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第三巻 敗北 第四回 公会議

 ネオルディア管区の東の果て、テオドリアの主教座聖堂で、主教パンクラティオスは、一通の手紙を書き終えた。


 宛先は、帝都コンスタンティアの全地総主教だった。


 六十を過ぎた主教は、書き上げた手紙を、もう一度、読み返した。


 国境の宿営地に、東の果てから来た異教の大国の兵が、三千、この春から留まっております。彼らは、アーレイを知りませぬ。聖堂に入ることも、祈ることもいたしませぬ。けれど、このひと月、彼らは、この地の法をよく守り、民を害さず、揉め事があれば自ら罰し、その記録を属州の官署に渡しております。


 帝都では、この異教の国と、共にヴォルガルと戦う話が進んでおると聞き及びます。


 そうなれば、この国境の地で、我らの兵と、彼らの兵とが、同じ野に陣を張ることになります。負傷した彼らの兵を、我らの聖職者が癒やしてよいのか。我らの兵が出陣の祝福を受けるとき、隣に並ぶ彼らの兵の頭上にも、その祝福の言葉がかかってよいのか。彼らの軍旗を、我らの軍旗の隣に立ててよいのか。彼らの兵を、聖堂の近くに宿営させてよいのか。


 私は、この地の主教として、これらを判じる言葉を持ちませぬ。教会の法は、異教の者と共に戦うことを、どこまで許しておるのか。


 どうか、お導きを。


 主教パンクラティオスは、手紙に封をし、駅伝の官に託した。


 同じような手紙が、その初夏、国境の他の三つの主教座と、従軍聖職者の長と、いくつかの修道院から、帝都へ送られた。


  ◇


 コンスタンティア全地総主教エウテュミオスは、机の上に積まれた手紙の束を、長いこと眺めていた。


 七十に近い。白い髭が、胸まで垂れていた。


 手紙の多くは、国境の主教パンクラティオスと同じことを問うていた。異教の大国と、共に戦うことは、教会の法の上で、許されるのか。


 許されぬ、と明言している手紙も、二通あった。


 一通は、北方の修道院の院長から。もう一通は、アンティリア総主教セウェリアノスの秘書から、総主教の意を伝えるものだった。


 異教の者と共に戦うことは、異教を認めることである。今日、共に戦えば、明日は、共に祈れと言われる。明後日は、彼らの神を、アーレイと並べて拝めと言われる。一度許せば、どこで止まるのか。教会は、それを許してはならぬ。


 エウテュミオスは、その手紙を、机の端に置いた。


 セウェリアノスの言うことにも、理はあった。


 その日の午後、エウテュミオスは、宮殿に召された。


  ◇


 皇帝アレクシオス六世は、小さな書斎で、エウテュミオスを待っていた。


 皇帝のほかには、クァエストル・サクリ・パラティイが一人、控えているだけだった。


「総主教。そなたの机にも、手紙が積まれておるだろう」


「はい、陛下」


「余の机にも、積まれておる」


 皇帝は、卓の上の束を指した。


「大宋の使節と、話を進めておる。ヴォルガルの国境の前進拠点を、共に叩く。国境の街道と井戸を取り戻す。——余は、それが、この国を守ることになると考えておる。ステファノスも、そう言っておる」


「存じております」


「だが、余が、それを一人で決めれば、どうなる」


 皇帝は、エウテュミオスを見た。


「セウェリアノスは、アンティリアで、異教の者と共に戦うことを禁じる、と宣するだろう。アンティリアの管区の主教たちは、それに従う。アンティリアから出ている兵の従軍聖職者は、祝福を拒むだろう。——教会が、割れる」


 エウテュミオスは、黙って頷いた。


「余は、教会を割りたくはない」


 皇帝は、言った。


「だが、教会の意を待って、国境を失いたくもない。——総主教。公会議を開いてもらえぬか。帝都で、臨時の」


 エウテュミオスは、しばらく、皇帝の顔を見ていた。


「陛下は、公会議に、何をお求めになります」


「答えを」


 皇帝は、簡潔に言った。


「余が決めるのではなく、教会が、教会の法に照らして、答えを出してほしい。異教の大国と、共に戦うことは、許されるのか。許されるなら、どこまで許されるのか。——その答えを、余は、帝国の法として、公布する」


「許されぬ、という答えが出たら」


「そのときは、余は、別の道を考える」


 皇帝は、言った。


「教会の答えを、余が捻じ曲げることは、せぬ」


 エウテュミオスは、深く頭を下げた。


「——承りました」


  ◇


 臨時の公会議は、ひと月後、帝都の大聖堂の隣の、会議の間で開かれた。


 会議の間の奥に、五つの座が並べられていた。


 五つの座のうち、最も上座に置かれた一つは、空いていた。


 ロマニア教皇の座だった。


 西方の、カトリコス教を率いる教皇の座。古い取り決めでは、五つの総主教座の中で、名誉の第一席とされる座。


 その隣の座に、コンスタンティア全地総主教エウテュミオス。


 その右に、アレクサリア総主教キュリアコス。南の大河の国メルサナの、古い総主教座を預かる。


 その左に、アンティリア総主教セウェリアノス。東方の古い大都市の総主教座を預かる。


 さらにその右に、イェルサ総主教ソフロニオスの代理として、イェルサの大主教が一人。聖地を預かる総主教本人は、巡礼の季節で聖地を離れられず、正式の代理を送ってきた。


 ロマニア教皇は、この会議に、使節を送ってこなかった。送ってくるとは、誰も思っていなかった。西方の教会は、何百年も前に、信経の中に、東方の教会の同意を得ずに一語を加えた。アーレイの恩光は、アーレイのみより発するのではなく、アーレイと聖言とより共に発する、と。それ以来、東と西の教会は、同じ唯一神アーレイを拝みながら、互いの権威を認め合っていない。


 空いた座を、誰も、見ようとしなかった。


 五つの座の前に、何十という主教、大主教、修道院の院長、宮廷の神学者たちが、半円を描いて座っていた。その中に、国境の主教パンクラティオスもいた。


  ◇


 エウテュミオスが、会議の問いを読み上げた。


「大宋という、異教の大国がある。我らは、彼らと、信仰を共にするのではない。彼らを、アーレイの教えへ導くのでもない。——国家存亡の危機に際し、帝国の民と、町と、聖堂とを、ヴォルガルの侵攻から守るために、異教の者と、限られた形で、共に防衛することは、許されるか」


 最初に立ったのは、国境の主教パンクラティオスだった。


「私は、このふた月、国境で、大宋の兵を見てまいりました」


 老主教の声は、少し震えていた。


「彼らは、アーレイを知りませぬ。けれど、我らの民を害しませんでした。我らの聖堂に、指一本触れませんでした。——そして、ヴォルガルは、毎年、我らの国境の村を焼きます。聖堂を焼きます。民を連れ去ります」


 パンクラティオスは、会議の間を見回した。


「共に戦うことは、共に祈ることではありませぬ。我らが彼らの神を拝むのでも、彼らが我らの神を拝むのでもない。ただ、同じ敵から、同じ野を守る。——それは、信仰の混淆ではなく、信徒と、町と、聖堂を守ることだと、私は考えます」


 国境の他の主教たちが、頷いた。従軍聖職者の長も、立ち上がって、同じことを述べた。


 次に、アレクサリア総主教キュリアコスが、口を開いた。


「共に戦うことは、許されてよいと考える。ただし、条件をつけるべきだ」


 キュリアコスは、指を折った。


「一つ。大宋の兵に、我らの信仰を強いてはならぬ。改宗を迫ってはならぬ。二つ。我らの兵に、大宋の神を拝ませてはならぬ。共に礼拝をしてはならぬ。三つ。我らの聖職者が、傷ついた大宋の兵を癒やすことは、慈悲の業として許す。だが、我らの祝福の言葉を、大宋の兵に向けて唱えてはならぬ。祝福は、アーレイを信じる者のためのものだ。四つ。大宋の軍旗は、我らの軍旗と並べてよい。だが、我らの聖旗の上に掲げてはならぬ」


 イェルサの大主教が、総主教ソフロニオスの書状を読み上げた。


 イェルサ総主教は、共に戦うことの是非について、自ら判ずることは避ける。ただ、いずれの答えが出るにせよ、聖地と、聖地へ向かう巡礼の道と、戦に関わらぬ民とが、決して害されぬよう、会議が定めることを求める。


  ◇


 そして、アンティリア総主教セウェリアノスが、立った。


 五十代の、背の高い、痩せた男だった。黒い衣の上に、白い肩掛け。その目は、会議の間の誰よりも、鋭かった。


「私は、反対する」


 セウェリアノスの声は、会議の間に、よく響いた。


「パンクラティオス主教の言うことは、分かる。キュリアコス総主教の条件も、よく考えられておる。——だが、私が恐れるのは、今日のことではない。明日のことだ」


 セウェリアノスは、会議の間を、ゆっくりと見回した。


「今日、異教の大国と共に戦う。明日、その大国は、帝国にとって欠かせぬ友となる。明後日、皇帝は、その友を失わぬために、教会に、もう少し譲れ、と言うだろう。共に礼拝をせよ、とは言わぬかもしれぬ。だが、彼らの軍旗を、聖旗の上に掲げることを、黙認せよ、と言うかもしれぬ。彼らの兵を、聖堂の中に宿営させよ、と言うかもしれぬ」


 セウェリアノスは、中央の座のエウテュミオスを見た。


「そして、今日、皇帝は、この会議を開かせた。教会に、答えを出させるために。——明日、皇帝は、教会の答えが気に入らなければ、また別の会議を開かせるだろう。教会は、皇帝の望む答えを出すための道具になる」


 会議の間が、ざわめいた。


 エウテュミオスは、黙っていた。


「私は、アンティリアの総主教として、この会議が、共に戦うことを許す決議を出しても、それを、アンティリアの管区に公布せぬ。アンティリアの従軍聖職者に、それを伝えぬ」


 ざわめきが、大きくなった。


 エウテュミオスが、初めて、口を開いた。


「セウェリアノス総主教。公会議の決議は、五つの総主教座の、すべてを拘束する。それが、我らの教会の、千年の決まりだ」


「決議の中身が、教会の信仰を守るものであるならば、な」


 セウェリアノスは、言い返した。


「私は、教義について、異を唱えておるのだ。総主教には、教義について異を唱える権がある」


「異を唱える権は、ある。この会議の場で、存分に唱えればよい」


 エウテュミオスは、静かに言った。


「だが、唱えた上で、会議が決したことを、自らの管区で止める権は、ない」


 二人の総主教の目が、会議の間の空気の中で、ぶつかり合った。


  ◇


 会議は、三日続いた。


 三日目の夕刻、決議が出された。


 帝国の民と、町と、聖堂とを、ヴォルガルの侵攻から守るため、異教の大国・大宋と、限られた形で、共に防衛することを、許す。ただし、次の条件を守ること。


 大宋の兵に、改宗を強いぬこと。


 帝国の兵に、大宋の神を拝ませぬこと。共に礼拝を行わぬこと。


 帝国の聖職者は、慈悲の業として、大宋の傷ついた兵を癒やすことができる。ただし、祝福の言葉は、アーレイを信じる者にのみ唱えること。


 大宋の軍旗は、帝国の軍旗と並べてよい。聖旗の上に掲げてはならぬ。


 大宋の兵を、聖堂の境内に宿営させてはならぬ。


 聖地と、巡礼の道と、戦に関わらぬ民とを、共同の軍は、決して害さぬこと。


 決議には、エウテュミオス、キュリアコス、イェルサの大主教が、署名した。


 セウェリアノスは、署名を拒んだ。


 そして、会議の間を、黙って出ていった。


  ◇


 決議が帝国の法として公布されて十日後、アンティリアから報せが届いた。


 セウェリアノスは、アンティリアの管区の主教たちに、決議を伝えなかった。アンティリアから出ている兵の従軍聖職者たちに、大宋の兵と同じ野に陣を張る軍への祝福を控えるよう、密かに通達した。


 皇帝アレクシオス六世は、その報せを、書斎で、エウテュミオスとクァエストルと、宮廷の法務官たちと共に聞いた。


 長い沈黙の後、皇帝は、口を開いた。


「セウェリアノスが、教義について異を唱えることは、余は咎めぬ」


 皇帝は、言った。


「会議で、存分に唱えた。署名を拒んだ。それも、咎めぬ。それは、総主教の権だ」


 皇帝は、報せの紙を、卓の上に置いた。


「だが、帝国の法として公布された決議を、アンティリアの管区で、総主教が一人で止めることは、別だ。それは、教義の異議ではない。帝国の合法の決定を、地方の座が停める、ということだ。——それを許せば、明日、別の座が、別の決議を停めるだろう」


 クァエストルが、慎重に口を開いた。


「陛下。総主教を、陛下の手で解くことは、教会への介入と見られます。セウェリアノスが、公会議で述べた恐れ——皇帝が教会を道具にする——を、陛下自ら、証すことになりかねませぬ」


「分かっておる」


 皇帝は、エウテュミオスの方を向いた。


「総主教。余は、そなたに問う。教会の秩序の上で、セウェリアノスの行いは、許されるのか」


 エウテュミオスは、長いこと黙っていた。


 やがて、低い声で言った。


「……許されませぬ。公会議の決議を、自らの座で停めることは、教会の秩序を、自ら壊すことでございます。教義の異議と、職務の拒絶は、別でございます」


 皇帝は、頷いた。


「では、余は、教会の秩序のために、それを正す。そなたと、コンシストリウムと、法務官たちと、協議の上で」


  ◇


 ひと月後、アンティリア総主教セウェリアノスは、解任された。


 表向きの理由は、公会議の決議を、職務として公布せず、教会の秩序を乱したこと。教義上の異議そのものは、理由に挙げられなかった。


 後任には、アンティリアの大主教の一人、ニコデモスが選ばれた。


 ニコデモスは、大宋との協力に賛成していたわけではなかった。公会議でも、慎重な意見を述べていた。けれど、公会議の決議には、従うと明言した。


 総主教に就いた日、ニコデモスは、アンティリアの管区に、公会議の決議を公布した。そして、その公布に、自らの名で、いくつかの細則を付け加えた。


 共同の軍において、大宋の兵が帝国の兵の祈りの場に立ち入ることを禁ずる。大宋の兵に対する改宗の勧めを、聖職者に禁ずる。大宋との協力が、共同の防衛の範囲を越えて、礼拝や教義に及ぶことがあれば、アンティリア総主教は、直ちに公会議の再招集を求める。


 厳しい細則だった。けれど、決議を停めるものではなかった。


  ◇


 この騒動のことを、大宋の使節団は、ほとんど知らなかった。


 崔景伯と董元礼は、その間、宮殿の別の棟で、マギステル・ミリトゥムとプラエフェクトゥス・プラエトリオの官吏たちと、共同の防衛の中身を詰めていた。話が思っていたより長引き、ひと月以上も進まない時期があったことに、崔景伯は首を傾げていた。


 国境へ戻って幾日か後、帝都から来た駅伝の書記が、ふと漏らした。


 東方の大きな総主教が、解かれたそうです。大宋の方々のことで、と。


 崔景伯は、それ以上を聞き出すことはできなかった。書記は、言ってはならないことを言ったという顔で、口をつぐんだ。


 その夜、崔景伯は、報告の中に、一行だけ書き加えた。


 我らとの協力をめぐり、この国の教会の内に、何か大きな争いがあったと聞く。詳しくは、未だ知れず。


 大宋の朝廷が、その争いの全容——五つの総主教座の関係と、国と教会の権限の境とを揺るがした事件——を知るのは、何年も後のことになる。


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