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第二巻 新法 第八回 自然利子率とGDPギャップ

「年に三分は、高いのか、低いのか」


 修平は、葉正言の問いを、そのまま紙の一番上に書いた。


「それだけでは、決められません」


 葉正言が、眉を寄せた。


「数ではないか。三分は三分だ」


「銭を借りる者にとって、三分が重いかどうかは、その間に物の値がどれだけ動くかで変わります」


 修平は、紙の下に、小さな例を二つ書いた。


「高主人のような商人が、百貫を一年、三分の利で借りたとします。一年後に、百三貫を返す」


「一つ目の年。この一年で、物の値が、五分上がったとします。一年前に百貫で買えた物が、一年後には百五貫になっている。——商人は、一年後に百三貫を返しますが、その百三貫で買える物は、一年前の百貫で買えた物より、少なくなっています」


 鄭仲謙が、指を折った。


「借りた時より、値打ちの軽い銭で返している」


「はい。この商人にとって、三分の利は、実のところ、重くありません。むしろ、値の上がり方の方が大きいので、借りた方が得だったとも言えます」


「二つ目の年。この一年で、物の値が、五分下がったとします。一年前に百貫で買えた物が、一年後には九十五貫で買える」


 高元亨が、顔をしかめた。


「その年に百三貫を返すのは、重うございますな」


「重いのです。借りた時より、値打ちの重い銭で返すのですから。——同じ三分の利でも、値が上がる年と下がる年では、借りる者にかかる重さがまるで違う」


 修平は、紙の上に、式を一つ書いた。


 利 ― 値の上がり方 = 実の利


「借りる者が本当に気にしているのは、この実の利です。三分の利で、値が五分上がる年なら、実の利は、負の二分。値が五分下がる年なら、実の利は、八分」


 韋明遠が、算木を動かした。


「負の二分と、八分。同じ三分から」


  ◇


「もう一つ」


 修平は、式の横に、もう一行書いた。


「利を決めるとき、貸す者も、借りる者も、これから一年で値がどれだけ上がりそうかを見込みます。値が三分上がりそうだと皆が思っていれば、貸す者は、その三分を上乗せした利でなければ貸したがらない。貸した銭の値打ちが、その分軽くなって返ってくるのですから」


 修平は、書いた。


 利 ≒ 実の利 + 見込まれる値の上がり方


「私の国では、これを、ある学者の名を取って呼んでいます。人々が値上がりを見込めば、利もそれに合わせて上がる。値下がりを見込めば、利が低くても、実の利は高いままになる」


 葉正言が、式をじっと見ていた。


「値が下がり続けると皆が思っている時には、利をいくら低くしても」


「実の利は、高いままです。借りる者は、借りたがらない。倉庫は建たない。買う力は、弱いまま」


「銭荒の年が、そうだった」


 蔣守拙が、ぽつりと言った。


「会子を絞った後の年。櫃坊は、利を下げても、借り手がつかぬとこぼしておりました」


「それに、もう一つあります」


 修平は、式の下に、小さく書き足した。


「前もって決めた額で借りている者のことです。百貫を借りて、十年後に百貫を返す約束をしている者。その十年のあいだに、思いがけず値が下がり続けたら、どうなるか」


「返す銭が、重くなる」


「はい。借りた時の見込みより、ずっと重い銭で返さねばならなくなる。借りている者が多い国で値が下がり続ければ、国中の借り手が、少しずつ、返せなくなっていく。逆に、思いがけず値が上がれば、借り手は楽になり、貸し手が損をする。値の動きは、借りた者と貸した者のどちらかに、思いがけない重みをかけるのです」


 修平は、少し間を置いた。


「これは、いずれ、この国の商いがもっと大きくなった時に、大事になる話です。今は、覚えておいていただくだけで」


  ◇


「では、実の利が何分なら、ちょうどよいのだ」


 葉正言が、聞いた。


 修平は、紙の新しい頁を開いた。


「それを考えるために、二つのものを置きます」


 修平は、一つ目を書いた。


 国が、無理なく作れる量。


「国には、田があり、倉庫があり、船があり、工房があり、働く人がいます。それらを、普段どおりに、無理なく使ったときに作れる物の量。人を夜通し働かせたり、工房の火を一日も落とさなかったりすれば、しばらくは、それより多く作れるかもしれない。けれど、それは長くは続かない。長く続けられる量です」


「最大ではなく、無理のない量か」


「はい。私の国では、潜在的な量、と呼んでいました」


 修平は、その下に、もう一行書いた。


 実際に作られた量。


「そして、実際に作られた量を、無理なく作れる量と比べます」


 修平は、二つの間に、縦の線を引いた。


「実際に作られた量が、無理なく作れる量より少なければ、どこかに、使われていない田や、空いている倉庫や、仕事のない人がいるということです。買う力が足りていない。この差を、私の国では、隙間と呼んでいました」


 鄭仲謙が、身を乗り出した。


「その隙間があるなら、買う力を足せば」


「作る量が増え、雇われる人が増えやすい。遊んでいる田や人がいるのですから、値を上げずとも、作る量を増やせます」


「逆に、無理なく作れる量を、実際の量が上回っていれば」


「人を夜通し働かせ、工房の火を落とさずにいる状態です。さらに買う力を足しても、それ以上作るのは難しい。足した買う力は、作る量ではなく、値の上がりの方へ回りやすくなります」


 修平は、二つの量の間の線を、指でなぞった。


「そして、実の利です。国の商いが、この隙間もなく、過熱もなく、ちょうど無理なく作れる量で回っているときに、釣り合う実の利がある、と考えます。私の国では、それを、自然な利、と呼んでいました」


「自然な利」


「実の利が、自然な利より高ければ、借りる者は借り控え、買う力を抑える方向へ働く。低ければ、借りる者が増え、買う力を強める方向へ働く。——ですから、実の利が三分でも、その時の自然な利が五分なら、三分は、実のところ、低い。買う力を強めている。自然な利が一分なら、三分は、高い。買う力を抑えている」


 葉正言は、しばらく黙って、紙を見ていた。


「なるほど」


 それから、ゆっくりと言った。


「三分は三分ではない、というのは、そういうことか」


  ◇


「その自然な利とやらは」


 韋明遠が、算木から顔を上げた。


「どうやって、観測するのでございます」


 修平は、少し間を置いた。


「観測、できません」


 詰所の中が、しんとした。


「市に、自然な利の値札が掛かっているわけではありません。両替商の店先に、今年の自然な利は何分、と貼り出されるわけでもない。無理なく作れる量も、同じです。どこにも、書いてありません」


「では、何なのだ」


「推し量るものです」


 修平は、言った。


「物の値の動き。賃金の動き。雇われている人の数。工房がどれだけ動いているか。商人の受けている注文。銀行が貸している額。税がどれだけ入ってくるか。それらを並べて、模型に入れて、今の国の商いは、無理なく作れる量からどれくらい離れているか、それと釣り合う利は何分くらいか、を推します」


 修平は、紙の上の二つの言葉を、指で叩いた。


「推したものです。模型が違えば、答えが違います。使う数の年が違えば、答えが違います。そして、後から数が改められると、推した答えも、改められます。去年、隙間はこれくらいだったと言っていたのが、翌年になって、実はもっと大きかった、と言い直すことが、私の国では、よくありました」


 韋明遠が、細い目で、じっと修平を見た。


「暦で申せば、観測できぬ星の位置を、他の星の動きから推すようなもの」


「近いと思います。そして、それには、一つ、危ういところがあります」


  ◇


 修平は、「自然な利」という字の横に、小さく印をつけた。


「この自然な利というものは、とても便利です」


 修平は、言った。


「便利すぎて、危ういのです」


 葉正言が、顔を上げた。


「私の国では、しばらくのあいだ、景気が弱いのは自然な利が下がったからだ、と言われました。利を低くしても景気が良くならないのも、自然な利がそれよりもっと低いからだ、と。商いが倉庫や船に銭をかけないのも、自然な利が低いからだ、と」


 修平は、紙の上に、矢印を描いた。「自然な利が低い」から「倉庫が建たない」へ。


「けれど、本当は、逆かもしれない」


 修平は、矢印の向きを逆にしたものを、隣に描いた。「倉庫を建てたがる者が少ない」から「自然な利が低く推される」へ。


「倉庫を建てたがる者が少ないから、それを数に入れて推すと、自然な利が低く出る。そうだとすれば、自然な利が低いから倉庫が建たないのではなく、倉庫が建たないことを、自然な利という言葉で言い換えているだけです」


 鄭仲謙が、口を開きかけ、閉じた。


「自然な利という言葉を使えば、いろいろなことを、一つの言葉でまとめて説明できてしまいます。説明できる範囲が広い。けれど、説明できる範囲が広いことと、本当の原因を突き止めたことは、同じではありません」


 修平は、印をつけた字を、丸で囲った。


「ですから、中央の行では、自然な利を、便利な物差しとして使いながら、それで話を終わらせてはならない。推し方を変えた答えを、いくつも並べる。答えに幅を持たせる。賃金、雇われる人の数、工房の動き、銀行の貸す額、倉庫や土地の値、人々の値上がりの見込み、国の財の具合。それらと必ず並べて見る」


 修平は、紙に、はっきりと書いた。


 「自然な利が低いから」で、議論を終えない。


「これを、中央の行の決まりの一つにしておくべきだと思います」


 葉正言は、その一行を、長いこと見ていた。


「そなたは、自分が持ってきた物差しを、自分で疑えと言う」


「疑わない物差しは、いずれ、国を間違った方へ連れていきます」


  ◇


 話が一段落したとき、戸口で、控えめな咳払いがした。


 見ると、若い吏員が一人、紙を手に立っていた。戸部の者ではなかった。官服の襟に、見慣れない印がついていた。


「枢密院の者でございます」


 吏員は、拝礼した。


「楊枢密より、林詳定へ」


 修平は、紙を受け取った。


 短い書状だった。楊崇武の筆で、こう書かれていた。


 北辺の軍糧と飼い葉の調達について、戸部と枢密院とで帳簿を突き合わせる席を設ける。北辺では会子が通らず、銭の両替にも窮している。貴殿の知見を借りたい。来月初めの三日間。


 修平は、書状を二度読んだ。


 夜対の夜、楊崇武は、北のことで分からぬことがあれば枢密院へ来い、と言った。軍は銭で動く、と。


 行くべきだ、と思った。


 けれど、机の上には、自然な利と、無理なく作れる量の紙が広がっていた。韋明遠は、隙間を推すための表を作り始めたばかりだった。来月には、国の証文の話を始めねばならない。葉正言は、国の帳簿の読み方を、まだ半分しか聞いていない。


 修平は、吏員に言った。


「楊枢密に、お伝えください。まことに、ありがたいお誘いです。戸部と日取りを相談のうえ、改めてご返事を差し上げます」


 吏員は、頭を下げて出ていった。


 修平は、書状を机の端に置いた。


 それから、韋明遠の方を向いた。


「韋算学。さきほどの、無理なく作れる量を推す表の話ですが」


  ◇


 その日の夕方、葉正言が帰り際に、修平の紙を手に取った。


 無理なく作れる量。実際に作られた量。その差の隙間。


「林詳定」


「はい」


「そなたの言う、国の無理なく作れる量というのは、国全体で一つなのか」


 修平は、少し考えた。


「国全体の量として推します。国中の田と倉庫と工房と人を、まとめて」


「国全体で隙間がなくなれば、国は、ちょうどよく回っているということか」


「そう考えます。少なくとも、買う力が足りない、という問題はなくなります」


 葉正言は、紙を見つめていた。


「北辺の弩の矢は、足りておらぬそうだ」


 ぽつりと、言った。


「楊枢密が、戸部にこぼしていた。矢を作る工房は、どこも手一杯だと。いくら銭を積んでも、それ以上は作れぬと。——国全体の隙間がなくなっても、矢は、足りぬままではないのか」


 修平は、一瞬、言葉に詰まった。


 それから、答えた。


「それは、弩や矢を作る工房の、無理なく作れる量そのものが小さい、ということだと思います。買う力の問題ではなく、作る力の問題です。工部や兵部で、工房を増やすことを考えねばならない話でしょう」


「そなたの詳定の外の話、ということか」


「私の詳定は、銭と信用と、国全体の買う力です。国全体の買う力を安定させれば、少なくとも、工房が銭のために止まることはなくなります。矢を作る工房そのものを増やすのは——」


 修平は、言葉を切った。


「工部と兵部の話です。私が口を出せば、聞きかじりが混じります」


 葉正言は、修平の顔を、一瞬だけ見た。


 それから、机の端の書状に目を落とした。


「楊枢密の席の件だが。来月は、国の帳簿の読み替えを始める。そなたが三日も戸部を空ければ、吏員の手が止まる。一日にしておけ」


「はい。そのように、お返事いたします」


 葉正言は、紙を机に戻して、出ていった。


 修平は、紙を片付けながら、楊崇武の書状をもう一度見た。


 来月、一日だけ、枢密院へ行く。


 そのときに、北辺の銭の話をすればいい。国全体の買う力の話を。


 修平は、書状を、紙の束の下へ差し入れた。


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