第一巻 覚醒 第一回 転生直後の日常
畦の上に立ち上がると、景色は少しだけ広くなった。
田は、ゆるやかな傾斜に沿って段をなして続いていた。一枚一枚は、修平の知る日本の田より形が不揃いで、畦も細く、ところどころ土が崩れて草に覆われている。水は丘の方から細い溝を伝って流れ込み、上の田から下の田へ、畦に切られた小さな口を通って落ちていく。
人の姿は見えなかった。
修平は、まず鞄を開けた。
手が勝手に動いて、スマートフォンを探していた。取り出して、画面を点ける。
時刻は、八時十二分。家を出てから、二十分も経っていない。
画面の右上には、見慣れない表示があった。
圏外。
修平は、スマートフォンを空に向けて掲げた。畦の上を数歩歩き、また掲げた。表示は変わらない。位置情報を開くと、地図は灰色の格子だけを映し、現在地を示す青い点は、どこにも落ちてこなかった。
山の中なら、そういうこともある。電波の届かない田舎なら、そういうこともある。
そう考えようとして、修平は周囲を見回した。
電柱が、ない。
見渡す限り、一本もない。丘の上にも、田の向こうにも、送電線の鉄塔らしきものは影も形もない。道路もない。舗装どころか、車の通れる幅の道さえ見えない。あるのは畦と、その先に続く踏み固められた細い土の道だけだった。
鞄から、ノートパソコンを取り出した。
畦の上にしゃがみ、膝の上で開く。起動には少し時間がかかった。ログイン画面が出て、パスワードを打ち込み、デスクトップが現れる。無線の接続を示すアイコンには、小さな×印がついていた。利用可能なネットワークは、一つもない。
デスクトップの壁紙は、大学の図書館の写真だった。去年の秋に自分で撮ったものだ。その写真が、泥のついた指の下で、場違いなほど鮮やかに光っていた。
修平は、しばらく画面を見つめていた。
研修資料。卒業研究のデータ。読みかけの論文。表計算ソフト。統計ソフト。どれも、ここでは何の役にも立たない。いや、役に立つ場面があるとしても、それが来るまで電池が持つ保証はない。
電池残量は、九十四パーセントだった。
スマートフォンは、九十八パーセント。
充電器は鞄の中にある。だが、それを挿すコンセントはない。
修平は、パソコンの電源を落とした。シャットダウンの画面が消えるのを待って、蓋を閉じる。スマートフォンも電源を切った。画面が黒くなると、手の中にあるのはただの薄い板だった。
二つを鞄の底へしまい、ファスナーを閉めた。
これで、自分の手元に残った「文明」は、鞄の中で眠ることになった。
◇
それから、どれくらい歩いたのか分からない。
畦を伝って丘の方へ行き、また戻り、別の畦を辿った。田の向こうには林があり、その向こうに藁葺きらしい屋根がいくつか見えた。煙が一筋、空へ上がっている。人がいるのは間違いない。
だが、そこへ行って何を言えばいいのか。
ここはどこですか。日本ですか。今は何年ですか。
口の中で言葉を並べてみて、修平はそのどれもが、相手に通じる前提で作られていることに気づいた。
日は少しずつ高くなっていた。
上着を脱いで腕にかけた。ネクタイを緩めた。それでも汗が滲んでくる。四月の東京の朝とは、空気の重さが違った。湿気を含んだ温かい風が、田の水の匂いを運んでくる。
喉が渇いていた。
田の水は、目の前にいくらでもある。だが、口をつける気にはなれなかった。上流で何が流れ込んでいるか分からない。この状況で腹を壊したら、それこそ終わりだ。
修平は畦に腰を下ろし、膝を抱えた。
考えろ、と自分に言い聞かせた。考えれば、何か分かるはずだ。
だが、考えるための材料が足りなかった。電波がない。電柱がない。道路がない。人の姿はあるが、どんな人かは分からない。分かっているのは、自分がどこにいるのか分からない、ということだけだった。
不安は、じわじわと喉の渇きと混じり合っていった。
そのとき、畦の向こうから、足音が聞こえた。
◇
男が一人、歩いてきた。
四十代半ばくらいだろうか。日に焼けた顔に、深い皺が刻まれている。粗い麻らしい布の上衣の袖を肘までまくり上げ、裾を帯に挟んでいる。脚には脛まで泥がこびりついていた。肩には、鍬とも鋤ともつかない、柄の長い農具を担いでいる。刃には、乾きかけた土がついていた。
男は、畦に座り込んでいる修平を見つけて、足を止めた。
修平も、男を見た。
互いに、しばらく動かなかった。
男の目が、修平の頭のてっぺんから足の先までを、ゆっくりと往復した。白いシャツ。緩んだネクタイ。腕にかけた上着。泥に汚れたスラックスと革靴。胸に抱えた黒い鞄。
男の顔に浮かんだのは、驚きというより、困惑だった。見たことのないものを見て、それが何なのかを判断しかねている顔だった。
男が、何か言った。
修平には、一言も分からなかった。
中国語、なのだろうか。そう聞こえなくもない。だが、大学の第二外国語で一年だけ習った北京語とは、音の響きがまるで違った。抑揚が多く、語尾が柔らかく、音と音がつながって流れていく。
「すみません」
修平は、思わず日本語で言った。
「ここは、どこですか」
男は眉を寄せた。首を小さく傾げ、また何か言った。さっきよりゆっくりと、区切るように。
分からない。
修平は首を横に振った。男も、同じように首を横に振った。
男は、それ以上近づいてこなかった。農具を肩から下ろし、柄を地面に突いて、修平との距離を保ったまま立っている。刃先は、修平の方を向いてはいない。だが、すぐに持ち上げられる位置にあった。
警戒されている、と修平は思った。当然だった。自分がこの男の立場なら、同じようにする。
どうすればいい。
修平は、自分の喉を指さした。
それから、手のひらで椀の形を作り、口元へ運んで、飲む仕草をした。
男の目が、わずかに動いた。
修平はもう一度、同じ仕草を繰り返した。喉を指さし、椀を作り、飲む。
男は、しばらく修平の顔を見ていた。
それから、腰に下げていた竹筒を外した。
栓を抜き、自分で一口飲んでみせた。それから竹筒を差し出した。ただし、自分から歩み寄りはしなかった。腕を伸ばした分だけ、距離を詰めただけだった。
修平は立ち上がり、ゆっくりと近づいて、両手で竹筒を受け取った。
「ありがとうございます」
通じないと分かっていても、そう言った。
水は、ぬるかった。竹の匂いがした。それでも、喉を通っていく水は、これまで飲んだどんな水よりも確かに体に沁みた。
半分ほど飲んだところで、修平は手を止め、竹筒を返した。全部飲んでしまうのは、この男の今日の水を奪うことだと思った。
男は竹筒を受け取り、中を振って残りを確かめた。それから、修平の顔と竹筒を見比べて、何か短く言った。
その口元が、ほんの少しだけ緩んでいた。
◇
男は、ついて来い、というように顎をしゃくった。
修平は後に続いた。男は時々振り返り、修平がついてきているかを確かめたが、背中を見せることをあまり気にしていないようだった。農具は肩に戻されていた。
畦を抜け、林の縁の道を歩き、小さな流れに架かった丸太の橋を渡ると、屋根が見えてきた。
集落というより、家が点々と散らばっていた。それぞれの家が、自分の田と畑に囲まれている。
男が向かったのは、その中でも比較的大きな一軒だった。
土壁に藁葺きの母屋があり、その脇に、屋根のついた納屋のような建物が二つ並んでいる。母屋の前には土を固めた広い庭があり、そこに竹で編んだ大きな平籠がいくつも並べられていた。籠の中には、何かの種らしき粒が薄く広げて干してある。庭の隅には、壊れかけた木の道具が立てかけてあり、その横で鶏が数羽、地面をつついていた。
豪邸、というものではない。
だが、貧しい家にも見えなかった。建物は古いが手入れされている。納屋の中には、農具が何本も整然と掛けられていた。籠の数も多い。この家には、干すだけのものがあり、それを入れておくだけの場所がある。
庭で、女が一人、籠の前にしゃがんでいた。
男と同じくらいの年頃だろうか。髪を布で包み、袖をまくり、籠の中の粒を手でならしていた。その手は、爪の間まで土で黒ずんでいた。
女は顔を上げ、男を見て、それから修平を見た。
手が止まった。
男が何か言った。女が何か言い返した。声は低く、早口だった。修平の方をちらりと見ては、また男に向き直る。咎めるような調子が混じっていた。男は短く答え、肩をすくめ、それから修平の方へ手を向けて何か説明した。
修平は、黙って立っていることしかできなかった。
やがて女は大きく息を吐き、立ち上がった。手についた粒を払い、母屋へ入っていく。しばらくして戻ってきたとき、その手には、湯気の立つ椀があった。
女は、椀を男に渡した。男がそれを修平に差し出した。
粥だった。米か、それとも別の穀物か、白く柔らかく炊かれていて、上に青菜の刻んだものが少し載っている。
修平は椀を受け取り、頭を下げた。
箸は添えられていなかった。女がもう一度母屋へ行き、細い竹の箸を持ってきて、無言で修平に渡した。
庭の縁に腰を下ろし、粥をすすった。塩気が薄く、少し青臭く、そして温かかった。
男と女は、少し離れたところで、修平が食べるのを見ていた。
その向こうの戸口から、少年が一人、顔を出した。十三、四歳くらいだろうか。修平を見て目を丸くし、女に何か言われて、すぐに引っ込んだ。
食べ終えた椀を返すとき、修平は、自分が何も持っていないことに気づいた。礼として渡せるものがない。財布の中の千円札や硬貨が、ここで何かの意味を持つとは思えなかった。
もう一度、深く頭を下げた。
それしかできなかった。
◇
言葉の糸口は、意外なところから見つかった。
日が傾き始めたころ、男は庭の土の上に、木の枝で何かを書いた。
修平は、それを覗き込んだ。
字だった。
四角い、見覚えのある形の字が、三つ並んでいた。
「呉守田」
男は枝で自分の胸を指し、それから字を指した。
修平は、息を呑んだ。
読める。
ご、しゅ、でん。音読みを当てはめただけの、でたらめな読み方だ。男の口から出た音とは、まるで違う。だが、字の形は分かる。呉という姓、守るという字、田という字。
修平は、男の手から枝を借りた。
その横に、自分の名前を書いた。
「林修平」
それから、自分の胸を指した。
男は、しばらくその字を見ていた。それから、何か短い音を発した。修平の名前を、男の言葉で読んだのだろう。修平には、それが「リン」に近い音で始まることしか分からなかった。
男——呉守田は、もう一つ字を書いた。
「何処」
その下に、修平を指さした。
どこから来たのか、と聞いているのだ。
修平は枝を握り直した。何と書けばいい。
迷った末に、「日本」と書いた。
呉守田は、首を傾げた。何度か字を眺め、それから修平を見て、首を横に振った。知らない、という意味らしかった。
修平は、今度は「東」と書き、腕を大きく東の方へ振った。「海」と書き、波の形を手で描いた。
呉守田は、また首を傾げた。「海」の字には反応したように見えたが、それ以上は分からないようだった。
筆談は、そこから行ったり来たりを繰り返した。
修平の書く字は、呉守田にも読めるものと読めないものがあった。画数の少ない簡単な字はたいてい通じた。だが、修平が慣れで崩して書いた字は、首を傾げられた。「国」を書いたときには、呉守田は枝を取り返し、その横に、もっと画数の多い、囲みの中に「或」を入れた字を書いた。
同じ字なのに、形が違う。
修平はそれを見て、この人たちの使う字が、自分の知っている字の「元の形」なのだと理解した。
文法も、通じなかった。修平が「我不知此処」と、漢文の授業の記憶を頼りに並べても、呉守田はしばらく考え込み、それから一字ずつ指でなぞって、ようやく大意を掴んだようだった。
結局、確かに伝わったのは、ほとんど単語だった。
水。食。家。名。知らない。分からない。
それに、絵と、身振りと、何度もの書き直し。
日が落ちるころには、庭の土は二人の書いた字で埋まっていた。
呉守田は、最後にもう一度だけ枝を取り、短く書いた。
「今夜 宿此」
今夜はここに泊まれ、ということだろう。
その下に、もう一つ書き足した。
「明日 問」
明日、誰かに聞く。あるいは、明日、改めて問いただす。
どちらの意味にも取れた。修平は頷き、頭を下げた。
◇
その夜、修平は納屋の片隅に寝床を与えられた。
藁を敷き、その上に古い筵をかけただけのものだった。女——呉守田の妻は、無言で薄い掛け布を一枚置いていった。戸口は開いたままで、閉じ込められているわけではなかった。けれど、母屋の戸口からは、この納屋の入口がよく見えた。
修平は、鞄を抱えて横になった。
納屋の中には、農具と籠と、何かの穀物を入れた袋が積まれていた。土と藁と、乾いた穀物の匂いがした。
外では、蛙が鳴いていた。
一匹や二匹ではない。田という田から、何百、何千という蛙の声が重なり合って、夜そのものが鳴いているようだった。
修平は目を閉じた。
眠れば、目が覚めたときには、アパートの天井が見えるかもしれない。
そう思おうとした。思おうとしたが、うまくいかなかった。土の匂いと蛙の声は、目を閉じても消えなかった。
◇
翌朝、目が覚めたとき、見えたのは納屋の梁だった。
修平はしばらく、それを見上げていた。
外から、水を汲む音が聞こえた。鶏が鳴いていた。
起き上がって納屋を出ると、庭では呉守田の妻がもう籠の粒をならしていた。修平に気づくと、顎で井戸の方を示した。井戸の脇には、木の桶と、柄杓があった。顔を洗え、ということらしい。
朝の粥をもらったあと、呉守田は修平を連れて家を出た。
今度は、畑には向かわなかった。集落の中の道を歩き、他の家よりいくらか大きな一軒の前で足を止めた。
出てきたのは、六十に近い年頃の、痩せた男だった。呉守田よりいくらか身なりが整っていて、腰に何かの札のようなものを下げていた。
呉守田は、その男に向かって長々と話をした。時々修平を指さし、時々手で何かの形を描いた。男は腕を組んで聞き、ときどき短い質問をはさんだ。
話の途中で、男が修平の方へ歩み寄り、しげしげと服を眺めた。シャツの袖口の釦を指でつまみ、首を傾げた。ネクタイを持ち上げ、裏返し、また戻した。
それから、呉守田と同じように、地面に字を書かせた。
修平は、昨日と同じように自分の名前を書き、「日本」と書き、「不知」と書いた。
男は、それを長いこと見ていた。
やがて、男は呉守田に何か言った。呉守田が答える。男がまた何か言い、今度は修平の方を見て、ゆっくりと、はっきりとした声で何かを言った。
修平には、その言葉は分からなかった。けれど、その声の調子は、脅すものでも、見下すものでもなかった。決まりを告げる役人の声、というのが近かった。
後になって、修平はこの男が「耆長」と呼ばれる村の世話役で、姓を曾ということを知る。この村が石塘村と呼ばれていることも、そのころに知った。曾耆長は、その場で修平を捕らえもしなかったし、呉守田に「好きにしろ」とも言わなかった。
どこから来たのかも分からない、言葉も通じない、見たこともない服を着た男が一人、村に現れた。
それは、村の中で片づけていい話ではない。県へ届けなければならない。
届けて、県の役人に記録してもらい、この男が何者なのかを確かめるまでのあいだ、誰がこの男の面倒を見るのかを決めなければならない。
そういう話をしていたのだと、修平が理解したのは、ずっと後のことだった。
その日の帰り道、呉守田は、昨日よりもいくらか口数が多かった。何を言っているのかは分からなかったが、時々修平の方を振り返り、自分の胸を叩き、それから修平を指さした。
しばらくは、うちにいろ。
そう言われているのだと、修平は受け取った。
◇
ただ置いてもらうわけにはいかない、ということは、言葉が通じなくても分かった。
三日目の朝、呉守田は修平を井戸の前へ連れていき、桶を二つ、天秤棒の両端に下げてみせた。それから、それを肩に担ぎ、母屋の脇の水甕まで運び、中へ空けた。
やってみろ、という顔をした。
修平は天秤棒を担いだ。
最初の一歩で、桶が大きく揺れた。水が跳ね、スラックスの裾をまた濡らした。二歩目で、肩に棒が食い込んだ。三歩目で、桶の片方が地面に擦れた。
水甕まで運んだとき、桶の水は半分に減っていた。
呉守田は、それを見て笑った。
嘲る笑いではなかった。自分の子どもが初めて同じことをしたときを思い出したような、呆れ半分の笑いだった。それから修平の手から天秤棒を取り、担ぎ方を見せた。肩のどこに棒を載せるか。手をどこに添えるか。歩くときに、膝をどう使うか。
修平はもう一度やった。今度は、三分の二が残った。
昼までに、水甕は一杯になった。修平の肩は赤く腫れていた。
午後には、畑の草取りを任された。
ただし、呉守田が指で示した範囲だけだった。畝の端の、何も植わっていない部分。作物の根元には、触らせてもらえなかった。
修平は最初、それを信用されていないからだと思った。
夕方、呉守田が自分の担当した畝を見回りに来て、修平が抜いた草の山を足でかき分けた。その中に、一本、細い苗が混じっていた。修平が雑草と見分けられずに抜いたものだった。
呉守田は、その苗をつまみ上げ、修平の目の前にかざした。
何も言わなかった。
修平は、顔が熱くなるのを感じた。
作物の根元を触らせない理由が、分かった。信用の問題ではない。自分が触れば、作物が減るのだ。この家の人たちが食べるもの、売るもの、税として納めるものが、減る。
呉守田は、苗を畝の脇に置き、翌日から、草取りの前に一本ずつ、抜いていい草と抜いてはいけない苗を並べて見せるようになった。
その時間、呉守田自身の手は止まっていた。
修平は、そのことにも気づいた。
自分に仕事を教えるあいだ、この人は自分の仕事ができない。自分が水を半分こぼせば、誰かがもう一度汲みに行かなければならない。自分が苗を一本抜けば、その分だけ秋の実りが減る。
働けば食べさせてもらった分を返せる、と修平は思っていた。
そんなに簡単な話ではなかった。一人前に働けるようになるまでのあいだ、自分はこの家にとって、食べる口であり、教える手間であり、失敗の元だった。
◇
日々は、そうやって過ぎていった。
修平は、この家の人々の名前を、少しずつ覚えた。
主人は呉守田。妻は、周りの人々が「周氏」と呼んでいた。少年は長男で、名は呉順。家の奥には、もう畑に出ることはないらしい老いた母親がいて、日当たりのいい縁で、一日中籠の中の粒をより分けていた。
一日の流れも、少しずつ見えてきた。
呉家の朝は、日の出より早い。呉守田は暗いうちに起きて田の水を見回り、妻は竈に火を入れる。朝の粥を食べると、呉守田と呉順は農具を担いで田へ出る。妻は庭で干し物をし、昼には粥と漬物を持って田へ運び、午後には自分も畑に入る。夕方、男たちが戻ってくると、農具を洗い、刃を研ぎ、壊れたところを直す。夜は早い。油を惜しんで、灯りはほとんど点さない。
修平が見て驚いたのは、この家が、周りの家々と比べて明らかに多くの田と畑を持っているらしいのに、主人自身が毎日泥にまみれて働いていることだった。
地主、という言葉が、修平の頭の中にはあった。教科書で読んだ、土地を持ち、小作人を働かせ、自分は働かない人々。
呉守田は、そういう人ではなかった。
誰よりも早く田に出て、誰よりも遅く戻ってくる。鍬を振るう腕は太く、指は節くれ立っていた。妻の手も、老母の手も、同じように土で黒ずんでいた。
ここでは、土地を持つことと、自分の手で耕すことが、同じ一つの暮らしの中にあった。
言葉を覚えるのは、呉家の人々よりも、畑や庭のものの方が先だった。
水。桶。鍬。畝。苗。籾。籠。数を数える言葉も、早く覚えた。籾を干す籠が何枚あるか、束ねた苗が何束あるか、呉守田や周氏が指で示しながら口にする数を、修平は口の中で繰り返した。
数を覚えると、できることが増えた。
ある日、周氏が干し上がった籾を袋に詰めながら、袋の数を数えていた。修平はその横で、自分も声を出して数えた。周氏が一つ数え間違えたとき、修平は思わず指で袋を示し、正しい数を言った。
周氏は手を止め、袋を数え直した。
それから、修平を見て、初めて小さく頷いた。
その日から、修平の仕事に、籾や道具を数えて並べることが加わった。籠を大きさごとに重ねる。農具を掛ける場所を決める。袋の数を確かめる。肉体労働としては相変わらず半人前だったが、数えることなら、最初から一人前にできた。
現代の知識で、何かを変えようとは思わなかった。
変えられるものがあるとも思えなかった。この家の田の水の引き方も、籾の干し方も、何十年、何百年と繰り返されてきたやり方だ。自分が何かを言えるほど、自分はこの土地のことを知らない。
今の自分は、一人分の労働力になることさえ、まだできていなかった。
◇
ひと月ほど経ったころ、呉守田は修平を連れて、また曾耆長の家を訪ねた。
今度は、曾耆長の家に、見知らぬ男がもう一人いた。
四十代くらいで、身なりは曾耆長よりさらに整っていた。長衣を着て、頭には布の冠のようなものを載せている。腰の帯には、墨壺と筆を収めた小さな筒が下がっていた。
男は県から来た、と後で知った。修平のことを書き留めに来たのだ。
男は修平に、紙と筆を渡した。
修平は、生まれて初めて、本物の毛筆で字を書いた。
筆先はぐにゃりと曲がり、墨は紙に滲んだ。「林修平」の三文字は、呉守田の庭の土に枝で書いたときよりもずっと不格好だった。
男は、それを見て、眉を少しだけ上げた。それから、いくつかの質問を紙に書き、修平に答えさせた。どこから来たのか。いつ来たのか。何をしていたのか。家族はいるのか。
修平は、分かる範囲で答えた。「日本」「東」「海」。「一月前」。「学」。「父母 在遠」。
男は、修平の答えの横に、何か細かい字で書き込んでいった。修平には読めない、崩した字だった。
最後に、男は呉守田と曾耆長に向かって長く話した。呉守田が何度か頷いた。曾耆長が何か言い添えた。
その夜、呉守田は修平に、土の上に字を書いて説明した。
「官 記汝」。役所がお前を記録した。
「来住」。
「汝 住此 做工」。お前はここに住んで、働く。
「後 再問」。後でまた、問いただされる。
修平は頷いた。
すぐに追い出されることはない。捕らえられることもない。ただ、見知らぬ者として、見られ続ける。この村の人々と、県の役人に。
それでいい、と思った。むしろ、それが当然だと思った。
◇
夏の終わり、呉守田はもう一度、修平を連れて出かけた。
今度は、村の外だった。
一刻あまり歩いた先に、市が立つ小さな町があった。永和鎮という名だと、後で知った。店が並び、人が行き交い、荷を積んだ小舟が川を上り下りしていた。修平がこの世界に来て、初めて見る「町」だった。
町外れの、垣根に囲まれた小さな家の前で、呉守田は足を止めた。
中から、子どもたちの声が聞こえた。何かを、揃って読み上げている。一定の抑揚で、同じ句を何度も繰り返している。
呉守田が門の前で声をかけると、しばらくして、一人の男が出てきた。
五十を少し過ぎたくらいだろうか。痩せていて、背筋がまっすぐに伸びていた。質素だがきちんと洗われた長衣を着て、手には朱で汚れた筆を持っていた。
呉守田は、その男に向かって深く頭を下げ、修平を指さして話し始めた。
男は黙って聞いていた。途中で一度、修平の方をまっすぐに見た。値踏みするような目ではなかった。何かを確かめようとする目だった。
話が終わると、男は修平に筆と紙を渡した。
修平は、書いた。「林修平」。それから、少し迷って、覚えたばかりの言葉を字にした。「欲学」。学びたい。
男は、その不格好な字をしばらく眺めていた。
それから、呉守田に向かって何か言った。呉守田が困ったような顔で何か答える。男がまた何か言う。二人のやりとりの中に、何度か同じ言葉が出てきた。修平はそれが、銭の単位らしいことに気づいた。
呉守田は、ずっと難しい顔をしていた。
修平は、この家に来てからの数か月で、呉家に銭がたくさんあるわけではないことを知っていた。田はある。籾もある。家もある。けれど、呉守田が町で農具の修理を頼むときや、周氏が塩を買うときには、手元の銭を何度も数え直していた。
この人に、自分の学費を払わせるわけにはいかない。
修平はそう思って、呉守田の袖を引こうとした。
そのとき、男が、修平に向かって紙に書いた。
「汝 能掃除否」。お前は掃除ができるか。
修平は、頷いた。
男は、もう一行書いた。
「束脩 且緩」。謝礼は、しばらく待つ。
呉守田が、大きく息を吐いた。
後で知ったことだが、呉守田がこの私塾に修平を連れてきたのは、修平に学問の才があると見抜いたからではなかった。
言葉も字も分からない者を、このまま畑だけで使い続けても、本人のためにならない。家のためにもならない。言葉が分からなければ、いつまで経っても教える手間がかかる。いずれ県の役人がまた来たとき、自分のことを自分で説明できなければ困る。
それだけの、実務的な判断だった。
男は、自分の名を紙に書いた。
「徐文礼」。
◇
秋の刈り入れが近づくころには、修平の暮らしは、三つの柱の上に落ち着いていた。
呉家で働く。
村と県の記録の中で、来住者として暮らす。
徐文礼のもとで、言葉と文字を学ぶ。
私塾へ通うのは、農作業の手が少し空く日だけだった。朝早く呉家を出て、一刻あまり歩いて私塾へ行き、庭を掃き、机を拭き、墨を擦り、子どもたちの後ろで同じ句を読み上げる。夕方にはまた同じ道を歩いて呉家へ戻る。
子どもたちは、自分たちより背の高い大人が、自分たちと同じ最初の頁を読んでいるのを見て、遠慮なく笑った。
修平は、笑われても気にしなかった。実際、自分は子どもたちより読めなかった。
ある夕方、私塾からの帰り道、修平は川沿いの道で立ち止まった。
向こう岸の町の門の上に、額が掲げられていた。字が四つ、並んでいた。私塾で習い始めたばかりの字が、その中に二つあった。
ここは、中国なのだろう、と修平は思った。
字を使い、筆で書き、役人が記録を取り、子どもたちが古典を読み上げる。服装も、家の造りも、修平が本や資料で見てきた、昔の中国の暮らしによく似ていた。
だが、それがいつの時代の、どこの国なのかは、まだ分からなかった。
呉守田の口から出る言葉は、修平の知るどの中国語とも違う。役人の着ていた長衣も、どの時代のものか見分けられるほど、自分は詳しくない。
過去なのか。それとも、どこか遠い、自分の知らない場所なのか。
日が落ちかけていた。川面が赤く染まり、向こう岸の町で、誰かが夕餉の支度をする煙が上がっていた。
修平は、また歩き出した。
呉家に戻れば、明日の朝も水を汲み、籾を数えなければならない。




