第六巻 産業 第六回 田畑を組み替える
朱阿大の田は十七か所に分かれていた。
許稼民は、嘉興県のある村の社の境内でその図を広げていた。司農寺の測り手がこの夏、ひと月かけて描いた図だった。村の田の畦を一本ずつ歩いて測った。
図の上で朱家の田には薄い朱が差してあった。
村の東の圩の堤の内側に三か所。西の少し高い畑に四か所。北の川沿いの低い田に五か所。南の隣村との境に近いところに三か所。それに、村の外れの墓地の脇に二か所。
合わせて二十畝あまり。
「祖父の代には東の三か所だけだった」
朱阿大は図を見下ろして言った。五十近い日焼けした男だった。
「祖父が弟と分けた。父が西の畑を隣の家から買った。北の田は母が嫁に来たときに持ってきた。南のは借銭の形に取った。——墓の脇のは、よう覚えておらん」
許稼民は、図の上で朱家の十七か所を指で順に辿っていった。
「朝、どこから始めますか」
「東だ。家に近い」
「東から西へは」
「半刻」
「西から北へは」
「半刻と少し」
「南へは」
「一刻近く」
許稼民は指を止めた。
「では、一日のうち田から田へ歩いておるのは」
朱阿大はしばらく指を折っていた。
「……田植えと刈り入れのときは、一日の四つに一つは歩いておるな」
社の境内に集まった村の者たちの間から、苦笑いが漏れた。
誰の家も同じだった。
◇
秀州で田を束ねる試しを始めて、四年が経っていた。
初めの二年はほとんど測るだけだった。経界の砧基簿と田の実際とを、一枚ずつ突き合わせた。帳面に載っていて、田がない。田があって、帳面に載っていない。帳面では二畝で、測ると一畝半。——測り手が畦を歩くたびに、そういう田が見つかった。
三年目の秋、最初の村で交換が行われた。二十三戸のうち十九戸が応じた。四戸は応じなかった。応じなかった四戸の田はそのままにした。
今年、この秋の刈り入れの後、秀州の四つの県と、開封の近くの二つの県と、江南東路の宣州の一つの県と、京兆府の近くの一つの県で同じことが始まろうとしていた。
許稼民は司農寺の試しの田の五つ目の秋を、ここで迎えていた。
◇
「交換の値をどう決めるのか」
社の境内で村の者の一人が問うた。地主の褚家の番頭だった。褚家はこの村の田の四つに一つを持っていた。そのほとんどを佃戸に貸していた。
許稼民は社の壁に一枚の紙を貼らせた。
十日前に、県の役所の前に同じものを貼り出してあった。
田の等級。上、中、下の三つに分け、それぞれをさらに三つに分ける。
分けるのは面積だけではなかった。
土の肥え。三年分の刈り入れの量を各戸から聞き、測り手が坪刈りで確かめた。水。圩の水がどれだけ、どの季節に入るか。抜けるか。道。牛と荷車が田の脇まで入れるか。
「東の圩の内の田は上の中。西の高い畑は中の下。北の低い田は、水は良いが大水のときに浸かるゆえ、中の上」
許稼民は一つずつ読み上げた。
「交換は等級ごとの交換の比でします。上の中の一畝と中の下の一畝は、同じではない。上の中の一畝は、中の下の一畝と四分に当たる。——その比もここに書いてあります」
褚家の番頭は紙を長いこと読んでいた。
「……その比に異を申すことはできるのか」
「できます」
許稼民は言った。
「今日からひと月の間。異を申された田は、隣の湖州から呼んだ測り手がもう一度測ります。この村の者でも、嘉興県の者でもない測り手が」
番頭は紙から目を離した。
「それでも合わぬと言うたら」
「路の提点刑獄司の下に償いを審べる場があります」
許稼民は言った。
「県ではなく、路の場です。そこへ申し出ることができます」
◇
異を申し出たのは三戸だった。
一戸は褚家だった。北の低い田の等級が低すぎる、と言った。湖州の測り手が測り直した。坪刈りももう一度した。等級は変わらなかった。褚家の番頭はそれ以上は申し出なかった。
一戸は村の端の寡婦の家だった。夫の残した田が南に二か所。交換で、東の圩の内へまとめて移ることになっていた。
寡婦は交換そのものに異を申した。
許稼民は寡婦の家を自分で訪ねた。
「南の田の畦の端に、夫が植えた桑がございます」
寡婦は言った。
「夫が死んだ年に植えた。——あの桑の葉で今、蚕を飼うております」
許稼民はしばらく黙っていた。
「桑の木は、田の等級には入っておりませんでしたな」
「入っておりません」
許稼民は帳面を開き、寡婦の南の田の畦の端の桑の本数を書き付けた。
「交換は無理にはいたしません」
許稼民は言った。
「南の二か所はそのままにしておきます。あなたの家だけ交換からは外す。——ただし、東の圩の水の路を直すとき、南の田へも細い水の路を一本引きます。そのくらいはさせていただきたい」
寡婦は許稼民の顔をしばらく見ていた。
それから深く頭を下げた。
三戸目は佃戸の銭小九の家だった。
銭小九は褚家から北の低い田を五畝借りていた。交換で、褚家の田は西の高い畑とまとめられ、北の田は別の家のものになる。
銭小九が借りていた五畝がなくなる。
「なくなりません」
許稼民は言った。
「借り替えです。褚家の交換後の田のうち、同じ等級かそれより上の田を、同じ年季であなたが借りる。——それが交換の決まりの一つ目です」
「同じ等級の田が褚家になかったら」
「償いを受けます。借りていた田の残りの年季の分」
銭小九は黙っていた。
「償いを受けて、田がなくなったら」
やがて銭小九は言った。
「わしは何を耕す」
許稼民は答えなかった。
答えはこの村の中にはなかった。
◇
交換が済んだのは年の暮れだった。
朱阿大の田は十七か所から四か所になった。東の圩の内に十二畝。西の畑に六畝。墓地の脇の二か所はそのまま残した。朱阿大がそう望んだ。
「墓の脇のは、よう覚えておらんが」
朱阿大は言った。
「親父が、あそこでいつも昼の握り飯を食うておった」
銭小九は褚家の西の高い畑の中から、同じ等級の田を四畝と半分借り替えた。足りない半畝分は償いを受けた。
年が明けて、村の東の圩の内で水の路の掘り直しが始まった。
これまで圩の内の水の路は、田の形に沿って折れ曲がりながら走っていた。田が細かく分かれていたから、水の路も細かく分かれていた。一枚の田に水を入れるのに、三つ隣の田の畦を切らねばならないこともあった。
新しい水の路はまっすぐだった。圩の堤の水門から田の並びに沿って、一本の太い路。そこから、櫛の歯のように細い路が田の一枚一枚の脇へ伸びる。
水の路の脇には道が付いた。牛が犂を曳いたまま、田から田へ移れる幅の道。荷車が刈った稲を積んで、村の脱穀の場まで入れる幅の道。
春の田起こしの日、朱阿大は東の圩の内の十二畝を、牛で一日で起こした。
去年までは、東と西と北と南に分かれた田を三日かけて起こしていた。
◇
秀州の試しの田では別のことが行われていた。
許稼民が五年前に最初に選んだ村の外れの、二十畝ほどの田だった。畦で細かく区画を分けてあった。
区画の一つ一つに札が立っていた。
稲の後に麦。稲の後に蚕豆。稲の後に紫雲英を植えて、春に田に鋤き込む。稲の後に何も植えない。——同じ区画で同じことを三年続ける。
ほかにも札があった。
堆肥を一畝にいくら入れたか。厩の肥をいくら入れたか。苗をどれだけの間を空けて植えたか。種籾をどの家のどの年の籾から選んだか。
刈り入れのたびに区画ごとに坪刈りをし、量り、帳面に書いた。
帳面には、うまくいった区画も、うまくいかなかった区画も同じように書かれていた。
紫雲英を鋤き込んだ区画は、稲の穂がよく実った。二年目の秋、その区画の隣の、同じく紫雲英を鋤き込んだ区画が倒れた。肥えすぎて、茎が穂の重さに負けた。
許稼民は倒れた区画の札に、朱で印を付けさせた。
「成った区画だけを県に教えれば」
試しの田の番をしている司農寺の若い吏員が言った。
「県の者は、紫雲英をどこでもたっぷり鋤き込めと言い出しましょう」
「だから倒れた区画も教える」
許稼民は言った。
「どこまでならよくて、どこからが倒れるのか。それが分かって初めて村の者に渡せる。——それにこの村の土で倒れた量が、宣州の土で倒れるとは限らない。京兆府の乾いた土ではまた違う。だから試しの田は一つでは足りない」
◇
春の終わり、許稼民は開封の司農寺にいた。
石仲衡の部屋に修平が来ていた。
卓の上に、秀州の三年前の秋に最初に交換を済ませた村の、二年分の帳面が広げてあった。
「刈り入れの量は、交換の前とほとんど変わりません」
許稼民は言った。
「一年目は水の路を掘り直した分、田に水が入るのが遅れた区画もあった。二年目でようやく元に戻った。——ならして一割増えたか、増えぬか」
「一割」
石仲衡が言った。
「それだけのために、村を一つひっくり返したのか」
「刈り入れの量だけを見れば」
許稼民は帳面の別の頁を開いた。
「こちらを見ていただきたい」
頁には、村の各戸の田に出た日数が並んでいた。春の田起こし。田植え。草取り。水の番。刈り入れ。脱穀。——家の者が一人一日、田に出れば、一つ。
「測り手に一年、各戸に付いて書かせました」
許稼民は村の周という家の行を指した。朱阿大の家と、田の広さも家の者の数も、ほとんど同じ家だった。
「交換の前の年、周家の者が田に出た日数は、四人で六百日あまり。交換の後は四百日を少し越えるほど。——刈り入れの量はほぼ同じ」
修平はその行をじっと見ていた。
同じ量を三分の二の手で。
物の値の籠でも、中央銀行の帳面でも、こういう数は出てこなかった。穫れた量はどこの県の帳面にも書いてある。けれどそれを穫るのに、人が何日田に出たかは、どこにも書いていない。
「この数をどの村でも取れるようにしたい」
修平は言った。
「交換を始める村では、始める前の年と、後の年と。統計局の吏員を測り手に付けます。——刈り入れの量と、田に出た日数とを同じ帳面に」
「日数など取ってどうする」
石仲衡が言った。
「田に出る日が減ったと言うて、税が増えるわけではない」
「田に出なくなった日に、その者たちが何をしているかが分かります」
修平は言った。
「冬の間だけ県の町で荷を担ぐのか。春から秋まで村を出て、鶴壁の坑へ行くのか。村に残って蚕を増やすのか。——それが分からなければ、工場や、坑や、鉄の道がどれだけの人をどこから呼べるのかが分かりません」
石仲衡はしばらく修平を見ていた。
「……村を空にする気か」
「空にしたくないから、数えたいのです」
修平は言った。
「急に人が村を出れば、村の水の路を守る者も、堤を直す者もいなくなる。——ゆっくり出ていくなら、村も町もそれに合わせられます。ゆっくりかどうかを知るには、数えるしかありません」
許稼民が口を開いた。
「その村から、この二年で若い者が七人出ました」
許稼民は言った。
「杭州の絹の機屋へ四人。嘉興の町の米の蔵へ二人。それから、一人は北へ。——鶴壁の坑で人を求めているという話を、どこかで聞いてきたらしい」
「佃戸の銭小九は」
修平が問うた。
許稼民は少し驚いた顔をした。
「……ご存じでしたか」
「秀州の異を申し出た三戸の書き付けを読みました」
許稼民は頷いた。
「銭小九は村に残りました。借り替えた四畝半を耕しております。——それと、冬の間は嘉興の町の米の蔵で荷を担いでおる。去年の冬、町の蔵は人が足りなかったそうです。交換の済んだ村から、若い者が町の蔵に来なくなったから」
◇
その晩、修平は詰所で一通の手紙を開いた。
江南西路の石塘村から届いたものだった。呉順の字だった。呉守田はこのところ目が弱って、細かい字を書かなくなっていた。
手紙の半分は、今年の田植えの具合と呉家の子供たちのことだった。残りの半分にこう書かれていた。
——秀州で官が田を束ねていると、吉州の市で聞いた。泰和にも来るのかと、村の者が父に訊きに来る。父は、分からん、と答えておる。何老三は借りている田を取り上げられるのではないかと、心配しておる。
修平は手紙を灯の下で二度読んだ。
石塘村の田も分かれていた。呉家の田は村の東と、川沿いと、山の際と。自分も二年目の秋から帳面を付けた。田から田へ歩く道を、何度も歩いた。
修平は筆を取った。
——田を束ねることは、官が村に命じて行うものではない。村の者が望めば、県を通じて申し出ることができる。望まなければ、何も変わらない。交換に応じなかった家の田はそのまま残る。借りている田は取り上げられない。同じ等級の田を同じ年季で借り替える。それができなければ、償いを受ける。
そこまで書いて、修平は筆を止めた。
それからもう一行書き足した。
——何老三どのに伝えてほしい。償いを受けて田がなくなった者が何を耕すのかは、朝廷もまだ答えを持っていない。それを隠さずに村の者に言ってほしい。答えを探しているところだ、と。
◇
秋、許稼民は試しの田の帳面の最後の頁に、一枚の紙を綴じ込んだ。
南方のある県から、司農寺へ届いた書き付けの写しだった。
——綿を植える家、近年増ゆ。田を束ねた隣県より稲の余り、舟にて入る。稲の値、下がらず上がらず。ゆえに高みの畑を綿に替える家、多し。
許稼民はその書き付けを二度読んだ。
四年前、韋金森が黄ばんだ綿の実をこの卓の上に空けた。米の田を綿に替えれば、米が減る。米の値が上がれば、布が安くなっても民は喜ばない。——その冬、都堂の脇の一室で石仲衡がそう言った。
田を束ねた村で、同じ量の米を三分の二の手で穫る。余った手は村を出る。余った米は舟で隣の県へ行く。隣の県は高みの畑を綿に替える。
米を減らさずに綿を増やす道は、綿の畑からではなく、米の田から始まっていた。
許稼民は紙を綴じ終えて、帳面を閉じた。
昼に見てきた開封の近くの試しの田の一番端の畝を、許稼民は思い出していた。白いものがちらほらと見えていた。
三年前の春、広州の綿の実から抜いた種を、あの畝に蒔いた。北の土でどこまで育つのか。
白い実は小さく、少なかった。
それでも四度目の秋だった。




