第九巻 軍制 第十四回 動員という時計
表の横の欄は日だった。
第一日。第二日。第三日。——第二十一日まで。
縦の欄は隊だった。第一師団。第二師団。第三師団。——北の大営の常の兵。控えの兵の呼ぶ区ごとの集まり。砲の隊。騎兵。工兵。輜重。医。報せの兵。
升の中に字が書かれていた。
——第一師団、第四日、衛州の港にて御河の舟に乗る。第六日、大名府に着く。第七日、大名府にて弾を受く。
参謀本部の長い部屋の東の壁に、その表が貼られていた。紙を六枚継いでいた。
修平は表の前に立っていた。春の雨の朝だった。古い倉の屋根を雨が叩いていた。
「兵を何人集めるか、ではない」
呉承略が修平の横に立っていた。
「何日目に、どこに、何人着くか。——この表は時計です」
◇
兵を集める表を作り始めたのは正月だった。
参謀本部の兵を集める者の机に、兵部の兵籍の写しが積まれた。去年の夏に刷った黄色い紙の控えだった。——名。属する隊。集まる所。集まる日。
報せより第三日。報せより第五日。報せより第八日。
「兵籍の集まる日と」
兵を集める者の机の若い官が言った。
「この表の日とを合わせる。——控えの兵が第三日に衛州の港に集まる。その日に、港に武器と、衣と、弾とがなければ。兵は港で立って待つ」
「兵だけが先に着くのは」
呉承略は言った。
「失敗だ。——兵が着いた日に武器が着いていなければ、兵は着いていないのと同じ。いや、同じより悪い。港で食う」
表の縦の欄に、隊の名の下にもう一段、物の名が足された。
弾。糧。工兵の資材。薬。替えの馬。電信の器。替えの品。
隊と同じ時計の上に。
◇
鉄の道の表は、鉄の道の者の机で作られた。
莫子期がその机にいた。武の科挙の候補の者として参謀本部に来て、四月目だった。
莫子期の隣に田守信が座っていた。七十を越えていた。兵部の駅の房からときどき呼ばれてきていた。
机の上に、衛州の港から鶴壁、磁州までの鉄の道の刻の表が広げられていた。平時の表だった。石炭の車、日に八つ。客の車、二つ。
その隣に戦のときの切り替えの表。——一昨年の秋、工部の書庫の議の後に田守信が作っておいた表だった。
「石炭の車を半分に。軍の車を四つ足す」
田守信は言った。
「それで十日は、鋼の場の炉が止まらぬ。——一昨年はそこまでしか考えていなかった」
「今年は」
修平が訊いた。
「今年はその四つの車に何を積むかを決める」
莫子期が言った。
莫子期は升を一つずつ埋めていった。
——第一日。一つ目の軍の車。衛州発、巳の刻。積む物、弾六十箱。磁州の分の作坊より衛州の港の倉へ。
——第一日。二つ目の軍の車。磁州発、午の刻。積む物、針銃の替え三百挺。
「車はどこで行き違う」
田守信が訊いた。
「鶴壁の駅で」
莫子期は言った。
「上りと下りとが鶴壁で行き違う。——行き違うとき、一方は駅の脇の線で待つ。待つのは四半刻」
「水は」
「鶴壁で入れる」
「石炭は」
「磁州と衛州とで」
田守信は頷いた。
「一つの車が四半刻遅れたら」
莫子期は手を止めた。
「後ろの車が全部、四半刻遅れます。——鶴壁で行き違う相手の車も」
「それを表のどこに書く」
莫子期はしばらく考えていた。
「遅れたとき、どの車を先に通すか」
莫子期は言った。
「先に決めておく。弾の車と糧の車とが同じ駅で待っていたら。——第何日かによって先を変える。最初の三日は、弾。四日目からは、糧」
田守信が少し笑った。
「駅伝の急ぎの使いと同じだ。——どの使いを先に馬に乗せるか。四十年、それを決めてきた」
「客の車は」
修平が訊いた。
「戦の間、止めるのですか」
「止めない」
田守信は言った。
「最初の七日は、日に一つ。七日を過ぎたら、二つに戻す。——客の車には商人が乗る。商人は磁州の鋼の値を決めに行く。鶴壁の坑夫の家の者も乗る。止めれば、坑の者が坑に戻れぬ」
田守信は表の客の車の行に指を置いた。
「戦になったら、国の全部を止めて戦だけを走らせる。——そう考える者がいつか出る。それをやれば、戦の二十日目に開封の米の値が倍になる。米の値が倍になった都は戦を支えられぬ」
莫子期が客の車の行に小さく書き足した。第一日より第七日まで、一つ。第八日より、二つ。
◇
鉄の道の端から先。
衛州の港。御河の舟。大名府。大名府から先の道。——去年の秋、第一師団が飯の車と厠とで止まった道。
「港の中の道に札を」
田守信が言った。
「去年の秋、港が車で埋まった。——鉄の道には札がある。港の中の道にはなかった。今年は港の中の道にも札を作る。港に入る車は札を持つ車だけ。札は港の駅の小屋で渡す」
「大名府から先の道は」
「一本だ」
図の課の年かさの測り手が言った。
「車が一台半。——師団が一つ通れば、その日は他の師団は通れぬ」
呉承略が壁の大きな図の前に立った。大名府から北へ延びる道を指で辿った。
「では、師団をこの道に並べて通さぬ」
呉承略は言った。
「第一師団はこの道。第二師団は御河の舟でさらに北へ。第三師団は真定府から西の道。——三つの師団が三つの道を別々に進む。北のこの平らなところで一つに集まる」
呉承略は北の平らなところに指を置いた。
「集まる日が第十四日」
◇
参謀本部が作るのはそこまでだった。
「どの師団がどの道を何日目にどこまで進むか」
呉承略は言った。
「どこに何日目に集まるか。——そこから先、師団の中のどの大隊がどの道のどの脇を何刻に通るかは、師団の官が作る。どの宿営に何刻に入るか。弾をどの隊に先に渡すか」
「参謀本部で全部作れば」
兵を集める者の机の若い官が言った。
「その方が揃うのでは」
「揃う」
呉承略は言った。
「そして師団の官は一つも考えなくなる。——開封で作った大隊の刻の表が、雨で半日崩れたら。師団の官は開封にどうするかを訊く。訊いて返事が来るまで半日」
呉承略は壁の表を見上げた。
「ここが作るのは時計の大きな歯車だけだ。——蘇玄機どのの時計にも、大きな歯車と小さな歯車とがある。小さな歯車は師団が回す」
◇
命の文も分けた。
兵を集めよ、の命。——鉄の道と舟とで運べ、の命。——道を歩け、の表。——どこに集まれ、の命。——糧と弾とをどこへ送れ、の命。——控えの兵をどこに置け、の命。
六つの文を別々に。
「一つにまとめれば」
修平が言った。
「読む方は楽ではないですか」
「一つにまとめると」
沈廷策が言った。
沈廷策はこの日、兵部の机から参謀本部の長い部屋に来ていた。
「受け取る者が違う。——兵を集めよ、の命は県と大営とが受け取る。鉄の道の命は駅と機関士とが。歩く表は師団が。糧と弾との命は倉と輜重とが。——一つにまとめれば、駅の者が師団の歩く表まで読まねばならぬ。読まねばならぬ所が多いほど、読み違える」
沈廷策は命の文の形の紙を出した。一年前の正月に決めた形だった。
誰が出したか。何刻に出したか。誰に宛てたか。何のための命か。いつ行うか。済んだら、誰に報せるか。
沈廷策はその下に一行を書き足していた。
——前の命を改むるときは、前の命のどの行を捨つるかを記せ。
「急げ、とだけ書いた命が」
沈廷策は言った。
「前の命のどこを捨てさせるのか。受けた者には分からぬ。——前の命の第三の行を捨てよ。第四の行はそのまま。そう書く」
◇
春の半ばに、兵を集める大きな試しがあった。
戦ではない。兵を集めるだけの試し。
第一師団と、この冬に大名府の大営の兵を組み直した第二師団と、真定府の大営の兵を組み直した第三師団と。河北路の三つの呼ぶ区の控えの兵と。——鉄の道と、御河の舟と、道とを使って北の平らなところまで。
駅の長と、機関士と、港の番と、倉の番と、県の主簿と、大営の糧の官と。——皆が自分の受け取る命の文を持ってその日を待った。
修平は衛州の港の駅の小屋にいた。田守信と莫子期と一緒だった。
第一日の朝。
参謀本部から電信が来た。
——兵を集めよ。第一日、今日。
駅の小屋の壁に切り替えの表が貼られていた。港の札の箱が机の上に置かれていた。
巳の刻に一つ目の軍の車が港に着いた。弾六十箱。
機関士は二十代の半ばの若い男だった。三年前の冬、鉄の道の最初の車を走らせた男だった。——その前は鶴壁の坑の巻き上げの機械の火夫だった。弁に石が吊られたとき、針を読んで火を落とした男だった。
機関士は駅の小屋に車の帳面を持ってきた。
「定めの刻に着きました」
機関士は言った。
田守信が帳面に印を付けた。
◇
第三日に崩れた。
参謀本部から電信が来た。審べの官の報せだった。
——淇水の鋼の橋、使えず、とす。第三日より第七日まで。
三年前の夏に一倍半の重さで試した橋だった。沈み盤の刻み、四十。見込み、三十八。戻り、零。——その橋を審べの官は使えぬとした。
駅の小屋の中が静かになった。
淇水の鋼の橋は鶴壁と衛州との間にあった。磁州から衛州へ弾を運ぶ車は、全部その橋を渡る。
莫子期が切り替えの表を見ていた。
「橋の北で車を止める」
莫子期は言った。
「北の岸の駅で弾を降ろす。——降ろした弾を淇水の河の舟で下す。淇水を下って衛州の港へ。舟なら、半日」
「淇水の舟はいくつ」
田守信が訊いた。
「分かりません」
莫子期は言った。
「表に書いていない」
田守信は立ち上がった。
「港の船頭の組の頭を呼べ。——淇水の舟を何艘出せるか。何刻で北の岸まで上れるか」
船頭の組の頭が来たのは半刻の後だった。淇水の舟は十一艘。一艘に弾の箱三十。北の岸まで上りで一刻半。
莫子期は升を書き直していった。
——第三日。三つ目の軍の車。磁州発。淇水の北の岸の駅にて、止まる。弾六十箱を降ろす。
——淇水の舟、二艘。北の岸にて、弾六十箱を積む。下りて衛州の港。
「半日遅れる」
莫子期は言った。
「遅れた半日をどこで取り戻すか」
「取り戻さない」
田守信は言った。
「半日遅れた、と書く。——大名府の糧の官に、弾が半日遅れて着くと、今報せる。報せれば、大名府で待つ者が半日、別の仕事をできる」
◇
第五日に電信が切れた。
参謀本部と大名府の大営との線だった。——審べの官が切った、とした。六刻の間。
修平は衛州の港にいて、その六刻の間、大名府で何が起きたかを見ていなかった。
後で、大名府の糧の官の書き付けを読んだ。
——電信、切る。参謀本部の次の命、来たらず。
——第五日の朝までに受けたる命の目当て。第十四日に北の平らなる所にて、三つの師団、集まる。第一師団の弾、第十日までに大名府より北へ送り出す。
——よって、参謀本部の命を待たず。第一師団の弾の車を、第五日の午より北へ送り出す。送り出したることを、線、繋がりし後に参謀本部に報す。
書き付けの下に大名府の大営の長の印があった。
六刻の後、線が繋がった。
大名府からの最初の電信はこうだった。
——線の切れし間、第一師団の弾の車、北へ送り出す。第五日、午。
参謀本部の長い部屋で、呉承略はその電信を読んで、何も言わずに壁の表の升に印を付けたという。
◇
第十四日の夕方。
北の平らなところに、三つの師団のうち二つが揃った。
三つ目の真定府から西の道を来た師団は、翌日の昼に着いた。一日遅れた。
試しの後、参謀本部の長い部屋に帳面が積まれた。
どの車がどこで何刻遅れたか。どの駅にどれだけの荷が溜まったか。どの命の文が読み違えられたか。——読み違えた者の名ではなく、どの行が読み違えられたか。
読み違えられた命の文は七つあった。
七つのうち五つは同じ行だった。
——集まる所、北の平らなる所。
「北の平らなところ、が二つありました」
図の課の若い測り手が言った。
「図の第二の版では、真定府の北の平らなところも同じ名で書かれていた。——真定府の師団の一つの大隊がそちらへ行った」
呉承略は帳面を閉じた。
「誰も叱るな」
呉承略は言った。
「図を直せ。命の文の集まる所の行に、名だけでなく図の上の升の番号を書け。——それと、淇水の舟十一艘を鉄の道の表に書き入れろ。書き入れていなかったのは、ここの者だ」
◇
春の終わりに、枢密院の鍵の付いた鉄の箱が開けられた。
箱の中には封じた紙の束が入っていた。去年の暮れに参謀本部が置かれてから、最初に作った北の境の兵を集める命の文の束だった。
封じた紙の表に日付が書かれていた。作った日と、最後に確かめた日と。
「封じた命は」
呉承略は言った。
「開けないまましまっておけば、安心だと思う。——開けて確かめねば、中身はいつの間にか古くなる」
呉承略は束の一つ目の封を切った。
中の鉄の道の命の文を読んだ。
——淇水の鋼の橋を渡る車は、一つにつき弾六十箱。
呉承略はそれを読んで沈廷策に渡した。
沈廷策はしばらく読んでいた。
「この正月に」
沈廷策は言った。
「工部が淇水の橋の桁を一本足しています。——去年の秋の終わりの測りの後で決めたことです。車の重さの限りが上がった。一つにつき八十箱まで」
「封じた命は六十箱のまま」
「六十箱のまま」
呉承略は頷いた。
「古い限りで書かれた命は、戦の日に車を無駄に多く走らせる。——一つ一つの封を開けて確かめろ。古くなった行を書き直せ。書き直した日を封の表に書け」
呉承略は鉄の箱を見下ろした。
「来年の春も同じことをする。再来年も。——鉄の道が延びれば。倉が移れば。橋が架け替えられれば。敵の形が変われば」
修平は箱の中の封じた紙の束を見ていた。
どの封にも日付が二つ書かれていた。作った日と、確かめた日と。
確かめた日の方が、いつも新しくなければならなかった。
◇
その夜、修平は参謀本部の古い倉の前を通った。
灯がついていた。
窓から覗くと、東の壁の六枚継ぎの表の前に莫子期が一人立っていた。手に筆を持っていた。
莫子期は表の升の一つに小さく書き足した。
——淇水の舟、十一艘。北の岸まで上り、一刻半。
書き足してから、しばらくその升を見ていた。
それから隣の升に移った。




