第五巻 軍産業設計 第二回 軍需工場の青図
軍器監の作坊は、開封の城の西、汴河から引いた水路の脇にあった。
門をくぐると、鉄を打つ音が四方から聞こえてきた。一つの音ではなかった。重い音、軽い音、速い音、ゆっくりした音。それぞれの小屋から、それぞれの拍子で鳴っていた。
韋金森は門の内で立ち止まり、しばらくその音を聞いていた。
「揃っていない」
韋金森は言った。杭州の言葉は、三年あまり前に比べてずいぶん滑らかになっていた。
「揃っていない、とは」
修平が訊いた。
「一つずつの小屋が、一つずつの品を初めから終わりまで作っている音です」
案内に立った軍器監の官が、少し顔をしかめた。判軍器監の洪克勤。五十がらみの痩せた文官で、軍器監に十年いる男だった。
「この作坊は太祖の御代から、この形です」
「はい」
韋金森は頷いた。
「悪いと言っているのではありません。——今日は数を数えに来ました」
◇
この春、枢密院と兵部と軍器監から、一つの照会が工部へ回ってきた。
新しい兵器を考える前に、今ある兵器を戦の時にどれだけ作れるのかを調べてほしい。
照会の文には、印が三つ押してあった。枢密院の印と、兵部の印と、軍器監の印。沈維新はその文を、そのまま韋金森に回した。韋金森はその文を、修平のところへ持ってきた。
「数のことなら、林詳定です」
それで、修平はここにいた。
◇
最初の小屋は、神臂弓の弩機を作る小屋だった。
弩機は、弓の弦を引っかけて止め、引き金を引けば弦を放す、銅の仕掛けだ。小さな部品がいくつも組み合わさっている。
小屋の中では職人が五人、それぞれの台に向かっていた。一番奥の台に、年老いた職人が座っていた。作頭の鄧四。弩機を作って四十年になる、と洪克勤が言った。
鄧四は、鋳物から取り出したばかりの牙と呼ばれる部品を、鑢で削っていた。削っては手元の弩機の枠に嵌め、また抜いて削った。
「それは何をしているのですか」
修平が訊いた。
「合わせておる」
鄧四は手を止めずに言った。
「牙はこの枠に合わせて削る。枠は、あの者が鋳たもので、あの者の鋳型は少しだけ右に寄る。だから、牙も少しだけ右を削る」
韋金森が、鄧四の台の横に屈み込んだ。
「その牙を、隣の人の枠に嵌めてもらえますか」
鄧四は手を止めて、韋金森を見た。それから黙って削り終えた牙を、隣の職人の台の上の別の枠に差し込んだ。
牙は入らなかった。
鄧四は少し力を込めた。牙は半分まで入って止まった。
「入らぬ」
鄧四は言った。当たり前のことを言うようだった。
「そちらの枠は、そちらの牙に合わせてある」
◇
小屋を出た後、韋金森は洪克勤に、帳面を見せてほしいと言った。
帳面はちゃんとあった。この作坊のここ十年の、月ごとの、品ごとの出来高。洪克勤が自分で付けさせてきたものだった。
修平は韋金森と並んで、その帳面をめくった。
神臂弓の弩機。熟練の職人一人が、ひと月に十五から二十。作頭の鄧四が見て、一つずつ試し引きをする。試しで落ちるのは、二十に一つほど。
矢。これは多い。けれど鏃を打つ者と、矢柄を削る者と、羽を付ける者の数に限りがある。
火槍の筒。火薬。
帳面の後ろには、洪克勤がこの冬、各路の都作院に問い合わせた返事が綴じられていた。どの路の工房も、鑢と鑿が足りない、と書いてきていた。ある路では、鉄の出どころが三つあり、出どころごとに固さが違った。ある路では、鋳型が古く、同じ型から出た牙の太さが朝と夕とで違った。どの工房も組む段で、一つずつ削り直していた。削り直しに作る時の半分がかかる、と書いてきた工房もあった。
修平は帳面を閉じ、枢密院から写してきたもう一つの帳面を開いた。
五年前、西の遠征。国境の平原から、包囲の三日間まで。三千の兵が、何を、どれだけ使ったか。狄承武の『北西遠征戦役記』の巻末に付けられた表だった。
神臂弓の弩機は壊れる。弦が切れ、牙が欠け、泥が詰まる。三千のうち、神臂弓の兵が千。一つの戦役の間に、弩機の三つに一つが替えを要した。
「三千の兵で、三百余り」
修平は言った。
「この作坊の弩機の職人は何人ですか」
「熟練の者が十二人」
洪克勤が答えた。
「見習いを入れれば、二十人余り」
「一人ひと月に十五として、十二人でひと月、百八十」
修平は算盤を借りて、珠を弾いた。
「三千の兵の一つの戦役なら、二月で足ります」
洪克勤が頷きかけた。
「ですが」
修平はもう一つの紙を出した。枢密院が去年、内々に作った紙だった。北の辺りでもう一度、戦があるなら、どれだけの兵が要るか。
「北の敵ともう一度、戦うとき、枢密院は兵を十万と見積もっております。十万のうち、神臂弓かそれに代わる飛び道具の兵が、三万」
修平は珠を弾き直した。
「三万の兵の三つに一つ。一万。——十二人の職人で、四年半あまりかかります。その間、戦は待ってくれません」
小さな部屋の中が静かになった。
「十二人を百二十人に増やせばよい」
洪克勤が言った。
「鄧四のような職人を百二十人、ですか」
韋金森が言った。
「鄧四どのは四十年かけて、鄧四どのになりました。百二十人の鄧四どのを育てるのに、何年かかりますか」
洪克勤は答えなかった。
「そして百二十人の鄧四どのが作った弩機は、百二十通りの弩機です」
韋金森は帳面を閉じた。
「一つずつはよい弩機です。でも戦場で、ある兵の弩機の牙が欠けたとき、隣の兵の壊れた弩機の牙を嵌めることは、できない。——替えの部品を戦場に送れない。弩機ごと送るしかない」
◇
その日の午後、作坊の空いた小屋を一つ借りて、韋金森は紙を壁に貼っていった。
一枚目の紙には、一本の線が左から右へ引かれていた。線の上にいくつかの区切りがあった。
受け入れ。粗く削る。精しく削る。焼き入れ。組む。調べる。包む。しまう。
「一人の職人が初めから終わりまで作るのを、やめます」
韋金森は言った。
「品をこの線の上で流します。一つずつの区切りに、そこだけをする者を置く。区切りごとに長を置き、帳面を置く。——牙が悪かったとき、どの区切りで悪くなったかが分かるように」
洪克勤が壁の紙を見上げた。
「職人の腕は、どうなる。粗く削る者は、ずっと粗く削るだけか」
「最初は、そうなります」
韋金森は否まなかった。
「腕のよい職人は、精しく削るところと、調べるところに行ってもらいます。そして一番腕のよい職人には、もっと大事な仕事をしてもらいたい」
韋金森は二枚目の紙を貼った。
紙の上には、牙の形が大きく描かれていた。寸法が細かい数字で書き込まれていた。そしてその横に、小さな二つの金具の絵があった。
「型です」
韋金森は言った。
「牙のこの太さ。これより太ければ、入らない。これより細ければ、がたつく。——その間の幅を決めます。その幅に入っていれば、よし。外れていれば、駄目」
韋金森は二つの金具の絵を、一つずつ指した。
「こちらの型には、よい牙は通る。こちらの型には、よい牙は通らない。通るはずの型に通らなければ、太すぎる。通らぬはずの型に通れば、細すぎる。——型の二つで、職人の目を借りずに調べられます」
「その型は誰が作る」
「一番腕のよい職人が」
韋金森は言った。
「鄧四どののような方が、型を作ってくださる。そして元の図と元の型を、軍器監の奥に一つだけしまっておく。全ての作坊が、その元の型から写した型で、牙を調べる。——どの作坊で作った牙も、どの作坊で作った枠に入るように」
修平は韋金森の言葉を、黙って聞いていた。
三年あまり前、求賢局の確かめの場で、この男が同じ棒を二本削り、二本とも同じ筒に通してみせた。あの小さな芸当が今、この壁の紙の上で、国の兵器の作り方そのものになろうとしていた。
韋金森は紙の隅に、小さくねじの山の絵を描いた。
「ねじも同じです。山の高さと、間の広さを国で一つに決める。そうすれば、どこで作ったねじも、どこで作った穴に入る」
◇
「一つ訊きたい」
洪克勤が言った。
「その、調べる者がよしとしなかった品は、どうする」
「捨てます。あるいは戻して直させる」
「数が足りぬときは」
洪克勤は壁の紙を見たまま、言った。
「戦の時、枢密院からひと月に弩機を千、と言ってくる。作坊は九百しか作れぬ。そのうち、百が型に通らぬ。——調べる者はそれでも、百を捨てるのか」
韋金森はすぐには答えなかった。
修平は洪克勤の横顔を見ていた。洪克勤は責めるように言ったのではなかった。十年、この作坊で、枢密院と兵部から数を求められ続けてきた者の声だった。
「捨てます」
韋金森が言った。
「民の品なら、少し悪くても使えます。鍋が少し歪んでいても、湯は沸く。——兵器は違います。型に通らぬ牙が付いた弩機は、戦場で弦を放さぬかもしれない。暴発するかもしれない。火槍の筒なら、破れて兵の顔を焼く」
韋金森は洪克勤を見た。
「品の悪さは、そのまま兵の死になります」
韋金森は指を折った。
「ですから鉄や銅が、どこの山のいつの品かを、受け入れるときに書き付けにして付けさせる。寸法は型で、許す幅を決める。筒は、込める火薬より多い火薬で試しに撃って、裂けないことを確かめる。火の付かぬものがいくつあったかを数える。——そしてどの日に、どの組が作ったものかを、品ごとに後から辿れるようにしておく」
洪克勤は黙った。
「ですから、調べる者に力を持たせねばなりません」
修平が言った。
「作坊の長が、数が足りぬから出せと言っても、調べる者が否と言えば出さない。——その否を、作坊の長の上の役所が覆せないようにしておく。覆すなら、覆した者の名と理由を、帳面に残す」
「それでは作坊の長と調べる者が、いつも喧嘩になる」
「なります」
修平は頷いた。
「喧嘩になるのが、よいのです。喧嘩にならぬ作坊では、数の方がいつも勝ちます」
洪克勤はしばらく修平を見ていた。
それから低く笑った。
「中央銀行の委員を罷免できぬようにしたのと、同じ理屈か」
「はい」
修平は少しだけ笑い返した。
「同じです」
◇
三枚目の紙は、地図だった。
国の北半分。工部の書庫にあるものを、韋金森が小さく写したものだった。黒い丸は石炭。赤い丸は鉄の石。青い線は水の道。そして去年の暮れに賀通遠が引いた、鉄の道の予定の細い墨の線。
「作坊を一つの場所に集めすぎないこと」
韋金森は地図の上の開封の印を指した。
「今は、ほとんどの兵器がここで作られています。——ここが火事になったら。大水が来たら。火薬の小屋が爆ぜたら。北の敵がここまで来たら」
韋金森は指を地図の上で動かした。
「全てが、止まります」
韋金森は地図の上に、小さな印をいくつか付けていった。
汴河と北の石炭の道が交わるあたり。
磁州の鋼の炉の候補地の近く。
淮水と運河の交わるあたり。
長江の中ほどの河港。
「大きな作坊を三つか、四つ。石炭と、鉄と、水の道と、人のいるところに。北の境から十分に離れたところに」
韋金森は印を付け終えた。
「そして四つの作坊は、同じ図と、同じ型と、同じねじで作ります。一つが止まっても、残りの三つの品で替えがきくように」
「四つの作坊を四人の判官が、それぞれに取り仕切ることになるな」
洪克勤が言った。
「そうなります」
「四人とも、自分の作坊の数を多く見せたがる」
「はい」
韋金森は少し困ったように笑った。
「ですから、帳面は同じ形で付けます。統計局の韋明遠どのに見てもらいます」
◇
その日の夕刻、作坊の小屋に使いが来た。
兵部から一人。枢密院から一人。
兵部から来たのは、兵部郎中の曹允恭だった。四十前の、角ばった顔の男で、兵部で装備と軍需の文書を扱っていた。枢密院から来たのは、董元礼だった。
二人は韋金森が壁に貼った紙を、並んで見上げた。
「この四つの作坊を、誰が取り仕切ることになる」
曹允恭が言った。
「作坊の置き場、作る数の割り振り、職人の募り、調べる者の選び方、品をしまう倉。——これは兵部の務めだと、心得ております」
「数は」
董元礼が言った。
「戦の時、ひと月に何をどれだけ作るか。どれだけ蓄えておくか。どの品を先に作るか。——それは戦の見立てから決まる。枢密院が出すべきものです」
「それは承知しております」
曹允恭は董元礼を見た。
「ただ、兵籍も招募も、今は枢密院の務めでもある。職人を募るのは兵を募るのとは違うが、戦の時、作坊の職人を兵に取られては困る。——職人を兵籍から外すかどうか、そこは枢密院と兵部の両方の印が要りましょう」
「要りましょうな」
董元礼は少し苦い顔をした。
韋金森は二人の間で、困ったように修平を見た。
修平は壁の紙の端に、墨で小さく書き足した。
置き場・倉・募り——兵部。
数・蓄え・先後——枢密院。
図・型・ねじ・炉——工部・軍器監。
職人の兵籍——両方の印。
書き足しながら修平は、この四行がこの後、何通の照会の文を生むのだろう、と思った。
曹允恭と董元礼は、書き足された四行を黙って見ていた。
「……当分は、これで」
曹允恭が言った。
「当分は」
董元礼も言った。
どちらの声にも、この四行で済むとは思っていない響きがあった。
◇
作坊を出る前に、韋金森はもう一つの話をした。
「官の作坊だけでは足りません」
韋金森は言った。
「戦になれば、今の十倍、二十倍の品が要るかもしれない。官の作坊を平時から二十倍にしておけば、平時は職人が遊ぶことになる」
「では、どうする」
曹允恭が訊いた。
「民の工場を使います」
韋金森は地図の上のいくつかの町を指した。
「これから国中に民の工場が増えます。鍋を作る工場。農の道具を作る工場。蒸気の機械を作る工場。——その中で国の図と、国の型と、国のねじで品を作れる工場を、平時から帳面に載せておきます。国が調べて認める。認められた工場は、平時は鍋や鋤を作る。戦になれば、国の注文で弩機の部品や、弾や、車輪を作る」
「民の工場が、戦の注文を嫌がったら」
「嫌がらないように、平時から少しずつ、国の注文を出しておきます。型を貸し、調べ方を教える。——認められた工場には、国が注文の先を約束します」
修平は太府寺の范汝舟の丸い顔を、思い浮かべた。これは、市の売り買いの話にも関わってくる。
「火薬は」
董元礼が言った。
「火薬の小屋を、民の工場に作らせるわけにはいきますまい」
「火薬は別にします」
韋金森はきっぱりと言った。
「火薬と、火を付ける仕掛けを作るところは、銃や弩機を作るところから離します。土を盛った壁で囲み、雷を避ける柱を立て、水の槽を置く。入る者と出る者を門で数える。鉄の道具も、鉄を打った靴底も持ち込ませない。——羅蘭徳どのに、爆ぜるものの工場の決まりを作っていただいております」
韋金森は壁の紙を、一枚ずつ剥がし始めた。
「それから職人を育てる場所。怪我をした職人への償い。作坊の中のことを外へ漏らさぬ決まり。作坊を守る兵。——作坊は建てて終わりではありません。毎日動かし続けるものです」
修平は剥がされていく紙を見ながら、去年の暮れの賀通遠の言葉を思い出していた。
鉄の道は、毎日動いている長い、長い堤のようなものでございます。
◇
作坊の門を出たとき、日は西の城壁に沈みかけていた。
門の脇で、鄧四が欠けた茶碗で白湯を啜っていた。
韋金森は鄧四の前で足を止めた。
「鄧四どの。お願いがあります」
鄧四は茶碗を下ろした。
「型の話か」
鄧四は聞いていたのだった。
「わしの牙を型で調べるのか」
「いいえ」
韋金森は首を振った。
「鄧四どのに、型を作っていただきたいのです。——国中の全ての牙を調べる、元の型を」
鄧四はしばらく何も言わなかった。
作坊の奥で、どこかの小屋の炉が、夕闇の中に小さく赤く光っていた。
「わしが作った型に、わしの牙が通らなんだら、どうする」
韋金森は少し考えた。
「そのときは、鄧四どのが一番よく分かっておられるはずです。型と牙の、どちらが悪いのか」
鄧四は茶碗の底に残った白湯を、足元に撒いた。
「……考えておく」
それだけ言って、鄧四は小屋の方へ戻っていった。
韋金森はその背中を見送っていた。
「新しい兵器を作ることより」
韋金森が言った。
「同じ兵器を何度でも、同じように作れることの方が、ずっと難しい」
修平は頷いた。
それは、金の話でも同じだった。一度だけ、うまく利を下げることはできる。毎年同じ決まりで、同じ筋道で、利を決め続けることの方が、ずっと難しい。
「林詳定」
韋金森は修平を見た。
「この次の廷議で、銃の話をなさると聞きました」
「はい」
「どんな銃でも構いません」
韋金森は言った。
「ただ、この作坊で作れる銃にしてください。一丁ではなく、十万丁」
修平は作坊の奥から聞こえてくる、揃わない槌の音を、しばらく聞いていた。




