第六巻 産業 第三回 湧き出る鉄・鎚音
荷車の列は毎朝、夜明けとともに磁州の鋼の場の門をくぐるようになった。
十二台。二十台。秋の終わりには日に三十台を超えた。どの荷車にも、鶴壁の五十丈の底から上がった石炭が黒く積まれていた。
沈維新は門の脇の小屋で、坑冶寺から回ってきた帳面を読んでいた。
鶴壁の縦の坑から上げた石炭。夏からの三月で、古い坑の同じ三月の五倍を超えた。そのうち、坑口の機械が自分で食った分が十に一つ近く。残りの大半が、この門へ牛に曳かれてやってくる。
帳面の脇に、喬仲堅の字で短い書き添えがあった。
——十五丈の底で水を汲んでいた男たちのうち、半分は今、五十丈の底で石炭を掘り、残りの半分は機械の小屋にいる。
沈維新は帳面を閉じ、小屋を出た。
門の内側に、高い炉が三つ並んでいた。去年の今ごろは一つだった。
三つの炉の口から、昼も夜も火が上がっていた。
◇
石炭が途切れなくなって、最初に変わったのは、高い炉の焚き方だった。
これまで磁州の民の炉は、石炭が届いた分だけ焚き、届かなければ火を落として待った。火を落とした炉は冷える。冷えた炉をもう一度、鉄の溶ける熱さまで上げるのに、三日かかる。その三日の石炭は、一斤の鉄にもならない。
今は火を落とさなかった。
骸炭の窯も三つに増えた。鶴壁の石炭を、羅蘭徳の壺と同じ仕組みの大きな煉瓦の窯で焼く。焼いた骸炭が高い炉に途切れずに入る。
霍長庚は三つの炉の間を、朝から晩まで歩き回っていた。
「炉が落ち着いた」
ある晩、霍長庚は沈維新に言った。
「利国監でも、こんなに炉を止めずに焚けたことはなかった。火を落とさずにいると、炉の腹の具合が日ごとに揃ってくる。流れ出る鉄の色も揃ってくる」
霍長庚は少し黙った。
「坑の底で水を汲む機械が、ここの炉の火を揃えておる。——三十年、炉の番をして、そんなことを考えたことはなかった」
◇
杜布林の新しい壺は、去年の試しの壺の十倍の大きさだった。
溶けた鉄を三千斤、飲み込む。
小屋ではもう収まらなかった。鋼の場の真ん中に、屋根の高い、壁の半分がない大きな建屋を建てた。その中央に壺が据えられた。
鉄の板を鋲で継いで作った、大きな瓢箪の下半分を横に倒したような形の胴だった。人の背丈の倍の高さがあった。胴の両脇から、太い鉄の軸が左右へ突き出ていた。軸は、煉瓦を積んだ台の上の大きな受けに載っていた。
壺は軸を中心に、傾けられるようになっていた。口を上に向けて風を吹く。口を横に倒して、溶けた鉄を受け入れる。口を下へ傾けて、できた鋼を注ぎ出す。
傾けるのは人の手だった。軸の片端に大きな歯車が付き、その歯車に小さな歯車が噛み合い、小さな歯車の軸に長い把手が付いていた。把手を四人で回す。
風は、建屋の外の機械の小屋から来た。
鶴壁で水を汲んでいるのと同じ、梁の傾く機械だった。梁の片端から降りた棒が水を汲む代わりに、大きな鉄の筒の中の蓋を押し上げては、押し下げた。筒の中の空気が、太い管を通って壺の底へ吹き込まれる。
試しの壺の風は水車の鞴だった。この大きな壺には、水車では足りなかった。
◇
大きな壺の最初の火は冬の初めだった。
三つの高い炉から、溶けた鉄を大きな柄杓に流した。柄杓は建屋の梁から、鎖で吊られていた。鎖を滑車と轆轤で、少しずつ動かす。柄杓が壺の横倒しの口の前まで、揺れながら運ばれる。
壺に鉄を注いだ。
壺を起こした。
風を吹き込んだ。
壺の口から火の粉が噴き上がった。試しの壺の十倍の火の粉だった。建屋の屋根の下が昼のように明るくなった。
霍長庚が口の火をじっと見ていた。
火は赤く、それから明るく、それから白くなった。
けれど、白くなってから長く伸びなかった。火は揺れ、ときどき途切れ、また上がった。
「おかしい」
霍長庚が言った。
「試しの壺と火の出方が違う」
杜布林は壺の底の方を見ていた。
壺の胴の下の方の鉄の板が、ほんのりと赤く光っていた。
「止めて」
杜布林が叫んだ。
「風を止めて。壺を倒して」
四人が把手に取り付いた。壺がゆっくりと傾いた。溶けた鉄が口から、用意してあった砂の窪みへ流れ出た。
壺が倒れきったとき、胴の下の赤く光っていた板の真ん中に、握りこぶしほどの穴が開いていた。
穴から溶けた鉄が、細く糸を引いて滴っていた。
◇
壺を冷ますのに四日かかった。
冷めた壺の中に、杜布林と霍長庚と少府監の煉瓦の職人が潜り込んだ。
壺の内側には、火に強い煉瓦が積まれていた。少府監の窯で焼いたものだった。その煉瓦が、底の近くの一か所で溶けて、流れ落ちていた。溶けた煉瓦の後ろの鉄の板が、鉄の熱さに負けて焼け抜けた。
「この煉瓦だけ違う」
少府監の職人が、溶け残った煉瓦の欠片を灯にかざした。
「色が違う。——窯の焚き口の近くで焼いたものか、それとも土が違うのか」
「分かるか」
「煉瓦に札が付いておりませぬ」
職人は首を振った。
「窯から出した煉瓦は全部、一つの山に積んで、そこから運んだ」
杜布林は黙っていた。
試しの壺では、煉瓦は一度も溶けなかった。
試しの壺は小さかった。壁が薄く、中の鉄の量も少なかった。風は底の穴から、壺の中の鉄全体へすぐに行き渡った。熱は壺の中で、どこも同じくらいだった。
大きな壺は違った。底の穴から入った風は、鉄の中をまっすぐ上へ抜けていく。穴の真上はひどく熱くなる。穴から離れた隅は、それほどでもない。——壺の中に、熱いところとぬるいところができる。
試しの壺で決めた風の強さも吹く長さも、そのままでは使えない。
「小さな壺でうまくいったことが」
杜布林は壺の内側の溶けた煉瓦の跡に、手のひらを当てた。
「大きな壺で同じにうまくいくとは限らない。——知っていました。私の国でもそうだった。それでも、少し同じでいいと思いたかった」
◇
それからふた月、大きな壺は火を吹かなかった。
代わりに、鋼の場の者たちが紙の上で壺を作り直した。
煉瓦には、窯と焼いた日と窯の中の場所を記した札を、一つずつ付ける。窯から出したら、十に一つを割って中を見る。火に当てて、どれだけの熱さで柔らかくなるかを試す。試しに通った窯の煉瓦だけを壺に積む。
壺の底の穴の数と並び方を変える。風が壺の中の鉄に、なるべく均しく行き渡るように。
壺の内の煉瓦は火を吹くごとに、少しずつ減る。減り方を決まった回数ごとに測る。どこまで減ったら、積み替えるかを決める。
柄杓のことも決めた。
あの最初の日、柄杓が壺の前で大きく揺れた。鎖を動かす轆轤の男たちが合図の声を聞き違えた。柄杓の縁から、溶けた鉄が少しこぼれた。こぼれた鉄が湿った土間に落ち、弾けて飛んだ。一人の炉工の足に火傷を負わせた。
柄杓を動かす者は、決まった者だけにする。合図は声ではなく、旗と手の形で。柄杓の通る道には誰も立たない。土間の柄杓の通る道の下は、乾いた砂を敷く。
霍長庚が火傷を負った炉工の名を帳面に書かせた。
「死ななかった者も書け」
霍長庚は言った。
「貝爾どのが鶴壁でそう言うておると聞いた。——死ななかった者を書いておかねば、次に死ぬ者がどこで死ぬかが分からぬ」
◇
年が明けて、大きな壺がもう一度火を吹いた。
壺の口の火は白くなり、長く伸び、しばらく伸びたまま揺れ、それから急に短くなった。
霍長庚が手を上げた。
風が止まった。
壺が倒された。
注ぎ出された鋼は砂の型に流され、固まり、冷まされ、延ばす機械へ運ばれた。
延ばす機械は、鋼の場の北の端の滏水の岸にあった。大きな水車が、二本の太い鉄の円い棒を互いに逆向きに回している。赤く焼いた鋼の塊をその間に噛ませると、塊は押し潰されながら向こう側へ、薄く、長く出ていく。何度も間を狭めながら通す。
その日の鋼は棒になり、板になった。
曲げ、引き、叩いた。
杜布林の決めた線の中に収まった。
◇
春の初め、鋼の場の者たちの持ち場が決まった。
それまで鋼の場では、誰もが何でもやっていた。炉工は炉も焚き、壺も吹き、柄杓も運んだ。技官は帳面も付け、煉瓦も検め、延ばす機械の様子も見た。
大きな壺が火を吹くようになると、それでは回らなくなった。
沈維新は、杜布林と霍長庚と鋼の場の技官たちを集め、建屋の壁に一枚の紙を貼らせた。
石を選ぶ組。鉱質の台帳と届いた石の札を突き合わせ、台帳に載らない石を門の外で止める。
炉の組。三つの高い炉を、火を落とさずに焚き続ける。
風の組。機械の小屋で梁の機械を焚き、風の筒を見る。
壺の組。壺を傾け、風を吹き、火の色を読む。——霍長庚が頭になった。
注ぐ組。柄杓を運び、型に注ぐ。
延ばす組。水車の機械で、塊を棒と板にする。
検める組。棒と板を曲げ、引き、叩き、硬さを測る。検める組の否は、壺の組の頭も、鋼の場の長も覆せない。覆すなら、名と理由を帳面に書く。
最後の一行は、軍器監の決まりをそのまま写したものだった。おととしの春、修平と軍器監の者たちが作坊の青図に書いた一行。
「わしの壺から出た鋼を、若い検め役が否と言う」
霍長庚が紙を見上げて言った。
「利国監なら殴られても、文句は言えぬぞ」
「利国監では、あなたの目が鋼を決めていました」
杜布林が言った。
「あなたの目は、この国で一番の目の一つです。でも、あなたは一人しかいない。壺は、あなたが寝ている間も火を吹く。——あなたの目を、あなたがいないときにも働かせる。それがこの紙です」
霍長庚はしばらく紙を見ていた。
「……わしの目が、紙になるのか」
「紙と帳面と若い者の目に」
霍長庚は鼻を鳴らした。
それから壺の組の若い炉工たちを呼び、建屋の隅で火の色の話を始めた。
◇
紙が貼られて十日目だった。
検める組の一番若い吏が、その日の三回目の壺から出た棒に否を付けた。二十を過ぎたばかりの、軍器監から来た男だった。曲げると、角のところに細い、細いひびが一本入った。
霍長庚はその棒を手に取った。
ひびは、爪の先でようやく分かるほどだった。
「火はわしが止めた」
霍長庚は言った。
「色も長さも、いつもと同じだった」
「火のことは分かりません」
若い吏は声を震わせながら、それでも棒から目を離さなかった。
「ひびが入りました。——入った棒は否です。紙にそう書いてございます」
建屋の中の者たちが手を止めて、二人を見ていた。
霍長庚はしばらく若い吏の顔を見ていた。
それから石を選ぶ組の頭を呼んだ。
その日の三回目の壺に入れた鉄の、元の石の札を確かめさせた。札は磁州の西の奥の山のものだった。台帳で燐の少ない山。けれど、札の採った坑の名の欄が空いていた。
石を運んできた荷車の者を呼んだ。荷車の者はしばらく口ごもってから、途中で積み荷の一部を東の山の石と取り違えたかもしれない、と言った。二つの山の石を同じ河原の置き場で積み替えたのだという。
霍長庚は棒を若い吏に返した。
「否でよい」
霍長庚は言った。
「火は嘘をつかなんだ。石が嘘をついた。——わしの目では石の嘘は見えぬ」
その日から、石の置き場は山ごとに柵で分けられた。札の坑の名の欄が空いた石は、門の外で止められた。
◇
鋼の場が、ひと月に大きな壺を六十回吹くようになったのは、晩春のことだった。
ひと月に鋼が十五万斤を超えた。
沈維新はその数を、試しの壺の頃の帳面と並べてみた。
試しの壺は一年で、四万五千斤だった。
今はひと月で、その三倍を超えている。
けれど、鋼の場の帳面を見ると、足りないものの行が毎月増えていた。
石炭。鶴壁の縦の坑だけでは、もう足りない。坑冶寺は、磁州の西の山の別の坑にも、縦の坑を掘る計画を立てていた。掘り上がるのは、早くて二年後だった。
鉄の石。鉱質の台帳で燐の少ない山は、二つしかない。一つは利国監の北で、ここから遠い。
石灰の石。火に強い煉瓦の土。少府監の窯は壺一つ分の煉瓦を焼くのが、やっとだった。
水。三つの高い炉と、機械の釜と、延ばす機械の水車と、焼いた鋼を冷やす槽とが滏水の水を奪い合っていた。夏の渇水の月、水車が半日止まった。
荷車。石炭の荷車が日に三十台。鉄の石の荷車が日に二十台。石灰と煉瓦の荷車。できた鋼を運び出す荷車。鋼の場の門の前の道は雨のたびに、牛の蹄と車輪で泥の川になった。
「一つが増えると、全部が足りなくなる」
沈維新は帳面を閉じて、杜布林に言った。
「一つの炉を大きくしたら、坑が足りない。坑を深くしたら、機械が足りない。機械を増やしたら、石炭が足りない。石炭を運ぶ道が足りない」
「はい」
杜布林は頷いた。
「一つの国の中の仕組みの話だと。四年あまり前に工部の書庫で、そう申しました」
「覚えておる」
沈維新は言った。
「あのとき、そなたは壺の絵の周りに、石と炭と煉瓦と風と延ばす機械を描いた。——あの紙は正しかった。だが、あの紙には荷車の泥までは描いていなかった」
杜布林は少し笑った。
「描けませんでした。描けば、あの日の沈尚書は断ったでしょう」
◇
夏の初め、鋼の場から最初の鋼が、国のあちこちへ送り出された。
帳面の送り先の欄に名が並んだ。
工部の工房。韋金森の、物を削る台の刃と台の骨組みに。
衛州の河を渡る橋の試し。賀通遠が、橋の桁に使う鋼の板を試しに曲げて、どれだけの重さに耐えるかを測る。
鶴壁と、開封の工部の裏庭。貝爾の釜の板に。
軍器監。洪克勤と鄧四の銃の筒の試しに。
それから、賀通遠の鉄の道の棒の、最初の百本。
棒はまだ敷くためのものではなかった。賀通遠が衛州の河の港の脇に、一里だけ試しの道を敷き、重い荷車を何百回も走らせて、どれだけ減るか、どこで割れるかを測るためのものだった。
百本の棒が牛車に積まれて門を出ていく日、沈維新は門の脇に立って、それを見送った。
背後の建屋から、延ばす機械の低い唸りが聞こえていた。建屋の脇の鍛冶場では、鋼の板を叩いて平らにする大槌が、昼も夜も鳴っていた。
鎚の音は、磁州の城まで聞こえるという。
城の者たちははじめ、うるさいと言った。今は音が止むと、何かあったのかと、門まで様子を見に来るという。
◇
百本の棒を送り出した翌月、開封の工部から韋金森が磁州へ来た。
手に一本の鋼の筒を抱えていた。
鋼の場の鋼を、韋金森の工房で筒の形に鋳て、内側を中ぐりの台で削ったものだった。貝爾が、湯気で直に蓋を押す新しい機械の筒にしたいと言っていたもの。
韋金森は筒を沈維新と杜布林の前の卓に置いた。
「鋼は良い」
韋金森は言った。
「硬くて粘る。前の鉄の筒よりずっと強い」
韋金森は筒の口に自分の指を入れた。
「でも、削れない」
杜布林が眉を寄せた。
「削れない、とは」
「私の台の刃が、この鋼に負けます。刃がすぐに鈍る。鈍った刃で削ると、筒の内側が波を打つ。——それに台そのものが、この長さの筒を削るにはたわむ。真ん中が太くなる」
韋金森は筒の内側の、灯を当てると分かるほどのかすかな段を指でなぞった。
「前は、鉄が弱かった。今は、鉄が強い。強い鉄を削る台が、ない」
沈維新は卓の上の筒を見た。
鉄を湧き出させる仕組みは、ようやく動き始めていた。
その鉄が、今度は機械の前で止まっていた。
建屋の方から、鎚の音が途切れずに響いていた。




