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第五巻 軍産業設計 第四回 野戦砲の青図

 開封の城の北、黄河の堤から少し離れた荒れ地に、軍器監の試しの場があった。


 秋の初めの朝だった。草はまだ青かった。


 試しの場の真ん中に、黒ずんだ銅の筒が一門据えられていた。人の背丈ほどの長さの太い鋳物の筒だった。筒は太い木を組んだ台の上に縄で縛り付けられていた。台の下には車輪がなかった。


「城の守りの火筒です」


 判軍器監の洪克勤が言った。


「北の辺りの城壁の上に、同じものを据えております。鉄の丸い弾を五百歩ほど飛ばします」


「動かすのに何人」


 董元礼が訊いた。


「据えるまでに二十人。牛が四頭。——ここまで運ぶのに三日かかりました」


 董元礼は黙って筒を見ていた。


 修平も筒を見ていた。


 夏の廷議の後、楊崇武が修平に言った。銃の話が兵器の話の全てではない。一度、枢密院の者と軍器監の試しの場へ来なさい。——八年前、枢密院へ来なさいと言われて、一日しか行かなかった。今度は断る理由がなかった。


 筒の脇に一人の男が屈み込んでいた。


 大柄な男だった。五十前後。赤ら顔で、口の周りに白いものの混じった髭を短く刈り込んでいた。男は筒の口から中を覗き、それから台の縄の縛り方を指でなぞり、それから地面に屈み込んで、台の脚がどれだけ土に沈んでいるかを見ていた。


 求賢局の記録にはこうあった。


 克魯澤。フリードリヒ・クラウゼと名乗る。西の果ての、北の平らな国の砲の兵。二十年、砲を扱い、後に砲を作る工房で砲の設計に携わった。去年の秋、河北の真定府のとある村で見出された。左の耳が遠い。


 克魯澤は立ち上がり手の土を払った。


「よい筒です」


 訛りの強い言葉だった。一語ずつ確かめるように話した。


「鋳物が、きれいです。中の傷も少ない。この国の職人は、よい腕です」


 洪克勤が少し顔をほころばせた。


「ですが」


 克魯澤は筒の台を軽く蹴った。


「これは、野の砲ではありません」


  ◇


 試しの場の脇の小屋で、克魯澤は話を始めた。


 小屋の中には枢密院から董元礼と、作戦の房の若い官が一人。軍器監から洪克勤と、作頭の鄧四。工部から韋金森。それに太僕寺から一人の官が来ていた。太僕寺少卿の秦牧之。四十半ばの日に焼けた男で、若い頃から河北の牧監で馬を見てきたという。


「枢密院から話は聞きました」


 克魯澤は言った。


「林詳定の銃。伏せて撃ち、伏せて込める。三百歩、四百歩」


 克魯澤は指を立てた。


「よい銃です。歩く兵を強くします。——ですが歩く兵を強くしても、足りないものがあります」


「何が足りぬ」


 董元礼が訊いた。


「敵が遠くで集まっているとき。千人、二千人が谷の奥で隊を組んでいるとき。四百歩の銃は届きません」


 克魯澤は二本目の指を立てた。


「敵が土を盛り、柵を立て、その後ろに隠れているとき。銃の弾は土を崩せません」


 三本目。


「そして、敵の術者が後ろの方で祈っているとき」


 小屋の中が静かになった。


 董元礼の顔がわずかに強張った。


「五年前の包囲の二日目の夕刻」


 董元礼が言った。


「西の稜線の向こうから光が昇った。大弓の陣と、火薬の荷車と、伝令の中継所が一度に焼かれた。——あれを放った術者たちは稜線の向こうにいた。我らの矢も、ロマニエの大弓も届かぬところに」


「はい」


 克魯澤は頷いた。


「狄承武どのの戦役記を、通詞に読み聞かせてもらいました。——あの術者たちが祈りを重ねるのに何日もかかった、と。何日もの間、一つのところに集まっていた」


 克魯澤は董元礼を見た。


「もし、稜線の向こうへ届く砲があったなら」


 董元礼は長く息を吐いた。


「……祈り終わる前に崩せた」


「かもしれません」


 克魯澤は言った。


「かもしれない。それだけです。——でも、かもしれない、は、ない、よりずっとよい」


  ◇


「では、あの城の火筒を野へ持ち出せばよいのか」


 洪克勤が言った。


「五百歩は届く」


「持ち出せません」


 克魯澤は首を振った。


「二十人と牛四頭で、三日。——戦は三日待ちません。兵は一日に三十里、四十里歩きます。あの筒は一日に十里も動けない。兵が先へ行ってしまう」


 克魯澤は小屋の壁に紙を一枚貼った。


 紙には四つの箇条が、この国の字でたどたどしく書かれていた。求賢局の通詞が克魯澤の言葉を書き取り、克魯澤がそれを自分で書き写したものだった。


 一。戦場へ運べること。

 二。着いたらすぐ撃てること。

 三。同じ弾を同じように何度も撃てること。

 四。歩く兵と同じ速さで動けること。


「私の国の言葉で、野の砲と言います」


 克魯澤は言った。


「野の砲は一番強い砲ではありません。一番強い砲は城の砲です。大きく、重く、遠くへ重い弾を飛ばす。——でも、城の砲は城から動けない」


 克魯澤は紙の四つの箇条の横に、五つの字を縦に並べて書いた。


 威。重。堅。牽。速。


「強さ。重さ。壊れにくさ。引ける馬の数。撃つ速さ」


 克魯澤は五つの字を一つずつ指した。


「強くしたければ、筒を太く、長くする。すると重くなる。重くなれば、馬がたくさん要る。馬が多ければ、飼い葉がたくさん要る。——軽くしたければ、筒を薄くする。すると壊れやすくなる。強い火薬を込められなくなる。速く撃ちたければ、込める仕掛けが要る。仕掛けは重い」


 克魯澤は筆を置いた。


「一つをよくすると、他の一つが悪くなる。——野の砲を作るとは、この五つの釣り合いを決めることです。一番強い砲を作ることではありません」


 韋金森が小さく頷いていた。


 修平は克魯澤の書いた五つの字を見ていた。


 どこかで聞いたことのある話だった。物の値を抑えれば、職のない者が増える。職のない者を減らそうとすれば、物の値が上がる。一つの目当てだけをどこまでも追えば、他の目当てが崩れる。


 砲も、銭も同じだった。


  ◇


 克魯澤は二枚目の紙を貼った。


 大きな絵だった。筒と、筒を載せる台と、二つの大きな車輪と、台の後ろから伸びる長い尾のような棒。その横に箱を積んだ別の車。その前に馬が何頭か。


「砲は、筒ではありません」


 克魯澤は言った。


「この絵の全部が砲です」


 克魯澤は絵の部分を一つずつ指した。


「筒。均しい鋼かよい銅で作る。——筒の内側。まっすぐに、滑らかに、あるいは溝を刻んで削る。——筒の尻。弾を込める仕掛け。——台。撃つと筒は後ろへ跳ねます。台はその跳ねを受け止める。受け止めて壊れない。——車輪と軸。道の悪いところを何百里走っても、壊れない。——目当ての器。どれだけ上へ向け、どれだけ右へ向ければ、どこへ落ちるか」


 克魯澤は別の車を指した。


「弾と火薬の袋を積む車。弾の頭に付ける火の仕掛け。——馬。馬を扱う兵。壊れたときの替えの部品」


 克魯澤は手を下ろした。


「一つでも欠ければ、砲は戦場で撃てない。筒がどれほどよくても」


 鄧四が低い声で言った。


「……弩機と同じだな。牙だけよくても、弓が腐っておれば」


「はい」


 克魯澤は鄧四を見て笑った。


「あなたはよく分かっています」


  ◇


「一つ申し上げたい」


 洪克勤が言った。


「この国は砲を今初めて作るのではございません」


 洪克勤は小屋の棚から一冊の古びた帳面を取り出した。


「軍器監には、石を投げる砲の百年分の記録がございます。梃子の長さと、錘の重さと、石の重さと、何歩飛んだか。城を攻め、城を守ったその都度の記録。——銅の火筒の、この十年の試しの記録もございます。火薬をどれだけ入れれば、何歩飛ぶか。どれだけ入れれば筒が裂けたか」


 洪克勤は帳面を克魯澤の前に置いた。


「それに火薬です。この国は火薬を何百年も作ってまいりました」


 克魯澤は帳面を手に取り、ゆっくりと頁をめくった。


 字は読めなかったのかもしれない。けれど数字の並びは読めたようだった。克魯澤はある頁で手を止め、長いことそこを見ていた。


「……これは射表です」


 克魯澤は言った。


「私の国でも、砲の兵はこれを作りました。何十年もかけて」


 克魯澤は帳面を閉じ、洪克勤に返した。


「では言い直します」


 克魯澤は言った。


「この国は砲を持っています。火薬も、射表も、鋳る腕も。——私が持ってきたいのは、砲そのものではありません。砲をどこの作坊でも同じに作れること。たくさん作れること。そして、兵と一緒に野を走れること」


 洪克勤は帳面を胸に抱えた。


「……ならば軍器監の仕事だ」


  ◇


「砲はどう使う」


 董元礼の後ろに控えていた、枢密院の作戦の房の若い官が、初めて口を開いた。


「城を攻めるときか。守るときか」


「どちらでもありません」


 克魯澤は言った。


「私の国の、私の時代の砲の兵は、後ろから、遠くからただ撃つ兵ではありませんでした」


 克魯澤は小屋の床に木の枝で線を引いた。


「歩く兵が前へ出るとき。砲が前の敵を撃つ。敵が頭を下げている間に、歩く兵が進む」


 枝が別の線を引いた。


「敵が後ろから新しい兵を送ってくるとき。砲がその兵の来る道を撃つ。——敵が逃げるとき。砲が逃げる道を撃つ」


 克魯澤は枝を置いた。


「砲は歩く兵と、馬の兵と一緒に戦います。歩く兵がどこへ行くかを、砲の長が知っている。砲の長がどこを撃つかを、歩く兵の長が知っている。——だから砲は歩く兵と同じ速さで動かなければならない」


 若い官は床の線をじっと見ていた。


「……では、砲の隊は歩く兵の軍の中にいつも置いておかねばならぬ」


「はい」


 克魯澤は頷いた。


「私の国ではそうしました。軍の中にいつも砲の隊がある。戦の時にどこかから借りてくるのではなく」


 董元礼が若い官の方をちらと見た。


 軍の中にいつも砲の隊を置く。それは軍の組み方そのものを変える話だった。軍の組み方を決めるのは、枢密院か、兵部か。——董元礼は何も言わなかった。


  ◇


「最初の壁はここです」


 克魯澤は二枚目の紙の筒の部分を指で叩いた。


「筒を厚くすれば裂けない。でも重い。筒を薄くすれば軽い。でも強い火薬を込めると裂ける」


「ならばどうする」


「鋼です」


 克魯澤は韋金森を見た。


「どこも同じ固さの鋼。傷のない鋼。——それがあれば、薄くても裂けない。軽くても、強い火薬を込められる。そして、その鋼の塊の真ん中をまっすぐに削り抜く機械」


 韋金森が頷いた。


「杜布林どのの炉と、私の中ぐりの機械です」


「それが揃うまでは」


「揃うまではよい銅で試します」


 克魯澤は洪克勤を見た。


「軍器監の鋳る腕で。——でも本当の野の砲は鋼が揃ってから、です」


 修平はこの春、作坊で聞いた韋金森の言葉を思い出していた。同じ兵器を何度でも同じように作れることの方が、ずっと難しい。


 砲の筒一本が、磁州の炉と、鶴壁の坑と、工部の裏庭の機械の全部の先にあった。


  ◇


「次は車輪です」


 克魯澤は秦牧之の方を見た。


「筒ができても。車輪が壊れたら。泥の道で沈んだら。坂を登れなかったら。——砲は道の上で止まります」


 秦牧之が口を開いた。


「砲の重さは」


「まだ決まっていません。でも今の城の火筒よりずっと軽くします。——馬、四頭か、六頭で引ける重さ」


「四頭か、六頭」


 秦牧之は少し考えた。


「どんな馬で。どんな道を。一日に何里」


「それをあなたに教えてほしいのです」


 克魯澤は言った。


 秦牧之はしばらく黙っていた。


 それから指を折り始めた。


「河北の平らな道なら、よい馬で一日四十里。雨の後の泥ならその半分。山の道ならさらに半分。——砲を引く馬は騎兵の馬とは違う。背が低く、胸が厚く、足の太い馬がいい。そういう馬は今この国には多くない。北の牧監に少し。西の牧監に少し」


 秦牧之は指を折り終えた。


「それに馬は道の上で食う。一頭、一日に飼い葉が何斤。水が何斗。六頭ならその六倍。弾の車にも馬が要る。弾の車の馬も食う」


 克魯澤は秦牧之を見て大きく頷いた。


「それです。それを全部紙に書きたい」


 秦牧之は修平の方を見た。


「……これは数の話になりますな」


「なります」


 修平は頷いた。


「道の具合と、馬の数と、飼い葉の重さと、一日の里数。——数にして並べれば、どの重さの砲なら兵と一緒にどこまで行けるかが見えてきます」


  ◇


 話がひと区切りついたとき、克魯澤は二枚目の紙の端に小さな絵を一つ描き足した。


 砲と、砲の車と、その周りに馬に乗った兵が何人か。


「これは、いずれ、の話です」


 克魯澤は言った。


「砲の兵が自分も馬に乗る。砲と一緒に、馬の兵と同じ速さで走る。着いたらすぐ撃ち、撃ったらすぐ次のところへ走る」


 董元礼が目を上げた。


「それは」


「今は、いずれ、です」


 克魯澤は繰り返した。


「馬も、軽い砲も、砲の兵の教えも、弾の車もまだ何もない。——今日は目当てとして紙の端に置いておくだけです」


 克魯澤は筆を置いた。


 秦牧之がその小さな絵をじっと見ていた。


  ◇


 日が傾き始めたころ、董元礼が立ち上がった。


「枢密院として、今日の話を枢密使に申し上げます」


 董元礼は小屋の中の者を見渡した。


「野の砲を新しい兵器として採る。——ただの新しい兵器としてではなく。歩く兵と、馬の兵と、砲の兵とを一つに組み合わせる、その真ん中の火として。——枢密使は今朝、そうお決めになりました。今日の話を聞いて、その決めが間違っていないかを確かめてこい、と」


 董元礼は一度言葉を切った。


「軍器監に野の砲を試しに作る組を置いていただきたい。軍器監の鋳る者と、射表を知る者。工部から鋼の者と、機械の者。太僕寺から馬の者。そして枢密院から、砲をどこでどう使うかを考える者。——名は野戦砲試製班と」


 洪克勤が頷いた。


「兵部にも報せておかねばなりますまい」


 董元礼は少しだけ苦笑した。


「はい。組を置く文には兵部の印も要りましょう。兵器の作りは兵部の務めでもあり、組に出す枢密院の者の出向きは、枢密院の務めでもある。——文は二通書きます」


 秦牧之が小さく笑った。


「太僕寺からも一通。馬を出すとなれば、兵部の下の寺として、兵部へ一通」


「三通ですな」


 韋金森が言った。杭州の言葉で、少しおかしそうに。


 小屋の中に小さな笑いが起きた。


  ◇


 小屋を出たとき、試しの場の真ん中に城の火筒が、朝と同じように据えられていた。


 克魯澤はその筒の前で立ち止まった。


 それから筒の黒ずんだ銅の肌に手を当てた。


「よい筒です」


 克魯澤はもう一度言った。


「城を守るには」


 克魯澤は手を離した。


 修平はその大きな背中を見ていた。


 この男は自分の世で砲を扱い、砲を作ってきた。その砲が何をしたかも知っているのだろう。聞いたことはなかった。訊くつもりもなかった。


 秋の夕日が荒れ地の上に長い影を落としていた。筒の影と、克魯澤の影と、秦牧之の、董元礼の、洪克勤の、鄧四の、韋金森の影。


 それぞれ別の役所の、別の職の、別の国から来た者たちの影が、同じ荒れ地の上に並んでいた。


 一門の砲を作ることが、工部と、軍器監と、太僕寺と、枢密院とを一つの小屋に集めていた。


 修平は影の端に立って、それをしばらく見ていた。

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