第五巻 軍産業設計 第五回 騎馬砲兵の構想
中牟の牧監は、開封の西、汴河の南に広がる平らな草地だった。
秋の終わりの草はもう黄色くなりかけていた。遠くで馬の群れがゆっくりと草を食んでいた。百頭か、二百頭か。群れの端を、牧監の者が馬に乗って見回っていた。
修平が着いたとき、草地の真ん中に奇妙なものが置かれていた。
小さな銅の火筒だった。この夏の廷議で洪克勤が言った軍器監の倉にある二百挺の火筒よりは大きく、城の守りの火筒よりはずっと小さい。それが二つの車輪の付いた木の台に載せられていた。台の後ろから長い棒が一本伸び、その先が別の二輪の車の後ろに繋がれていた。二輪の車には箱がいくつか積まれていた。その前に馬が四頭。
馬の脇に兵が六人。六人とも馬の手綱を持っていた。
「軍器監の倉の古い火筒です」
克魯澤が言った。
「弾は込めません。今日は撃たない。——今日は時を測ります」
克魯澤は、草地の端に立った太僕寺少卿の秦牧之の方を手で示した。秦牧之の横に小さな卓が置かれ、その上に灰を平らに敷いた浅い盤が載っていた。灰の上には細い溝の模様が刻まれ、溝に沿って香の粉が詰められていた。香篆だった。粉の端に火を付ければ、火は模様をたどって決まった速さで燃え進む。
「香篆の火がひと巡り燃え進むまでの間に、どれだけのことができるか」
克魯澤は言い足した。
「これは砲の試しではありません。砲もまだありません。——馬と、人と、手順とにどれだけの時が要るか。数を決めるための目安を取ります」
◇
野戦砲試製班が置かれてから、ひと月あまりが経っていた。
班には文が三通要った。枢密院と、兵部と、太僕寺。三通の文が揃うまでに十日かかった。その十日の間に、克魯澤は試製班の最初の仕事として、野戦砲の青図とは別のもう一枚の紙を書き始めていた。
紙の頭にはこう書かれていた。
馬に乗る砲。
この秋の初め、試しの場の小屋で克魯澤が紙の端に描いた小さな絵。砲と、砲の車と、その周りに馬に乗った兵が何人か。——いずれの話です、と克魯澤は言った。
そのいずれを、克魯澤はもう一枚の紙に分けたのだった。
「野の砲の青図と一緒にすると混ざります」
克魯澤は修平にそう言った。
「野の砲は、歩く兵と一緒に動く砲です。馬に乗る砲は、馬の兵と一緒に動く砲です。——速さが違います。速さが違えば、何もかも違います」
◇
「始め」
秦牧之が言った。
牧監の者が香篆の端に火を付けた。
六人の兵が馬に飛び乗った。
四頭の馬が火筒と箱の車を引いて走り出した。六人の兵はその横を馬で並んで走った。草地の端から、真ん中を越えて、向こうの端の小さな旗の立ったところまで。
五百歩ほどの道のりだった。
旗のところで兵たちが馬から飛び降りた。
一人が火筒の台と箱の車とを繋いだ棒を外した。二人が台の尾を持ち上げ、火筒を旗の向こう、見えない敵の方へ向けた。一人が箱の車の蓋を開け、中から弾の代わりの土を詰めた布袋を取り出した。一人が火筒の口に棒を差し込んだ。一人が馬の手綱を全部まとめて持ち、少し後ろへ下がった。
「撃て」
兵の長が叫んだ。
誰も火を付けなかった。兵の長は手を上げて、それを撃ったことにした。
それから同じことを逆にやった。
火筒を台の尾ごと回し、棒を箱の車に繋ぎ直す。布袋を箱に戻す。蓋を閉める。手綱を受け取り、馬に飛び乗る。
四頭の馬がまた走り出した。今度は草地の右手の別の旗の方へ。
修平は秦牧之の卓の上の香篆を見ていた。
火はまだ模様の半ばにも届いていなかった。
◇
三度目の旗のところで、兵の一人が馬から飛び降りるときに足をもつれさせた。
四度目の旗のところで、台の尾を持ち上げていた二人が息を切らせて、しばらく動けなくなった。
五度目の旗に向かって走り出したとき、箱の車を引く四頭のうちの一頭が脚を止めた。牧監の者が駆け寄った。蹄の間に石が挟まっていた。
香篆の火が模様の終わりまで燃え尽きた。
秦牧之が手を上げた。
「止め」
兵たちが戻ってきた。六人とも汗で顔が濡れていた。四頭の馬のうち、二頭の脇腹に汗の筋が白く浮いていた。
克魯澤は戻ってきた兵の長としばらく話をしていた。それから修平のところへ来た。
「香、ひと巡りで四度」
克魯澤は言った。
「着く。据える。撃つ。畳む。また走る。——私の国のよい砲の兵なら、同じ香で六度か、七度」
克魯澤は首を振った。
「でも、今日の兵は昨日まで弓を引いていた兵です。この手順は今朝初めて習った。——四度は悪くない」
「足りないのは」
修平は訊いた。
「全部です」
克魯澤は笑った。
「でも、全部の中で一番足りないのは」
克魯澤は秦牧之の方をちらと見た。
「馬です」
◇
牧監の庁舎の一室で、秦牧之は帳面を広げた。
牧監のこの十年の帳面だった。馬ごとに、生まれた年、毛色、背の高さ、脚の病、どこの軍へ出したか。そして日ごとの飼い葉の出入り。
「砲の車と弾の車を四頭で引く」
秦牧之は言った。
「砲の兵が六人。六人とも馬に乗る。それに、替えの馬が要る。今日のように一頭が脚を止めれば、そこで車は止まる。——砲一門あたり、少なくとも馬を十二頭」
秦牧之は帳面の別の頁を開いた。
「馬一頭が一日に食う飼い葉が、干した草で二十斤。豆か麦を五斤。水が五斗から八斗。——十二頭で、干し草が二百四十斤。豆か麦が六十斤」
修平は算盤を借りて珠を弾いた。
「砲を四門、一つの隊とすれば」
「馬が五十頭。干し草が千斤。豆と麦が二百五十斤。——毎日です」
秦牧之は帳面を閉じた。
「干し草は軽いが、嵩がある。千斤の干し草を運ぶには車が要る。車を引く馬が要る。その馬も食う」
部屋の中が静かになった。
修平は算盤の上の珠を見ていた。
五年前の西の遠征の帳面を思い出していた。兵の糧、一日あたり。馬の秣、一日あたり。狄承武とステファノスが、テオドリアで同じ数を並べていた。
「弾は」
修平が言った。
「砲一門あたり、弾をいくつ積んで走りますか」
「それを決めねばなりません」
克魯澤が言った。
「弾を多く積めば、長く撃てる。でも、車が重くなる。車が重くなれば馬が疲れる。馬が疲れれば速く走れない。速く走れないなら、馬に乗る砲にする意味がない」
克魯澤は指を折った。
「砲の筒を軽くすれば、弾も軽くなる。軽い弾は遠くへ飛ばない。敵を壊せない。——重さの釣り合い。この秋の初めに試しの場で言った五つの字の話を、馬に乗る砲ではもう一度やらねばなりません。もっと厳しく」
克魯澤は紙の上に四つの字を書いた。
砲。弾。替え馬。里数。
「砲一門の重さではなく。砲の隊の全部の重さを量ります。人と、馬と、砲と、弾と、飼い葉と、替えの蹄鉄と、壊れたときの部品と。——全部を足して、何頭の馬で一日に何里走れるか」
◇
「その重さを誰が決める」
部屋の隅にいた兵部の曹允恭が言った。
この日、牧監には兵部と枢密院から、それぞれ一人ずつ来ていた。兵部からは曹允恭。枢密院からは董元礼。
「砲の隊の人の数と、馬の数と、車の数。——それは隊の定めだ。隊の定めの帳面は、兵部の装備と、軍の定めの房が付けておる」
「砲の隊をどこにいくつ置くか」
董元礼が言った。
「どの軍に付け、どの方面へ出すか。何頭の馬を戦の時に集めるか。それは枢密院の兵籍と、動員の房が決めておる」
秦牧之が二人を見た。
「馬をどこの牧監から何頭出すかは、太僕寺が」
「軽い砲と砲の車をどう作るかは、軍器監が」
克魯澤が言い足した。洪克勤から、この場へ出る前にそう言付かってきたのだった。
三人は顔を見合わせた。
克魯澤は困ったように修平を見た。
修平はこの春、作坊の壁の紙の端に書いた四行を思い出していた。あのときも同じだった。
「……馬の数と、兵の数と、隊の定めは、三つの役所で一緒に見るしかないのでは」
修平は言った。
「一緒に見る場を作る。試製班の中に」
「一緒に見る」
曹允恭が言った。
「では、決めたことに誰の印を押す」
「三つとも」
修平が言うと、董元礼が小さく息をついた。
「三つの印が揃うまで、また十日ですな」
「今はそれで構いません」
克魯澤が言った。
「今は紙の上の砲です。紙の上なら十日待てます。——でも、戦の時に十日は待てません」
克魯澤はそれ以上言わなかった。
部屋の中の三人も何も言わなかった。
◇
午後、克魯澤は草地に兵たちを集めた。
砲の兵、六人。それに牧監の者が何人か。
「今日分かったことがあります」
克魯澤は言った。訛りの強い言葉を、一語ずつ確かめるように。
「あなたたちはよい弓の兵です。でも、馬に乗る砲の兵は弓の兵とは違います」
克魯澤は指を立てた。
「馬に乗れること。走る馬から飛び降りられること。飛び降りてすぐ砲を据えられること。重い台の尾を二人で持ち上げられること。撃つこと。畳むこと。また飛び乗ること。——それを一日に何十度も」
二本目。
「夜に動けること。馬を暗い中で扱えること。道を覚えられること」
三本目。
「馬が病気になったとき、気づけること。蹄に石が挟まったとき、すぐ取れること」
克魯澤は手を下ろした。
「そういう兵を選ぶ。そういう兵を育てる。——弓の兵をひと月で変えることはできません。一年か、二年」
兵の長が一歩前へ出た。
「我らは外されるのですか」
「いいえ」
克魯澤は首を振った。
「あなたたちが最初の、教える者になります。今日、足をもつれさせた者も息を切らせた者も。——どこで足がもつれるか。どこで息が切れるか。それを一番よく知っているのは、あなたたちです」
兵の長は少し驚いたように克魯澤を見た。
それから頭を下げた。
◇
夕刻、牧監の庁舎の前の小高い土の上に、克魯澤と、秦牧之と、董元礼と、修平が並んで立った。
目の前に中牟の平らな草地がどこまでも広がっていた。
「馬に乗る砲は、ここのような場所で一番強い」
克魯澤は言った。
「平らな場所。遠くまで見える場所。どこへでも走れる場所」
克魯澤は草地の向こうの遠い、低い丘を指さした。
「あの丘の向こうが山なら。森なら。泥の沼なら。橋のない深い川なら。——馬に乗る砲は、歩く砲より遅くなります。重い車を細い山道で引き上げることはできない。森の中ではどこへも撃てない」
克魯澤は手を下ろした。
「馬に乗る砲は、何にでも使える砲ではありません。平らな野と草の原で、一番値打ちのある砲です。そこだけで使う。そこ以外では使わない。——それを最初に決めておきます」
董元礼が長く黙っていた。
「……北の、ヴォルガルの国のどこかに」
董元礼は言った。
「果てしない草の原があると聞く。弓騎兵がそこから来ると」
「はい」
克魯澤は頷いた。
「狄承武どのの戦役記に書いてありました。——あの弓騎兵は速い。歩く兵では追いつけない。歩く砲でも追いつけない」
克魯澤は草地を見た。
「でも、馬に乗る砲なら」
克魯澤はその先を言わなかった。
◇
「一つ、訊きたい」
修平が言った。
「馬に乗る砲の隊は、どこでどう戦うのですか。馬の兵と一緒に敵へ突っ込むのですか」
「いいえ」
克魯澤は首を振った。
「砲は突っ込みません。突っ込めば、砲の兵は死にます。砲も取られます」
克魯澤は足元の土に、木の枝で線を引いた。
「前に、歩く兵の撃つ列。林詳定の伏せて撃つ銃の、百人か、二百人ずつの隊の列。その中に十人、二十人ずつの組」
枝がその後ろに太い線を引いた。
「後ろに、まとめて動かす兵の縦の列。どこかが破れたら、そこへ送る兵」
枝がもう一本、横に細い線を引いた。
「横に、馬の兵。前を見て回り、横を守り、敵が逃げたら追う」
克魯澤は枝で、その線の間を何度か指した。
「馬に乗る砲は、この間を走ります。撃つ列のどこかに敵が集まったら、そこの近くへ走る。撃つ。敵が崩れたら、畳んで次のところへ走る。縦の列がどこかへ送られたら、その横について走る。——短い間だけ一つのところに火を集め、すぐに離れる」
修平は土の上の線をじっと見ていた。
「それを誰が決めるのですか。どこへ走るか、いつ撃つか」
克魯澤は少し考えた。
「砲の隊の長です」
「将ではなく」
「将は遠くにいます。電信の線が戦の野の全部に引けるわけではない」
克魯澤は枝を置いた。
「将は、この辺りの敵の集まるところを崩せ、と言う。どこへ走り、いつ撃つかは、砲の隊の長が自分の目で見て決める。——決めてよい、と前もって許しておく」
董元礼が克魯澤を見た。
修平も克魯澤を見た。
夏の廷議で自分が言ったことと同じだった。散って伏せる兵の組の長に決めさせる。——そして五年前、ヴォルガルの捕虜が言ったことと同じだった。何を押さえろ、とだけ命じられる。どうやって押さえるかは隊が決める。
「……枢密院で話してみます」
董元礼が言った。
「どこまで隊の長に許すか。それは軍の決まりの話です。すぐには決まりますまい」
「すぐには決まらなくていいです」
克魯澤は言った。
「砲もまだないのですから」
◇
「もう一つ」
秦牧之が言った。
「長い道を走らせるときのことだ」
秦牧之は草地の向こうを見ていた。
「今日の香、ひと巡りの間に馬は四度走った。それで二頭が汗を浮かせた。——十日、二十日と走り続ければ、どうなるか。砲より先に、弾の車より先に、飼い葉の車が尽きる。水が尽きる。馬が倒れる」
秦牧之は克魯澤を見た。
「馬に乗る砲の速さは、戦の野で決まるのではない。その後ろの飼い葉と水と替えの馬とが、どこにどれだけ置いてあるかで決まる」
克魯澤は深く頷いた。
「その通りです」
「ならば、砲の隊が走る道の地図が要る」
秦牧之は言った。
「どこに飼い葉を積んでおくか。どこに水の井戸があるか。どこで疲れた馬を新しい馬に替えるか。——それを戦の前に地図に書き込んでおかねばならぬ」
修平は五年前の井戸の線のことを思い出していた。七つの井戸のうち四つ。その四つと、三つの前進の拠点とを守るために、二千近い兵が貼り付いていた。
「……砲の隊が速く走るためには、その後ろにゆっくりとした長い仕組みが要るのですね」
修平が言った。
「はい」
秦牧之は頷いた。
「牧監も同じでございます。一頭の馬を戦に出すまでに、五年育てる」
◇
日が沈みかけていた。
草地の真ん中に古い火筒と箱の車とが、昼と同じように置かれていた。四頭の馬はもう外されて、牧監の者に引かれていった。
克魯澤は火筒の脇に屈み込み、車輪の軸を手でなぞっていた。軸の木の部分に細い割れが入っていた。今日、五百歩を何度か走っただけで。
「軸もです」
克魯澤は言った。誰に言うともなく。
「鉄の軸。鉄の輪。——中ぐりの機械と同じ、韋金森どのの仕事になります」
克魯澤は立ち上がり、手の土を払った。
修平はその背中を見ていた。
今日、この草地で火筒は一度も撃たれなかった。
撃たれなかった火筒の周りで、馬の飼い葉の重さと、兵の息の続き方と、車の軸の割れと、三つの役所の印の数とが一日かけて量られた。
修平は卓の上の香篆の盤を見下ろした。
燃え尽きた香の跡が、灰の上に細い模様のまま残っていた。




