第四巻 産業設計 第十四回 蒸気船の提案
汴河の水は、秋の終わりには、ひどく浅くなる。
邵鳴岐は、開封の東水門の外の、河岸の石段に立って、上ってくる糧船の列を見ていた。
一艘の船に、綱が三本。綱の先は、河岸の曳き道へ伸び、そこで、二十人ほどの男たちが、肩に綱を掛け、身体を前へ倒して、一歩ずつ、土を踏みしめていた。船は、その男たちの歩みと同じ速さで、ゆっくりと、上ってくる。
その後ろに、また一艘。また二十人。その後ろに、また一艘。
列は、河の曲がりの向こうまで、続いていた。
ときどき、先頭の船が、浅瀬に腹をこすって、止まる。すると、後ろの船も、全部、止まる。男たちが、綱を緩め、竿を持って河に入り、船を押す。船頭が、怒鳴る。やがて、船が浅瀬を越え、また、列が動き出す。
「一日に、何里」
隣で、托馬斯・貝爾が、問うた。
「この時期なら、二十里も進めば、よい方です」
邵鳴岐は、答えた。
「風がよければ、帆で進む。風がなければ、人が曳く。逆風なら、人が曳いても、ほとんど進まぬ。——江南から開封まで、糧船が、何日かかるかは、その年の、風と水次第でございます」
邵鳴岐は、明州の船場の監官だった。三十年、海を渡る船と、河を行く船を、造ってきた。工部から、蒸気の機械で動く船の話がある、開封へ来い、と呼ばれたのは、この夏だった。
貝爾は、しばらく、曳き道の男たちを見ていた。
「決まった日に、着かない」
「着きませぬ」
邵鳴岐は、頷いた。
「開封の倉の役人は、糧船が着いたら、倉を開ける。着かねば、待つ。——待つ間、開封の米の値が、少し、揺れる」
◇
「最初に、申し上げておきます」
工部の書庫で、貝爾は言った。
「私は、船を、造れません」
卓を囲んでいた者たちが、顔を上げた。
沈維新。都水監の官が一人。明州から邵鳴岐。潭州の船場から、河船の船匠の親方が一人。泉州から、海船の船匠の親方が一人。それに、太府寺の范汝舟と、修平。
「船の形。どこに、どれだけの木を使うか。水の中で、どう傾き、どう戻るか。舵を、どう切るか。——それは、ここにおられる、船の方々の仕事です。私が知っているのは、船を動かす機械のことだけです」
貝爾は、黒い板に、船の絵を描かなかった。代わりに、一つの箱と、その脇に、大きな輪を描いた。輪には、何枚もの板が、放射状に付いていた。
「船の中に、蒸気の機械を置く。機械で、船の両脇の、この輪を回す。輪の板が、水を後ろへ掻く。船は、前へ進む」
潭州の河船の親方が、腕を組んだ。
「踏み車の船と、同じですな」
貝爾は、驚いた顔をした。
「……この国には、それも、あるのですか」
「ございます」
河船の親方は、言った。
「船の中で、人が、踏み板を踏んで、脇の輪を回す。昔、湖で、官軍が賊と戦うときに、使うたと聞いております。今も、湖や、流れの緩い河で、少しは使う」
貝爾は、しばらく黙っていた。
それから、笑った。
「では、話が、早い。——その、人が踏んでいたところに、蒸気の機械を、置くのです」
◇
「最初から、大きな船は、造りません」
貝爾は、言った。
「海を渡る船でも、軍の船でも、ありません。河を、上り下りする船。それほど、速くなくていい」
「遅い船を、なぜ、わざわざ造る」
都水監の官が、問うた。
「遅くても、決まった日に、着くからです」
貝爾は、邵鳴岐の方を見た。
「今朝、汴河で、糧船が上ってくるのを、見ました。風がなければ、人が曳く。逆風なら、ほとんど、進まない。浅瀬で、止まる。——この船は、風がなくても、逆風でも、自分で進む。人が曳くのより、少し速いくらいでも、毎日、同じだけ、進む。——人を乗せても、文を運んでも、いつ着くかが、分かる」
貝爾は、黒い板に、日の数を書いた。
「江南から、開封まで。今は、何日かかるか、分からない。この船なら、何日で着くと、出る前に、言える。——着く日が分かれば、開封の倉は、その日に、倉を開ければいい。商人は、その日に、市に品を出せばいい。銭を借りる者は、その日までの、利を払えばいい」
末席の詳定官が、小さく呟くのが、邵鳴岐の耳に入った。
「速さより、決まった日」
范汝舟が、隣で、頷いた。
◇
「船を一艘造っても、船は、走りませぬ」
邵鳴岐が、言った。
皆が、邵鳴岐を見た。
「蒸気の機械は、石炭を、食うのでございましょう」
「食います」
貝爾は、頷いた。
「では、その石炭を、船に、どれだけ積める。積んだ石炭で、何里、走れる。走りきったら、どこで、石炭を積み足す」
邵鳴岐は、立ち上がり、黒い板の前へ出た。貝爾が、白い石の棒を、邵鳴岐に渡した。
邵鳴岐は、貝爾の描いた箱と輪の絵の周りに、字を書き込んでいった。
船の体。機械。湯を沸かす釜。輪と、輪を回す軸。舵。石炭を積む場所。釜に入れる水。
それから、黒い板の余白に、一本の長い線を引いた。河の線だった。線の上に、いくつもの丸を、間を空けて描いた。
「石炭を積み足す港。水を入れる港。機械が壊れたときに、直す工場。——それが、この河の上に、いくつも、要ります。船は、港から港へ、走るのではない。港が、先に、なければならない」
貝爾は、邵鳴岐の描いた線を、じっと見ていた。
「その通りです」
「それから」
邵鳴岐は、線の横に、さらに書き込んだ。
いつ出て、いつ着くかの、表。乗る者の、運賃。荷を積む者の、運賃。荷を、前もって、頼んでおく帳面。船が沈んだとき、荷の損を分ける、保険。
「船を一艘、造るのではございませぬ」
邵鳴岐は、白い石の棒を置いた。
「航路を、一本、造るのです。船は、その道具の一つにすぎませぬ」
范汝舟が、身を乗り出した。
「運賃と、荷の予約と、保険は、太府寺が、商人たちと詰められます」
「石炭を積み足す港は、坑冶寺と、都水監で、場所を決めることになろう」
沈維新が、言った。
「坑の近くの河港から、石炭を、舟で下ろす。その石炭を、航路の港で、船に積む」
貝爾は、黒い板を見上げた。自分が描いた、小さな箱と輪の絵は、邵鳴岐の書き込みに、すっかり埋もれていた。
「……私の国でも、最初の蒸気の船を造った者たちは、ほとんど、失敗しました」
貝爾は、言った。
「船は、動いた。でも、航路が、なかった。石炭が、どこにもなかった。乗る者も、荷を預ける者も、その船を、信じなかった」
◇
「一つの船の形で、全国の河を行くことは、できませぬ」
潭州の河船の親方が、言った。
「長江の中流は、深くて、広くて、流れが速い。運河は、狭くて、浅くて、橋が低い。汴河は、秋になれば、今朝ご覧になった通り。——海沿いは、波が高い」
親方は、指を折った。
「長江の船は、強い機械で、流れに逆らえねばならぬ。運河の船は、腹が浅く、幅が狭く、橋の下を、くぐれねばならぬ。海沿いの船は、波に、耐えねばならぬ」
「それから、曳く船」
泉州の海船の親方が、付け加えた。
「機械を積んだ船が、自分は荷を積まずに、荷を積んだ船を、何艘も、綱で曳く。そうすれば、今ある糧船を、そのまま、使える」
貝爾は、その言葉に、目を見開いた。
「それは、いい」
「汴河の曳き手の代わりを、船がする」
邵鳴岐が、言った。
「最初は、それが、一番、役に立つかもしれませぬ」
◇
「船の体は、何で造る」
沈維新が、問うた。
「杜布林どのは、いずれ、鉄で、とお考えのようだが」
「最初は、木で」
邵鳴岐が、答えた。
「明州も、潭州も、泉州も、木で船を造る腕は、世にどこにも負けませぬ。——鉄の船は、鉄の板が、同じ厚さで、何百枚と揃うようになってから。それまでは、木の船に、蒸気の機械を、載せる」
「機械の重さに、木の船が、耐えられるか」
「耐えられるように、造ります。機械を載せるところだけ、骨を太くし、鉄の帯で締める」
泉州の親方が、頷いた。
「木と鉄を、合わせた船でございますな。——まずは、それで、どこが弱いかを、見る」
貝爾は、黒い板の端に、書き足した。
「船の機械は、工場の機械より、軽く、小さく、石炭を食わないものでなければ、なりません。船は、積んだ石炭の分だけ、荷が積めなくなるから。——工場の機械よりも、強い湯気を使うことになる。釜は、工場より、危うくなる」
貝爾は、少し間を置いた。
「船の釜が裂ければ、逃げる場所が、水の上には、ありません」
書庫の中が、静かになった。
「ですから、船の機械は、工場の機械より、後にします。工場で、強い湯気の釜を、何年か焚いて、どこが裂けやすいかを、帳面に溜めてから」
◇
「枢密院から、一つ、言付かっております」
都水監の官が、言った。
「水軍が、この船に、関心を持っております。風がなくても進む船ならば、戦の船にもなろう、と」
書庫の中の目が、沈維新に集まった。
沈維新は、しばらく黙っていた。
「……第一の船は、民の荷を運ぶ船とする」
やがて、沈維新が言った。
「戦の船は、別に議す。この場では、決めぬ」
「なぜ、でございますか」
「戦の船を先に造れば、航路ができぬ」
沈維新は、邵鳴岐の描いた、河の線を指した。
「戦の船は、港から出て、戦をして、港へ帰る。——民の船は、毎日、同じ港を出て、同じ港へ着く。石炭の港も、直す工場も、運賃も、保険も、その毎日から、育つ。毎日走る船がなければ、港は、育たぬ」
沈維新は、都水監の官を見た。
「枢密院には、民の航路が育ってから、その港と、その工場を使って、戦の船を議してほしい、と伝えよ。——鋼と同じだ。民の工場で、先に、根を育てる」
邵鳴岐は、末席の詳定官が、沈尚書の横顔を、何かに感じ入ったように見ていることに気づいた。
◇
「鉄の道とは、競うのか」
都水監の官が、問うた。
「林詳定が、いずれ、鉄の道の話をされると、聞いておる」
末席の詳定官が、少し驚いた顔をした。
貝爾が、答えた。
「競いません」
貝爾は、黒い板の、河の線の上の港の丸から、一本の線を、河から離れる方へ、引いた。
「河は、重いものを、安く運ぶ。でも、河のないところへは、行けない。鉄の道は、河のないところへ、行ける。でも、重いものを運ぶのは、河より、高くつく。——河の港と、鉄の道の駅を、繋ぐ。石炭は、坑から鉄の道で河港へ。河港から、船で。鉄は、船で運んで、河港から、鉄の道で、工場へ」
「それに」
邵鳴岐が、付け加えた。
「洪水の時。堤が切れて、陸の道が、水に沈む。そういう時に、流れに逆らって、救いの米と人を運べる船があれば。——曳き手は、洪水の河では、曳けませぬ」
末席の詳定官が、何かを思い出したように、目を伏せた。
◇
話し合いの後、邵鳴岐は、もう一度、東水門の外の、河岸の石段に出た。
日は、傾いていた。
糧船の列は、まだ、続いていた。曳き道の男たちは、朝と同じように、肩に綱を掛け、身体を前へ倒し、一歩ずつ、土を踏みしめていた。
邵鳴岐は、その男たちの背中を、しばらく見ていた。
いずれ、この曳き道を、人が歩かなくなるかもしれない。
一艘の船が、煙を吐きながら、自分で、上ってくる。その後ろに、綱で繋がれた糧船が、五艘、六艘と、続いてくる。曳き道には、誰もいない。
そのとき、この男たちは、どこで、何をしているのだろう。
邵鳴岐には、分からなかった。
河岸の石段の下で、曳き手の一人が、休みの合図で、綱を肩から外した。汗を拭い、河の水で、顔を洗った。まだ若い男だった。
邵鳴岐は、その男が、また綱を肩に掛け、身体を前へ倒すのを、見ていた。
それから、懐から、小さな帳面を取り出した。
今日の、汴河の水の深さ。糧船の列の、長さ。一艘に付いた、曳き手の数。浅瀬で止まった、回数。
全部、書き留めた。
いつか、この河に、煙を吐く船が走る日が来たら、今日のこの数と、比べられるように。
そして、最後に、一行、書き足した。
——曳き手、一艘に二十。この者たちの行く先も、いずれ、議すべし。




