第一巻 覚醒 第二回 科挙への道
徐文礼の私塾で、修平が最初に習ったのは、字の読み方ではなかった。
筆の持ち方だった。
「指を立てよ」
徐文礼は、修平の右手を取って、筆の軸に指を添え直させた。その言葉は分からなかったが、手の形で意味は伝わった。親指と人差し指と中指で軸を挟み、薬指で支え、小指は薬指に添える。手のひらの中には、卵を一つ握れるほどの空間を空ける。
修平が筆を寝かせると、徐文礼は無言で軸を起こした。
寝かせる。起こされる。
また寝かせる。また起こされる。
ボールペンを握るように筆を持つ癖は、二十二年かけて身についたものだった。それを直すのに、ひと月かかった。
字の読み方の方は、もっと厄介だった。
修平は、漢字が読めると思っていた。私塾の子どもたちが読み上げている書物の頁を覗けば、知っている字がいくつも並んでいる。意味の見当もつく。
だが、それは「読める」とは言えなかった。
まず、音が違う。修平が頭の中で「がく」と読んでいる字を、徐文礼も子どもたちも、まるで別の音で発する。その音を覚えなければ、読み上げに加わることもできない。
次に、形が違う。修平の知っている字の多くは、ここでは画数の多い、込み入った形で書かれていた。「国」は囲みの中に「或」。「学」は上が複雑に組み上がった字。「体」に至っては、まるで別の字に見えた。
そして何より、意味の運び方が違った。
修平の知っている漢文は、高校の教科書で、返り点と送り仮名をつけて日本語に読み下すものだった。ここには返り点などない。字が、ただ上から下へ、隙間なく並んでいる。それを、並んだ順のまま、音として読み、意味として受け取る。
ある日、徐文礼は修平に、子どもたちが三か月前に読み終えた一節を読ませた。
修平は、頭の中で返り点を打ち、送り仮名を補い、日本語に置き換えてから、意味を言おうとした。
途中で詰まった。
ある字を、動詞として読むか名詞として読むかで、文の意味がまるで変わる。日本の教科書なら、送り仮名がそれを教えてくれる。ここには、それがない。
徐文礼は、しばらく修平が詰まるのを黙って見ていた。
それから、朱筆を取り、紙の上に一行書いた。
「汝 知字 不知文」
お前は字を知っているが、文を知らない。
修平は、その朱の字をじっと見つめた。
言い返せなかった。その通りだった。
◇
言葉は、私塾よりも畑で覚えた。
私塾に通えるのは、呉家の仕事の手が空いた日だけだった。残りの日は、朝から晩まで呉守田と一緒に田と畑にいた。
そこでは、言葉を間違えると、仕事が止まった。
「鋤を取ってくれ」
呉守田にそう言われて、修平が鍬を持っていったことがある。呉守田は首を横に振り、自分で納屋へ取りに行った。その往復のあいだ、畝の土起こしは止まっていた。
水を「止めろ」と言われて、田の水口を開けたことがある。呉守田は大声を上げて駆け寄り、泥の塊で口を塞いだ。下の田に、必要以上の水が流れ込んでいた。
そういう失敗を一つするたびに、修平は一つ言葉を覚えた。
呉守田は、言葉の先生ではなかった。
分からない言葉は、二度でも三度でも繰り返してくれた。指さし、手に取り、身振りで示してもくれた。けれど、長い説明はしなかった。田植えの最中に、修平が何かを聞くために呼び止めれば、呉守田の手も止まる。一日の仕事の量は、日の長さで決まっている。止まった分は、誰かが取り返さなければならない。
修平は、そのうち、聞きたいことを溜めておくようになった。
夕方、農具を洗い終えたあと。夕餉の粥を食べ終えたあと。呉守田が一息ついて、縁に腰を下ろしたとき。
そのときに、昼間分からなかった言葉を、一つか二つだけ聞く。
学ぶには、他人の時間がいる。
その当たり前のことを、修平はこの家で初めて、身にしみて知った。
◇
最初の秋の刈り入れは、修平にとって、呉家の暮らしのもう一つの顔を見る機会になった。
稲刈りの日、呉家の田には、呉守田と周氏と呉順のほかに、見知らぬ男が二人来ていた。近くの村から雇われてきた男たちで、日払いの手間賃で刈り取りを手伝うのだと、後で聞いた。
刈った稲は、田の中で束ね、干し、脱穀する。脱穀した籾は袋に詰め、家へ運ぶ。修平は袋を運ぶ役と、数える役を与えられた。
運ぶのは、相変わらず半人前だった。一日目の夕方には、腰が立たなくなった。
数えるのは、一人前だった。
その年、修平は籾の袋の数を、一袋ずつ炭で板に印をつけて数えた。呉守田は、板を見て、自分の記憶と照らし合わせ、頷いた。
刈り入れが終わって数日経ったある朝、呉家の庭に、別の一家がやって来た。
夫婦と、十歳くらいの男の子。三人とも、荷車に籾の袋を積んで引いてきていた。夫は四十前後で、呉守田より背が低く、腕が細い。修平の知らない顔だった。
夫は呉守田に頭を下げ、呉守田も軽く頭を下げ返した。それから二人は、荷車の袋を一つずつ庭に下ろし始めた。
呉守田は、袋を一つ開け、中の籾を手に取って眺めた。指の間で転がし、少し噛んでみて、頷いた。
それから、母屋の奥から一冊の帳面を持ってきた。
紙を糸で綴じただけの、薄汚れた帳面だった。呉守田はそれを開き、周氏を呼んだ。周氏は帳面を覗き込み、何か言った。呉守田が袋の数を数え、周氏がそれを帳面の字と照らし合わせる。
修平は、少し離れたところから、それを見ていた。
帳面の字は、呉守田の字だった。修平が土の上で見慣れた、少し角張った、大きな字。そこには、夫の名らしき字と、数字と、何か単位らしき字が並んでいた。
夫の方も、自分の懐から、紙切れを一枚出した。呉守田の帳面と、その紙切れを、二人で並べて見比べる。何か一か所で、二人の意見が食い違ったらしく、しばらく話し合いが続いた。やがて呉守田が笑い、夫も笑い、袋が一つ、夫の荷車に戻された。
すべてが終わると、夫は呉守田にもう一度頭を下げ、妻と子と一緒に、空になった荷車を引いて帰っていった。
その夜、修平は、呉守田に聞いた。
まだたどたどしい言葉で、身振りを交えながら。あの人は誰か。あの籾は何か。
呉守田は、いつものように短く答えた。
あの男は、何老三という。この家の田のうち、村の東の外れにある何枚かを、何老三の家に貸している。何家はそこを耕して、秋に収穫の一部を呉家へ納める。
修平は、しばらく考えた。
それから、また聞いた。
東の田は、なぜ自分で耕さないのか。
呉守田は、少し笑った。
指を折って、自分と、周氏と、呉順と、それから修平を数えた。四本の指を修平の目の前に立て、首を横に振った。
足りない、ということだった。
この家の田は、家族だけで耕すには多すぎる。雇いの人手を入れれば、手間賃がかかる。だから、家から遠い、手の回らない分の田を、人に貸す。その代わり、秋に籾を受け取る。
修平は、そこでようやく理解した。
この家は、自分の田を自分で耕している。同時に、耕しきれない分の田を、他人に貸している。
地主、なのだ。
けれど、修平が教科書で読んだ「地主」とは、まるで違う。呉守田は、何老三の家に貸した田よりもずっと多くの田を、自分の手で耕している。朝、誰よりも早く田に出るのは、この家の主人だった。
土地を持つことと、自分で働くことと、人に土地を貸すことが、一つの家の中で同時に起きている。
修平は、それを頭の中で、何度も並べ直した。
大学で読んだ経済史の教科書には、「地主と小作」という言葉が当たり前のように並んでいた。そこでは、二つは対立する階級として描かれていた。修平は、それを疑ったことがなかった。
今、目の前にあるのは、階級の図ではなかった。一軒の家の、暮らしの算段だった。
◇
もう一つ、修平がこの家で知ったのは、土地があることと、銭があることは、別だということだった。
冬のはじめ、呉守田は町の鍛冶屋に、鋤の刃の修理を頼みに行った。修平もついていった。
鍛冶屋が何か言い、呉守田が何か言い返した。値段の交渉らしかった。しばらくやり取りが続き、最後に呉守田は、懐から紐に通した銅銭の束を取り出し、指で数えて、何枚かを外して渡した。
帰り道、呉守田は、その紐を何度も手の中で転がしていた。
呉家には、籾はたくさんある。刈り入れが終わったばかりで、納屋の袋は天井近くまで積み上がっている。だが、その籾は、家族の一年分の食べ物であり、来年の種であり、税として官へ納める分でもある。売って銭に換えることはできるが、売りどきを誤れば安く買い叩かれる。
そして、銭が要る場面は、籾が売れる時期とは関係なく、いつでもやってくる。農具が壊れたとき。塩や油が切れたとき。親戚の婚礼や葬式があるとき。税の一部を銭で納めるよう求められたとき。
修平は、自分が私塾で使う紙のことを考えた。
徐文礼の私塾では、最初は反故紙の裏を使わせてもらっていた。だが、筆の練習が進むにつれて、紙はいくらあっても足りなくなる。筆も擦り減る。墨もなくなる。書物は、一冊を買うのに、呉守田が鋤の修理に払った何倍もの銭が要る。
徐文礼は、束脩——謝礼を、しばらく待つと言ってくれた。けれど、紙と筆と墨は、待ってくれない。
修平は、その夜、呉守田の前で、自分の鞄を開けた。
中から、ボールペンを一本と、手帳を一冊、取り出した。
手帳の白い頁を見せ、それから徐文礼の私塾の方角を指さし、紙を書く仕草をした。
呉守田は、手帳を手に取った。頁をめくり、紙の白さと薄さを指で確かめた。それからボールペンを持ち、蓋を外し、手帳の隅に線を一本引いた。
墨をつけずに、線が引けた。
呉守田は、しばらく黙ってボールペンを見つめていた。
それから、蓋を閉め、手帳と一緒に修平の手に返した。
首を横に振った。
「それは、しまっておけ」
そう言ったのだと、後になって修平は分かった。
呉守田は、それが何なのかを聞かなかった。売れと言わなかった。高く売れるかもしれない、とも言わなかった。ただ、修平の手にそれを戻し、鞄を指さした。
修平は、手帳とボールペンを鞄に戻した。
その夜、修平は、呉守田という人のことを、少しだけ深く知った気がした。
この人は、自分が何者なのかを詮索しない。けれど、自分が何か得体の知れないものを持っていることには、とうに気づいている。気づいたうえで、それに手を出さない。自分のものではないからだ。
◇
徐文礼の教え方は、容赦がなかった。
話し言葉がある程度通じるようになると、徐文礼は修平に、子どもたちとは別の課題を与え始めた。
経書を読む。その注釈を読む。注釈の注釈を読む。一つの句について、古来どんな読み方があり、誰がどう解釈し、それが朝廷の議論でどう使われてきたかを覚える。
史書を読む。どの王朝で、どんな政策が行われ、何が成功し、何が失敗したかを覚える。それを、自分の言葉で要約する。
礼の作法を覚える。目上に挨拶するときの手の組み方。座る順序。書簡の書き出しと結び。
そして、文章を書く。
「科挙を受けるなら」
私塾に通い始めて一年近く経ったある日、徐文礼は、修平にそう言った。そのころには、修平も、徐文礼の言葉の半分以上は聞き取れるようになっていた。
「読めるだけでは足りぬ。書けねばならぬ」
徐文礼は、自分の書いた古い答案の写しを、何枚か修平に見せた。
論。策。経書の意味を問う経義。
どの答案も、構成が決まっていた。題の意を明らかにし、古典を引き、先人の議論を踏まえ、自分の論を立て、弊害を論じ、結ぶ。一つの主張に、少なくとも一つの典拠がつく。典拠のない主張は、主張として扱われない。
「たとえ正しいことを言っていても」
徐文礼は、朱筆の軸で紙を叩いた。
「形がなければ、中身は届かぬ。試官は千の答案を読む。千の答案の中で、お前の言いたいことを読み取ってもらうには、試官が読み慣れた形で書かねばならぬ」
修平は、それを聞いて、大学のレポートの書き方を思い出した。序論、本論、結論。先行研究の整理。引用の作法。
形は違う。けれど、同じことを言っている。
自分の知っていることを、この社会で通じる言葉と形式に置き換えなければ、それは知識として扱われない。
修平は、書いた。
最初の答案は、紙が真っ赤になって返ってきた。典拠の引き方が間違っている。句の切り方がおかしい。論の順序が逆になっている。そもそも、字が汚い。
二度目も、三度目も、赤かった。
十度目あたりから、赤の量が少しずつ減っていった。
詩賦だけは、いつまで経っても赤いままだった。
科挙には、詩や賦を作る試験もある。韻を踏み、対句を揃え、典故を織り込み、決まった字数の中で情景と心情を詠む。
修平には、その音が分からなかった。韻は、字の音で決まる。字の音は、ここの言葉の音だ。修平の耳は、まだその音の違いを細かく聞き分けられない。平仄を合わせようとすると、頭の中で一字ずつ音を確かめなければならず、確かめているうちに、何を詠もうとしていたのかを忘れた。
「これは詩ではない」
徐文礼は、ある日、修平の詩を読んで言った。
「字を並べただけだ」
修平は、黙って頭を下げた。
私塾には、修平と年の近い学生が何人かいた。その中の一人、羅允中という、近くの地主の家の次男は、詩賦に優れていた。修平が半日かけて作った一首を、羅允中は横で読み、首を傾げ、一字だけ差し替えた。
それだけで、詩が詩になった。
修平は、その一字をじっと見つめた。なぜその字なのか、説明されても半分しか分からなかった。
「林兄は、算術は私たちの誰よりもできるのにな」
羅允中は、屈託なく笑った。
「詩はだめだ。まるでだめだ」
隣で、商家の出の彭季和が、帳面をめくりながら頷いた。
「逆に、私たちは算術がだめだ。私の父は、林兄の計算の速さを見たら、うちの帳場に雇いたいと言うだろうよ」
修平は、苦笑するしかなかった。
自分は天才ではない。算術ができるのは、この世界の人々より長く、別の形で数字に触れてきただけだ。詩ができないのは、この世界の言葉で育っていないからだ。どちらも、自分の能力というより、自分の来た場所のせいだった。
◇
二年目の春、徐文礼は、呉家を訪ねてきた。
私塾の師が、弟子の家を訪ねるのは珍しいことらしかった。周氏は慌てて茶を淹れ、老母は奥から一番いい茶碗を出してきた。
徐文礼は、呉守田と向き合って座った。修平も、少し離れて座らされた。
「林生を、もう少し私塾に来させたい」
徐文礼は、前置きなしに言った。
「今のままでは、筆写と作文の時間が足りぬ。月に数日では、手が覚えたことを忘れる」
呉守田は、茶碗を持ったまま、しばらく黙っていた。
それから、ゆっくりと口を開いた。
「先生の言うことは分かる。だが、これから田植えだ」
呉守田は、指を折った。
「田植えが終われば、草取り。草取りが終われば、水の番。夏の終わりには、また刈り入れだ。そのあいだ、修平の手は要る。修平が来てから、雇いの人手を一人減らせた。今、修平が抜ければ、また一人雇わねばならん」
「それは分かる」
徐文礼は頷いた。
「だから、畑へ行かなくてよい、とは言わぬ。私が言いたいのは、配分の話だ」
修平は、二人のやり取りを、黙って聞いていた。
口を挟むべきではない、と思った。これは、自分の将来の話であると同時に、呉家の暮らしの話だった。自分の学問のために、呉家に損をさせるわけにはいかない。
けれど、黙っているだけでもいけない、とも思った。
二人が一度言葉を切ったとき、修平は、膝の上で手を組み、口を開いた。
「一つ、申し上げてもよいでしょうか」
二人が、修平を見た。
「田植えと刈り入れのときは、呉家の仕事を先にします。その時期は、私塾へは行きません」
修平は、呉守田を見た。
「そのかわり、田の仕事が少ない冬と、夏の水の番の時期は、私塾の日を増やさせてください。それから、夕方と夜。灯りの油は、自分で稼いで買います」
呉守田が、眉を上げた。
「稼ぐ?」
「筆写です」
修平は、徐文礼を見た。
「先生の私塾には、書物を写してほしいという人が来ます。まだ字は下手ですが、もう少し上手くなれば、写本の手伝いができます。それに、子どもたちに算術を教えることもできます」
徐文礼は、しばらく修平を見ていた。
「それから、もう一つ」
修平は、呉守田に向き直った。
「字が書けるようになれば、呉家の帳面も手伝えます。何さんの家との籾の受け渡し。税の納め分。町で買ったものの値段。今、周さんが覚えておいでのことを、書いておけます」
呉守田は、茶碗を置いた。
それから、徐文礼を見た。
徐文礼は、何も言わなかった。ただ、口の端が、ほんのわずかに持ち上がっていた。
呉守田は、大きく息を吐いた。
「帳面は、ありがたい」
ぽつりと言った。
「おれの字は、自分でも読めないことがある」
周氏が、横で吹き出した。
話は、それで決まった。
田植えと刈り入れの時期は、呉家の仕事が先。冬と夏の中ほどは、私塾の日を増やす。夕方と夜は、自分の学問にあてる。字が上達したら、呉家の帳面を手伝い、私塾では筆写と算術の手伝いで紙代と油代を稼ぐ。
徐文礼は、帰り際に、修平の肩を一度だけ叩いた。
何も言わなかった。
◇
そこから先の日々は、長くもあり、短くもあった。
春は田植え。泥の中に苗を一本ずつ挿していく。呉順と並んで、腰を曲げ、後ろへ下がりながら植える。修平の列は、いつも少しだけ曲がっていた。
夏は水の番と草取り。暑さの中で、田の水の高さを見て回る。合間に、畦に腰を下ろして、懐に入れた紙を広げ、経書の一節を口の中で繰り返す。
秋は刈り入れ。籾を数え、帳面につける。何老三の家から籾が届けば、その数を帳面の字と照らし合わせる。
冬は私塾。朝から晩まで、読み、書き、また読む。夜は、自分で買った油で灯りを点し、筆写の仕事をする。
呉家の帳面は、二年目の秋から、修平がつけるようになった。
最初は、呉守田が口で言う数を、そのまま書き留めるだけだった。何老三の家から受け取った籾の袋の数。税として官へ納めた籾の量。町の米屋に売った籾と、その値。鍛冶屋への払い。塩と油の値。
三年目には、修平は、帳面の頁を上下に分けるようになった。
上の段に籾、下の段に銭。それぞれを、左に入ってきたもの、右に出ていったものに分ける。
呉守田は、最初、その意味が分からないようだった。
修平は、ある冬の夜、帳面を開いて、呉守田に説明した。
「今年、何さんから受け取った籾はこれだけです。家で食べた籾は、だいたいこれくらい。種に残したのが、これ。税で納めたのが、これ。売ったのが、これ。今、納屋に残っているのが、これです」
呉守田は、帳面を覗き込んだ。
「それで、銭の方は」
修平は、下の段を指した。
「籾を売って入った銭が、これ。出ていったのが、これ。今、残っているのが、これです」
呉守田は、しばらく帳面を眺めていた。
それから、低く唸った。
「籾は余っているのに、銭は足りんのだな」
「はい」
「毎年、そうだ」
呉守田は、苦笑した。
「おれの親父の代から、ずっとそうだ。秋には納屋が一杯になる。けれど、春になると銭がない。帳面にすると、よう分かる」
修平は、頷いた。
秋に収穫がまとまって入り、春から夏にかけて出費がかさむ。籾を売れば銭になるが、秋はみんなが売るから安い。春に売れば高いが、そのころには手元の籾が減っている。
大学で、似たような話を読んだことがある。農家の家計の季節性。流動性の制約。資産はあっても、すぐに使える現金がない。
あのときは、それは教科書の中の図だった。
今は、呉守田の苦笑いだった。
◇
三年目の終わりには、修平の話し言葉は、ほとんど不自由がなくなっていた。
村の人々は、修平を「呉家の居候」から「呉家の書き役」と呼ぶようになった。何老三の家の男の子は、修平に字を教えてくれとせがむようになった。曾耆長は、村の届け出の書面を書くとき、修平を呼ぶようになった。
県の役人も、何度か来た。
そのたびに、修平は、自分がこの村で何をしているか、どこに住み、誰の家で働き、どこで学んでいるかを答えた。呉守田と曾耆長と、村の何人かが、それを証言した。徐文礼も、私塾での修平の様子を書面にして県へ送った。
四年目の春、修平は、泰和県の役所に呼ばれた。
県の主簿という役人が、修平の記録を読み上げた。到着の時期。保護者の名。居住の場所。働いている家。学んでいる私塾。納めている税。証言した人々の名。
それから、主簿は、修平の顔を見て言った。
「これをもって、お前を当県の民として籍に編む。出自の申し立ては、なお確かめようがないゆえ、留保としておく。だが、足かけ四年、お前がこの県で暮らし、働き、税を納めてきたことは確かだ。それは、呉守田以下の証言と、記録が示している」
修平は、深く頭を下げた。
捏造ではない。自分が宋人の血筋だと偽ったわけでもない。ただ、この土地で四年暮らしてきたという事実が、記録として積み上がり、それが籍になった。
主簿は、最後に一言付け加えた。
「徐先生から、お前が科挙を志していると聞いている。受験の資格は、州の審査を経ねばならぬ。籍に入ったからといって、試験を免じられるわけではない。そのことは心得ておけ」
「はい」
修平は、もう一度頭を下げた。
能力だけでは、手続きを飛び越せない。
それでよかった。その手続きがあるから、自分のような出自の分からない者でも、この国の民として認められたのだ。
◇
修平が、自分のいる国の名を意識するようになったのは、四年目のことだった。
私塾の書棚には、地理の書物や、史書や、朝廷の出す報せを写したものが、少しずつ増えていた。徐文礼が、科挙を受ける弟子のために、町の書肆から借りてきたり、知り合いの士人から写させてもらったりしたものだった。
「策論では、今の朝廷が何に悩んでいるかを知らねば書けぬ」
徐文礼は、そう言って、朝廷の布告や人事の報せを写した「邸報」の写しを修平に読ませた。
その紙の冒頭に、字が並んでいた。
大宋。
修平は、その二字を、しばらく見つめていた。
これまでも、どこかで見ていたのかもしれない。私塾の書物の中に。町の門の額に。県の役人の書面の頭に。けれど、それが「国の名」として目に飛び込んできたのは、そのときが初めてだった。
大宋。
宋、なのだ。
修平は、胸の奥で、何かがゆっくりと落ち着くのを感じた。
科挙がある。私塾で経書を学ぶ。官職には寄禄官の官階があり、実際の職務は差遣として別に与えられる。紙幣があり、県には主簿がいる。
それらは全部、修平が高校の資料集から始めて、何年もかけて本で読んできた、宋という王朝の姿と重なっていた。
過去の宋へ来たのだ。
なぜなのかは、分からない。どうすれば帰れるのかも、分からない。帰れるのかどうかさえ、分からない。
けれど、ここがどこなのかは、ようやく分かった。
そして、ここで生きていく方法も、一つだけ見えていた。
科挙だ。
この国では、試験を通れば、出自の分からない者でも官僚になれる。官僚になれば、自分の知っていることを、この国のために使える機会があるかもしれない。
少なくとも、呉守田と徐文礼に、受けた恩を返すことはできる。
修平は、邸報の写しを丁寧に畳み、書棚に戻した。
それから、机に向かい、次の答案の稽古に取りかかった。
窓の外では、四年目の春の雨が、私塾の庭を静かに濡らしていた。




