第六巻 産業 第八回 糸車から工場へ
六十の錘が一斉に回っていた。
東水門の外の紡ぐ場だった。汴河の岸の水車が軸を回し、軸が革の帯を回し、帯が六台の紡ぐ機械を回していた。一台に六十の錘。合わせて三百六十。
陶大年は機械の列の端に立って、錘の並びを見ていた。
綾錦院の紡ぎ場の三十二錘の大紡車なら、一人が足で回した。錘の前を行き来して繊維を送り込むのも、その一人だった。
ここでは、誰も足で回していない。繊維は、機械の奥の二組の転がる軸の間を通って引き伸ばされ、錘へ送られる。人は機械の前を行き来するだけだった。糸が切れたら、継ぐ。錘が満ちたら、巻き取った糸を外して空の錘を挿す。
一台の前に娘が一人。
三百六十の錘を、六人の娘が見ていた。
陶大年は三年前の春、工部の一室で韋金森が描いた長い紙の絵を思い出した。繭と、麻の茎と、苧麻の束と、綿の実から右へいくつもの箱が線で繋がっていく絵。
その真ん中の一つの箱が、今、目の前で回っていた。
◇
回り始めて最初の三月は、切れてばかりだった。
糸が切れる。娘が走る。継ぐ。隣の錘で、また切れる。
錘の数を倍にすれば、糸の出る量も倍になる。——初め、工部の員外郎の一人はそう考えていた。そして六十の錘の機械を、百二十の錘に作り直させようとした。
韋金森が止めた。
「六十で、どれだけ切れるか。それを先に数えましょう」
数えた。
一台の機械の六十の錘が、朝から晩までに切れる数。錘ごとに。刻ごとに。綿の梱ごとに。
切れるのは、錘の場所によって違った。機械の水車の軸に近い方の端の錘は、よく切れた。遠い方の端は、あまり切れなかった。
韋金森が、機械の中の錘を回す帯を調べた。軸に近い方の帯が、きつく張られていた。遠い方は緩かった。帯のきつさが違えば、錘の回りが違う。回りが違えば、糸にかかる撚りが違い、引く力が違う。
帯を張り直した。切れる数が三分の一減った。
次に、繊維を引き伸ばす二組の転がる軸の歯車が、すり減った。すり減ると、二組の軸の回りの比が狂う。引き伸ばし方が狂う。細すぎるところができて、そこで切れる。
韋金森は工部の工房の職人に、同じ歯車を幾組も削らせた。替えの歯車を紡ぐ場の小屋に十組置いた。
切れる数が、また減った。
「錘を倍にしていたら」
韋金森は陶大年に言った。
「帯のきつさの違いも、歯車の減りも、倍になっていました。——切れる数は、倍では済まなかったでしょう」
◇
何四娘が紡ぐ場に来たのは、四月目のことだった。
綾錦院の紡ぎ場の女頭を、陶大年が韋金森に頼まれて連れてきた。
何四娘は、三百六十の錘の前を、黙って一刻歩いた。
それから、一台の機械の前で立ち止まり、錘から糸を一尺ほど引き出した。指で撚った。指の腹でしごいた。光に透かした。
「太さが揃っておりません」
何四娘は言った。
「ここは細い。ここは太い。——細いところで、切れます」
「どうやって、揃うているかを測る」
韋金森が問うた。
何四娘は少し考えてから、言った。
「紡ぎ場では、決まった長さの糸を、撚りの車に決まった数だけ巻きます。巻いた糸の束を秤で量る。——重ければ、太い。軽ければ、細い」
韋金森は頷いた。
「それを毎日、錘ごとにやってください」
その日から、紡ぐ場の小屋に小さな木の車が一台と、秤が一台置かれた。
決まった長さの糸を巻き、量る。重さを帳面に書く。錘の番号と、刻と、梱の札の番号とを並べて。
撚りの数も数えた。糸を決まった長さだけ取り、片方の端を止めて、もう片方の端を撚りが解けるまで回す。回した数を数える。
引く力も測った。糸の端に小さな錘を吊るし、錘を一つずつ足していく。何個目で切れるか。
太さ。撚り。引く力。
三つの数が、帳面に並び始めた。
何四娘はその帳面を覗き込んで、しばらく黙っていた。
「紡ぎ場の女が、指でやってきたことを」
何四娘は言った。
「秤と、車と、錘でやる」
「指の方が速い」
韋金森は言った。
「でも指は、何四娘どのが帰ってしまえば、ここにはない。帳面は、残ります」
何四娘は韋金森の顔を見た。
「……では、わたしは何をすればよい」
「機械を直してください」
韋金森は言った。
「帳面の数が悪くなったとき。どの機械の、どの錘の、何がおかしいのか。——それを、指で見つけてください。数は、悪くなったことしか教えない。どこが悪いかは、指が見つける」
◇
綿だけではなかった。
四年前の冬、修平が都堂の脇の一室で言った。機械で紡ぎ、機械で織ることをまず絹と、麻と、苧麻で始める、と。
この一年、陶大年は、綾錦院と城の外の民の機屋とを行き来した。
絹は、紡がない。繭を煮て糸口を見つけ、何本かの繭の糸をまとめて繰り取る。繰り取る手は繰り手の指の感じだった。それは、機械にはまだできなかった。
けれど、繰り取った糸を枠に巻き取り、撚りをかけ、何本かを合わせて太い糸にする。その工程は、どこの機屋でも、女たちが糸車を足で回してやっていた。
撚りをかける車を四十並べて、一本の軸で回す。
陶大年と韋金森とが、城の外の絹の機屋の主にそれを持ちかけた。主は二月考えて、応じた。水車ではなく、牛で回す軸で。
麻は、韋金森の紡ぐ機械の二組の転がる軸の間を、うまく通らなかった。繊維が綿よりも長く、硬い。軸と軸の間を広げた。引き伸ばす比を変えた。それでも、綿の半分の速さでしか紡げなかった。
苧麻はどうにもならなかった。
苧麻は、紡ぐのではない。繊維を細く裂いて、端と端を指で撚り継ぐ。一本ずつ。
「苧麻は手に残しましょう」
韋金森はあっさりと言った。
「その代わり、苧麻の糸を機にかける前の、経糸を揃える仕事。あれは機械にできます」
経糸を揃える。何百本、何千本の経糸を、同じ長さ、同じ張りで並べ、巻き取る。機屋では、その仕事に二人が二日かかっていた。
韋金森は大きな枠を一つ描いた。何百の糸の枠から、糸を一斉に引き出し、櫛を通して並べ、大きな胴に巻き取る。胴の回りを、一本の軸で揃える。
二人で二日の仕事が、一人で半日になった。
糸の性質は綿と、麻と、苧麻と、絹とで違った。機械も、一つにはならなかった。
陶大年は四年前の冬、綾錦院の一室で自分が言った言葉を思い出していた。
綿と、麻と、苧麻と、絹は、別の生き物のようなもの。
韋金森はその言葉どおりに、一つずつ作り直していた。
◇
翌年の夏、東水門の外の紡ぐ場の隣に、新しい建屋が建ち上がった。
屋根が高かった。窓が壁一面に並んでいた。建屋の端に、煉瓦の小屋。小屋の中に、貝爾の、筒の外で湯気を縮める機械。
機械の輪から建屋の天井の下を、長い軸が端から端まで渡されていた。
軸の下に、紡ぐ機械が二十台。一台に錘が百二十。
それに、織る機械が四十台。
織る機械は、韋金森が陶大年の下の機匠たちと、一年かけて作ったものだった。杼を、人の手ではなく、機械の腕が左右へ打ち出す。経糸の上げ下げも、踏み木ではなく、軸から取った力で機械が替える。織り手は機の前に立ち、糸が切れれば止め、継ぎ、杼の糸が尽きれば替える。
平の布だけだった。錦は織れない。文様は組めない。
秋の初め、貝爾の機械に火が入った。
天井の軸が回った。
二千四百の錘と、四十台の機とが、一度に音を立てた。
陶大年は建屋の入口で、耳を塞ぎかけた。
綾錦院の機の音は、低く、途切れずに響く音だった。ここの音は、違った。何千という細かな音が重なり合って、一つの途切れない轟きになっていた。
◇
新しい建屋が動き出して十日目に、軸が止まった。
貝爾の機械の輪の軸受けが焼けた。油を差す係の男が、差す刻を一度飛ばした。
軸が止まると、二十台の紡ぐ機械も、四十台の機も、全部止まった。
錘の糸が一斉に緩んで、垂れた。機の上の織りかけの布の、張りが抜けた。
直すのに一日かかった。
直して軸を回し始めると、二千四百の錘の半分近くで、糸が切れた。垂れた糸が回り始めた錘に絡んで、ちぎれた。継ぐ娘たちが走り回った。全ての錘が元通りに回るまで、さらに半日かかった。
一台の機械の、一つの軸受けの、一度の油の差し忘れで、一日半。
韋金森はその晩、紡ぐ場の小屋で陶大年に言った。
「十日に一日、軸を止めましょう」
「止める」
「止めて、軸受けと、帯と、歯車と、機械の全部を見る。すり減ったものは、減りきる前に替える。——止まってしまうより、止める方が、ずっと安い」
陶大年は少し考えた。
「その日の娘たちの賃は」
「払います」
韋金森は言った。
「その日は、娘たちに、機械の掃除と、錘の磨きをしてもらう。それも仕事です」
◇
建屋の壁に、韋金森は工程の名を並べて貼らせた。
綿を受け入れる。梱を解いて、ほぐす。繊維を梳いて、揃える。紡ぐ。巻き取る。経糸を揃える。織る。織った布を検める。畳んで、包む。
それぞれの工程の前に、籠が置かれた。前の工程から来たものを、入れておく籠。
籠の中身を毎日夕方に数えた。
ほぐす工程の後の籠がいっぱいになって、梳く工程の前で、ほぐした綿が溢れた。梳く工程が遅かった。梳く機械を二台増やした。
次は、紡ぐ工程の前の籠が空になった。紡ぐ機械が待っていた。
梳く機械をもう一台増やした。今度は、紡ぐ工程の後の籠が溢れた。巻き取る工程が追いつかなかった。
籠の中身の数は、建屋の中のどこで何が詰まっているかを、毎日教えた。
◇
建屋に入る娘たちは百人を超えた。
ほとんどが、城の東の小さな家の娘たちだった。家で糸車を回したことのある者もいれば、一度も糸を触ったことのない者もいた。
何四娘が娘たちを教えた。
最初の三日は、機械に触らせなかった。建屋の中を歩かせた。どこに何があるか。軸と、帯と、歯車の、どこに近づいてはいけないか。髪を布で包む。袖を紐で縛る。帯の下を潜らない。止まっていない機械に手を入れない。
四日目から、一台の機械の前で古株の娘に付かせた。糸の継ぎ方。錘の替え方。切れた糸がよく切れるのか、たまたま切れたのかの見分け方。
十日で一台の機械を、一人で見られるようになる娘もいた。ひと月かかる娘もいた。
陶大年の下の機匠たちは、機を織らなくなった。四十台の機のどれが、布の張りが緩んでいるか。どれの杼が、打ち出しが弱いか。朝から晩まで機の列を歩き、耳と目で見つけて、直した。
機匠の一人が、ある晩、陶大年に言った。
「頭。わしらは、機を織らなくなりました」
「ああ」
「でも、四十台の機のどれが今おかしいかは、わしらにしか分かりません」
機匠は少し笑った。
「一台の機を朝から晩まで織っておった頃より、忙しい」
◇
冬の初め、修平が統計局に取らせた一枚の書き付けが、工部と太府寺と陶大年のもとへ回ってきた。
開封の市の布の値の調べだった。
平の綿の布、一反の値。この一年で、一割半下がっていた。平の麻の布、一割。平の絹は、ほとんど変わっていなかった。
書き付けの下の方に、もう一つ数が並んでいた。
開封の職人と、荷運びと、小さな商いの家の暮らしの籠。一年の衣の費えの割合が、少し下がっていた。その分、何に使われているか。——油と、塩と、肉が、少し増えていた。
陶大年はその書き付けを読み終えて、しばらく黙っていた。
その晩、陶大年は家に帰る途中、市の布を売る店の前で足を止めた。
棚の上に、東水門の外の建屋で織られた、平の綿の布が積まれていた。紺に染めたもの。白いまま晒したもの。
陶大年は紺の布を一反買った。
家に帰ると、孫娘が灯の下で繕いものをしていた。十四になった孫娘だった。膝の上に自分の上着を広げ、肘の継ぎの上に、また継ぎを当てていた。
陶大年は、紺の布を孫娘の膝の上に置いた。
孫娘は布と、祖父の顔とを見比べた。
「……爺、これ」
「上着を一枚作れ」
孫娘は布の端を指でつまんだ。それから、目の詰み方を灯に透かした。
「機械の布だ」
孫娘は言った。
「分かるか」
「目が揃い過ぎておる」
孫娘は笑った。
「爺の綾錦院の布とは違う」
陶大年は何も言えなかった。
◇
同じ月、何四娘が陶大年のところへ、一枚の紙を持ってきた。
紙には、何四娘のたどたどしい字で、新しい建屋が動き出してからの、建屋の中のことが書かれていた。
帯に髪を巻き込まれた娘。一人。頭の皮を裂いた。命は、助かった。
錘に指を挟まれた娘。三人。
梳く機械の近くで、咳が止まらなくなった娘。七人。
朝から晩まで立ち続けて、脚が腫れた娘。数えきれない。
それに、娘たちの年。十二の娘が二人。十三の娘が五人。親が年を二つ三つ多く言って連れてきた。
「四年前の春、工部の部屋で申し上げたことです」
何四娘は言った。
「子の指は細い。糸を継ぐのに、ちょうどいい。そう言って子を連れてくる者が、必ず出る、と」
陶大年は紙を長いこと見ていた。
「……林詳定に届けよう」
陶大年は言った。
「あのとき林詳定は、見て回る者が要る、と言われた。今、どこの役所がやるのか分からぬ、と。——まだ、どこの役所もやっておらぬ」
何四娘は頷いた。
それからもう一枚の紙を出した。
娘たちの賃の一覧だった。日ごとの賃の娘と、紡いだ糸の重さで賃をもらう娘と、機の布の長さでもらう娘。朝、建屋に入る刻と、夜、出る刻。
「全部書いておきました」
何四娘は言った。
「すぐに何かを変えてくれとは、申しません。——ただ、書いておかねば、なかったことになりますゆえ」
◇
年の暮れ、東水門の外の建屋の布は、開封の市に出る平の綿の布の、五つに一つを占めるようになっていた。
陶大年は建屋の入口に立って、中を見ていた。
二千四百の錘と、四十台の機。天井の下の長い軸。軸の端の煉瓦の小屋の、貝爾の機械。壁に貼った工程の名と、その前の籠。帳面の糸の太さと、撚りと、引く力。十日に一日の止める日。何四娘の、娘たちに教える三日間。
錘の一つが優れているのではなかった。
機の一台が優れているのでもなかった。
綿が梱の札の一行目から、ここまで来た道。力が機械の輪から軸を通って、錘まで来た道。娘が城の東の小さな家から、ここの機械の前まで来た道。帳面の数が錘から韋金森の机まで来た道。
その全部が、途切れずに一つに繋がっていた。
どこか一つが切れれば、全部が止まる。
陶大年は建屋の轟きの中で、ふと綾錦院のあの二階建ての花楼機を思い出した。下で杼を投げる織り手と、上の楼で紐を引く引き手。二人が息を合わせて、一日に指の幅ほど織り進む。
あの二人の息を、この建屋は百人と、機械と、帳面とで合わせていた。




