第六巻 産業 第十一回 計算機の実現
誤りは、三千貫を超えていた。
韋明遠は中央銀行の本院の帳面の間で、その一行を指で押さえていた。
国の証文の利の払いの帳面だった。この春の払いの日に、中央銀行が証文を持つ者たちに払った利の総額。その総額が、証文ごとの利を一枚ずつ足し上げた額と合わなかった。
合わないことに気づいたのは、払いの日からひと月後だった。中央銀行の帳面の者が、半年の締めの前にもう一度足し直して見つけた。
三千百六十八貫、多く払っていた。
帳面の者は足し直しを三度やり直した。三度とも同じだった。
韋明遠は帳面をめくり、足し上げの跡を一枚ずつ辿っていった。
百二十枚目の紙の下から三行目。ある証文の利が三十二貫と書くところを、三千二百貫と書き写していた。桁が二つ上へずれていた。
その紙を書いた吏員の名を、韋明遠は知っていた。統計局から、払いの日の前の十日だけ手伝いに回した者だった。十日のあいだ、朝から夜まで証文の利を算盤で弾き、紙に写し続けた。
十日目の夜の紙だった。
◇
「足りないのは腕ではありません」
韋明遠はその月の終わり、統計局の大部屋で修平に言った。
大部屋には算盤の音が雨のように降っていた。五年前、蘇玄機が入口に立って聞いた音と同じだった。
同じではなかった。
卓が六列から十列になっていた。吏員が六十人から百人を超えていた。
「物の値の調べは、十五の市から二十の市になりました。品は百二十から百八十。月に三度。——中央銀行の本院と支院の帳面の突き合わせ。国の証文の利の払い。戸部の二十五路の税。それに」
韋明遠は大部屋の奥の新しく仕切った一角を指した。
「工部の鉄の道の土の量。賀通遠どのの測り手が一里ごとに、盛る土と削る土を測ってくる。それを足し上げて、何万人の手が何日要るかを出す。——枢密院からは、弾の蓄えの表。兵部の稽古の帳面と枢密院の戦の帳面を掛け合わせたもの。去年の暮れから、月に一度来るようになりました」
韋明遠は自分の手を見た。
「吏員を倍にしました。倍にしても足りない。足りないから一人が長く弾く。長く弾くから誤る。——三千貫はその一つです」
「見つかった誤りが一つ、ということですね」
修平が言った。
韋明遠は黙って頷いた。
◇
工部の工房の一隅の蘇玄機の仕事場に、機械が三台並んでいた。
一台目は、五年前の冬に作り始めた木と真鍮の機械だった。十二桁。窓の中に零から九までの数の輪が、十二並ぶ。
一台目は動いた。
動いて誤った。
九九九を足して、繰り上がりが四つの輪をまたぐとき、ときどき一つ目の輪の爪が隣の輪を押し損ねた。押し損ねた輪は九のまま残る。答えが十か、百か、千、少なくなる。
百回に一度か二度。
蘇玄機はその百回に一度を、一年かけて追いかけた。
爪がすり減っていた。歯車の歯の形が一枚ずつ、ほんの少し違っていた。軸と、軸の受けの間に遊びがあった。遊びの分、輪が揺れた。揺れた輪の歯に爪が浅く当たった。
二台目は、一台目の爪と歯を作り直した。誤りは三百回に一度に減った。
それでも誤った。
「わしの手で削る歯車は、これが限りだ」
ある晩、蘇玄機は韋金森に言った。
「わしの目で歯を一枚ずつ揃える。揃えた歯車を二百組む。——二百の中のどれか一枚が、わしの目をすり抜ける」
三台目は、この春組み上げたものだった。
歯車は、蘇玄機が削っていなかった。
韋金森の子の台の一つ。回る刃で歯を刻む台で削った。台の送りのねじは、蘇玄機が去年の秋に三月かけて作った親のねじから、生まれたものだった。台の上に歯車の塊を据える枠があった。枠に嵌めて刃を当て、一枚の歯を刻んだら、決まった角だけ塊を回す。また刻む。
刻み終えた歯車は、二枚の薄い鉄の板で検めた。歯と歯の間に通る板が通り、通らぬ板が通らなければ良い。
二百の歯車が全部、その二枚の板をくぐった。
三台目で、九九九九九九九九九九九九に一を足した。
十二の窓が一斉に零に戻った。
千回やった。
千回とも零に戻った。
蘇玄機は三台目の機械の真鍮の蓋を、しばらく撫でていた。
「わしの手で削った歯車は、千回に一度も誤らぬものは、作れなんだ」
「蘇どのの手が親のねじを作りました」
韋金森は言った。
「親のねじが台を作り、台がこの歯車を作った。——蘇どのの手はこの機械の中に全部入っています」
蘇玄機は何も言わなかった。
それから仕事場の壁のあの古い図を見上げた。百年以上前に、この国の誰かが水の力で天の動きを歯車で追いかけた、大きな天文の時計の図の写し。
その下に三台目の機械が灯の光を返していた。
◇
三台目をそのまま十台作ることになった。
ただし、韋金森は機械を欲張らせなかった。
「足すことと引くこと。十二桁。——それだけです」
韋金森は工部の書庫で、統計局と中央銀行と枢密院と工部と戸部から来た者たちに言った。
「掛けることは足すことを繰り返してください。割ることは引くことを繰り返してください。——掛けることも割ることも一つの機械でやらせようとすれば、歯車が三倍になる。三倍の歯車のどれか一枚が誤る」
「繰り返すのは手間だ」
枢密院から来た吏員が言った。弾の蓄えの表を作っている者だった。
「手間です」
韋金森は頷いた。
「でも繰り返す手間は誤らない。——十年後、この機械が千回に一度も誤らずに何年も働いたら。そのときに掛ける機械を作りましょう」
◇
最初の十台のうち、四台が統計局の大部屋に置かれた。
大部屋の一番奥の窓際の卓。
置いた日、韋明遠は大部屋の吏員を全員集めた。
「機械は疲れない」
韋明遠は言った。
「朝の一刻と夜の一刻とで、誤る数が変わらない。——だが機械は入れられた数をそのまま足す。入れた数が誤っておれば、機械は誤った数を、正しく足す」
韋明遠は卓の上に一枚の紙を置いた。
五年前に、御前廷議で周清源が問い、自分が答えたことを形にしたものだった。
——機械に入れる数は、元の帳面から二人で読む。一人が読み上げる。一人が元の帳面を指で追う。読み上げた数と指で追った数が合えば、機械に入れる。
——入れた数と出た答えを、機械の帳面に書く。誰がいつ、どの機械で、何を入れ、何が出たか。書いた者が名を記す。
——別の者が十に一つを抜き出して、算盤で弾き直す。合わなければ、入れた数を誤ったのか、機械が狂ったのかを調べる。
——月の初めに、決まった数を入れて決まった答えが出るかを、機械ごとに確かめる。確かめたことを帳面に書く。
「月の初めの確かめには、御史台から一人来る」
韋明遠は言った。
大部屋の入口に一人の男が立っていた。三十代の終わりの細い顔の男だった。御史台の監察御史、裴景行。
裴景行は大部屋の吏員たちに軽く拝礼した。
「私は機械のことは分からぬ」
裴景行は言った。
「私が見るのは帳面です。誰がいつ何を入れたか。十に一つを誰が弾き直したか。月の初めの確かめを誰がしたか。——機械が正しいかどうかではない。正しいかどうかを確かめる手が、決まったとおりに動いておるか、です」
◇
鍾九思は統計局の大部屋で一番算盤の速い男だった。
五十を少し越えていた。戸部の吏員の家の生まれで、十の歳から算盤を弾いてきた。七年前、統計局が中央銀行の統計房から独立したとき、戸部から移ってきた。
機械が大部屋に来た日、鍾九思は窓際の卓の四台の機械を、遠くから見ていた。近づかなかった。
ひと月後、鍾九思は韋明遠の部屋に一人で来た。
「局長。私は何をすればよいので」
鍾九思は言った。
「機械に入れる数を読み上げる者は、若い者で足りる。指で追う者も。——十に一つを弾き直すのは、私でなくともできる」
韋明遠は鍾九思の顔をしばらく見ていた。
「鍾どのに頼みたいことがある」
韋明遠は卓の上に、物の値の調べの先月の帳面を広げた。
「機械が足し上げた数だ。二十の市の百八十の品。——この中におかしな数がないかを見てほしい」
「おかしな、とは」
「足し上げは正しい。機械が足したのだから。——だが元の数がおかしいかもしれぬ。京兆府の市の塩の値が、先月の倍になっておる。本当に倍になったのか。市の吏が桁を一つ誤って書いたのか。泉州の麦の値が、三月続けて一文も動いておらぬ。本当に動いておらぬのか。市の吏が先月の紙を写して送ってきただけか」
韋明遠は帳面の上に手を置いた。
「数を足すのは、機械がやる。——数がおかしいと気づくのは、四十年、数を弾いてきた者の目だ」
鍾九思は帳面を見下ろした。
しばらく何も言わなかった。
それから帳面を自分の方へ引き寄せた。
「京兆府の塩は」
鍾九思は言った。
「去年の秋に、解州の塩の池が長雨で潰れた。——倍は本当かもしれませぬ。ですが泉州の麦は写しでしょう。泉州の市の吏は、三年前にも一度同じことをやった」
韋明遠は少し笑った。
「それを書いてほしい」
韋明遠は言った。
「どの数がおかしいと思ったか。なぜそう思ったか。調べたらどうだったか。——それが、鍾どののこれからの帳面だ」
◇
十台のうち残りの六台は、中央銀行の本院と戸部と、工部の賀通遠の組と枢密院とに分けられた。
枢密院へ行った一台は、董元礼の下の弾の蓄えの表を作る部屋に置かれた。
あの兵部の稽古の帳面と枢密院の戦の帳面とを、掛け合わせる表だった。兵の数。戦う日数。一人一日に撃つ数。稽古の何倍。——掛け合わせは足すことの繰り返しになる。一つの表を作るのに、去年は三人の吏員が十日かかった。
機械が来て、二人が四日で作るようになった。
ただし、表の最後の頁に、もう一人の吏員が算盤で同じ表の要のところだけを弾き直した数を、並べて書いた。機械の答えと算盤の答えとが、合った行に印を付ける。合わない行があれば、表は董元礼の机へ上がらない。
「なぜ二度数える」
枢密院の若い吏員が董元礼に訊いたという。
「機械は疲れぬのでしょう」
「西の遠征で、私は矢の数を一度しか数えなかった」
董元礼はそう答えたという。
「一度しか数えなかった数が合っていたかどうかは、戦が終わるまで分からなかった。——戦の最中に数が誤っていたと分かっても、もう矢は届かぬ」
賀通遠の組へ行った一台は、鉄の道の土の量の足し上げに使われた。一里ごとに盛る土と削る土。足し上げた数から、何万人の手が何日要るかが出る。
ひと月後、賀通遠は韋明遠に短い書き付けを寄越した。
——手の数が早く分かれば、人を集める日を早く決められる。人を集める日が決まれば、糧を運ぶ日が決まる。数を足すのが早くなると、数の後ろの全部が早くなる。
◇
秋の終わり、十台のうち一台が狂った。
中央銀行の本院の帳面の間に置いた機械だった。月の初めの確かめで決まった数を入れると、答えの下から七つ目の輪が、一つ少なかった。
裴景行の目の前だった。
機械はその日のうちに、蘇玄機の仕事場へ運ばれた。蓋を開けると、七つ目の輪の爪の根元にひびが入っていた。
蘇玄機はひびの入った爪を、灯にかざして長いこと見ていた。
「この爪の鋼は」
「杜布林どのの鋼の場の刃の鋼です」
韋金森が言った。
「あの鋼の、どの口のどの日の鋼か分かるか」
韋金森は仕事場の帳面をめくった。爪を作った鋼の札の番号。鋼の場の壺の番号。その日の壺の帳面の行。
三日後、磁州から返事が来た。その日の壺の鋼は、検める組で線の中に収まっていた。ただし線の端に近かった。
蘇玄機は爪の鋼を、刃の鋼からもう少し粘る鋼に替えることにした。
十台の機械の全ての爪を替えた。
替えたことを機械ごとの帳面に書いた。
「一台狂った」
韋明遠はその月の終わり、裴景行に言った。
「その月のうちに分かった。——中央銀行の帳面は、狂った機械の出した答えを、十に一つの弾き直しで二つ見つけていた。狂い始めたのは確かめの日の五日前。その五日分の答えは、全部算盤で弾き直した」
裴景行は帳面を閉じた。
「人は疲れて誤る。機械は狂って誤る」
裴景行は言った。
「五年前、周大夫の前であなたが言った言葉だと聞いております」
「言いました」
「狂ったのを五日で見つけた」
裴景行は韋明遠を見た。
「三千貫のときは、ひと月かかりましたな」
◇
冬に入って、機械は二十台になった。
韋金森の子の台で歯車を削る組が、工部の工房の中に一つ置かれた。機械の一台ごとに番号を振った。番号ごとに帳面を作った。いつ組み上げたか。どこへ送ったか。月の初めの確かめで何度正しく、何度狂ったか。爪をいつ替えたか。
二十台の帳面を並べると、どの部品が何回で減るのかが見えてきた。爪はおよそ何十万回。軸の受けはその倍。輪の数を刻んだ面は、ほとんど減らない。
韋金森はその数を子の台の帳面と並べた。
歯を刻む台の、送りのねじがすり減った月に作った歯車の機械は、狂うのが早かった。
「計算の機械が」
韋金森は蘇玄機に言った。
「台の確かめの機械になっていますね」
蘇玄機は鼻を鳴らした。
「台が正しくなければ、この機械は正しく足せぬ。——この機械が正しく足しておれば、台が正しい」
◇
年の暮れ、統計局の大部屋の窓際の卓は四台から八台になった。
算盤の音は減らなかった。
けれど算盤を弾いているのは、十に一つを弾き直す者と、機械が止まった日の代わりの者だった。
残りの吏員は、元の帳面を二人で読み、機械に入れ、答えを写していた。鍾九思の卓にはおかしな数の帳面が積まれていた。
物の値の調べの足し上げが、終わるのが早くなった。
月に三度取った値を、市ごとに品ごとに重みを付けて足し上げる。去年まではひと月の半分かかっていた。この月は五日で終わった。
韋明遠はある晩、自分の部屋で帳面の暦を見ていた。
物の値の調べの足し上げが五日で終われば。月に一度ではなく、月に二度調べを公にできる。
中央銀行の会合が半月前の値ではなく、五日前の値を見て利を決められる。
そこに電信の線が繋がれば。
韋明遠は筆を取り、暦の余白に一行書いた。
——数の遅れを縮めよ。
十一年前、修平が七つの市で毎月物の値を調べると言ったとき、韋明遠は自分の算木の箱を開けて、閉じた。そんなに多くの数を足し上げられるものか、と思った。
今、窓際の卓の上で八台の機械が、夜の暗がりの中に並んでいた。
真鍮の蓋が廊下の灯を鈍く返していた。




