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第六巻 産業 第一回 冶金・素材工学の壁

 鋼の棒が三本、土間の上に並べられていた。


 長さも太さも同じだった。同じ炉で同じ日に同じ手順で作った棒だった。磁州の城の北、滏水の岸に建てた試しの炉の小屋である。


 杜布林が一本目の棒の端を鉄の台に挟んだ。反対の端に長い鉄の管を被せた。炉工が二人、管の先に体重を掛けた。


 棒はゆっくりと曲がった。曲尺の角ほどまで曲がって、そこで止まった。杜布林が曲がった外側を指でなぞった。ひびはなかった。


 二本目。


 同じように曲げた。半ばまで曲がったところで、乾いた音がした。棒は二つに折れて土間に転がった。


 三本目は曲がりもせず、折れもしなかった。炉工が二人がかりで押しても、ほとんど動かなかった。杜布林が槌で叩くと、硬い、高い音が返ってきた。


 杜布林は三本の棒をしばらく黙って見下ろしていた。


 それから土間の隅に控えていた書き役の若い技官に言った。


「三本とも書いてください。曲がったもの。折れたもの。曲がらなかったもの」


 沈維新は小屋の戸口に立ってそれを見ていた。


 同じ炉から出た、同じ鋼だった。


 同じ鋼のはずだった。


  ◇


 試しの炉を磁州に建てたのは、年が明けて雪が解けてすぐのことだった。


 去年の暮れの廷議の日、賀通遠が工部の書庫の地図に一本の墨の線を引いた。相州の鶴壁の坑から、磁州を経て、南へ衛州の河の港まで。その線が鋼の棒になるには、まず鋼が要った。


 一里の道に、棒が百八十本あまり。


 賀通遠は廷議の後、そう言った。二本の棒を並べて敷く。一本の棒の長さを二丈とすれば、それだけ要る。鶴壁と磁州と衛州の港とを結ぶ道は、合わせて二百里に少し足りない。——三万本を超える棒が、同じ強さで揃っていなければならない。


 それに軍器監が鋼の筒を欲しがっていた。釜の板を貝爾が欲しがっていた。韋金森は、物を削る刃の鋼が今のままでは足りない、と言っていた。


 沈維新はこの冬のうちに、工部と軍器監と坑冶寺から人を選んだ。


 工部からは鋳物と鍛冶を見てきた技官を三人。軍器監の洪克勤からは兵器の鋼を検めてきた吏を一人。坑冶寺からは鉄の山を回ってきた丞を一人。


 それに杜布林がどうしても、と言って呼んだ男が一人いた。


 霍長庚。徐州の利国監で三十年、高い炉の番をしてきた炉頭だった。


  ◇


「鋼を作るのではありません」


 試しの炉ができた日、杜布林は集めた者たちの前で言った。


 小屋の壁には、二年あまり前、工部の書庫に貼ったのと同じ壺の絵が描き写されていた。底から風を吹き込む、口の斜めに開いた壺。


「鋼は、この国はもう作れます。利国監でも磁州の民の炉でも。腕のいい者が作れば、とても良い鋼ができる」


 杜布林は壺の絵の横に字を書いた。


 多く。同じに。


「たくさんの同じ鋼。——私たちが作るのはそれです。一本だけ良い鋼は要りません。三万本の同じ鋼が要る」


 技官たちは黙って聞いていた。霍長庚は腕を組んで壺の絵を見ていた。


 沈維新は一同の後ろから杜布林の背中を見ていた。


 この男が工部の書庫に初めて来てから、二年半が経っていた。小柄で、背の丸い、手の甲に古い火傷のある男。宋の言葉はずいぶん上手くなった。


 それでも「同じに」という字を、杜布林は何度も指で叩いた。


  ◇


 最初のひと月、試しの壺は十一回火を吹いた。


 壺は小さなものだった。一度に入れる溶けた鉄は三百斤ほど。高い炉から流した鉄を柄杓で運び、壺に注ぐ。壺の底の穴から、水車で回す鞴の風を吹き込む。


 壺の口から火の粉が噴水のように噴き上がった。


 初めてそれを見た技官たちは後ずさった。軍器監の吏は腰を抜かしかけた。霍長庚だけが一歩も動かず、火の粉の色をじっと見ていた。


 十一回のうち壺から出した鋼を棒に延ばせたのは、八回だった。


 八回分の棒を曲げ、引き、叩いた。


 同じ回の棒の中でも、曲がるものと折れるものがあった。回が違えばなおさらだった。三回目の棒はどれも粘った。五回目の棒はどれも脆かった。七回目の棒は半分が粘り、半分が脆かった。


「なぜだ」


 沈維新は杜布林に問うた。


 杜布林は首を振った。


「分かりません」


「分からぬのか」


「今は分かりません」


 杜布林は土間に並べた棒を指で数えた。


「分からない理由が多すぎるのです。鉄の石が違ったのか。炭が違ったのか。高い炉の熱さが違ったのか。壺に注いだ鉄がどの炉の、どの日の鉄だったのか。風を、何を数えるまで吹き込んだのか。——全部が少しずつ違った。どれが効いたのか、分からない」


 杜布林は沈維新を見た。


「私の国の工場でも、最初はそうでした。うまくいった日とうまくいかなかった日がある。うまくいかなかった鋼は、捨てて炉に戻して溶かした。——だから何が悪かったのか、いつまでも分からなかった」


「では、捨てるな、ということか」


「捨てません」


 杜布林は言った。


「折れた棒も、曲がらない棒も全部取っておく。一本ごとに札を付ける。——そしてその棒がどこから来たのかを、全部書く」


  ◇


 帳面の形を決める日、修平が磁州に来た。


 開封から馬で三日の道のりだった。修平が来たのは、沈維新が工部を通じて呼んだからだった。


「炉の中のことは、私には分かりません」


 小屋に入るなり、修平はそう言った。


「分かっている」


 沈維新は言った。


「そなたを呼んだのは帳面の方だ。何を書けばよいかは杜布林が知っておる。だが、書いたものをどう並べれば見えるのか。——それは、そなたと統計局の者の仕事だろう」


 修平は頷いた。


 杜布林が書くべきことを一つずつ挙げていった。


 鉄の石の、山の名と採った日。炭の種類と出どころ。石灰の石の出どころ。高い炉の火を入れてからの刻。炉の熱さ——羅蘭徳の、熱さの器がまだ高い炉の熱さには耐えないので、霍長庚が炎の色で言う。壺に注いだ鉄の重さ。風を吹き込み始めた刻と、止めた刻。風の強さ——鞴を回す水車のひと回りの速さ。壺の口の火の色の移り変わり。壺から出した鋼の重さ。


 それから棒にしてからの試し。


 曲げてどこまで曲がったか。引いてどれだけの重さで切れたか。叩いて何度で割れたか。硬さ——刃の先でどれだけの傷が付くか。


 杜布林が挙げ終わると、書き役の技官が筆を置いて指を振った。十を超えていた。


 修平は書き出された欄を一つずつ見ていった。


「一つの回を一つの行に」


 修平は言った。


「欄を左から順に並べます。鉄の石。炭。石灰。炉。壺。風。鋼。試し。——左から右へ鉄が流れていく順に。そうすれば、一つの行を読めば、その回の鋼がどこから来てどうなったかが分かります」


 書き役の技官が頷いて紙に線を引き始めた。


「それから一つお願いがあります」


 修平は杜布林を見た。


「炉のことは私には分かりません。ですから、これは数の話だけです」


「どうぞ」


「一度に変えるのは一つだけにしていただきたい」


 杜布林が眉を上げた。


「鉄の石を変えるなら、炭も風も前の回と同じにする。風を変えるなら、石も炭も同じにする。——二つを一度に変えて鋼が良くなったら、どちらが効いたのか分からなくなります。帳面を何百行溜めても、分からないままです」


 杜布林はしばらく修平を見ていた。


 それから笑った。


「私の国の工場の主に聞かせたかった」


 杜布林は言った。


「あの人は毎回、三つも四つも一度に変えた。早く良い鋼が欲しかったから」


「一度に一つずつ変えるのは遅く見えます」


 修平は言った。


「ですが、帳面の行が溜まれば、どこが効いたのかを後から何度でも確かめられます。三つを一度に変えた行は、何百行あっても一つも確かめられません」


 霍長庚が腕を組んだまま、小さく鼻を鳴らした。笑ったのかどうか、沈維新には分からなかった。


  ◇


 夏の間、試しの壺はひと月に十五回ずつ火を吹いた。


 帳面の行は百を超えた。


 札を付けた棒が小屋の裏の棚に並んでいった。曲がった棒。折れた棒の二つの片。曲がらなかった棒。棚は三つになり、四つになった。


 修平が開封へ戻った後、統計局から若い吏員が一人、磁州に送られてきた。韋明遠の下で物の値の帳面を扱ってきた男だった。吏員は毎晩、帳面の行を写し直し、並べ替え、欄ごとに数を揃えた。


 七月の終わり、その吏員が沈維新と杜布林の前に一枚の紙を置いた。


 帳面の行を鉄の石の山ごとに分けたものだった。


「山ごとに並べ直しました」


 吏員は言った。


「利国監の北の山の石から作った鋼は、曲げて折れたものが十本に一本。磁州の西の山の石は十本に二本。——それからこの山」


 吏員は紙の一番下の行を指した。


 磁州の東のある山の名だった。民の炉がこの二十年、安く採れるというのでよく使ってきた石だった。


「この山の石から作った鋼は、十本に六本が折れております」


 杜布林はその行を長いこと見ていた。


 それから小屋の裏の棚へ行き、札を一枚ずつ確かめて、何本かの棒を抜き出してきた。


 東の山の石から作った棒だった。


 杜布林はその一本を鉄の台に挟み、炉工に曲げさせた。棒は半ばで折れた。


 杜布林は折れた口を沈維新に見せた。


 口は、きらきらと光る粗い粒で埋まっていた。


「冬に作った棒なら、もっとよく割れたでしょう」


 杜布林は言った。


「冷えると割れる。——燐です」


 沈維新はその光る粒を見つめた。


 二年あまり前、工部の書庫で、杜布林は壁の紙に二つの字を書いた。燐。硫。この壺には弱いところがある、と言った。私の土地の者は皆喜んで、皆失敗した、と。


 その字が今、目の前の折れた棒の口にあった。


「知っていたことだ」


 沈維新は言った。


「そなたは二年あまり前にそう言った」


「言いました」


 杜布林は頷いた。


「でも、言ったこととこの棒とは別のものです。私が言ったのは、私の国の、私の土地の石の話でした。——この国のどの山の石がどれだけ悪いのかは、この棒を折るまで、誰にも分からなかった」


 杜布林は折れた棒を棚に戻した。札はそのままにした。


「石を選ばねばなりません」


 杜布林は言った。


「この壺は燐を抜けない。抜けないなら、初めから燐の少ない石を入れる。——そのために、国中の鉄の石の山を調べます」


  ◇


 国中の鉄の石を先に調べる、という青図は、二年あまり前に書かれたまま進んでいなかった。坑冶寺には、国中の山から石を集める決まりも、集めた石を調べる者もなかった。燐の多い石で折れた棒が、その青図をようやく動かした。


 八月、坑冶寺から国中の鉄の山の監官へ一通の文が出た。


 ——監する山の鉄の石を一斗ずつ、見本として開封へ送れ。石には、山の名と坑の名と採った日を記した札を付けよ。同じ山でも坑が違えば、分けて送れ。


 文の末尾には、工部と坑冶寺の二つの印が押されていた。


 秋の初めから、開封の工部の庁舎の裏に麻の袋が届き始めた。


 羅蘭徳がその袋を一つずつ開けた。石を砕き、粉にし、酸に溶かし、沈め、量った。燐がどれだけ入っているか。硫がどれだけ入っているか。鉄がどれだけ入っているか。


 一つの見本を調べるのに三日かかった。羅蘭徳の下で、葛元亮と国子監の実験の棟から来た学生が二人、手伝った。それでも袋は、調べるより速く積み上がっていった。


 羅蘭徳は調べ終えた見本ごとに一枚の紙を作らせた。山の名。坑の名。採った日。燐。硫。鉄。——それを山ごとに綴じた。


 綴じた紙の束の表紙に、坑冶寺の丞が字を書いた。


 鉱質の台帳。


「坑冶寺はこれまで、坑の数と出した鉄の量しか帳面に付けてこなかった」


 丞は沈維新に言った。


「どの坑の石が何に向くのか。そういう帳面は一冊もなかった。——これからは坑を開くときに、まずこの台帳に載せる。載らない坑からは、官の炉は石を買わない」


 沈維新はその表紙を見た。


 鉄の山を名と量で数えていた役所が、中身で数え始めた。


 小さな一冊だった。


  ◇


 霍長庚が口を開いたのは、九月のある晩のことだった。


 その日の壺はうまくいかなかった。利国監の北の山の、燐の少ない石を使った。炭も石灰も前の回と同じだった。それなのに、棒は硬すぎて曲がらなかった。


 杜布林は帳面の行を何度も読み返していた。


「風を長く吹きすぎた」


 霍長庚が言った。


 杜布林が顔を上げた。


「なぜ分かる」


「火の色だ」


 霍長庚は壺の方を顎で指した。


「風を吹き始めると、壺の口の火は最初赤い。それから明るくなって、白くなって、長く伸びる。——伸びた火が急に短くなる。色が落ちる。そこで止める」


 霍長庚は腕を組んだ。


「今日は火が短くなってから止めるまでに、少し間があった。吹いておる小僧がよそ見をしておったからだ。——鉄の中の炭の気が抜けきって、それでも吹き続けたら、鉄が焼ける」


 杜布林は黙って霍長庚を見ていた。


「わしはこの壺を知らん」


 霍長庚は言った。


「だが、利国監の高い炉で三十年、火の色を見てきた。火の色は、炉の中で何が起きておるかを教える。壺でも同じだろう」


 杜布林は帳面を開き、欄の一番右に新しい線を引いた。


 その欄の頭にこう書いた。


 火の色の移り。止めた刻。止めた者。


「霍頭」


 杜布林は言った。


「明日から、壺の火はあなたが止めてください。止めたときの火の色と火の長さを、あなたの言葉で言ってください。書き役が書きます」


 霍長庚はしばらく何も言わなかった。


「……わしの言葉は、書けるような言葉ではないぞ」


「書けるようにします」


 杜布林は言った。


「私の国でも、この火を読む者が一番大事でした。器ができるまでは。——器ができても、器が狂ったときに、火を読める者が要ります」


  ◇


 秋の終わり、試しの壺は十二回続けて火を吹いた。


 鉄の石は、利国監の北の山と、鉱質の台帳で燐が少なかった磁州の西の奥の山の、二つだけにした。炭は、鶴壁の石炭から羅蘭徳の壺で作った骸炭。風は水車の回る速さを同じにした。火は霍長庚が止めた。


 十二回分の棒を曲げ、引き、叩いた。


 十二回のうち十回の棒が、杜布林の決めた線の中に収まった。曲げてひびが入らない。引いて決めた重さまでは切れない。叩いて決めた数までは割れない。


 残りの二回は、一回が壺の底の穴が詰まりかけて、風が弱かった回。もう一回は、高い炉から流した鉄が途中で冷えた回だった。どちらも帳面の行を見れば、何が違ったのかが分かった。


 杜布林は十二本の棒を土間に並べさせた。


 それから一本ずつ曲げさせた。


 十本が同じ角度まで曲がり、同じように止まった。


 小屋の中の誰も声を上げなかった。技官たちも、炉工たちも、軍器監の吏も。霍長庚は腕を組んで、並んだ棒を見下ろしていた。


 沈維新は自分の喉が乾いていることに気づいた。


 同じ炉から出た、同じ鋼だった。


 今度は本当に、同じ鋼だった。


  ◇


 その晩、小屋に残ったのは、沈維新と杜布林と統計局の吏員だけだった。


 吏員が秋の十二回の行を清書していた。


「十二回に十回ではなく、十二回に十二回を目指します」


 杜布林が言った。


「残りの二回も何が違ったか、分かっています。直せます」


「いつまでに」


「来年の春までに」


 沈維新は頷いた。


 それから吏員の清書している帳面の、一番下の行を見た。


 十二回。壺に注いだ鉄は、一回三百斤。できた鋼は、一回二百五十斤ほど。


 沈維新は頭の中で数を並べた。


 ひと月に十五回。一年で百八十回。鋼は一年で、四万五千斤。


 鉄の道の棒一本の重さは、賀通遠の図では二百斤を超えていた。


 四万五千斤の鋼で、棒は二百本あまり。


 三万本を超える棒が要る。


 沈維新は帳面から目を上げた。


「杜布林」


「はい」


「そなたの壺はよくできた」


 杜布林は何も言わなかった。沈維新が何を言おうとしているのか、もう分かっているようだった。


「だが、このままではこの道に棒を敷くのに、百五十年あまりかかる」


「はい」


 杜布林は静かに言った。


「良い鋼を少し作れることと、国が要るだけの鋼を作り続けられることは、別の仕事です」


 沈維新は小屋の戸を開けた。


 外はもう暗かった。滏水の音が低く聞こえていた。小屋の裏の高い炉の口から、赤い火が細く夜空へ昇っていた。


 壺は三百斤。高い炉は、一日にそれを何度か満たすのがやっとだった。高い炉を焚く石炭は、鶴壁から荷車で二日かけて運ばれてくる。鶴壁の坑は機械で水を汲み続けねば、十五丈の坑に戻る。


 壺の後ろに炉があり、炉の後ろに炭があり、炭の後ろに坑の水があった。


「次は鉄を作るのではない」


 沈維新は夜の炉の火を見たまま、言った。


「鉄を湧き出させ続ける仕組みが要る」


 杜布林が沈維新の隣に立った。


「鶴壁の縦の坑は、この春から掘り始めております」


「知っておる」


 沈維新は言った。


「喬仲堅からひと月ごとに報せが来る。——今月は三十丈に近づいた、と書いてあった」


 二人はしばらく黙って夜の炉の火を見ていた。


 小屋の中で、統計局の吏員が清書を終えた帳面を閉じる音がした。

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