第六巻 産業 第四回 工作機械の壁/気密保持素材の壁
湯気が筒の継ぎ目から、細く、鋭く噴き出していた。
工部の裏庭の新しい小屋だった。古い小屋の梁の傾く機械の隣に、もう一台、機械が据えられていた。梁はなかった。釜の脇に、横に寝かせた筒が一本。筒の中の蓋を、釜の湯気が直に押す。押された蓋から棒が突き出て、重い輪を回す。
貝爾がこの三年、紙の上で描き続けてきた機械だった。
釜の湯気の強さを読む器の針が、少しずつ上がっていった。
針が上がるにつれて、筒の蓋の縁から漏れる湯気の音が高くなった。
輪は回っていた。けれど、針の上がり方の割に速くならなかった。
「止めて」
貝爾が火夫に言った。
火が落とされ、湯気が抜かれた。筒の蓋を外すと、蓋の縁に巻いた麻の縄が黒く焦げて、ところどころちぎれていた。
韋金森は外した蓋を灯にかざした。
それから筒の口に手を入れて、内側を指の腹でゆっくりと撫でた。
「ここと」
韋金森は指を止めた。
「ここで太さが違う。髪の毛二本ぶんくらい」
貝爾は黙っていた。
「空気で押す機械なら、髪の毛二本は何でもない。縄を詰めれば塞がる」
韋金森は手を抜いた。
「でも、湯気で直に押すと、湯気は髪の毛二本の隙間を見つける。押す力が強いほど、よく見つける。——縄が焦げるのは、そこから漏れる湯気が縄を焼くからです」
◇
筒は磁州の鋼の場の鋼だった。
この夏、韋金森が磁州まで抱えていって、沈維新と杜布林の前に置いた筒。鋼は良い、でも削れない、と言った筒だった。
それから、ふた月。工部の工房の職人たちが交代で、その筒の内側を手で直してきた。
職人の頭は、宮の銅器を四十年打ってきた男だった。筒の内側に灯を当て、指で撫で、細い鑢と油を含ませた砂で、高いところを少しずつ削り落としていく。一日に、筒の内側の手のひらほどの広さしか進まなかった。
ふた月かけて、筒はずいぶん丸くなった。
ずいぶん丸くなって、まだ髪の毛二本、違っていた。
「もうひと月あれば」
職人の頭は言った。
「髪の毛一本まで詰められましょう」
「ひと月で、一本」
韋金森は言った。
「では、この機械を十台作るなら」
頭は口をつぐんだ。
「百台なら」
頭は答えなかった。
韋金森は頭の節くれた手を見た。
「あなたの手は、この国で一番の手の一つです。——でも、あなたの手で一台の筒を三月かけて丸くしても、その筒の蓋は隣の筒には嵌まらない。隣の筒も、あなたが三月かけて別に丸くしたから」
韋金森は筒の口を手のひらで叩いた。
「一つ、作れる。それと同じものを、百、作れる。——その二つの間に、川が流れています」
◇
その晩、工部の書庫で、韋金森は沈維新と貝爾の前に一枚の紙を広げた。
紙には、長い、長い一本の鉄の棒が描かれていた。棒の先に刃が付いている。棒は筒の中を、端から端まで貫いていた。そして棒の両端が、筒の外の二つの頑丈な台に支えられていた。
「今の中ぐりの台は」
韋金森は紙の脇に、もう一つの絵を描いた。棒の片端だけが台に支えられ、もう片端は、筒の中で宙に浮いている。
「こう。——棒の片端しか支えていない。筒が長いと、棒の先がたわむ。刃が震える。筒の奥ほど太くなる」
韋金森は一枚目の絵に戻った。
「両端を支える。棒はたわまない。棒は回るだけで、筒の方を少しずつ送る。——そうすれば、筒は端から端まで同じ太さに削れる」
沈維新は紙を見ていた。
「作れるか」
「作れます」
韋金森は言った。
「でも、この台を作るには、この台の骨組みのまっすぐな面が要ります。刃を送るための正しいねじが要ります。棒を支える軸の受けが要ります。——そのどれも、今のこの国の工房では、この台に足りるほど正しく作れません」
「では、何で作る」
「その、まっすぐな面を作るための台が要ります。正しいねじを作るための台が要ります」
貝爾が低く笑った。
「機械を作るための、機械」
「それを作るための、機械」
韋金森は頷いた。
「私の国でもそうでした。どこから始めればいいのか、誰にも分からなかった。——結局、一番初めの一台は手で作るしかありません」
◇
一番初めの一台を、韋金森は三つの板から始めた。
鋳物の四角い板だった。大きさは卓の天板ほど。三枚とも同じ鋳型から、同じ日に鋳た。
韋金森は一枚目の板の表に、赤い土を薄く塗った。そこに二枚目の板を伏せて重ね、擦り合わせた。
二枚を剥がすと、一枚目の板の表に、赤い土の剥げたところと残ったところができていた。剥げたところは、二枚目と当たった高いところだった。
「高いところを削ります」
韋金森は工房の職人たちに、細い、平たい鑿を渡した。
「少しだけ。——削ったら、また擦り合わせる。赤い土がどこで剥げるかを見る。また高いところを削る」
「二枚がぴったり合えば、それで平らになるのでは」
職人の一人が言った。
「なりません」
韋金森は一枚目の板を、少し丸く膨らんだ形に手で描いてみせた。それから、二枚目を同じだけ窪んだ形に。
「膨らんだ板と窪んだ板は、ぴったり合います。でも、どちらも平らではない」
韋金森は三枚目の板を叩いた。
「だから、三枚。一枚目と二枚目を合わせる。二枚目と三枚目を合わせる。三枚目と一枚目を合わせる。——三枚がどの二枚を合わせても、ぴったり合うなら。膨らんだ板はどこにもありません」
職人たちは顔を見合わせた。
それからひと月、工房の隅で三枚の板を擦り合わせる音が途切れなかった。
ひと月後、三枚の板はどの二枚を合わせても、表の赤い土が細かな雀の斑のように、均しく剥げるようになった。
韋金森は二枚を重ね、上の一枚を少し持ち上げてから、そっと離した。
上の板は下の板の上を、氷の上のように滑った。
職人の頭が声を出さずに、口を開けた。
◇
平らな板ができると、まっすぐな面が作れるようになった。台の骨組みの刃が滑る面を、その板に擦り合わせて仕上げる。
次はねじだった。
韋金森は工房の一隅の、蘇玄機の仕事場を訪ねた。
蘇玄機は工部の工房の一隅で、この四年、計算の機械の歯車を削っていた。それにおととしからは、枢密院の艾琳・哈特の機械の歯車も頼まれて削っていた。どちらの話も、工房の者には詳しくはしなかった。
「一本、正しいねじが欲しい」
韋金森は言った。
「長さ三尺。ひと巻きで同じだけ進む。どこでも同じだけ」
蘇玄機は白い眉を上げた。
「時計のねじなら、ひと月で作ってみせる。——だが、三尺か」
「三尺です」
「なぜ三尺も」
「その一本のねじで、刃を送るからです。刃がねじひと巻きで同じだけ進めば、削ったものはどこでも同じになる。——そしてその台で、次のねじを削ります。二本目のねじは、一本目と同じになる。三本目も」
蘇玄機はしばらく韋金森の顔を見ていた。
「親のねじ、というわけか」
「親のねじ、です」
「親が歪んでおれば、子も、孫も、皆歪む」
「はい」
韋金森は言った。
「だから、蘇どのに頼みに来ました」
蘇玄機は四年前の冬、この工房の一隅で十の歯の歯車を光にかざし、三つ目の歯がほんの少し太い、と言った男だった。
その目で三尺のねじを見るという。
蘇玄機は笑わなかった。
「三月、くれ」
◇
三月のうちに、蘇玄機のねじは三度作り直された。
一度目は、鉄の棒に手で刻みを入れた。刻みの一つ一つを、蘇玄機の目と細い鑢で揃えていった。できたねじで刃を送り、二本目のねじを削った。二本目のねじを一本目と並べると、端の方で刻み半分ずれていた。
一本目のどこかが狂っていた。
蘇玄機は、それがどこかを探すために一つの器を作った。
小さな、細かいねじを一本。ひと巻きで髪の毛の太さの何分の一かだけ進む、ねじだった。そのねじの頭に円い盤を付け、盤の縁を百に刻んだ。ねじの先を測るものに当てる。盤を何目盛り回したかで、ねじの先がどれだけ進んだかが分かる。
韋金森はその器を手に取り、長いこと盤の目盛りを見ていた。
「……四年前に、言いましたね」
韋金森は言った。
「蘇どのの目を測る器が要る、と」
「言うた」
蘇玄機は老眼の目を細めた。
「わしの目も、そろそろ衰えてきた。——目の代わりに、盤を読ませる」
その器で一本目のねじの、刻み一つ一つの間を測った。三尺のうち、真ん中から少し右の刻み三つ分が、ほかより狭かった。
二度目のねじはそこを直した。
三度目のねじで二本目を削った。二本目を一本目と並べて、器で測った。端から端まで、盤の目盛り一つの内に収まっていた。
◇
平らな面と親のねじが揃うと、韋金森は一つの台を作った。
両端で棒を支える、中ぐりの台だった。
工房の中には置けなかった。汴河から引いた水路の脇に新しく建屋を建て、水車で棒を回した。筒を載せた台は、親のねじで少しずつ送られた。
最初に削ったのは、あの筒だった。
職人たちがふた月かけて手で直した、磁州の鋼の筒。その内側をもう一度、端から端まで削った。
削り終えた筒の内側を、韋金森は蘇玄機の器を付けた細い物差しで、端から端まで測った。
盤の目盛り二つの内に収まっていた。
髪の毛一本の、さらに何分の一か。
「これを」
韋金森は両端で棒を支える台を、手のひらで叩いた。
「母の機械、と呼びます」
「母」
職人の頭が言った。
「この台で、別の台の大事なところを削ります。別の台の、筒を。軸の受けを。ねじを。——その台は、母より少し小さくて、少し粗い。でも、母から生まれたから、母の正しさを少し受け継ぐ。子の台は、あちこちの工房へ行きます」
韋金森は建屋の外の水車を見た。
「母は、ここに一つ。大事にしまっておく。子は、たくさん作る」
◇
筒が丸くなっても、蓋の縁の漏れはなくならなかった。
漏れは減った。けれど、湯気の強さを上げていくと、また音を立てた。
今度は貝爾の番だった。
「蓋と筒の間に、何を挟むか」
貝爾は工部の書庫の卓に、挟むものの見本を並べた。
麻の縄。獣の脂を染み込ませた、麻の縄。牛の革。油で煮た革。綿の糸を編んだ帯に、鉛の粉と油を練り込んだもの。銅の細い輪。
全部、裏庭の小屋で試した。
麻の縄は最初はよく塞いだが、十日で焦げた。脂を染ませた縄は焦げにくかったが、脂が湯気に溶け出して、釜の水が濁った。牛の革は湯気の熱さで縮んで、硬くなった。油で煮た革はひと月もった。綿の帯はよく塞いだが、蓋が動くたびに、少しずつ筒の内側を削った。
貝爾は一つずつ帳面に書かせた。何を挟んだか。湯気の強さの針はどこまで上げたか。何日で、どう傷んだか。
「全部に勝つものはありません」
ふた月後、貝爾は沈維新に言った。
「私の国のもっと後の時代には、あったのかもしれない。木の汁を固めた、よく伸びて、熱に強いもの。でも、この国にはまだない。私も作り方を知らない」
貝爾は帳面を沈維新の前に置いた。
「だから、傷むことを先に決めておきます。——油で煮た革は、湯気の強さをこの針のここまでにするなら、二十日で替える。蓋の縁の銅の輪は、ひと月で替える。替えたら帳面に書く。替えの品は、機械一台に三組ずつ、倉に置く」
「いつまでも替え続けるのか」
「いつまでも」
貝爾は頷いた。
「筒と蓋がもっと丸く、もっと滑らかになれば、挟むものは少しで済む。傷みも遅くなる。——でも、なくなりはしない。機械は動くかぎり、どこかがすり減ります」
◇
年が明けて春の初め、裏庭の湯気で直に押す機械が、三日三晩止まらずに回った。
母の機械で削り直した筒と、油で煮た革と、銅の輪。湯気の強さの針は、空気の力の倍のところで止めていた。
四日目の朝、貝爾は輪の回る速さを数え、釜の石炭の減りを量り、帳面を見て、それから韋金森を呼んだ。
「この機械で」
貝爾は言った。
「母の機械を回しましょう」
◇
汴河の水車の建屋から、母の機械が裏庭の隣に移された。
水車の代わりに、湯気で直に押す機械の輪から、長い軸が建屋の天井の下を渡された。軸から革の帯が何本も、下へ垂れた。帯の一本は、母の機械へ。一本は、韋金森が母の機械で削って作った、子の、物を回して削る台へ。一本は、子のねじ切りの台へ。一本は、平らな面を削り出す、長い台へ。
機械の輪が回った。
天井の下の軸が回った。
革の帯が回り、その下の四台の台が、一斉に唸りを上げた。
水路のそばでなくても、台が回っていた。
工房の職人たちはしばらく、誰も口をきかなかった。
「水車は夏に水が減ると、止まった」
職人の頭がやがて言った。
「冬に凍ると、止まった。——これは石炭があるかぎり、止まらぬのか」
「石炭と、水と、替えの革と、油を差す者があるかぎり」
貝爾は言った。
「それから、釜を決まった日に検める者が」
◇
春の半ば、韋金森は工部の一室の壁に、一枚の表を貼った。
表の頭に、六つの台の名が並んでいた。
物を回して削る台。筒の内を削る台。ねじを切る台。平らな面を削る台。回る刃で溝や歯を刻む台。穴を穿つ台。
その下にそれぞれ、大きさの別に三つずつ。大、中、小。
「この十八の台を、決まった形で作ります」
韋金森は言った。
部屋には、沈維新と工部の員外郎たちと、太府寺の范汝舟、それに修平がいた。
「どの台も、母の機械で大事なところを削り、同じ図と同じ型で作る。——そして工部の工房だけで使うのではなく、売ります」
「売る」
范汝舟が言った。
「誰に」
「台を欲しがる者、全てに」
韋金森は表を指した。
「これから、国中に工場が建ちます。紡ぐ工場。機械を作る工場。貝爾どのの機械を作る工場。鉄の道の車を直す工場。——その工場が一つずつ、名工を集めて、一から台を作っていたら何年かかるか」
韋金森は范汝舟を見た。
「台を買えばいい。買った台なら、名工がいなくても、ある程度の正しさで削れる。削る力を銭で買える」
修平は表を見ていた。
削る力を、銭で買う。
この国の工場が、自分の力で自分の工場を増やしていけるようになる。——機械を作る機械が、商いの品になる。
「台だけではありません」
韋金森は表の下の端に、もう一行書いた。
刃の鋼。軸の受け。送りのねじ。油。型と物差し。図。
「台に使う刃の鋼は、杜布林どのの鋼の場で別に作ってもらう。軸の受けも送りのねじも、別に作って別に売る。油も。——台を買った工場が、刃が鈍ったら刃を買える。ねじがすり減ったら、ねじを買える」
「型と物差しは」
沈維新が問うた。
「軍器監の通る型と通らぬ型を、使わせていただきます」
韋金森は言った。
「三年前の春、軍器監の作坊の青図で決めたものです。——削った軸が通る型に通り、通らぬ型に通らなければ、良い。どちらかに外れれば、否。その型を、台と一緒に工場へ渡します。型が正しいかどうかは、母の機械のそばに置いた元の型と比べて、決まった月ごとに確かめる」
修平はふと、壁の表から目を離した。
「元の型は、何と比べて正しいのですか」
韋金森は修平を見た。
少し間があった。
「……工部の工房の、基準の尺と」
韋金森は言った。
「では、その尺は」
「太府寺の、法の尺と」
范汝舟が横から言った。
「法の尺は、太府寺の蔵にございます。国の尺はそれ一つで、国中同じでございます」
修平は頷いた。
それ以上は訊かなかった。
韋金森が工房で一度だけ漏らした言葉を、思い出していた。夏の暑い日に削った軸と、冬の寒い日に削った軸は同じ物差しで測っても、少しだけ違う、と。
◇
夏の初め、工部の工房から最初の子の台が三台、外へ出ていった。
一台は、磁州の鋼の場へ。杜布林が延ばす機械の軸を、自分のところで直したいと言った。
一台は、鶴壁の坑へ。貝爾の機械の替えの部品を、坑で削るために。
一台は、開封の東の、まだ屋根も葺き終わっていない建屋へ。綾錦院の陶大年と韋金森とが、この一年図を描いてきた紡ぐ工場の建屋だった。
韋金森は台を積んだ荷車が、工房の門を出ていくのを見送った。
荷車の後ろで、台の鋳物の骨組みが、朝の光を鈍く返していた。
背後の建屋では、湯気の機械が天井の軸を回し、軸が革の帯を回し、帯が母の機械と残りの子の台を回していた。
削られた鉄の細い屑が台の下に渦を巻いて溜まっていく。
韋金森はその音を聞きながら、六年前、国子監の講義の間で初めて若者たちの前に立った日のことを思い出していた。
一本、作ることは、腕の良い者ならできる。
二本目を、一本目と同じに作る。
あの日、黒い板に描いた二本の棒は、まだこの国のどこにもなかった。




