第二巻 新法 第十八回 最初の一手
二度目の会合で、委員会は、利を下げると決めた。
銀行同士の短い利を、年八分から、年六分半へ導く。中央銀行が銀行に準備を貸す利を、年七分。銀行から準備を預かる利を、年六分。その間に、銀行同士の利を挟む。
決めるまでに、半日かかった。
程伯言は、五枚の表を、委員の一人ひとりに読ませ、それぞれの見立てを述べさせた。
物の値は、七つの市のどれでも、わずかに下がるか、動かないかだった。凶作の地も、豊作の地も、同じだった。一つの土地の事情ではなく、国中の買う力が弱いのだ、というのが、五人の一致した見立てだった。
隙間の推しは、幅があった。けれど、どの推し方でも、実際の商いは、無理なく作れる量を下回っていた。
貸付は、細っていた。銀行は、貸したがらず、商人は、借りたがらなかった。
八分の利は、物の値がわずかに下がる中で、実の利を八分より重くしていた。自然な利の推しは、四分から六分。どう見ても、重すぎた。
「どれか一つの数で決めるのではない」
程伯言は、最後に言った。
「物の値。実の利。隙間。貸付。銀行の安定。——どれも、同じ方を指しておる。締まりすぎておる、と。だから、緩める」
程伯言は、筆を取り、決定の文書に名を記した。四人が、続いた。
「ただし、一度に大きくは動かさぬ。一分半。それで、国中の利が、どう動くかを見る」
◇
決定は、その日のうちに、四つの支院へ急ぎの駅便で送られた。
翌日から、本院と支院は、銀行に準備を貸す利と、預かる利を、改めた。
修平は、本院の統計房で、韋明遠と一緒に、毎日の数を見守った。
開業から日が浅く、中央銀行に担保として出せる手形や国の証文を揃えている銀行は、まだ少なかった。そのため、中央銀行が準備を貸す利を七分と定めても、銀行同士の利は、すぐにはその下へ入ってこなかった。
三日目。開封の銀行同士の短い利が、八分から七分半に下がった。
五日目。七分に。
十日目。六分半の近くで、落ち着き始めた。
「効いておりますな」
韋明遠が、表を見ながら言った。
「銀行同士の利は、狙った通りに動いております」
「ここまでは、中央銀行の手の届く範囲です」
修平は、言った。
「ここから先が、長い」
銀行同士の利が下がっても、銀行が商人に貸す利が、すぐに下がるわけではなかった。銀行は、すでに商人と結んだ貸付の利を、途中で書き換えたりはしない。新しく貸すときに、少しずつ下げていく。手形の割引の利も、両替商の組合が、様子を見ながら、少しずつ改めていく。
ひと月が経って、ようやく、開封の手形の割引の利が、半分ほど下がった。
商人が、倉庫を建てようと借りに来る数は、まだ、ほとんど増えていなかった。
「まだ、効いておらぬのか」
鄭仲謙が、統計房に顔を出して、じれったそうに言った。
「効いています。ただ、まだ、途中です」
修平は、表の一か所を指した。
「利を下げたと聞いて、商人がすぐに倉庫を建てるわけではありません。今年の商いの見込みが暗ければ、利が下がっても、しばらくは様子を見ます。倉庫を建てる算段をして、職人を集めて、材木を買うのに、何か月もかかります。——私の国でも、利を動かしてから、それが商いに効くまでに、半年から一年、物の値に効くまでに、一年から二年かかると言われていました」
鄭仲謙は、深い溜息をついた。
「会子を刷れば、翌月には、値が動いた」
「だから、会子は、危うかったのです」
鄭仲謙は、しばらく黙っていた。
それから、苦笑した。
「……そうだな」
◇
そのひと月の終わりに、思いがけないことが起きた。
統計房に、朝一番で報せが届いた。開封の銀行同士の短い利が、一夜で、六分半から、中央銀行が準備を貸す利の七分に張り付いた、と。準備の足りない銀行が、中央銀行の窓口へ次々に借りに来ている。手形の割引の利は、一割を超えた、と。
修平は、表を見て、息を呑んだ。
「何があった」
程伯言が、統計房へ駆けつけてきた。
答えは、戸部から来た。
西方への遠征の費えを賄うための、国の証文だった。
遠征の部隊の糧、馬、武具、藩王府への支払い、使節の贈り物。それに、一年、二年と続くかもしれない遠征の間の費え。戸部は、それを、税ではなく、国の証文で賄うことにしていた。一時の、終わりのある支出だった。修平が、戸部で説いた通りに。
その国の証文が、昨日、一度に、大きな額で、市に出された。
銀行と、両替商と、大きな商人が、それを買った。買うために、手元の準備と預りを使った。銀行の準備が、一夜で、大きく減った。準備の足りなくなった銀行が、銀行同士で準備を借りようとした。貸す銀行は、少なかった。利が、跳ね上がった。
「国の証文が、市の銭を吸い上げた」
修平は、表を見ながら、呟いた。
国が大きく借りれば、世の中で貸せる銭を、国が先に取ってしまう。利が上がり、商人が借りられなくなる。——国が使った分だけ、商人の使う分が押しのけられる。
自分が、戸部で説いたことだった。
それが、今、目の前の表の上で、起きていた。
しかも、国の商いには、まだ隙間がある時に。
◇
午後、委員会の臨時の会合が開かれた。
程伯言は、表を前に、長いこと黙っていた。
「銀行同士の利が、上の縁に張り付いた。手形の利は、一割を超えた。このひと月で下げたものが、一夜で帳消しだ」
呂端甫が、言った。
「このままでは、手形の割引の利も、また上がる。倉庫を建てようと考え始めた商人が、また手を引く」
「国の証文を、中央銀行が買えばよい」
鄭仲謙が、言った。
「市に出された国の証文を、中央銀行が買い取れば、銀行に準備が戻る。利は、下がる」
程伯言が、鄭仲謙の方を向いた。
「それは、戸部の遠征の費えを、中央銀行が賄うことにならぬか」
部屋の中が、静かになった。
程伯言は、壁際の修平の方を見た。
「林詳定。そなたは、どう見る」
修平は、立ち上がった。
「中央銀行が、戸部から直接、国の証文を引き受けるのなら、それは、遠征の費えを中央銀行が賄うことです。けれど、今、委員会がお考えになっているのは、そうではないと思います」
修平は、表を指した。
「戸部は、国の証文を、市に出しました。市は、それを買いました。遠征の費えは、もう、戸部の手元に入っています。中央銀行が、今、国の証文を買っても、戸部の手に銭が渡るわけではありません。中央銀行が、市で、国の証文を持っている銀行や商人から、それを買う。その銀行や商人に、準備と預りが戻る」
「戸部のためではなく、市のために買う」
「はい。委員会が、この二月、物の値と商いの様子を見て、利を六分半へ導くと決めました。それが、国の証文の出し方のせいで、一夜で崩れた。委員会は、自分の決めた利へ戻すために、市で国の証文を買う。——戸部に頼まれたからではなく、委員会自身の判断で」
修平は、少し間を置いた。
「ただ、それを、世に、はっきりと示さねばなりません。中央銀行は、戸部の遠征の費えを賄うために買ったのではない。市の利が、委員会の定めた高さから外れたから、それを戻すために買ったのだ、と。どの証文を、いくら、いつ買ったか。なぜ買ったか。それを、帳簿に記し、世に報せる」
程伯言は、しばらく修平を見ていた。
それから、他の四人を見回した。
「買う。ただし、利を六分半へ戻すに足る分だけだ。一文も余計には買わぬ。戸部には、中央銀行が買ったことを、後から報せる。前もっては、報せぬ」
鄭仲謙が、頷いた。
「前もって報せれば、戸部は、中央銀行が買ってくれると見込んで、次の証文を出すでしょうな」
「そういうことだ」
程伯言は、筆を取った。
◇
三日後、銀行同士の利は、六分半の近くに戻った。
その後の数か月は、ゆっくりとした日々だった。
統計房の表の上で、銀行の貸付の額が、少しずつ、増え始めた。手形の割引の利が、少しずつ、下がり始めた。杭州の東支院と開封の本院の間の付け替えの件数が、月ごとに、少しずつ、増えていった。
ある銀行の元手が薄くなっているという報せが北支院から届いたとき、委員会は、利を動かさなかった。代わりに、その銀行に検めの官を送り、元手を厚くするよう命じた。国中の利を動かすのではなく、その一つの銀行に、細い舵を切った。
物の値の籠は、まだ、ほとんど動いていなかった。
それでも、修平は、統計房の表を見るたびに、何かが、少しずつ、流れ始めているのを感じた。
一度の利下げで、国の商いが治るわけではない。中央銀行ができたからといって、翌月から景気が良くなるわけではない。
けれど、止まっていたものが、少しずつ、動き始めていた。
◇
遠征の部隊が開封を発ったのは、あの国の証文の騒ぎから十日あまり後の、晩秋のことだった。
西の外城の門、開遠門の前の広場に、見送りの民が、何万と集まっていた。
狄承武は、その広場の真ん中で、馬の手綱を握って立っていた。
都からの本隊。禁軍の騎兵と歩兵。外交の使節と、その随員。軍事の調査の官たち。輜重の車の列。それが、門の前から、街道の先まで、長く続いていた。甘州では、韓奇捷が、狄承武の指揮の兵とともに、本隊を待っている。
広場の正面に、黄色の幔幕が張られていた。
その下に、皇帝が立っていた。
狄承武は、皇帝の姿を、これほど近くで見るのは、はじめてだった。
三十代の半ば。面長の、穏やかな顔だった。その周りに、宰相たちと、枢密使・楊崇武と、礼部と兵部の尚書たちが並んでいた。
狄承武は、聞いていた。
この秋、都で、中央銀行というものが開いた。その開業の式に、皇帝は出なかった。自分がその務めに手を出さないことを、天下に示すためだった、と。
その皇帝が、今日は、自ら、幔幕の前に立っている。
皇帝は、広場を見渡した。
それから、口を開いた。
声は、大きくはなかった。けれど、広場の隅々まで届いた。
「西へ行く者たちに、朕は、一つだけ言っておく」
広場が、静まった。
「そなたたちは、西の国へ、戦をしに行くのではない。西の国を、知りに行くのだ。その国の者と、言葉を交わしに行くのだ。北の敵と、どう向き合うべきかを、共に考えに行くのだ」
皇帝は、遠征の部隊の列を、端から端まで見た。
「道中、そなたたちは、多くの国を通る。その国の民は、そなたたちの武具を見て、恐れるだろう。——恐れさせるな」
狄承武は、手綱を握る手に、力が入るのを感じた。
「武は、征服のためにあるのではない。守るためにある。朕の民を守るため。そなたたちの隣に立つ者を守るため。そして、そなたたちが通る国の民を、そなたたち自身の手から守るため」
皇帝は、少し間を置いた。
「勝者だから何をしてもよい、とはしない。強い者だから何をしてもよい、とはしない。それが、朕の国の武だ。——それを、西の国に、見せてこい」
広場の民が、どよめいた。
遠征の部隊の兵たちが、一斉に、胸の前で拳を合わせた。
狄承武も、拳を合わせた。
皇帝の目が、一瞬、狄承武の上に止まったような気がした。
気のせいだろう、と狄承武は思った。何千という兵の中の、一人の指揮使に、皇帝が目を留める理由はない。
出立の太鼓が鳴った。
狄承武は、馬に跨がった。
開遠門をくぐるとき、狄承武は、一度だけ振り返った。
黄色の幔幕の下で、皇帝は、まだ立っていた。
その横で、枢密使・楊崇武が、狄承武の方へ、小さく頷いたのが見えた。
狄承武は、前を向いた。
街道が、西へ、まっすぐに延びていた。
◇
その日、修平は、開遠門の広場の、民の群れの後ろの方にいた。
見送りに来るつもりはなかった。統計房で、その月の数をまとめている最中だった。けれど、鄭仲謙に、今日くらいは見ておけ、と言われて、引っ張り出されてきたのだった。
遠征の部隊の列が、門をくぐっていくのを、修平は、群れの後ろから見ていた。
騎兵。歩兵。輜重の車。
この遠征の糧と馬と武具は、国の証文で賄われている。その証文が市に出たとき、銀行同士の利が一夜で跳ね上がった。中央銀行は、市でそれを買い、利を戻した。統計房の表の上で、自分は、その数を毎日見ていた。
その数の向こうに、この列があったのだ。
修平は、列の中の、一人の指揮使の背中を見た。
名は、知らなかった。
ただ、その男が、門をくぐるとき、一度だけ振り返ったのが見えた。
修平は、統計房に戻った。
表の上の、遠征の国の証文の額の欄を、しばらく眺めていた。




