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第六巻 産業 第五回 蒸気機関の成熟

 貝爾は二つの石炭の山を、並べて量らせた。


 工部の裏庭の、古い小屋と新しい小屋の前だった。どちらの山も朝の時点で、きっかり千斤。秤は太府寺から借りてきた、市の検めに使う大秤だった。


 古い小屋には、梁の傾く機械がある。五年前から井戸の水を汲み上げてきた機械。


 新しい小屋にも、梁の傾く機械がある。形はほとんど同じだった。ただ一つ、筒の脇にもう一つ、小さな箱が付いていた。箱は冷たい水の槽に沈められていた。筒と箱を細い管が繋いでいた。


 どちらの機械も、同じ井戸の、同じ深さの水を同じ樋へ汲み上げた。樋の先には同じ大きさの升が並べてあり、升が満ちるたびに、吏員が帳面に印を付けた。


 日が暮れて、二つの機械が止まった。


 石炭の山をもう一度量った。


 古い小屋の山は三百斤あまりになっていた。


 新しい小屋の山は、七百斤近く残っていた。


 帳面の印は、新しい小屋の方がわずかに多かった。


 貝爾はしばらく二つの山を見比べていた。


 それから、帳面の印の数と減った石炭の重さとを並べて書かせた。


 石炭百斤で、升をいくつ満たしたか。


 新しい小屋の機械は、古い小屋の機械の二倍半を満たしていた。


  ◇


 筒の外で湯気を縮める。


 四年前、工部の書庫の黒い板に貝爾が描いた、あの小さな箱だった。筒はいつも熱いままにしておく。湯気は、管を通って冷たい箱の中で水に戻る。筒を冷やしては温め直す石炭が要らなくなる。


 描くのは易しかった。


 作るのに四年かかった。


 箱の中を空に近く保たねばならない。箱の継ぎ目から少しでも外の空気が入れば、湯気は縮まず、蓋は下がらない。箱の中に溜まった水と、湯気と一緒に入り込んだ空気を抜き続ける、小さな汲み上げの筒がもう一つ要った。


 韋金森の母の機械がなければ、その小さな筒は作れなかった。


 鋼の場の鋼がなければ、母の機械は作れなかった。


 鶴壁の五十丈の底から上がる石炭がなければ、鋼の場は火を落としていた。


 貝爾は新しい小屋の筒と箱を繋ぐ細い管に、手を当てた。


 管は、まだ温かかった。


  ◇


「一日中、働ける機械が要る」


 春の半ば、工部の書庫で沈維新は言った。


 卓の上には、韋金森の紡ぐ工場の図と、杜布林の鋼の場の延ばす機械の図と、工部の工房の図が並べてあった。


「坑の水を汲む機械は、朝から晩まで梁を傾けておればよかった。——工場の機械はそうはいかぬ。回らねばならぬ。同じ速さで、止まらずに、朝から晩まで。晩から朝まで」


 貝爾は頷いた。


 湯気で直に押す機械は、この春の初め、工部の裏庭で三日三晩止まらずに回った。筒の外で縮める箱を、それに付ける。輪を回す仕掛けは、蓋の棒から曲がった軸へ。重い輪が回りを均す。


 軸の上には、二つの重い玉が腕で吊るしてある。四年前、黒い板に描いた、速さを揃える仕掛けだった。軸が速く回れば、玉が外へ開き、腕が湯気の口を少し閉める。遅くなれば、玉が閉じ、口が開く。


「回りを揃える仕掛けは動きます」


 貝爾は言った。


「でも、揃えるのは機械一台の回りだけです。——工場の中で何台の台を同時に回すか。それは、機械には決められない」


  ◇


 その意味が分かったのは、夏の初めだった。


 工部の工房の母の機械の建屋で、湯気の機械が天井の軸を回していた。軸から革の帯が十一本、垂れていた。十一台の台が回っていた。


 その日、工房の職人の一人が、一番大きな筒の内を削る台の刃を深く当てた。


 建屋の中の全ての台の唸りが、一度に低くなった。


 天井の軸が遅くなった。


 速さを揃える仕掛けの玉が閉じた。湯気の口が開いた。軸はまた速くなった。


 けれどその間に、ねじを切る台で、ねじの刻みが一つ乱れた。回る刃で歯を刻む台で、歯車の歯が一枚浅くなった。


 韋金森が工房の真ん中で、しばらく黙って立っていた。


「大きな台が力を食うときは、ほかの台を休ませる」


 やがて韋金森は言った。


「ねじを切る台と歯を刻む台は、大きな台と同じ刻には回さない。——一日の中で、どの台をいつ回すかを決めねばならない」


「台の並べ方も」


 貝爾が言った。


「力を食う台は、機械の近くに。軸の端の方は、細い軸で軽い台だけ。——軸は機械から遠いほど、ねじれる。ねじれると、端の台の回りが遅れる」


 工房の職人の頭が二人の言葉を、黙って紙に書き付けていた。


 この冬まで、この工房の台はそれぞれ自分の水車か、自分の足踏みで回っていた。一台が止まっても、隣の台は何も知らなかった。


 今は、一本の軸で繋がっていた。


 一台の刃の当たり方が十一台の回りを変えた。


  ◇


 機械を工場に据える図を、貝爾は夏の間に何枚も描いた。


 どの図にも、同じものが描かれていた。


 機械の部屋。煉瓦の壁で、工場の他の部屋と仕切る。


 石炭の蔵。機械の部屋の隣。三十日分をいつも置く。


 水。釜に入れる水と、箱を冷やす水。釜の水は濁っていてはいけない。濁った水は、釜の底に垢になって溜まる。井戸か、澄ませる槽が要る。


 灰。釜の火の下から毎日出てくる。捨てる場所と運び出す道。


 油。軸の受け、曲がった軸、蓋の棒。全部に、刻を決めて差す。


 直す部屋。替えの蓋の革、銅の輪、軸の受け、弁。子の台を一台置いて、壊れた部品をその場で削れるように。


「機械は、一台ではありません」


 貝爾は工部の員外郎たちに、図を見せながら言った。


「機械と、蔵と、水と、灰と、油と、直す部屋と。——全部で一つです。どれか一つを後回しにして建てた工場は、機械がひと月で止まります」


  ◇


 湯気の強さを上げれば上げるほど、機械は小さく、軽く、強くなった。


 同じ力を出すのに、筒は細くて済む。釜も小さくて済む。貝爾の三つ目の列——車と舟——へ近づくには、その道しかなかった。


 同時に、釜の板が受け止める力も大きくなった。


 夏の終わり、鶴壁の坑で一つのことが起きた。


 知らせてきたのは、喬仲堅だった。


 鶴壁の坑口には、この春から三台目の機械が据えられていた。巻き上げを速くするための、湯気で直に押す機械。坑に据えたその形の機械は、これが初めてだった。


 その機械の釜の湯気を逃がす弁に、夜のうちに石が一つ、縄で吊るされていた。


 弁は、湯気が強くなりすぎると、自分で開いて湯気を逃がす。開くと、甲高い音がする。夜中に何度も鳴った。坑口の近くの小屋で寝ていた坑夫の家の者たちが、眠れない、とこぼした。


 誰かが石を吊るした。


 石を吊るした弁は開かなかった。


 湯気の強さを読む器の針が、いつもの印を越えて上がっていった。


 それに気づいたのは、機械を焚いていた若い火夫だった。この春、工部の裏庭で貝爾からひと月、機械の読み方を習ってきた者だった。夜明け前、針が赤い印の上にあるのを見た。


 若い火夫は釜の火を落とした。


 水を足した。


 それから坑口の頭を叩き起こした。


 夜が明けてから、弁の石が見つかった。弁の封は切られていた。


  ◇


 知らせを受けた日、貝爾は工部の書庫の卓に両手をついたまま、長いこと何も言わなかった。


 修平がその場にいた。沈維新に呼ばれて、別の用で来ていた。


「……四年前に、話したことがあります」


 やがて貝爾は言った。


「私の国で若い頃に見た、釜の破裂。弁に、誰かが重しを吊るしていた。誰が吊るしたのか、最後まで分からなかった。帳面がなかったから」


 貝爾は顔を上げた。


「今度は、弁に封がありました。封が切られていたから、誰かが何かをしたと、すぐに分かった。——若い火夫が針を読めたから、釜は裂けなかった」


 貝爾は少しだけ笑った。


「帳面と、封と、針を読める者。三つのうち一つでも欠けていたら、今朝、鶴壁で何人か死んでいました」


「誰が吊るしたのかは」


 沈維新が問うた。


「喬仲堅が調べております。坑口の入坑簿と、機械の小屋の焚く者の帳面を、突き合わせて」


 貝爾は首を振った。


「でも、吊るした者を罰するだけでは、足りません。——あの弁は夜中に鳴って、近くの者を眠らせなかった。吊るした者はたぶん、それが嫌だった。弁の口に湯気を逃がす管を付けて、音を遠くへ逃がせばよかった。機械の小屋を、家からもっと離して建てればよかった。私の図がそれを忘れていた」


  ◇


「許しの話をしておきたい」


 修平が言った。


 貝爾と沈維新が修平を見た。


「四年前、書庫で沈尚書が問われたと聞いています。釜を焚く者に許しを与えるのは誰か、と」


 沈維新は頷いた。


「あのときは決まらなかった」


「今、機械は工部の裏庭と、鶴壁と、磁州と、工部の工房に合わせて九台です」


 修平は言った。


「この秋には紡ぐ工場に、来年には鋼の場と坑冶寺の新しい坑に、さらに入ると聞いています。その次の年には、民の工場からも欲しいという者が出る。——台数は倍、倍と増えていきます。貝爾どのが一台ずつ見て回れるのは、今年が最後だと思います」


 貝爾は黙って頷いた。


「ですから、決めておきたいのです。機械を焚く者は、学んで、試されて、許しを得た者だけにする。許しは工部が出す。その許しの札には、名と許した日と焚いてよい機械の形とを書く。——そして許しを出した者の名簿を、工部の書庫に置く」


 修平は少し間を置いた。


「どの機械を誰が焚いたか。いつ、どこで、何が起きたか。その帳面を全て、工部に集めていただきたい。統計局で年ごとに数えます。——釜の形ごとに、焚いた刻ごとに、焚いた者の学んだ年数ごとに、何がどれだけ起きたか」


「数えて、どうする」


 沈維新が問うた。


「釜を検める日の間隔を決めます」


 修平は言った。


「今は貝爾どのが、ひと月ごと、と決めておられる。それが長すぎるのか、短すぎるのか。釜の形によって違うのか。——それは数が溜まらなければ、分かりません。溜まったら直す。検めの決まりを、事が起きた後で帳面から直していく」


 貝爾は修平の顔をしばらく見ていた。


「技の進む速さを、検めの決まりが追いかける」


 貝爾は言った。


「四年前、黒い板に書いた言葉です。——追いかけるための足を、帳面で作るのですね」


「私にできるのはそこまでです」


 修平は言った。


「釜の板のことも弁のことも、私には分かりません」


  ◇


 秋の初め、工部の裏庭の古い小屋の脇に、もう一つ小屋が建った。


 小屋の戸口に札が掛けられた。


 機関を焚く者の、学びの場。


 最初に集められたのは、二十人だった。鶴壁の坑から五人。磁州の鋼の場から五人。工部の工房から四人。軍器監の作坊から三人。邵鳴岐の明州の船場から二人。それに賀通遠が、衛州の試しの道から一人寄越した。


 貝爾は二十人の前に立ち、裏庭の古い機械と新しい機械とを指した。


「ここで何を学ぶか」


 貝爾は指を折った。


「火を入れる。湯気を上げる。水を入れる。湯気の強さを読む。強すぎたらどうするか。弱すぎたらどうするか。止める。止めた後冷ます。釜の垢を落とす。弁を確かめる。軸の受けに油を差す。——そして何かがおかしいときどうするか」


 貝爾は二十人の顔を一人ずつ見た。


「最後のが、一番大事です。機械の音がいつもと違う。針がいつもと違う動き方をする。弁が鳴らない。——そういうとき、誰にも訊かずに火を落としていい。その日、坑が止まっても、工場が止まっても、あなたたちは責められない」


 後ろの方で、鶴壁から来た若い男が顔を上げた。


 弁の石に気づいた、あの火夫だった。


「鶴壁のあの朝のことは、皆聞いていると思います」


 貝爾はその若者を見て、言った。


「あの朝、彼は誰にも訊かずに、火を落とした。——ここでは、それを教えます」


  ◇


 学びの場ができたころ、工部の書庫では、機械の図が四つの束に分けられていた。


 坑の束。梁の傾く機械。石炭をいくら食っても構わない。重くても構わない。丈夫で、坑の者に直せることが、何より。


 工場の束。筒の外で縮める箱と、輪を回す仕掛けと、回りを揃える玉。一日中、同じ速さで回ること。石炭をなるべく食わないこと。


 舟の束。


 車の束。


 舟と車の束は、まだ薄かった。


 舟の束には、邵鳴岐の明州の船場でこの春、河口の水面を初めて自分で走った舟の機械の図。車の束には、衛州の試しの道でこの春から、石炭の荷車を曳いて行き来している一台目の車の図。どちらも、工場の機械を無理に小さくしたものだった。一台目の車は重すぎて、試しの道の棒をひと月で何本も割った。


「全部を一つの形にしてはいけないのか」


 工部の員外郎の一人が言った。


「形が一つなら、部品も一つで済む。替えの部品も倉に一種類置けばよい」


「坑の機械を舟に載せたら、舟が沈みます」


 貝爾は言った。


「舟の機械を坑に据えたら、坑の者には直せません。——一つにできるところは、一つにします。ねじと、軸の受けの大きさと、弁の形と、針の器。それは、全部の束で同じにする。でも、機械そのものは使い道ごとに別に作ります」


  ◇


 秋の半ば、工部の書庫の壁の、国の北半分の地図に、新しい印が増えていた。


 小さな、四角い印だった。


 蒸気の機械で回る工場の動き始めた場所と、建つ予定の場所。


 杜布林の鋼の場の脇に、機械を作る工場。開封の東の、紡ぐ工場。汴河と北の石炭の道の交わるあたりに、民の商人が申し出てきた、鍛冶の工場。衛州の河の港の脇に、賀通遠の、鉄の道の車を直す工場。


 どの四角も、水車の要る川の急なところにはなかった。


 石炭が近くにあるところ。石炭を舟で運べるところ。人が住んでいるところ。作ったものを売る市が近いところ。


 そして、賀通遠の細い墨の線のそばだった。


 沈維新はその地図の前に立って、しばらく動かなかった。


「工場の場所を、水が決めていた」


 沈維新は言った。


「これからは、石炭と道が決める」


 貝爾は隣に立って、地図の上の四角い印の並びを見ていた。


 その日の昼、工部の書庫に二人の客が来ていた。


 一人は、邵鳴岐。明州から舟の束を厚くしに来た。運河を決まった日に走る舟が、この秋から一隻動いている。けれど、汴河のような浅い河を上る舟に載せるには、今の機械の半分の重さで同じ力が要る、と。


 もう一人は、賀通遠。衛州から車の束を厚くしに来た。冬の初めに鶴壁から衛州の港までの道を開くと、朝廷に申し上げてある。それまでに、棒を割らない車をあと五台。舟よりもさらに軽く。さらに石炭を食わずに。さらに揺れても止まらずに。


 二人とも、同じことを言った。


 もっと軽く。もっと強く。


 貝爾は地図から目を離し、書庫の卓の上の二つの薄い束を見た。


 強く押し込めた湯気。薄い釜の板。鋲。弁。針。


 そして、この夏の終わり、鶴壁の坑口で若い火夫が夜明け前に落とした、釜の火。


「いいでしょう」


 貝爾は言った。


「軽く、しましょう。——ただし、学びの場の二十人が全員、許しの札を得てからです」

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