第四巻 産業設計 第一回 散らばる異才
知っている者を、探さねばならない。
そう決めてから、修平は、ひと月のあいだ、どこから探せばいいのかが分からずにいた。
工部と軍器監と坑冶寺と兵部の報せは、机の上に積まれたままだった。鉄の質が揃わない。部品の寸法が揃わない。硝石が増えない。道が遅い。それを解く答えを持つ者が、この国のどこかにいるのかもしれない。けれど、どこに。
修平は、ある晩、戸部の詰所で、ふと、書棚の端に積まれた古い紙の束に目を留めた。
邸報と、小報の写しだった。
中央銀行ができた頃から、統計房が、各地の物の値の噂を拾うために、州城の書肆で売られている小報を集めさせていた。噂は当てにならないが、どこで何が高いと人々が言っているかは、数の裏付けの手がかりになる。そう言って、韋明遠が集め始めたものだった。
修平は、その束を、何気なく一枚めくった。
五年前、吉州の州城の書肆で、初めて手に取ったのと同じ種類の刷り物だった。紙を何枚か折っただけの、薄い刷り物。朝廷の人事の噂。どこかの州の水害。塩の値段。
そして、その片隅に、こういう記事があった。
河北路の磁州の炭坑で、奇妙な男が、坑の水を汲み上げる大がかりな絡繰の図を描いては、坑主に見せて回っている。その男は、どこから来たとも知れず、言葉も初めは通じなかった。今は坑夫として働いているが、坑主はその図を、狂人の戯れとして相手にしていない。
修平は、その記事を、三度読んだ。
坑の水を汲み上げる、大がかりな絡繰。
どこから来たとも知れず、言葉も初めは通じなかった。
修平は、紙の束を机の上に広げ、一枚ずつ、めくり始めた。
◇
その夜、修平は、朝まで詰所にいた。
小報の束は、この三年分で、数千枚あった。その中から、修平は、同じような記事を拾い出していった。
杭州の時計屋に、南蛮の者とも思えぬ、色の白い、目の青い職人がいる。その職人は、時計の歯車を、見たこともない正確さで削る。自分で作ったという奇妙な削り台を使っている。
成都の薬種商に、やはり異国の者らしい男が雇われている。その男は、薬を煮詰めるのに、見たこともない形の器を使い、酒から薬を取り出す量が、他の店の倍になるという。
江南東路のある村の百姓が、田の土に、豆殻と灰と、何やら得体の知れぬものを混ぜて撒き、隣の田の倍の米を穫った。村の者は、その百姓が十年前にどこからか流れてきたと言っている。
河東路の鍛冶屋に、やはり異国の者らしい男がいて、炉に風を送る鞴を、独りで改めた。その炉の鉄は、他の炉の鉄より硬く、しかも脆くないという。
ある書院の老いた講師が、漢字の音を、奇妙な記号で書き表す方法を、弟子たちに教えている。
一つひとつは、小報の片隅の、取るに足りない噂だった。
誇張もあるだろう。嘘もあるだろう。噂を面白がって書いた小報の書き手が、話を大きくしているのかもしれない。
けれど、修平は、拾い出した記事を並べて、背筋が冷たくなるのを感じた。
記事の数が、多すぎた。
この三年分だけで、三十を超えていた。
そして、それらの記事の多くに、同じ言葉があった。
どこから来たとも知れず。
言葉も、初めは通じなかった。
修平は、自分のことを思った。
江南西路の田の中で目を開けた。言葉が通じなかった。呉守田に拾われ、県に来住者として届けられた。もし、あの時、自分が経済学ではなく、鉄の混ぜ方を知っていたら。鍛冶屋の手伝いをして、鞴を改めていたら。どこかの小報が、それを面白がって書いていたかもしれない。
修平は、拾い出した記事の束を、机の上に置いた。
自分だけでは、なかったのだ。
◇
修平は、その記事の束を持って、まず、李徳彰のもとへ行った。
李徳彰は、記事を一枚ずつ、黙って読んだ。
読み終えると、束を卓に置き、しばらく修平の顔を見ていた。
「そなたと同じ者が、他にもおる、と言うのか」
「確かめたわけではありません。けれど、この記事の中には、私の知っている、私の国の歴史の中の技術に、よく似たものがあります」
修平は、磁州の炭坑の記事を指した。
「坑の水を、大がかりな絡繰で汲み上げる。私の国の歴史では、炭坑の水を汲み上げるために、蒸気の力で動く機械が作られました。それが、後に、工房や船や、鉄の道を動かす力になりました」
李徳彰は、記事を見下ろした。
「そなたが、その機械を作れるのか」
「作れません」
修平は、即座に答えた。
「作り方を、知りません。けれど、この記事の男は、知っているのかもしれない」
李徳彰は、長いこと黙っていた。
「一つ、聞く」
「はい」
「この記事の者たちを、全部、開封へ呼び寄せるつもりか」
「いいえ」
修平は、首を振った。
「この記事の中には、嘘も誇張も混じっているはずです。本当に、私と同じようにここへ来た者もいれば、ただの腕の良い職人もいるでしょう。自分が未来から来たと言い張るだけの者もいるかもしれない。それを、全部、開封へ呼び寄せれば、混乱するだけです」
「では、どうする」
「確かめる役所を、置きたいのです」
◇
十日後、御前廷議が開かれた。
修平は、説明員の位置ではなく、その日は、自ら議題を出す者として、殿の中央に進み出た。
四年前、同じ殿で、修平は、帳簿を見せてくれと頭を下げた。問われたことに答え、許されたことを述べる。それが詳定官の立場だった。
今日は、修平が、議題を出す。
修平は、拝礼し、顔を上げた。
「陛下。本日、私から、一つの役所を置くことを、ご提案申し上げます」
殿の中が、静まった。
「西の遠征の敗れを受けて、私は、この国の工房と鉱山と役所に、今、何が作れて、何が作れないのかを問いました。答えは、一つでした。質の揃った鉄、同じ寸法の部品、大きな量の火薬、速い道、速い報せ。どれも、今のこの国には、足りない。そして、その作り方を、私は、知りません」
修平は、手元の記事の束を掲げた。
「けれど、この国の中に、その作り方を知っている者が、いるかもしれません」
修平は、記事の中身を、いくつか読み上げた。磁州の炭坑。杭州の時計屋。成都の薬種商。江南東路の百姓。河東路の鍛冶屋。書院の老講師。
「これらの者の中には、私と同じように、ある日突然、この国のどこかに現れた者がいるかもしれません。あるいは、この国に生まれ、自分の力で、新しい技を見つけた者も。——いずれにせよ、この国は、今、そういう者たちを、知りません。小報の片隅の噂として、見過ごしております」
修平は、殿の中を見渡した。
「そういう者たちを、国中から探し、その者が本当に何を知り、何ができるのかを、確かめる。確かめた上で、その力を、国のしかるべき役所へ繋ぐ。——そのための役所を、置かせていただきたいのです」
◇
「名は」
正面の座から、趙祺が問うた。
「求賢局、としてはいかがでしょう」
修平は、答えた。
「賢者を広く求めるのは、古来、この国の政の理想の一つです。表向きには、国中の特別な技と知を持つ者を探し、調べ、評価する役所。——その中で、私と同じようにここへ来た者も、確かめます」
陳世昌が、口を開いた。
「求賢の名は、よい。だが、その役所が、何でもできる役所になっては困る」
陳世昌は、修平を見た。
「異才を見つけたからといって、その者を、いきなり高官に取り立てるのか。科挙を経ずに。吏部の審べも経ずに。——それでは、科挙と吏部の秩序が、崩れる」
「取り立てません」
修平は、首を振った。
「求賢局がするのは、探すこと、身元を確かめること、何ができるかを評価すること、そして、その評価をもって、しかるべき役所に推すこと。そこまでです」
「推された後は」
「推された役所——工部なり、坑冶寺なり、軍器監なり——が、その者を使いたいと思えば、吏部に薦める。吏部が、その者の身元と、与えるべき官階と、待遇と、差遣を審べる。必要なら、陛下の裁可を仰ぐ」
修平は、陳世昌の方を向いた。
「科挙は、この国の官を選ぶ、最も大事な道です。それは、変えません。けれど、この国には、昔から、科挙の他にも、官に就く道がございました。薦挙。奏補。特別な技を持つ者を、上の官が推して、用いる道です。求賢局は、その古くからの道に、新しく見つかった者たちを繋ぐだけです。科挙に受からなければ、国がその者の技を使えない、というのでは、困りますので」
陳世昌は、しばらく修平を見ていた。
それから、頷いた。
「権限を、そこまでに限るなら、よい」
◇
「もう一つ、申し添えます」
修平は、言った。
「この役所が、地方の官府に、奇人変人を片端から開封へ送れ、と命じるようなことがあってはなりません」
殿の中の何人かが、顔を見合わせた。
「小報に名の出た者たちは、それぞれ、今の暮らしを持っております。炭坑で坑夫として働き、時計屋で職人として働き、薬種商に雇われ、田を耕している。家族もいるでしょう。その者たちを、国が見つけたからといって、有無を言わさず都へ引っ張ってくれば、その者の暮らしを壊します」
修平は、自分のことを思っていた。
呉守田は、自分を見つけて、水を飲ませ、一晩泊め、それから、村の耆長に相談した。村の耆長は、県に届けた。県は、自分の申し立てを、留保つきで記録した。誰も、自分を、有無を言わさずどこかへ連れていったりはしなかった。
「まず、その土地の官が、その者に会い、話を聞く。本人が望むかどうかを聞く。その上で、求賢局の者が出向いて、確かめる。確かめた上で、本人が望み、国がその力を必要とするなら、そのときに、都へ来てもらう。旅の費え、宿、家族の暮らしの助け、通詞、身元の保証。それを、国が整える」
修平は、頭を下げた。
「国が人を求めることと、人を物のように扱うことは、別だと考えます」
正面の座で、趙祺が、ゆっくりと頷いた。
「求賢局を置く」
趙祺は、李徳彰の方を向いた。
「都堂の直属とせよ。権限は、林詳定の申した通りに限れ。探し、確かめ、評価し、推す。任官は、吏部の常の手続きに従わせよ」
「承りました」
李徳彰は、頭を下げた。
それから、修平の方を見た。
李徳彰の目が、ほんのわずかに、細くなった。笑ったのかもしれなかった。
◇
求賢局は、その月のうちに、都堂の一角に置かれた。
提挙には、参知政事・王懐遠が任じられた。実務を預かる同提挙には、吏部の郎中から、陸秉文という四十代の男が移ってきた。吏部で二十年、官の身元と履歴を調べてきた男で、小さな嘘も見逃さないと評判だった。修平は、詳定官として、求賢局の評価に加わることになった。
最初の通達は、陸秉文が書いた。
各路の転運司と、各州の知州へ。小報・邸報・民の訴え・地方官の報せの中に、常人にない特別な技と知を持つ者の話があれば、まず、その土地の官がその者に会い、名と、住まいと、生業と、家族と、その者自身が何と申し立てるかを、聞き取って記すこと。その者を、開封へ送ってはならぬ。聞き取りの記録のみを、求賢局へ送ること。
通達が出てふた月のうちに、国中から、聞き取りの記録が届き始めた。
百。二百。三百。
陸秉文と、その下の吏員たちが、一枚ずつ、それを読んでいった。
その中には、明らかに、嘘があった。
ある州では、自分は五百年後から来た、未来のことは何でも知っている、と言い張る男がいた。聞き取りの記録によれば、その男は、未来の国の名も、未来の帝の名も、言うたびに違っていた。
ある州では、知州が、未来人らしいという男を見つけて、驚きのあまり、自分の官舎に住まわせ、毎晩酒を振る舞い、未来の話を聞いていた。その男は、ふた月後、知州の蔵の銀を持って消えた。
「困ったことですな」
陸秉文は、その報せを修平に見せながら、苦い顔をした。
「未来人らしい、というだけで、特別に扱えば、こうなります。——求賢局の名で、改めて通達を出しましょう。確かめる前は、その者を、ただの民として扱え。確かめた後も、自ずから官に取り立てられるわけではない、と」
「お願いします」
修平は、頷いた。
◇
秋の初め、陸秉文は、修平の前に、一枚の名簿を置いた。
三百を超える聞き取りの記録の中から、求賢局の吏員が出向いて会い、話を聞き、さらに確かめる価値があると判じた者たちの名簿だった。
四十余りの名が、並んでいた。
名の横に、その者が申し立てる出どころと、生業と、得意とするらしい技が、書き添えられていた。
修平は、名簿を上から読んでいった。
読みながら、修平は、何度も手を止めた。
ある者は、自分は、東の海の島の国から来た、と申し立てていた。修平と同じ国かもしれなかった。けれど、その者が語る自分の国の暮らしは、修平の知る国の暮らしより、ずっと昔のものに聞こえた。
ある者は、西の果ての、海を渡った先の国から来た、と申し立てていた。その国では、石炭を燃やして、鉄を溶かし、水を汲む機械を動かしていた、と。修平の知る歴史で言えば、二百年以上前の、産業が興り始めた頃の国のように聞こえた。
ある者は、この国と同じ言葉を話し、この国と同じ字を書く国から来た、と申し立てていた。ただ、その国には、皇帝がいなかった、と。
ある者は、自分がどこから来たのかを、何も語らなかった。ただ、鉄の混ぜ方だけを、語った。
修平は、名簿を置いた。
未来から来た、と一言で言っても、その「未来」は、一つではなかった。
修平より百年前の者。二百年前の者。修平と同じ頃の者。国も違う。言葉も違う。学んだことも違う。
自分と同じ「転生者」だと、ひとくくりにはできない。
「この者たちを、開封へお呼びしますか」
陸秉文が、問うた。
「本人が望むなら」
修平は、名簿を見下ろしたまま言った。
「旅の費えと、宿と、家族の暮らしの助けと、通詞を。——それから、一つ、お願いがあります」
「何でしょう」
「その者たちを、私の仲間として、迎えるつもりはありません」
陸秉文が、少し意外そうな顔をした。
「私と同じようにここへ来た者が、この中にいるのかもしれません。けれど、それは、その者たちが、私と同じ考えを持っているということではありません。私と同じ国の者とも限らない。——その者たちは、この国が、慎重に、敬意をもって扱うべき、特別な力を持つ人々です。私個人の仲間ではなく、国の客として、迎えてください」
陸秉文は、しばらく修平の顔を見ていた。
それから、深く頷いた。
◇
秋の半ば、最初の者たちが、開封に着いた。
修平は、求賢局の門の前で、一台の馬車が止まるのを見ていた。
馬車から降りてきたのは、背の高い、痩せた男だった。四十代だろうか。日に焼けた顔に、灰色の目。着ているのは、河北の坑夫の粗い衣だった。手は、節くれ立ち、爪の間に、石炭の黒が染み込んでいた。
男は、求賢局の門を見上げ、それから、門の前に立つ修平を見た。
修平は、拝礼した。
男は、少し戸惑ったように、ぎこちなく、拝礼を返した。
それから、たどたどしい、河北訛りの言葉で、言った。
「……私は、坑夫だ。坑の水を、汲む話を、しに来た」
修平は、頷いた。
「お待ちしておりました」
男の後ろから、二台目の馬車が着いた。三台目も。




