第五巻 軍産業設計 第三回 銃の提案
夏の御前廷議の前の晩、修平は詰所の机で一冊の書物を開いていた。
狄承武の『北西遠征戦役記』。五年前の西の遠征を、狄承武が自分の手で書き留めたものだった。枢密院から兵部へ、兵部から修平の詰所へ写しが回ってきてから、もう四年になる。
修平はある頁を何度も読み返していた。
乾いた河床の戦いの日のことだった。
——重き弓騎兵、三百歩の縁にて待ち、我が斉射の後、弦を引き直す間に駆け込む。矢と共に光の弾を放つ。光の弾、我が列の前にて爆ぜ、一弾にて七人、八人を倒す。列、密なるほど倒るる者多し。然れども列を散ずれば、弓騎の矢を防ぎ得ず。
列を密にすれば、光の弾がまとめて倒す。
列を散らせば、弓騎兵の矢と突っ込んでくる騎馬を防げない。
狄承武は、その頁の余白に細い字で一行だけ書き足していた。
——伏して撃ち、伏して込むる兵器あらば。
修平は書物を閉じた。
この国で自分から言い出すと決めていた技は、三つだけだった。電信と、鉄の道と、後ろから弾を込める銃。
明日が三つ目だった。
◇
「林詳定の話を聞こう」
皇帝、趙祺が言った。
殿の中には宰相と、参政と、枢密使と、六部の尚書が並んでいた。その後ろに工部の沈維新の下から韋金森。求賢局から陸秉文。それに軍器監から、判軍器監の洪克勤と、作頭の鄧四。
鄧四は、殿の中に入るのは初めてだった。背を丸め自分の足元を見ていた。
修平は一歩前へ出た。
「今日は銃の話を申し上げます」
殿の中が静かになった。
「ただ、その前に軍器監にお訊きしたいことがございます」
修平は洪克勤の方を見た。
「今この国は、火薬で撃つ兵器をどれだけ持っておりますか」
◇
洪克勤は一歩前へ出て、手元の帳面を開いた。
「火槍。長柄の先に筒をくくり付け、火薬と、燃えるものと、小石や鉄片を詰め、火縄で尻に火を付ける。十歩から二十歩。禁軍の各軍に火槍兵がおります」
洪克勤は帳面をめくった。
「突火槍。太い竹の筒に火薬を詰め、その上に子窠と申す、固めた弾を込めて撃ち出す。五十歩余り。筒が竹ゆえ、何度か撃てば割れます」
また一枚。
「銅の火筒。これは、この十年ほど軍器監で試しに鋳ております。銅を鋳て筒にし、口から火薬と鉛か鉄の丸い弾を込める。尻の小さな穴から火縄で火を付ける。——百歩ほどは届きます。当たるかどうかは別として」
洪克勤は帳面を閉じかけて、もう一度開いた。
「それに震天雷と申す、鉄の殻に火薬を詰めて投げるもの。砲——石や火の器を梃子で投げる機械。城の守りには使っております」
修平は頷いた。
「銅の火筒は何挺ございますか」
「軍器監の倉に二百ほど」
「一挺撃つのにどれだけかかりますか」
洪克勤は鄧四を見た。
鄧四が顔を上げずに答えた。
「火薬を量って口から入れる。紙か布の詰め物をして棒で突く。弾を入れる。また突く。尻の穴に口薬を盛る。火縄を当てる。——慣れた者で、百を数えるほどの間に一つ」
「立ったまま込めますか」
「立たねば込められませぬ」
鄧四は言った。
「筒を立てて口から棒で突くのでございますから」
◇
「ありがとうございます」
修平は言った。
それから殿の中の皇帝に向き直った。
「この国は、火薬で撃つ兵器をすでに持っております。火槍は五年前、東ロマニエの兵が術か、と驚いた兵器です。銅の火筒はこの十年、軍器監が少しずつ試してきたものです。——臣が今日申し上げるのは、何もないところに新しい兵器を持ち込む話ではありません。この国が持っている兵器をどこへどう伸ばすか。その先の形の話です」
修平は袖から紙を一枚取り出した。
「私の世では、火薬で弾を撃つ筒は、何百年もかけて形を変えてきました」
紙には三つの絵が並べて描かれていた。
「一つ目は今の銅の火筒と同じものです。口から込め、筒の内側は滑らか。弾は筒の中でころころと転がりながら出ていく。ゆえに狙ったところへまっすぐ飛ばない」
修平は二つ目の絵を指した。
「二つ目は、筒の内側にねじれた溝を何本か刻んだもの。弾は溝に噛んで回りながら出ていく。回る弾はまっすぐ飛びます。——百歩しか当たらなかったものが、三百歩、四百歩で当たるようになる」
楊崇武が身を乗り出した。
「三百歩で当たる」
「はい」
修平は頷いた。
「神臂弓が三百歩で鉄の札を貫くことは存じております。ですが神臂弓の弦を引くには、腕の強い兵が足で弓を踏み、全身で引かねばならない。溝を刻んだ筒なら、腕の力は要りません。火薬が引いてくれます」
「ただし」
修平は二つ目の絵の下の小さな書き込みを指した。
「この筒も口から込めます。溝に弾を噛ませねばならぬゆえ、弾を棒で強く突き込まねばならない。今の火筒より込めるのに手間がかかる。——そして口から込める以上、兵は立たねばなりません」
◇
「立つとどうなる」
皇帝が問うた。
修平は楊崇武の方を見た。
「枢密使。狄承武どのの戦役記をお持ちでしょうか」
楊崇武は黙って袖から一冊の書物を取り出した。修平のものと同じ写しだった。楊崇武はある頁を開き、それを皇帝の前の机に置いた。
修平が昨夜読み返していた頁だった。
皇帝はしばらくその頁を読んでいた。
「一弾にて七人、八人」
皇帝が読み上げた。
「はい」
楊崇武が言った。
「ヴォルガルの術者は手から光の弾を放ちます。光の弾は当たったところで爆ぜる。——我らの兵は昔から密に列を組んで戦ってまいりました。盾を並べ、その後ろに弩を並べる。密に組むから崩れない。密に組むから号令が届く。それは人と人とが戦うなら、正しいやり方です」
楊崇武は書物の頁に指を置いた。
「だが爆ぜる弾には、密な列は的になる。列が密なほど一つの弾で多くが倒れる」
「では、列を散らせばよい」
張文謹が言った。
「散らせば、弓騎兵が隙間から突っ込んでまいります」
楊崇武は首を振った。
「散った兵は一人ずつ狩られる。——だから狄承武は、この余白に一行を書いたのです」
楊崇武はその一行を読み上げた。
「伏して撃ち、伏して込むる兵器あらば」
◇
「臣が申し上げたいのはそれです」
修平は言った。
修平は紙の三つ目の絵を指した。
「三つ目は、筒の口ではなく、尻の方を開けてそこから弾を込めるものです」
殿の中がざわめいた。
「弾と火薬とを一つの紙の包みにまとめておきます。筒の尻を開け、その包みを押し込む。尻を閉じる。引き金を引けば、細い針が紙を突き破って包みの中の火を付ける薬を叩き、火薬に火が付く」
修平は手で筒の尻を開け、包みを押し込み、閉じる仕草をしてみせた。
「口から棒で突く必要がありません。ゆえに立たなくてよい。——地に伏したまま込められる。土の盛り上がりの陰から、岩の後ろから撃って、込めて、また撃てる。込めるのも、口から込めるよりずっと速い」
修平は手を下ろした。
「伏して撃ち、伏して込むる。——狄承武どのが書き足された兵器は、私の世にありました」
殿の中が静まった。
「それは、そなたの世のどれほど後の銃だ」
皇帝が問うた。
修平は少し考えた。
「私の世の銃は、その後さらに形を変えました。弾を紙ではなく金属の包みに入れるようになり、一度に何発も込められるようになり、引き金を引き続ければ弾が出続けるものまでできました」
殿の中がまたざわめいた。
「臣が今日申し上げるのは、その先のものではありません」
修平ははっきりと言った。
「紙の包みと針で突くものです。私の世でそれが作られたのは、今の銅の火筒の次の、さらに次の段です。そのくらいの段ならこの国の鉄と、鋼と、工作の機械と、職人の手で届くかもしれない。——その先の金属の包みや弾の出続けるものは、今、臣が申し上げても作れません。作れぬものを目当てにすれば、何年も、何も兵の手に渡らない」
修平は韋金森の方をちらと見た。
一丁ではなく、十万丁。
「作れる最も先のもの。——それを目当てにしたいのです」
◇
「作れるのか」
皇帝が言った。
修平は首を振った。
「臣には分かりません。作り方は私の知識外です」
修平は韋金森と、洪克勤と、鄧四の方を手で示した。
「ですから今日は分かる方々にお越しいただきました」
韋金森が一歩前へ出た。
殿の中の皇帝に深く頭を下げてから、韋金森は自分の紙を広げた。前の晩、修平の話を聞いて描いたものだった。
「林詳定の尻から込める銃を、部分に分けてみました」
韋金森は紙の上の区切りを一つずつ指していった。
「一つ。溝を刻んだ筒。筒の鋼はどこも同じ固さでなければなりません。固いところと柔らかいところがあれば、撃ったとき柔らかいところから裂けます」
「二つ。溝。溝の深さとねじれ方が筒ごとに違えば、弾の飛び方が筒ごとに違う」
「三つ。尻の込めるところ。包みがぴったり入る穴。これが大きすぎれば、火薬の火が後ろへ漏れる。漏れた火は撃った兵の顔を焼きます」
「四つ。尻を閉じる仕掛け。閉じたとき隙間がないこと。何百回開け閉めしても緩まないこと」
「五つ。針。紙を突き破り火を付ける薬を叩く。細すぎれば折れる。太すぎれば紙を破れない」
「六つ。火を付ける薬。叩けば必ず火が付くこと。叩かなければ決して火が付かないこと」
「七つ。紙の包み。湿れば火が付かない。破れれば火薬がこぼれる」
「八つ。狙いを付ける目当ての金具」
韋金森は紙を下ろした。
「八つのうち一つでも寸法が狂えば、その銃は火が漏れるか、火が付かないか、筒が裂けるか、込められないか、どれかになります」
殿の中が静かになった。
「一丁なら、名工が何月もかけて作れるかもしれない。——十万丁を同じに作るには、この春、軍器監の作坊で申し上げた型と工程とねじが要ります」
◇
洪克勤が口を開いた。
「軍器監として申し上げます」
洪克勤は皇帝に一礼した。
「今軍器監には銅の火筒が二百。鋳型と鋳る職人がおります。——林詳定の尻から込める銃を一から新しく作るには、筒を削る機械も、鋼もまだございません。韋金森どのの機械が軍器監に入るのは、早くて二年、三年先」
洪克勤は少し間を置いた。
「ですから二つの段に分けてはいかがでしょうか」
「二つの段」
「一つ目の段は、今ある火筒と今ある作坊でやれることをやります。今ある火筒の筒の内に溝を刻めるか。尻に込める口を開けられるか。紙の包みを作ってみる。火を付ける薬を試してみる。——うまく行かぬことが山ほど出ましょう。尻の閉じ目から火が漏れる。筒が強い火薬に耐えぬ。撃った後の包みの燃え残りが、尻の中に張り付く。泥と雨で仕掛けが動かなくなる。——どこで何がうまく行かぬかを知るための段です」
洪克勤は鄧四を見た。鄧四は黙って頷いた。
「二つ目の段は、韋金森どのの機械と杜布林どのの鋼が揃ってから始めます。一つ目の段で知ったことを全て図と型に書き込んで、一から新しく作る。——十万丁を作る段です」
皇帝はしばらく洪克勤を見ていた。
「急げばかえって届かぬ、か」
「回らねば辿り着けませぬゆえ」
洪克勤は言った。
◇
「枢密院として一つ懸念がございます」
楊崇武が言った。
殿の中の目が枢密使に集まった。
「銃が三百歩、四百歩で当たり、伏して速く込められる。——それはよい。だが速く込められるということは、兵が速く撃つということだ」
楊崇武は修平を見た。
「神臂弓の兵は一戦で矢を三十、四十射る。矢が尽きれば射られぬ。——速く込められる銃の兵は、一戦で弾をいくつ撃つ。百か。二百か。十万の兵がそれぞれ百ずつ撃てば、一戦で弾が千万」
殿の中がしんとした。
「その弾を誰が作る。どうやって戦場まで運ぶ。——兵が恐ろしさのあまり敵の見えぬうちから撃ち尽くしたら、どうなる」
修平は楊崇武の顔を見た。
五年前、国境の平原の報せを受けたとき、自分は早く終わる、と言った。矢と鉄の詰まりを一時のことだと判じた。
あのとき自分が見なかったのはこの話だった。
「枢密使の言われる通りです」
修平は言った。
「私の世でもそれは起きました。新しい銃を持った兵が弾を撃ち尽くし、弾の荷車が追いつかなかった。——ですから銃を作るのと同じ時に、三つのことを作らねばなりません」
修平は指を一本立てた。
「一つ。兵がいつ何歩で撃つか。撃ってよい距離を兵が目で判じられるように、教える。撃つ前に狙う。数を数えて撃つ。その教えを書物にして兵に叩き込む」
二本目。
「二つ。兵が一人いくつの弾を持って出るか。隊がいくつの弾を荷車に積んでいくか。それを数で決めておく」
三本目。
「三つ。散って伏せる兵を誰がどう率いるか。密な列なら、将の号令が全ての兵に届きます。散った兵には届かない。——十人か二十人ずつの小さな組に分け、組ごとに長を置く。その長が自分の組の兵にいつ撃つか、いつ下がるかを決める」
楊崇武が目を細めた。
「組の長に決めさせる、か」
「はい」
修平は頷いた。
「五年前、ヴォルガルの捕虜が申したそうです。自分たちの小隊には何を押さえろ、とだけ命じられる。どうやって押さえるかは隊が決める、と」
楊崇武は長く黙っていた。
「……それは銃の話では、もうないな」
「はい」
修平は言った。
「兵をどう集め、どう教え、どう分け、どう率いるかの話です。——銃がその話を連れてまいります」
楊崇武はゆっくりと頷いた。
「ではその話は枢密院と兵部で預かろう。銃ができるまでの間に」
兵部尚書の呉承烈が楊崇武の方をちらと見た。
兵を教える書物は兵部の軍の学びの務めか。兵の組の分け方は枢密院の兵籍の務めか。——呉承烈は何も言わなかった。けれどその目はそう問うていた。
楊崇武も何も言わなかった。
◇
「沈維新」
皇帝が言った。
工部尚書が一歩前へ出た。
「工部と軍器監とでこれを預かれ。——林詳定の言う尻から込める銃を目当てとする。洪克勤の言う二つの段で進めよ。韋金森は工部と軍器監の間に立ち、型と機械の話を繋げ」
「承りました」
沈維新が頭を下げた。
「林詳定」
皇帝は修平を見た。
「そなたはこれでよいか」
二年半前の電信のときと同じ問いだった。
修平は頭を下げた。
「臣が申し上げられるのはここまでです」
修平は顔を上げた。
「その銃があったこと。何ができてなぜ要るのか。どの段のものを目当てにするか。——筒の鋼も、溝の刻み方も、尻の閉じ方も、紙の包みを湿気から守る術も臣には分かりません。臣が口を出せば、必ずどこかで誤ります」
修平は韋金森と、洪克勤と、鄧四を見た。
「作るのはこの方々です」
◇
廷議の後、宮城の廊下で、鄧四が修平に追いついてきた。
老いた作頭はしばらく修平の横を黙って歩いた。
「林詳定」
鄧四は前を向いたまま言った。
「尻から込める。——閉じたときに隙間がないこと。何百回開け閉めしても緩まぬこと」
「はい」
「わしが四十年、弩機の牙でやってきたことと同じだ」
鄧四は立ち止まった。
「弩機の牙も、何千回弦を掛け、放しても緩んではならぬ。緩めば弦が勝手に外れる。兵の指が飛ぶ」
鄧四は修平を見た。
「……一つ目の段は、わしにやらせてもらいたい」
修平は鄧四の節くれだった手を見た。
「型は」
「型も作る」
鄧四は言った。
「作らねば、わしの後の者がわしと同じ四十年をかけることになる」
鄧四は軽く頭を下げ、廊下の先へ歩いていった。
◇
詰所へ戻ると、修平は机の上の狄承武の戦役記を開いた。
余白の細い字の一行。
——伏して撃ち、伏して込むる兵器あらば。
修平はその一行の下に自分の筆で何か書き足そうとして、やめた。
この書物は狄承武のものだった。
そしてあの一行が本当に兵の手に渡るまでに、まだどれだけの人の手と年月が要るのか。溝を刻む機械。均しい鋼。火を付ける薬。紙の包み。十万丁。千万の弾。弾を運ぶ荷車。撃ってよい距離を教える書物。散った兵を率いる組の長たち。
修平は書物を閉じた。
窓の外で夏の日がゆっくりと西へ傾いていた。




