第六巻 産業 第二回 地の底へ
最初の十日で、穴は三丈の深さになった。
鶴壁の古い坑口から東へ百歩ほど離れた、平らな畑の跡だった。坑冶寺が持ち主から買い上げた土地である。そこに、差し渡し二丈の丸い穴が口を開けていた。
掘るのは易しかった。
喬仲堅は穴の縁に立って、それを知った。坑夫たちは鶴で土を崩し、鋤で籠に入れる。二十年、三十年と、狭い坑道で石炭を掘ってきた者たちである。広い穴の底は、彼らには畑を耕すようなものだった。
難しいのは上げることだった。
穴の縁に轆轤が二台、据えてあった。古い坑口で水の袋と石炭の籠を上げてきたのと、同じ轆轤だった。四人の男が横木を押し、縄が巻き上がり、底から土の籠が一つ上がってくる。籠を空ける。空の籠が降りていく。
三丈ならそれで間に合った。
貝爾は穴の縁にしゃがみ込み、籠が上下するのを帳面を開いて数えていた。
「今は掘る者が待っています」
貝爾は言った。
「底で籠が降りてくるのを待っている。——十丈になれば、籠が上下するのに今の三倍かかる。二十丈なら六倍。底の者は一日の半分を待つことになります」
「轆轤を増やせばよい」
「穴の縁に何台置けますか」
喬仲堅は黙った。
この春、縦の坑を掘り始めるにあたって一番初めに貝爾が言ったのは、深さのことではなかった。掘った土と石と、いずれ石炭とを途切れずに地上へ上げ続けること。それが、この坑の最初の壁だと。
◇
ひと月後、穴の上に櫓が立った。
太い松の柱を四本、穴の四隅に立て、上で組んだ。高さは四丈あまり。櫓の頂に、差し渡しが人の背丈ほどもある木の滑車が二つ、並んで据えられた。
縄は滑車を越えて、櫓の脇の地面に据えた大きな横向きの胴へ巻き取られる。胴の軸から長い腕木が四本、四方へ伸びていた。腕木の先に馬が一頭ずつ繋がれた。
馬が胴の周りをぐるぐると歩く。胴が回る。縄が巻き上がる。
上がってくるのは籠ではなかった。鉄の枠で縁取った、大きな木の箱だった。土なら籠の五つ分が入った。
二つの滑車に縄が一本ずつ。一方の箱が上がるとき、もう一方の箱が降りる。空の箱の重さが、重い箱を少しだけ助ける。
「つるべ井戸と同じだな」
牛把頭が櫓を見上げて言った。
「そうです」
貝爾は頷いた。
「この国の井戸にもある。坑にもあっていい」
◇
櫓ができた日の夕方、喬仲堅は坑口の脇の小屋で、一枚の紙を壁に貼った。
貝爾と牛把頭と三人で、三晩かけて決めたものだった。
交代の初めの半刻は、人を降ろす。交代の終わりの半刻は、人を上げる。その間は、土と石を上げ、坑木と道具を降ろす。人と土を一つの箱に一緒に載せない。人を上げ下ろしするときは、坑口の頭が自分で縄と滑車と馬の足元を見てから、合図する。
箱に人を載せるとき、一度に四人まで。
「四人だと遅い」
紙を読んだ坑夫の一人が言った。
「箱には六人は入る」
「入る」
牛把頭が言った。
「だが、六人で乗って縄が切れたら、六人死ぬ。——四人と決めたのは、貝爾どのでも、喬監官でもない。わしだ」
坑夫はそれ以上何も言わなかった。
喬仲堅は紙の下の端に、もう一行書き足した。
入坑簿。交代ごとに、降りた者の名と数、上がった者の名と数を、坑口の頭が書く。数が合わなければ、次の者を降ろさない。
三年前の夏、坑冶寺の奥の間で、貝爾が言った決まりだった。三年経ってようやく、それを書く坑口ができた。
◇
夏の初め、穴は十五丈に届いた。
古い坑の深さと同じだった。
底に水が滲み始めた。
最初は壁の石の層と層の間から、汗のように滲んだ。三日後には糸のような流れになった。十日後、底に溜まった水は坑夫の脛を越えた。
箱の半分を水の樽に替えた。馬を昼も夜も歩かせた。
それでも水は減らなかった。
二十日目、底で鶴を振るっていた坑夫たちが上がってきた。水は膝を越えていた。
喬仲堅は穴の縁から底を見下ろした。
暗い水面が灯の光を鈍く返していた。
古い坑と同じだった。十五丈で水に止められる。父の代から、祖父の代から、この辺りの坑は皆そうだった。
◇
機械が鶴壁に着いたのは、その十日後だった。
開封から荷車で運ばれてきた。筒と、梁と、釜と、弁と、管と、樋。筒だけで荷車一台を占めていた。工部の裏庭でこの二年、井戸の水を汲み上げてきた機械の、倍ほどの大きさだった。
筒の内側は、韋金森が工部の工房の一番大きな中ぐりの台で削ったものだった。去年の冬からひと月かけて。それでも、筒の口を覗き込んだ韋金森は首を傾げていた。
「裏庭の機械の筒より、ずっと丸い。でも、まだ丸くない」
韋金森は貝爾に言った。
「空気の力で押すなら、これで足ります。湯気で直に押すなら、足りない」
「今は空気で押します」
貝爾は言った。
「坑の水を抜くのに、湯気で直に押す機械は要らない」
据え付けに半月かかった。
坑口の脇に煉瓦で機械の小屋を建てた。釜を据え、筒を据え、梁を載せた。梁の片端から、長い木の棒が穴の中へ降りていった。
棒は一本ではなかった。
穴の途中、八丈の深さに足場を組み、そこに大きな木の升を据えた。底からの汲み上げ筒は、水をまずその升まで上げる。升から、もう一本の汲み上げ筒が地上の樋まで上げる。二本の筒の棒は同じ梁から降りて、同時に動く。
「一度に十五丈を上げようとすると、筒の中の水の重さに棒が負けます」
貝爾は喬仲堅にそう説明した。
「だから途中で一度、休ませる。深くなれば、升をもう一つ、もう二つ増やす」
◇
釜に火が入ったのは、夏の盛りの朝だった。
坑の周りに人が集まっていた。坑夫たち。その家の者たち。近くの村の者。磁州から杜布林が様子を見に来ていた。
湯気が筒に入った。冷たい水が吹き込まれた。
梁が傾いた。
穴の中へ降りた長い棒が、ゆっくりと上がった。
しばらくして、地上の樋の口から泥の混じった水がどっと溢れ出た。
集まった者たちの間から声が上がった。子供が樋の水に駆け寄って、母親に襟首を掴まれた。
梁は傾いては戻り、戻っては傾いた。一分に十回あまり。樋からは水が途切れては溢れ、溢れては途切れた。
喬仲堅は穴の縁に一本の竿を立てさせていた。竿には一尺ごとに墨で印が付けてあった。
昼に底の水は一尺下がった。
夕方には三尺下がった。
翌朝、牛把頭が竿の印を読んで、喬仲堅のところへ来た。何も言わずに指を六本立てた。
三日目の昼、底の水は坑夫の足首ほどになった。
坑夫たちが底へ降りた。
◇
秋の初め、穴は二十丈に届いた。
その月の報せを、喬仲堅は磁州の沈維新へ送った。
冬の初め、三十丈。
その間に機械は四度止まった。
一度目は、筒の中の蓋の周りに巻いた革が、すり切れた。湯気が漏れて梁が傾かなくなった。二度目は、梁の支えの軸受けが焼けた。油を差す小僧が夜中に居眠りをしていた。三度目は、釜の底に垢が溜まって、湯が沸かなくなった。四度目は、穴の中の二段目の升の脇で、棒の継ぎ目が外れた。
止まるたびに底の水は半日で坑夫の膝まで戻った。
四度目のあと、貝爾は坑口の小屋に喬仲堅と牛把頭を呼んだ。
「機械は止まります」
貝爾は言った。
「止まらない機械はありません。——止まったときに半日で直せるか、三日かかるか。それが坑を守る」
貝爾は紙に一つずつ書いていった。
蓋の革の替え。三組、いつも小屋に置く。軸受けの油は、刻を決めて差し、差した刻を帳面に書く。釜の垢は十日ごとに、火を落として落とす。落とす日は前もって決め、その日は底の者を上げておく。棒の継ぎ目は毎朝、升の足場まで降りて見る。
それから、人。
「機械を焚く者と直す者を、ここに住まわせてください」
貝爾は言った。
「今は機械が止まるたびに、開封の工部から人を呼んでいる。三日かかる。——この坑で機械を覚えた者が、この坑で直す」
喬仲堅は坑冶寺へ文を書いた。機械を焚く者を二人、直す者を二人、鍛冶を一人。その給金と住む小屋。
知坑冶寺からの返事はひと月後に来た。
五人分の給金は認める。ただし、その給金を坑冶寺のどの帳面に付けるのかを決めてから、申し出よ。坑夫の給金でもなく、坑木の費えでもない。これまで、そういう帳面はなかった。
喬仲堅はその返事を貝爾に読んで聞かせた。
貝爾は笑わなかった。
「新しい帳面を作ってください」
貝爾は言った。
「機械の帳面。——これから坑冶寺の帳面の中で、一番太くなる帳面です」
◇
穴が三十丈を越えると、底の空気が重くなった。
坑夫たちが頭が痛い、と言い始めた。灯の火が細く、小さくなった。
貝爾はそれを待っていたように、二本目の坑を急がせた。
縦の坑から西へ四十歩ほど離れた、細い坑だった。春から縦の坑と一緒に掘り進めてきた。差し渡しは縦の坑の半分もない。人が梯子でやっと上り下りできるほどの太さだった。
冬の半ば、二本の坑の底を横の坑道で繋いだ。
繋がった日、細い坑の口に大きな鞴が据えられた。革を張った、牛の背ほどもある鞴だった。機械の梁からもう一本の腕を取り、その腕で鞴を押しては引いた。
鞴の風は細い坑を降り、横の坑道を通り、縦の坑を昇って、地上へ抜けた。
底で、灯の火がまた大きくなった。
牛把頭が底から上がってきて、坑口の小屋で長いこと白湯を啜っていた。
「息が楽だ」
牛把頭は言った。
「三十丈の底で息が楽だとは、思わなんだ」
◇
燃える気が出たのは、年が明けて三十五丈のあたりだった。
見つけたのは牛把頭だった。
底の新しく掘った石炭の壁の前で、灯を壁の低いところから、ゆっくりと上へ上げていった。天井の近くで灯の炎の上に、青い、薄い、帽子のような火がふわりと乗った。
牛把頭はすぐに灯を下ろした。
「上だ」
牛把頭は言った。
「燃える気は天井に溜まる。——青い帽子が出たら、その坑道は、裸の火を入れるな」
貝爾はその夜、坑口の小屋で一つの灯を作ってみせた。
油の灯の周りを、細かい、細かい鉄の網で筒のように覆ったものだった。網の目は針の先がやっと通るほど。杜布林が磁州の試しの炉の鋼を韋金森の工房で細い線に引かせ、少府監の職人にひと月かけて編ませた。
「網の中で燃える気が燃えても」
貝爾は灯を掲げた。
「網が熱を奪う。火は網の外へ出ない。——出ないはずです」
「はずか」
牛把頭が言った。
「はず、です」
貝爾は正直に言った。
「私の国でも、この灯でずいぶん救われた。でも、網が破れていれば同じです。網が煤で詰まれば、灯が暗くなって坑夫が網を外したがる。——外した者が何人も死にました」
貝爾は灯を牛把頭に渡した。
「毎日、交代の前に網を検める者を決めてください。検めた灯に札を付ける。札のない灯は、坑口から先へ持ち込ませない。灯の網を底で外した者は——」
貝爾は言葉を探した。
「その坑には二度と入れない」
牛把頭は網の灯をしばらく掌の上で転がしていた。
「……厳しいな」
「私の国で網を外した者は、自分一人では死にませんでした」
貝爾は言った。
「その坑道にいた者全員と、一緒に」
牛把頭は灯を小屋の棚に置いた。
「わしが決める」
牛把頭は言った。
「札を付ける者も。外した者を坑から出すのも。——わしが決めたと、皆に言う。そのほうが守る」
◇
坑道の図は、壁に貼った紙の上でひと月ごとに書き足されていった。
書き足すのは、坑冶寺の測量の組だった。地上の測量と坑の中の測量を、繋ぐ。縦の坑の口から鉛の錘を吊るした細い縄を底まで降ろし、底の一点が、地上のどの点の真下にあるかを決める。そこから、坑道の向きと長さと上り下りを、一歩ずつ測っていく。
図の上に、坑道が枝のように伸びていった。石炭の層の厚さ。水の滲む壁。燃える気の出た場所。支えの丸太を組み直した場所。
そして図の西の端に、四年前、牛把頭が指で押さえた小さな丸があった。
旧坑、推定。
春の終わり、西へ延ばしていた坑道が、その丸に近づいた。
喬仲堅は坑道の先を止めさせた。
それから、坑道の先の壁に、長い鉄の錐で細い穴をまっすぐ先へ穿たせた。三丈先まで錐が届くように、継ぎ足しながら。
二日目の午後、錐を抜いた穴から水が噴き出した。
細い穴だった。親指ほどの太さもない。その穴から、水が弓のように、坑道の向こうの壁まで飛んだ。
坑夫たちが声を上げて後ずさった。
牛把頭が叫んだ。
「上がれ。——皆、上がれ」
坑夫たちは坑道を走り、縦の坑の底へ集まった。入坑簿の数を、坑口の頭が、底から叫ぶ声と地上の帳面とで突き合わせた。
数は合っていた。
水は細い穴から三日、噴き続けた。四日目に勢いが落ちた。七日目に糸のようになった。機械がそれを全部汲み上げた。
喬仲堅は図の上の、小さな丸の横に書き足した。
旧坑、確認。錐の穴より水、七日。坑道は、ここより西へ延ばさず。
牛把頭はその字を長いこと見ていた。
読めたのかどうか、喬仲堅には分からなかった。
◇
その年の夏、縦の坑の底は五十丈に届いた。
そこに石炭の層があった。
古い坑の底で見ていた層より厚かった。牛把頭の背丈ほどもあった。黒く、光り、鶴で叩くと澄んだ音がした。
横の坑道がその層に沿って、東西へ延ばされていった。
坑道の床には木の道が敷かれていった。二本の角材を平行に、枕木の上に並べたもの。その上を、四つの小さな車輪の付いた箱が走った。人が一人で押して、籠の十倍の石炭を運んだ。
坑道の幅は、箱二つがすれ違えるように決めた。上りの勾配は、人が押して上がれるほどに決めた。分かれ道には、箱を待たせる脇道を掘った。——喬仲堅の測量の組が、それを全部図に書いた。
箱はそのまま、縦の坑の底で巻き上げの縄に掛けられた。
巻き上げはもう馬ではなかった。この春から、二台目の機械が坑口に据えられていた。水を汲む機械とは別の機械だった。梁の動きを輪の回りに変える仕掛けが付いていた。貝爾が二年前、工部の書庫の黒い板に描いた、重い輪。その輪が縄の胴を回した。
まだ滑らかではなかった。輪はときどき、ぎくりと止まりかけた。
それでも、馬の四倍の速さで箱を上げた。
◇
秋、喬仲堅は坑冶寺へ、夏からの三月分の帳面を送った。
縦の坑から上げた石炭は、古い坑の同じ三月の、五倍を超えていた。
帳面には別の数も並んでいた。
坑木。古い坑の三倍。坑道が延び、太い丸太で天井を支えるから。
鉄。巻き上げの縄を鉄の線で撚ったもの、箱の枠、木の道の角材を留める釘、錐、網の灯。古い坑ではほとんど使っていなかった。
機械の替えの部品。蓋の革、軸受け、棒の継ぎ手、弁。
機械を焚く者と直す者。五人が十一人になった。
それに、石炭。
二台の機械の釜が、昼も夜も石炭を食った。上げた石炭の十に一つ近くを、坑口で自分の機械が食っていた。
喬仲堅は、その数を知坑冶寺への文の中で隠さずに書いた。
そして最後に、こう書き添えた。
——機械は、坑に置いた珍しい器ではない。機械がなければ、この坑は十五丈の坑に戻る。機械の帳面を、坑夫の帳面、坑木の帳面と同じく坑の帳面の真ん中に置かれたし。
◇
五十丈の底から上がった最初の石炭を磁州へ運ぶ荷車の列が出たのは、その月の終わりだった。
十二台の荷車だった。牛が一台に二頭ずつ。
喬仲堅は坑口の櫓の下に立って、列が出ていくのを見送った。荷車は坑の脇の土の道を、北へゆっくりと進んでいった。磁州の杜布林の炉まで、二日の道のりだった。
牛把頭が喬仲堅の隣に立っていた。
「二日か」
牛把頭が言った。
「わしらが五十丈の底から掘り上げた石炭が、二日かけて牛に曳かれていく」
喬仲堅は答えなかった。
櫓の頂で二つの滑車が回っていた。坑口の小屋の煙突から黒い煙が秋の空へ上っていた。水を汲む機械の梁が傾いては戻り、戻っては傾いていた。
この坑の底で十五丈の水に止められたのは、一年あまり前のことだった。
荷車の列の最後の一台が、道の曲がり角に消えた。
牛の足で、二日。




