第二巻 新法 第十三回 信用開花
初夏の法が下ったのは、廷議から三月後のことだった。
中央銀行を置く。
名は、これまでの「中央の行」を改め、銀行を束ねる銀行の意を取って、中央銀行とした。開封に本院を、東西南北に四つの支院を置く。長は知院事、副は同知院事、ほかに委員三名。五名から成る委員会が、利と紙幣の出し入れを決する。委員の任期は六年。罪によるほかは罷免されない。委員の行いは、御史台が監察する。
紙幣の直接の発行は、委員全員の同意と、都堂の議決と、皇帝の裁可の三つが揃わねば行えない。
会子務と銭引務の実務は、五年をかけて段を追い、中央銀行へ引き継ぐ。
知院事には、程伯言という男が任じられた。六十歳。若い頃に会子務を監し、のちに転運使を二度務め、晩年は御史台で財計の検めに当たっていた。会子の暴落の年、会子務の若い監官として、戸部の命に三度まで異を唱え、三度とも退けられた男だと、修平は蔣守拙から聞いた。
同知院事には、鄭仲謙が任じられた。
残る三人の委員は、成都の銭引務で二十年を過ごした蘇懐玉、両浙路の転運副使だった呂端甫、開封府で商税を扱ってきた馮守謙だった。
修平は、委員ではなかった。
詳定官として、中央銀行の開業まで、委員たちに制度の運用を説く役目を与えられた。開業の後は、委員会に求められれば、説明し、分析する。決める者ではない。
それで、よかった。
◇
開業を二月後に控えた日、中央銀行本院の仮の執務室に、委員五人と、葉正言と、修平が集まった。
本院の建物は、まだ半分しかできていなかった。会子務の古い庁舎の隣の空き地に、新しい棟が建てられている最中で、窓の外からは、槌の音と、左官の掛け声が聞こえてきた。
執務室の卓の上には、半年分の数が並べられていた。
七つの市の、物の値の籠。去年の冬から、毎月、欠かさず集められてきたものだった。それに、戸部の試しの国の帳簿。都の近くの銀行の貸付の額。両替商の組合から出させた、手形の割引の利。
数は、韋明遠が作った表に、十進の位取りの数字で、整然と並んでいた。
「今日は、中央銀行が、実際に何を動かして、何を動かせないのかを、確かめたいと思います」
修平は、卓の端に立って言った。
「開業すれば、委員の皆様が決めることになります。決める前に、手の中にある舵が、何につながっているのかを、見ておいていただきたいのです」
程伯言が、白い眉の下から、修平を見た。
「始めよ」
◇
「まず、利です」
修平は、紙に、一本の線を引いた。
「中央銀行は、商人に向かって、この利で貸せ、と命じるのではありません。民に向かって、この利で預けよ、と命じるのでもありません」
修平は、線の左端に、「中央銀行」と書いた。
「中央銀行が動かすのは、銀行と銀行の間で、一日、十日といった短い間、銭を貸し借りするときの利です。ある銀行が、今日、準備が足りない。別の銀行は、今日、準備が余っている。余っている銀行が、足りない銀行に、一晩だけ貸す。その利を、中央銀行が、ある高さへ導こうとする」
「導く、とは」
蘇懐玉が、聞いた。成都の男らしく、言葉の端に、四川の訛りがあった。
「中央銀行は、銀行に準備を貸すことができます。その利を低くすれば、銀行同士で高い利を払って借りる者はいなくなります。準備を余らせている銀行から、中央銀行が預かることもできます。その利を高くすれば、銀行同士で低い利で貸す者はいなくなります。——中央銀行が、貸す利と預かる利とで、銀行同士の利を、上と下から挟むのです」
修平は、線の上を、右へ辿った。
「銀行同士の短い利が下がれば、銀行は、安く準備を手に入れられます。それで、商人に貸す利も、少しずつ下げられる。商人の手形を割り引く利も、下がる。国の証文の利も、下がる。それを見て、商人が、倉庫を建てようかと考える。——そうやって、中央銀行が動かした一点の利が、国中の利に伝わっていく」
修平は、線の右端に、「商い・物の値」と書いた。
「ただ、この線は、長いのです。途中で、切れることもあります」
◇
「利を下げれば、景気が良くなるのか」
呂端甫が、腕を組んで言った。両浙路の転運副使を務めた男で、口数は少ないが、言うことは的を射ていた。
「利が、高いか、低いかによります」
修平は、韋明遠の表を指した。
「ここに、半年分の、物の値の籠があります。七つの市とも、この半年、籠の値は、ほとんど動いていないか、わずかに下がっています。国の帳簿の試しでは、商いの大きさは、無理なく作れる量を、どうやら下回っている。隙間がある」
修平は、表の一か所を指した。
「そして、今の銀行同士の利は、年に八分ほどです。——物の値が上がらず、むしろわずかに下がっているところで、八分の利。実の利は、八分か、それ以上です」
馮守謙が、低く唸った。
「重いな」
「重いと思います。ただ、自然な利がいくつかは、推したものです。韋算学の表では、四分から六分のあいだ、という幅で出ています。どの推し方でも、八分より下です」
修平は、表を卓に置いた。
「ですから、中央銀行が開いたら、まず、この利を下げる方向で考えることになるでしょう。ただし、それを決めるのは、私ではありません。委員の皆様です」
程伯言は、何も言わなかった。表を、じっと見ていた。
◇
「利のほかに、もう一つの舵があります」
修平は、新しい紙を出した。
「国の証文です」
葉正言が、わずかに身を動かした。
「国の証文は、この春から、少しずつ出され始めています。京西路の堤の費えのために。今は、両替商と銀行と、大きな商人が持っている。——中央銀行は、その国の証文を、市で買うことができます」
修平は、紙に、二つの枠を描いた。一つは、中央銀行の帳簿。もう一つは、ある銀行の帳簿。
「中央銀行が、ある銀行から、国の証文を百貫買うとします。中央銀行の持ち物に、国の証文が百貫増えます。代わりに、中央銀行は、その銀行の準備の預りに、百貫を書き込みます。銀行の方では、国の証文が百貫減り、中央銀行に置いた準備が百貫増える」
「銀行は、準備が増える」
「はい。準備が増えれば、銀行同士で準備を借りる必要が減ります。銀行同士の利が、下がりやすくなる。逆に、中央銀行が国の証文を銀行に売れば、準備が減り、利が上がりやすくなる」
修平は、二つの枠を指した。
「利を上と下から挟むのと、国の証文を売り買いするのと。二つの舵で、銀行の準備の多さと、銀行同士の利を整えるのです」
◇
鄭仲謙が、眉を寄せた。
「林詳定。国の証文を中央銀行が買うというのは、この春、廷議で禁じた、紙幣を刷って国の支出を賄う、というのと、どう違う」
修平は、その問いを待っていた。
「誰が、何のために、決めるかが違います」
修平は、言った。
「国の証文を出すかどうか、いくら出すか、何に使うかは、戸部と都堂が、予算として決めます。国の証文を出した後、それを市で誰が買うかは、市が決めます。——中央銀行が、そのうちの一部を市で買うかどうかは、中央銀行の委員会が、物の値と、銀行の準備と、利を見て、決めます。戸部が、国の証文を出したから中央銀行が買え、と言っても、委員会が要らぬと判ずれば、買わない」
葉正言が、口を開いた。
「戸部としても、そう申し上げておく。私が、中央銀行に国の証文を買え、と頼みに来ることは、ない」
葉正言は、程伯言の方を見た。
「程知院が、会子の年に、戸部の命に三度逆らわれたことは、存じ上げております。今度は、逆らっていただく必要すらない仕組みを作ったつもりです」
程伯言は、初めて、口の端をわずかに上げた。
「逆らうのは、骨が折れる。逆らわずに済むなら、それに越したことはない」
◇
「国の証文については、よく出る反論が二つあります」
修平は、話を進めた。
「一つは、国が証文を出して銭を使っても、民は、いずれ税で返されると見込んで、その分を貯めてしまう。だから、国が使った分だけ、民が使わなくなり、差し引きで何も変わらない、という考えです」
「王参政が、陳参政の問いとして持ってきた話だな」
葉正言が、言った。
「はい。民が、先の税を正しく見込み、手元の銭がなくても自由に借りられ、自分の生きている間にその税を払うと考えているなら、そうなります。けれど、日銭で暮らす者や、今、手元に銭のない者は、先の税を見込んで今使うのを控えたりはしません。いつもそうなるわけではない、と考えておくべきです」
「もう一つは」
「国が大きく借りれば、世の中で貸せる銭を国が先に取ってしまうので、利が上がり、商人が借りられなくなる。国が使った分だけ、商人が押しのけられる、という考えです。これは、商いに隙間がなく、田も工房も人も目一杯使われているときには、起こりやすい。隙間があるとき、そして中央銀行が利が上がりすぎないよう準備を整えているときには、起こりにくい」
呂端甫が、頷いた。
「どちらも、時による、ということか」
「どちらも、万能の理屈ではありません。今が、どちらに近い時なのかを見るのが、この表です」
◇
「最後に、もう一つ、申し上げておかねばならないことがあります」
修平は、韋明遠の表の横に、もう一枚、白い紙を置いた。
「物の値が落ち着いていれば、中央銀行の仕事は済むか。——済みません」
委員たちが、修平を見た。
「永豊櫃坊が潰れた年、開封の物の値は、落ち着いておりました。米の値も、塩の値も、布の値も、いつもと変わらなかった。けれど、荷揚げ場の櫃坊は、元手を薄くし、蔵の銭を減らし、倉庫と船への貸付を膨らませていた。物の値の籠を見ていても、それは見えません」
修平は、白い紙に、表の枠を描いた。
「ですから、委員会には、物の値と商いの表とは別に、もう一枚の表を出します」
修平は、欄を書き込んでいった。
銀行ごとの元手の厚さ。蔵の銭と、すぐ銭になる持ち物の多さ。貸付の伸び。どの商いへの貸付が膨らんでいるか。倉庫や土地や国の証文の値。短い借りに、どれだけ頼っているか。時間のずれ。
「物の値を安定させることと、銀行を安定させることは、別の仕事です。物の値が落ち着いていても、この表の数が膨らんでいれば、どこかで危うさが溜まっているかもしれない」
「その時は、利を上げるのか」
馮守謙が、聞いた。
「利を上げれば、国中の商いが冷えます。危うさが溜まっているのが、荷揚げ場の櫃坊だけなら、国中を冷やす必要はない。その時は、利ではなく、別の舵を使います。その銀行の元手を厚くさせる。蔵の銭を増やさせる。担保に取る手形の値の見方を厳しくする。検めの役人を送る」
修平は、二枚の表を並べた。
「利は、国全体の商いに効く、太い舵です。元手や蔵の銭や検めは、銀行一つひとつに効く、細い舵です。一つの舵に、全部を背負わせてはなりません」
◇
話が終わったのは、夕刻だった。
窓の外の槌の音は、いつの間にか止んでいた。
修平は、最後に、卓の上の紙を揃えながら言った。
「利と、国の証文の売り買いは、中央銀行が、月ごと、季ごとに、細かく動かせます。税の率を変えたり、国の支出を増やしたり減らしたりするのは、都堂と戸部が、年ごとに、予算として決めます。紙幣を直接刷るのは、よほどのことがなければ、決してしない」
修平は、三つの枠を描いた。
「細かい舵は、中央銀行へ。大きな舵は、都堂と戸部へ。最後の舵は、封じておく。——国が毎月、税の率を変えて商いを整えるのは、無理です。けれど、中央銀行なら、毎月、利を少しずつ動かせる。そのために、中央銀行を置くのです」
程伯言が、立ち上がった。
白い眉の下の目が、修平をまっすぐに見た。
「林詳定。一つ、聞きたい」
「はい」
「そなたの国の中央銀行の委員たちは、この舵を、うまく操れたのか」
修平は、少し考えた。
「操れた時もありました。操り損ねた時もありました。舵を切るのが遅すぎて、国中の商いを冷やしてしまったことも。舵を切りすぎて、物の値を上げすぎてしまったことも。舵がどこにつながっているのか、分からなくなったことも」
程伯言は、しばらく黙っていた。
「正直だな」
「嘘をついても、委員の皆様には、いずれ分かります」
程伯言は、低く笑った。会子の年から数えて、何十年ぶりかの笑いだったのかもしれない、と、後で鄭仲謙が修平に言った。
「では、我らも、操り損ねながら操ることにしよう」
程伯言は、窓の外の、半分できた本院の棟を見た。
「二月後だ」




