入らぬ。それだけを守れ」


 田守信は札を下ろした。


「駅伝の割符と同じだ」


 電信の線は道に沿って、鶴壁から衛州の港まで引かれていた。駅ごとに、局。車が駅を出た刻と、次の駅に着いた刻とを、線で送り合う。


 それとは別に、紙に書いた刻の表が作られた。何刻にどの駅をどの車が出て、何刻にどの駅に着くか。


 表の数は韋明遠の機械で足し上げられた。


  ◇


 秋の半ば、戸部の葉正言の部屋に、修平と、中央銀行の鄭仲謙とが呼ばれた。


 葉正言は六十を越えていた。髪はずいぶん白くなった。


 卓の上に、鶴壁から衛州の港までの道の銭の帳面が広げられていた。


「国の証文で、四つに三つ」


 葉正言は言った。


「残りの四つに一つのうち、半分を河北西路の路の財で。その残りを、相州と磁州と衛州の、石炭と鉄と米の商人たちが出し合った。それに、民の行の長い貸し付け」


 葉正言は帳面を指で叩いた。


「四年前の暮れの廷議で、林詳定が申した道の分け方だ。国の道と、路の道と、民の道。銭の出し手が違うても、道は繋がる。——一本目の道は、その三つを全部混ぜて敷いた」


「敷けました」


 鄭仲謙が言った。


「敷けた」


 葉正言は頷いた。


「二本目も三本目も、同じやり方で敷けるか」


 修平は黙っていた。


 葉正言は卓の脇のもう一つの束を、手元へ引き寄せた。


「工部にこの夏から届き始めた申し出だ。——磁州の鋼の場から北へ、邯鄲へ延ばしたい。鶴壁の東の別の坑から道を引きたい。衛州の港から河を渡って、開封へ。民の商人の申し出も、路の申し出もある」


 葉正言は束の厚さを手で測るようにした。


「全部に国の証文を四つに三つ出せば、国の証文の額は今の何倍になるか。——全部に民の行が長く貸せば、民の行の蔵に道の証文ばかりが積み上がる。一本の道がしくじれば、民の行が倒れる」


 鄭仲謙が頷いた。


「民の行の者たちも同じことを言うてきております」


 葉正言は修平を見た。


「林詳定。一本目は敷けた。——だが国中に敷く銭の出し方は、まだない」


「はい」


 修平は言った。


「国の銭でも、行の銭でも、商人の蔵の銭でもない、銭が要ります」


 修平はそれ以上は言わなかった。


 まだ言える形になっていなかった。


 国中の無数の家の、寝ている少しずつの銭。それを一本の長い事業へ束ねる。——自分の世にはそのための仕組みがあった。けれど、その仕組みは銭の仕組みの中でも、一番熱に浮かされやすく、一番崩れやすいものの一つだった。


「開通の後に改めて申し上げます」


 修平は言った。


 葉正言はしばらく修平を見ていた。


 それから束を卓の脇へ戻した。


  ◇


 冬の初め、衛州の河の港の駅の前に、人が集まっていた。


 駅は煉瓦の平屋の建物だった。建物の前に、二本の棒が東西に長く延びていた。棒の東の端は、港の岸の、石炭を舟へ落とす木の台の下まで引き込まれていた。邵鳴岐が岸の東の端と言った、冬でも深い場所だった。塩の蔵は南へ移されていた。


 駅の前の棒の上に、蒸気の車が一台止まっていた。


 黒く塗られていた。前に太い煙突。後ろに機関士と火夫の立つ、屋根のない台。台の後ろに石炭と水を積んだ小さな車。その後ろに屋根のある、人を乗せる車が三台。


 車の前に、屋根と幕を張った座がしつらえられていた。


 座の中央に皇帝がいた。


 趙祺は四十六になっていた。髪に白いものが混じり始めていた。座の両脇に、左丞相の李徳彰と、右丞相の張文謹。枢密使の楊崇武。工部尚書の沈維新。戸部尚書の葉正言。兵部尚書の呉承烈。その後ろに杜布林と、貝爾と、韋金森と、賀通遠と、羅蘭徳と、邵鳴岐と。喬仲堅と牛把頭もいた。


 修平は座の一番後ろの列に立っていた。


 十年前の秋、開封の会子務の旧庁舎の隣の、中央銀行の本院の開業の日を、修平は思い出していた。


 あの日、皇帝は来なかった。


 勅書は葉正言が読み上げた。中央銀行とは、無限の財布にあらず。——皇帝があの場に来れば、あの府は皇帝の財布に見える。だから来なかった。


 今日、皇帝はここにいた。


  ◇


 賀通遠が座の前に進み出て、拝礼した。


「鶴壁の坑より、衛州の港まで。七十里。駅、四つ。橋、三つ」


 賀通遠は言った。


「今日より、日に四度、石炭の車が坑から港へ。日に一度、人の車が港から坑へ。——刻の表は、四つの駅に貼り出してございます。北の磁州の鋼の場までは、来年の春に」


 皇帝は頷いた。


 それから座から立ち上がった。


 座の周りの者たちが少しざわついた。皇帝が座から立つとは、式の次第になかった。


 皇帝は座を降り、蒸気の車の前まで歩いていった。


 黒く塗られた車の横腹に手を当てた。


挿絵(By みてみん)


 車は釜に火が入っていて、温かかった。


「林詳定」


 皇帝が言った。


 修平は列の後ろから前へ出た。


 皇帝は車の横腹に手を当てたまま、修平を見なかった。


「十年前、朕は中央銀行の門へ行かなかった」


 皇帝は言った。


「あの府は、朕が近づいてはならぬ府だった。朕が門をくぐれば、あの府の銭は朕の銭に見える。——あの府の力は、朕から離れておることにあった」


 皇帝は車の横腹から手を離した。


「この道は、違う」


 皇帝は言った。


「この道は、朕の国が負う事業だ。国の証文で四つに三つを敷いた。道が崩れれば、国が償う。車が人を轢けば、国が償う。——この道の上で起きることの最後の責めは、朕にある」


 皇帝は修平を見た。


「負う者が門の前に立たずに、誰が立つ」


 修平は頭を下げた。


 何も言わなかった。言うべきことは、皇帝が全部言っていた。


  ◇


 皇帝は人を乗せる車の一台目に乗った。


 楊崇武が止めた。車がどう揺れるか分からぬ。万が一、道を外れたら。


「鶴壁まで半日の道だ」


 皇帝は言った。


「賀通遠の札は、この区間に一枚しかないのだろう」


 楊崇武は黙った。


 賀通遠が一台目の車の脇に立ち、札を機関士に手渡した。駅の最初の区間の木の札。


 機関士は、あの鶴壁の坑口で夜明け前に釜の火を落とした、若い火夫だった。この秋、学びの場で許しの札を得ていた。


 笛が鳴った。


 湯気の太い、低い笛だった。


 車がゆっくりと動き出した。


 駅の前の人々が声を上げた。子供たちが棒の脇の畦を、車と並んで走った。すぐに引き離された。


 修平は三台目の車の窓から外を見ていた。


 衛州の港の、石炭を舟へ落とす台。港の脇の車を直す工場。その先に、冬の初めの刈り入れを終えた平らな野。野の中を、二本の棒と電信の柱とが、並んでまっすぐに北へ延びていた。


 四年前の暮れ、工部の書庫の地図の上に、賀通遠が筆で引いた細い墨の線。


 その線の上を、今、車が走っていた。


  ◇


 ひと月後、統計局の部屋で、修平は鶴壁から衛州の港までの最初のひと月の帳面を読んでいた。


 鶴壁の石炭が衛州の港に着くまで、半日。荷車なら二日だった。


 港での石炭の値。荷車の頃の六割。


 その石炭は港で舟に積まれ、河を下り、汴河を上って、開封の工部の工房と、東水門の外の紡ぐ場へ着いた。


 帳面の下の方に、別の数が並んでいた。


 鶴壁の坑口の周りの家の数。この一年で倍になっていた。坑夫と、機械を焚く者と、直す者と、道を見て回る者と、駅の者と。その家族と。


 井戸が足りなかった。夏に一度、腹を下す病が坑口の村に広がった。


 坑口の周りの家の屋根が、石炭の煙で黒くなっていた。


 衛州の港の周りに、民の商人が鍛冶の工場を二つ建てていた。夜も火を落とさなかった。工場の者の中に十三の子がいた。


 鶴壁の坑でこの年、坑の中で死んだ者は、二人。傷ついた者は、四十一人。入坑簿と事の書き付けとで数えた数だった。——掘った石炭の量は、三年前の八倍だった。


 修平は帳面を閉じた。


  ◇


 その晩、修平は左丞相の李徳彰に呼ばれた。


 都堂の脇の小さな部屋だった。修平が都堂の中へ入ることは、許されていなかった。李徳彰はそこで待っていた。


 李徳彰は五十四になっていた。


「今日の都堂で鉄の道の話が出た」


 李徳彰は言った。


「張右相が言われた。——鉄の道は敷けた。鋼も湧いた。工場も建った。だが工場を建てれば、それで終わりではない、と」


 李徳彰は卓の上の一枚の紙を、修平の方へ押しやった。


 都堂のその日の議の書き留めの写しだった。


 鶴壁の坑口の井戸と、腹を下す病。衛州の港の工場の十三の子。楚州の工場の北の村の枯れた麦。磁州の工場の夜道で足を折った者。丁小乙の左の手。


 どれも、修平がこの一年どこの役所に渡せばいいのか分からずに、別の束に綴じてきたことだった。


「工部の沈尚書が、そなたの束を都堂に上げた」


 李徳彰は言った。


「どこの役所の務めか、決まっておらぬことばかりだ。——都堂は今日、決めた。決まっておらぬということを、決まっておらぬまま書き留めておく。そして統計局に、年ごとに数えさせる」


 李徳彰は少し笑った。


「十一年前、そなたは物の値を七つの市で調べると言うた。そのときも何の役に立つのかと、皆が言うた」


 修平は紙を見下ろしていた。


「今はまだ数えるだけです」


 修平は言った。


「数えるだけでもよい」


 李徳彰は言った。


「数えておかねば、いつかどこかの役所がそれを務めとしたときに、何も残っておらぬ」


  ◇


 修平は都堂の脇の部屋を出て、夜の宮城の廊下を歩いた。


 廊下の窓の外に開封の町の灯が見えた。


 東水門の外の紡ぐ場の建屋の窓が、夜も明るかった。汴河の南の酒の塔の建屋からは、石炭の気の黄色い灯が漏れていた。


 町の北の外れに電信の柱が一本、黒く立っていた。その先は暗くて見えなかった。


 柱は陳橋を越え、黄河の岸まで延びていた。黄河の向こうの衛州の港から鶴壁の坑まで、二本の棒と並んで延びていた。


 今夜も、鶴壁の坑の五十丈の底で、誰かが石炭を掘っていた。掘った石炭が明日の朝、車に積まれ、札を持った機関士が半日で港へ運ぶ。港で舟に積まれ、河を下り、汴河を上って、この町のあの窓の明かりの下の機械の釜にくべられる。


 その釜の力で紡がれた糸が、布になり、市で少し安く売られる。


 陶大年の孫娘の紺の上着になる。


 修平は廊下の窓の前で、しばらく立ち止まっていた。


 十一年前の初夏、この宮城の小殿で夜、皇帝は北辺の軍費は歳出の半ばを超える、と言った。


 北の辺りは、まだ何も変わっていなかった。


 廊下の先で宿直の宦者が、灯を掲げて修平を待っていた。

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