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第四巻 産業設計 第二回 技術の座

 求賢局の奥の一室で、陸秉文は、卓の上に三枚の紙を並べた。


「確かめ方を、決めねばなりませぬ」


 陸秉文は、細い指で、紙の一枚目を叩いた。


「聞き取りの記録は、もう五百を超えました。そのうち、会って話を聞く価値があると吏員が判じた者が、百余り。その百余りの中で、本当に、林詳定と同じように、どこか別の世から来た者は、何人いるのか。ただの腕の良い職人は、何人か。嘘をついておる者は、何人か。——それを、見分けねばならぬ」


 修平は、紙を見下ろした。


 一枚目には、求賢局が最初に考えた確かめ方が書かれていた。


 未来から来たと申し立てる者には、未来の国の名と、未来の帝の名と、未来の暦を問う。


「これでは、足りないと思います」


 修平は、言った。


「なぜ」


「私が、未来の国の名を答えたとして、それが本当かどうかを、求賢局の皆様は、どうやって確かめますか」


 陸秉文は、口を閉じた。


「私の国の名も、今の帝の名も、暦の名も、私は答えられます。けれど、皆様には、それが本当かどうか、確かめる術がない。私が嘘を言っていても、分からない」


 修平は、少し間を置いた。


「それに、一つの問いに答えれば認める、という確かめ方にすれば、その問いと答えが、いずれ漏れます。漏れれば、誰でも、それを覚えて答えられるようになる」


 陸秉文は、しばらく修平を見ていた。


「では、どうする」


  ◇


「一つの問いではなく、いくつもの問いを、組み合わせます」


 修平は、紙の二枚目を取り、その上に書き始めた。


「まず、その者が、自分はどこから来たと申し立てているかを聞きます。いつの時代の、どこの国の者か。何を生業にしていたか。何を学んだか」


「そして、その申し立てに応じて、問いを変えます」


 修平は、紙に、いくつかの欄を作った。


「私のように、ずっと後の世から来たと申し立てる者には、その世の暮らしの細かいことを、いくつも問います。一つだけではなく、互いに繋がったことを。そして、その世の者なら誰でも、自然に身についている技を、その場でやってもらいます」


「技とは」


「例えば、数の書き方です」


 修平は、紙の余白に、十進の位取りの数字で、簡単な筆算を書いた。


「私の世の者なら、子どもでも、この書き方で、足し算と掛け算ができます。それから、こういうものも」


 修平は、紙に、「x」と「y」という記号を書き、その下に、簡単な式を書いた。


「分からない数を、記号で置いて、式を解く。私の世では、十二、三の子どもが、学び舎で習います。——この国の者は、この記号を、見たことがありません。けれど、私の世の者なら、この式を見れば、すぐに、何を問われているのかが分かる」


 陸秉文が、紙に顔を近づけた。


「……確かに、見たことのない印だ」


「こういう問いを、いくつも組み合わせます。一つだけなら、誰かに教わって覚えることもできます。けれど、十も二十も、互いに繋がった問いを、その場で、筋を通して答え続けることは、本当にその世で暮らした者でなければ、難しい」


 修平は、紙の別の欄を指した。


「私より前の世から来たと申し立てる者には、その世の技や、事件や、制度を問います。その世の者が知っていて、この国の者が知らないはずのことを。——それから、技を持つと申し立てる者には、その技そのものを試します。鉄を扱う者には、炉を見せ、どう改めるかを問う。機械を扱う者には、図を描かせる。薬を扱う者には、実際に、薬を作らせる」


 陸秉文は、紙を見つめていた。


「その上で、その者の持ち物を見ます。この国にないはずの物を持っているか。それから、その者が、この国に現れた時の、土地の者の証言。そういうものを、全部、突き合わせる」


 修平は、紙を陸秉文の方へ押し出した。


「本物の者にとっては、答えるのが易しい。自分が暮らしてきた世のことを、自然に答えればよいのですから。偽る者にとっては、答え続けるのが難しい。偽りを、十も二十も、筋を通して重ね続けなければならないのですから」


 陸秉文は、しばらく黙って、紙を読んでいた。


 やがて、顔を上げた。


「吏部で二十年、官の身元を調べてまいりました」


 陸秉文は、言った。


「偽りの履歴を見破るのも、同じことです。一つの問いでは、見破れぬ。問いを重ねて、話の筋がどこかで崩れるのを待つ。——林詳定の言われることは、よく分かります」


 陸秉文は、紙を手元に引き寄せた。


「確かめ方の欄を、もっと細かく作りましょう。どの世の者には、どの問いを。どの技の者には、どの試しを。吏員が、誰でも同じように確かめられるように」


  ◇


 確かめは、秋の終わりから冬にかけて、続いた。


 求賢局の奥の部屋で、陸秉文と、その下の吏員たちと、修平が、一人ずつ、候補の者に会った。


 磁州の炭坑から来た、灰色の目の男は、名を托馬斯・貝爾といった。本人が名乗ったのは、トマス・ベル、という音だった。西の果ての島の国で、炭坑と、そこで水を汲む機械を扱っていた、と申し立てた。


 修平は、その男に、紙と筆を渡した。


 男は、しばらく筆の扱いに戸惑っていたが、やがて、紙の上に、図を描き始めた。


 縦に深く掘った坑。その底に溜まる水。坑の口の上に据えた、大きな筒と、その中の動く栓。筒の下で焚く火。筒に満ちる蒸気。蒸気を冷やすと、筒の中の圧が下がり、外の空気が栓を押し下げる。栓に繋がった長い棒が、坑の底の水を汲み上げる。


 修平は、その図を見て、息を呑んだ。


 大学の経済史の講義で、一度だけ、見たことのある図だった。産業が興り始めた頃の、最初の蒸気の機械。


 そして、男は、その図の横に、別の図を描いた。


 同じ機械の、改めた形。どこをどう改めるのかは、男の言葉がまだ拙く、修平には、よく聞き取れなかった。


 修平は、それ以上のことは、分からなかった。


 けれど、分からないことが、分かった。


 この男は、修平の知らないことを、知っている。


  ◇


 杭州の時計屋から来た、色の白い、目の青い職人は、名を韋金森といった。ジェームズ・ウィルキンソン、と名乗った。やはり西の果ての島の国で、鉄を削る台と、筒の内側を正確に削る機械を作っていた、と申し立てた。


 韋金森は、確かめの場に、自分で作ったという小さな削り台を持ってきていた。


 その台の上で、韋金森は、真鍮の棒を、目の前で削ってみせた。削り終えた棒を、別の真鍮の筒に差し込むと、棒は、隙間なく、滑らかに筒の中を動いた。


 立ち会った工部の技官が、声を上げた。


 韋金森は、それから、同じ棒を、もう一本、削った。そして、その二本目の棒も、同じ筒に、同じように、隙間なく差し込んでみせた。


「一本だけなら、腕の良い職人なら、作れる」


 韋金森は、たどたどしい杭州の言葉で言った。


「同じものを、二本、三本、百本、同じように作る。そのための台と、そのための物差しが、要る」


 修平は、その言葉を聞いて、軍器監の報せを思い出した。


 神臂弓を一張、見事に作ることは、腕の良い職人ならできる。だが、同じ寸法、同じ強さの部品を、何百、何千と、繰り返し作ることは、別のことだ。


  ◇


 成都の薬種商から来た男は、羅蘭徳と名乗った。エティエンヌ・ローラン。海を越えた大陸の、西の国で、薬と、酸と、灰汁を、工房で大量に作ることを学んでいた、と。


 河東路の鍛冶屋から来た男は、杜布林と名乗った。アンリ・ドゥブリュイヌ。同じ大陸の、別の国の、炭と鉄の町で、炉を扱っていた、と。


 江南東路の村から来た百姓は、許稼民と名乗った。この国と同じ言葉を話した。ただ、自分がいた国には、皇帝がいなかった、と言った。国の名を問うと、中華の民の国、と答えた。そこで、田と、肥料と、作物の種を、学んでいた、と。


 書院の老講師は、章太厳と名乗った。やはり、皇帝のいない中華の民の国の、学者だった、と。字の音を記号で書き表す方法を、その国で考えていた、と。


 もう一人、許稼民や章太厳と同じ国から来たと申し立てる、五十代の男がいた。名を周学衡といった。その国で、大学という学び舎を造り、学問を国の仕組みにすることを、仕事にしていた、と。


 ある者は、確かめの途中で、話の筋が崩れた。


 五百年後から来たと言い張った男は、x と y の式を見せられて、首を傾げた。十進の位取りの筆算も、できなかった。未来の国の名を問われるたびに、答えが変わった。


 陸秉文は、その男に、丁寧に礼を言い、旅の費えを渡して、帰した。


 ある者は、転生者ではなかった。けれど、この国に生まれ、自分の力で、新しい技を見つけた者だった。


 杭州の時計屋で、韋金森と並んで働いていたという、宋人の老いた時計職人がいた。名を蘇玄機といった。韋金森が、自分の削り台は、この男の手がなければ作れなかった、と言って、求賢局へ連れてきたのだった。蘇玄機は、水の力で天の運行を刻む大きな時計の、歯車の仕組みを、何十年も扱ってきた職人だった。


「この方は、転生者ではありません」


 陸秉文が、修平に言った。


「ですが、求賢局の名簿には、載せるべきでしょうな」


「載せてください」


 修平は、頷いた。


「この国の中にも、答えを見つけられる者がいます。その者たちも、求賢局が探すべき人です」


  ◇


 その年の暮れ、御前廷議で、求賢局からの最初の報告が行われた。


 王懐遠が、提挙として、それを読み上げた。


「求賢局が、この半年で、国中から集めた聞き取りの記録は、六百余り。そのうち、求賢局の吏員が出向いて会った者は、二百余り。さらに、確かめを行った者は、百二十余り」


 王懐遠は、紙をめくった。


「確かめの結果、この国の外の、別の世から来たと認めるに足る者は、百に近い」


 殿の中が、ざわめいた。


「その者たちの出どころは、ばらばらでございます。林詳定と同じく、ずっと後の世の、東の海の島の国から来た者。西の果ての島の国や、海を越えた大陸の国々から、それぞれ、百年、二百年と隔たった世から来た者。この国と同じ言葉と字を持ち、皇帝のいない、中華の民の国から来た者」


 王懐遠は、顔を上げた。


「そして、これは、まだ、始まりにすぎませぬ。聞き取りの記録は、今も、毎月、国中から届いております。確かめを待つ者は、まだ多い。——潜在的には、さらに多くの者が、この国のどこかにいると、求賢局は推しております」


 殿の中が、しばらく静かだった。


 修平は、説明員の位置で、正面の座を見上げた。


 趙祺は、黙って、王懐遠の報告を聞いていた。


 四年あまり前、李徳彰の部屋で、ノートパソコンの底が開かれた。後の世から来た、という説明を、今のところ最も筋の通った仮説として受け入れる、と李徳彰は言った。


 今、その仮説は、百の者によって、裏付けられていた。


「その者たちを、どうする」


 趙祺が、問うた。


「その者たちの専門は、多岐にわたります」


 王懐遠が、答えた。


「鉄と炉。炭坑と、水を汲む機械。鉄を削る機械。薬と酸と灰汁。田と肥料。字の音。学び舎。土木。——求賢局は、その専門に応じて、工部、坑冶寺、軍器監、司農寺、国子監などへ、それぞれを推しております。推された役所が用いたいと望めば、吏部の常の手続きを経て、任じます」


 王懐遠は、少し間を置いた。


「ただ、一つ、問題がございます」


「申せ」


「その者たちを、ばらばらの役所に、一人ずつ配るだけでは、その者たちの知っていることが、その者一人の頭の中に留まります。その者が死ねば、あるいは別の役所へ移れば、その知は、失われます。——その者たちの知を、この国の中で、受け継ぎ、育てる仕組みが、要ります」


 趙祺は、修平の方を見た。


「林詳定。そなたは、どう考える」


 修平は、拝礼した。


「その問いには、私より、ふさわしい者がおります」


 修平は、言った。


「求賢局が確かめた者の中に、周学衡という者がおります。学問を、国の仕組みにすることを、仕事にしていた者です。——その者に、次の廷議で、申し述べさせていただきたいと存じます」


  ◇


 話は、一年あまり前に遡る。遠征の軍が国境の門へ退いた、その年の秋の終わりから冬にかけてのことである。


 東ロマニエの国境の町、テオドリア。


 狄承武は、城壁の内側の、石造りの施療院の中庭に立っていた。


 施療院は、ロマニエの教会が営むものだった。中庭を囲む回廊の下に、寝台が並べられ、その上に、大宋の傷ついた兵たちが寝かされていた。四百余。そのうち、歩けぬ者、二百余。


 ロマニエの聖職者たちと、施療院の医師たちが、寝台の間を行き来していた。傷を洗い、薬を塗り、包帯を巻き直していた。


 聖職者たちは、大宋の兵の傷に手をかざし、何かを小さく唱えることがあった。すると、傷の周りの熱が、少し引いた。癒やしの術だった。


 けれど、聖職者たちは、大宋の兵の頭上で、祝福の言葉は、決して唱えなかった。公会議の決議の通りに。


 ドゥクス・レオンティオスが、大宋の兵のために、城内の空いた兵舎を開けた。プラエフェクトゥス・プラエトリオの官署が、大宋の兵の糧を、冬の間じゅう、立て替えた。マギステル・オフィキオルムの系統の工房が、壊れた大宋の兵の武具を、直せるものは直した。


 ステファノス・ヴァリダスが、狄承武のもとを訪ねてきたのは、退却から十日ほど経った頃だった。


「そなたの兵は、我が兵と、同じ野で戦った」


 ステファノスは、施療院の中庭を見渡しながら言った。


「限られた共同の防衛の範囲の内で、と陛下は仰せになった。——傷ついた兵を癒やし、冬を越させることも、その内だと、私は思う」


 狄承武は、深く頭を下げた。


 言葉が、出なかった。


  ◇


 夜、狄承武は、一人で、兵舎の一室にいた。


 卓の上に、急使で先に送った戦役の記録の、書き足しの下書きが、広げられていた。


 狄承武は、その下書きを、何度も読み返していた。


 なぜ、あの誘いに、気づけなかったのか。


 乾河床で、カタフラクタイと玄甲の一隊が、川の床を追っていったとき。両脇の丘の上に、弓騎兵が待っていた。


 二つの丘で、敵が左右に分かれて退いたとき。その先で、敵は、こちらの繋ぎ目を狙っていた。


 包囲の初日、北の道だけが開いたとき。自分は、一度は、そこへ予備を出した。


 どれも、後から見れば、分かることだった。


 後から見れば。


 狄承武は、下書きの上に、拳を置いた。


 後から見れば分かることを、その場で見抜くのが、将の務めではないのか。


 韓奇捷が、戸を叩いて、入ってきた。


 韓奇捷は、この戦役で、腕に矢を受けていた。包帯を巻いた腕を吊ったまま、狄承武の卓の前に立った。


「統制。まだ、起きておられたのですか」


「記録を、書いておる」


 韓奇捷は、卓の上の下書きを見た。


 しばらく、黙っていた。


 それから、言った。


「統制。乾河床で、追いたがったのは、私です」


 狄承武は、顔を上げた。


「二つの丘で、玄甲軍を出すよう、進言したのも、私です。包囲の初日、北へ予備を出せと、真っ先に言ったのも、私です」


 韓奇捷の声は、震えていた。


「統制お一人の誤りでは、ありません」


 狄承武は、韓奇捷の顔を、長いこと見ていた。


 それから、下書きの一行を、指で示した。


 敵の報せを一か所に集め、突き合わせる常設の幕僚が、なかった。


「韓指揮使。そなたが進言したのは、その時に、そなたが見えたものからだ。私が決めたのも、その時に、私に見えたものからだ」


 狄承武は、言った。


「見えたものが、少なすぎた。遅すぎた。——それを、誰か一人の誤りにしてしまえば、次の戦でも、また同じだけしか見えぬまま、戦うことになる」


 韓奇捷は、唇を噛んでいた。


「私は、私の誤りを、書く。追撃を止めるのが遅かった。予備を使いすぎた。井戸に兵を貼りつけすぎた。それは、私の誤りだ。——だが、その後に、この国の軍に、何がなかったのかも、書く。そうせねば、この記録は、次の者の役に立たぬ」


 韓奇捷は、しばらく黙っていた。


 それから、吊った腕のまま、深く頭を下げた。


  ◇


 年が明けて、春が近づく頃、大宋の兵たちは、少しずつ、立ち上がり始めた。


 歩けなかった者のうち、半分が、杖をついて歩けるようになった。武具を直し、馬を休ませた。


 指揮使たちが、兵舎の中庭で、兵を集め、隊列を組ませ直した。神臂弓兵は、残った矢を数え直した。火槍兵は、ロマニエの工房で火薬を分けてもらえないかを、董元礼を通じて掛け合った。


 狄承武は、それを、兵舎の窓から見ていた。


 兵たちの顔は、まだ、晴れてはいなかった。けれど、灰色ではなくなっていた。


 春の初め、崔景伯が、帝都から、ロマニエの皇帝の書状を持って戻ってきた。


 大宋の兵の帰還の道中、ロマニエの国境から、アルメニオンの峠までの糧と宿営を、ロマニエ帝国が引き受ける。それが、限られた共同の防衛を共に戦った者への、ロマニエの礼である、と。


 狄承武は、書状を読み、崔景伯と、しばらく黙って向かい合っていた。


「帰りましょう」


 崔景伯が、言った。


「開封へ。この記録の続きを、届けねばなりませぬ」


 狄承武は、頷いた。


 春の雪解けを待って、大宋の兵は、テオドリアの門を出た。


 東へ。


 来た道を、逆に辿る道だった。


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