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第九巻 軍制 第十二回 参謀本部の器

「毎年、春に同じ紙が来ました」


 克魯澤は言った。


 枢密院の奥の広間だった。冬の初めの曇った午後で、広間の火鉢に炭が多めに入れられていた。


 楊崇武は椅子に座っていた。杖は椅子の脇に立てかけてあった。この冬、枢密使は立って話すことが少なくなっていた。


「紙には、私の砲の隊の名。戦になったら、何日目にどこの駅へ行くか。何番の車に乗るか。車は何刻に出るか。——降りた駅で何を受け取るか」


 克魯澤は一語ずつ言った。


「毎年、春に少しずつ違う紙が来た。駅が一つ増えた年。橋が一つ架け替えられた年。——去年の紙は捨てろ、と書いてあった」


「その紙を作っていたのは」


 董元礼が訊いた。


「知りません」


 克魯澤は言った。


「私は砲の兵でした。紙を作る府の中は見たことがない。——けれど、その府の者を知っています。私の隊に二年いて、また府へ戻っていった者。府から来てまた府へ帰る。帰った者の名で次の春の紙が来る」


 克魯澤は少し笑った。


「その者は砲を撃つのが下手でした。——けれど、私の隊の馬が一日に何斤食うかを、私よりよく知っていた」


  ◇


 修平は克魯澤の隣に座っていた。


 楊崇武に呼ばれていた。——林詳定が本で読んだ話をしてくれ。克魯澤どのの話の前に。


 修平は前の夜、何を話すか、長いこと考えた。


 修平が知っているのは本で読んだ話だった。西のある国の軍が百年ほど前に何をしたか。その国の軍は戦の強さで名を残した。名を残したのは将軍たちの名だった。——けれど修平が本で読んで覚えていたのは、将軍たちの名ではなかった。


「その国の軍が強かったのは」


 修平は言った。


「名高い将軍がいたからではないと、その本には書いてありました」


 広間の者たちが修平を見た。


「戦が始まる何年も前から。——戦のない年にも、毎日同じ府で同じ者たちが、兵を集める表を書き直し、車の刻の表を書き直し、敵の図を書き直していた。戦が始まったとき、その府は何年もの間書き直してきた紙の中から、一枚を選んで出した」


 修平は言った。


「戦の最初の日の速さは。——戦のない年の、何年もの事務で作られていた、と」


 楊崇武が椅子の上で少し身を動かした。


「私が本で読んだのはそこまでです」


 修平は言った。


「その府の中で誰が何をどう書いていたのかは知りません。——知っているのは克魯澤どのです。克魯澤どのも、中は知らぬと言われた。けれど、その府から来た紙を毎年受け取っていた」


「受け取る者が知っていればよい」


 楊崇武は言った。


「作る者は、この国でこれから作る」


  ◇


 枢密院の中に戦の計画を作る府を置く。


 正月の両府の線の紙に、楊崇武が「いずれ」と言って欄の場所を指しておいた府だった。沈廷策の帳面の最後の頁の頭に一行だけ書かれていた府だった。


 反対は二つの方から来た。


 一つは兵部から来た。


 呉承烈は兵部尚書として紙を一枚上げてきた。


 ——計画を作る府が兵を集める表を作り、糧と弾との表を作り、鉄の道の表を作る。然らば、兵籍も、糧も、弾も、鉄の道も、その府の表のために動くことになる。正月に兵を養う事は兵部に、兵を動かす命は枢密院に、と分けた線が、その府の中でまた一つになるのではないか。


 もう一つは軍鎮から来た。


 幽州の軍鎮の都部署、袁重山が冬の初めに開封に来ていた。年に一度の大営の見回りの報せを持ってきたのだった。


「戦の野を知らぬ者が」


 袁重山は枢密院の広間で言った。指の二本ない左手を卓の上に置いていた。


「開封の机の上で戦の計画を作る。——その計画を戦の野の将に命として下す。将は机の上の計画に縛られる。山の雪も、敵の顔も知らぬ者の計画に」


 袁重山は呉承略を見た。


 楊崇武はこの府の実の務めの長に呉承略を充てると内々に決めていた。


「呉博士は武学で二十五年、兵書を教えてこられた」


 袁重山は言った。


「戦の野には若い頃、山の賊を追っただけ、と聞いた」


「そのとおりです」


 呉承略は言った。


 呉承略は少し黙った。それから口を開いた。


「この府は将に命を下しませぬ」


 広間が静かになった。


「命は今までどおり陛下と枢密院とから。——この府は命を出すための材料を作る。何日目にどこに何人集められるか。弾と粟とはどこで尽きるか。敵はどこにいくらいるらしいか。——材料を並べて、枢密使と、陛下と、戦の野の将とが決められるようにする」


 呉承略は袁重山を見た。


「袁都部署。戦の野でどう戦うかは戦の野の将が決める。この府は袁都部署から兵籍も、禄も、武器も奪いませぬ。兵部から奪わぬように。——袁都部署から決める権も奪いませぬ」


「では、何のための府だ」


「袁都部署が決めるときに」


 呉承略は言った。


「あと何日、弾がもつか。後ろから何日で兵が来るか。——それを知らずに決めなくて済むように」


 袁重山はしばらく呉承略を見ていた。


「去年の冬、董元礼どのが私の城壁の上で同じようなことを言った」


 袁重山は言った。


「大名府からここまで、荷車で二十日。——途切れずに送り込める道を作る、と」


 袁重山は卓から左手を下ろした。


「その道ができるなら。——机の上の府も悪くはない」


  ◇


 勅の文を起こすのは中書舎人だった。


 両府の議の紙と、兵部の呉承烈の紙と、袁重山の言葉の書き付けとを、中書舎人はひと月手元に置いた。


 冬の半ばに勅の下書きが上がった。


 ——枢密院に参謀本部を置く。


 参謀。——参は、あずかる。謀は、はかりごと。はかりごとにあずかる者たちの府。名を選んだのは楊崇武だった。


 下書きは給事中の机へ回った。


 給事中は宋の古い職だった。勅の文を陛下の裁可に上げる前に読む。読んで誤りがあれば、封じて返す。


 下書きは十日後に封じられて戻ってきた。


 ——この府、戦の計画を作り、兵を集むる表を作り、糧と弾との表を作り、敵を見る。四つの事を一つの府に集む。然らば、この府の長は戦のことを国の中で最もよく知る者となる。最もよく知る者は、やがて陛下の前にて最も重く言をなす者となる。其の者、軍の宰相とならざるや。


 ——この下書きには、この府の長の為し得ざる事、書かれず。封じて返す。


 枢密院の広間で、封じられた下書きを董元礼が読み上げた。


 読み終えて、しばらく誰も口を開かなかった。


「正しい」


 楊崇武が言った。


「給事中の言うとおりだ。——私もそれを恐れていた。恐れていながら書かなかった」


 楊崇武は沈廷策を見た。


「為し得ざる事を書け」


 沈廷策が帳面を開いた。


 ——参謀本部の長は、命を出さず。命は陛下の裁可と枢密院の文とによる。


 ——参謀本部の長は、銭を使わず。銭は戸部より兵部と枢密院とに出で、参謀本部はその内の定められし額のみを受く。


 ——参謀本部の長は、将を任じず、罷めず。将の任免は陛下の裁可により、兵部これを掌る。


 ——参謀本部に、兵を属せしめず。


 下書きは書き直されて、また給事中の机へ回った。


 今度は封じられずに戻ってきた。


  ◇


 暮れの御前廷議だった。


 殿の中に長い紙が広げられていた。


 正月に両府の線を引いた紙だった。兵部の欄と、枢密院の欄と、共に、の欄と、決める者の欄と。——その紙の枢密院の欄の右に、新しい欄が二つ足されていた。


 参謀本部。戦の野の将。


 趙祺は紙の前に立った。正月と同じように。


 一行目から指で辿った。


 戦を始め、戦を止め、国の戦の目当てを定める。——陛下と、枢密院。


 兵を養う。兵籍、禄、武器、学び舎。——兵部。


 戦の計画を作る。兵を集める表を作る。糧と弾と鉄の道との表を作る。敵を見る。古い戦を学ぶ。——参謀本部。ただし、命を出さず、銭を使わず、将を任免せず、兵を持たず。


 戦の野で兵をどう動かすかを決める。——戦の野の将。


 趙祺は四つの行を一行ずつ読んだ。


「四つ」


 趙祺は言った。


「正月には二つだった」


「正月には戦の野の将の欄を書き忘れておりました」


 楊崇武が言った。


 椅子から立ち上がっていた。杖に両手を重ねていた。


「将はいつもそこにいた。——書かなくともいる、と思っていた。書かねば、机の上の府が将の上に乗る」


 趙祺はしばらく楊崇武を見ていた。


「呉承略」


 趙祺は殿の末席を見た。


「参謀本部の長に充てる。——位は」


「中将に」


 楊崇武が言った。


「呉承略は兵を率いたことが少ない」


 趙祺は言った。


「中将は師団を束ねる位だと聞いた」


「位は軍の中の命の順を決めるものです」


 楊崇武は言った。


「参謀本部の長は命を出しませぬ。——けれど、師団の長たちと同じ卓に座らねばなりませぬ。同じ卓で師団の長たちが呉承略の言うことを聞くように。聞かせるための位ではございませぬ。座らせるための位です」


 趙祺は少し笑った。


「裁可する」


  ◇


 参謀本部は枢密院の北隣の古い倉に置かれた。


 壁を抜いて一つの長い部屋にした。部屋の北の壁に、北の半分の大きな図を貼った。東の壁に鉄の道と、河の舟と、道との刻の表を。西の壁に糧と弾との表を。南の壁に敵の票を。


 部屋の真ん中に長い卓を一つ。


「課ごとに部屋を分けないのか」


 董元礼が訊いた。


「分けません」


 呉承略は言った。


「戦の筋を考える者。兵を集める表を作る者。糧と弾との者。鉄の道の者。図の者。敵を見る者。古い戦の者。——皆、この一つの部屋に。この一つの卓に」


 呉承略は卓を手で撫でた。


「戦の筋の者が案を作ってから糧と弾との者に回す。——回された者が読んで無理だと返す。返された者がまた作る。それで十日かかる」


「一つの卓なら」


「作りながら、隣から無理だ、と言える」


 呉承略は言った。


「最初から皆で作る」


 敵を見る者の机には哈特が座った。


 去年の春の半ばに枢密院に置かれた敵の目の房が、そのまま参謀本部の敵を見る課に移った。晁子明と、元の字験の係と。——莫子期は武の科挙の候補の者として、鉄の道の者の机に座った。


 図の者の机には賀通遠の組から測り手が二人来た。


 古い戦の者の机には、呉承略が自分で狄承武の戦役記の写しを置いた。兵部の書庫の写しの写しだった。余白はまだ白かった。


 呉承略は一日の勤めの形も先に決めた。


 朝。夜の間に電信の局から回ってきた報せを、三つに分ける。すぐに図に書くもの。確かめてから書くもの。書かずにしまうもの。——図を改める。改めた図の隅に、改めた日と、改めた者の名とを書く。


 昼。鉄の道の新しい区間。倉の移った先。橋の架け替え。——他の役所から来た報せを表に書き入れる。


 午後。北の、東の、西の境ごとに分かれて議をする。


 夜。一人が残る。電信の局からの急ぎの報せを受ける。


「戦のない日が、一番忙しい」


 呉承略は言った。


「戦になってから忙しくなる府なら、置く意味がない」


 もう一つ、呉承略は決めた。


 この部屋に座る者は三年を越えて座らせない。三年の後は師団の官か大隊の長として外へ出す。外でまた三年ほど勤めた者をこの部屋に戻す。


「この部屋にずっと座る者は」


 呉承略は言った。


「この部屋の図だけを見るようになる。——私も、いずれ出される」


  ◇


 参謀本部の最初の試しの議は、暮れの最後の十日の一日だった。


 北の境のある軍鎮から兵を北へ五日進める。——その案を戦の筋の者が作った。第一師団から移ってきた四十半ばの上校だった。


 上校は壁の図の前に立った。


「五日で、北のこの河の渡しまで出る。渡しを押さえれば、敵の後ろの道を断てる」


 上校は図の上に指で線を引いた。勇ましい線だった。筋も通っていた。


 糧と弾との者が表を見た。


「五日目の渡しで」


 糧と弾との者は言った。


「粟が二日分残ります。——弾は三日分」


「足りる」


「帰りの分がない」


 上校は少し黙った。


「後ろから送る」


「後ろから送るには」


 鉄の道の者の机から声がした。


 莫子期だった。


 莫子期は立ち上がっていた。武の科挙の候補の者の襟には、まだ位の線がなかった。


「この軍鎮から北への道は一本です。荷車で一日に四十里。五日で二百里。——五日目の渡しへ後ろから粟を送る車は、師団の車と同じ道を逆に行き交う。道の幅は、車一台半」


 莫子期は東の壁の刻の表を指した。


「行き交えるのは日に二度。朝と、夕と。——それ以外の刻はどちらかが道の脇で待ちます。五日目の渡しに後ろからの粟が着くのは、早くて九日目」


 部屋が静かになった。


 上校の顔が赤くなっていた。上校は莫子期の襟を見た。何も付いていない襟を。


「候補の者が」


 上校は言った。


「上校の案に」


「位ではない」


 呉承略が言った。


 呉承略は卓の端に座っていた。立たなかった。


「この部屋では、位で議をしない。——根拠でする。莫子期の数が誤っていれば、誤っていると数で言え。上校の案が正しければ、正しいと数で言え」


 上校は東の壁の刻の表を長いこと見ていた。


 それから自分の図の上の勇ましい線の五日目のところに指を置いた。


「三日目で止まる」


 上校は言った。


「三日目のこの丘で。——渡しは、後ろの道が二本になってから」


「二本目の道はいつできる」


 呉承略が訊いた。


 図の者の机の測り手が答えた。


「工兵がひと月」


「では、この案はひと月後の案だ」


 呉承略は言った。


「今日の案は三日目の丘で止まる。——書き直せ。書き直す前の五日の案も捨てずに残せ。なぜ捨てたかを書いて」


  ◇


 暮れの最後の日に、参謀本部を置く勅が公に下された。


 その夜の宿直は莫子期だった。


 長い部屋の長い卓に一人で座っていた。火鉢の炭がときどき小さくはぜた。


 電信の局から夜の報せの束が回ってきた。莫子期は一枚ずつ読んで、三つの箱に分けた。すぐに図に書くもの。確かめてから書くもの。書かずにしまうもの。


 一枚目は大名府の大営の倉の月の突き合わせの報せだった。粟の使える数。——去年の冬に三つに一つだった差は、十に一つになっていた。莫子期はそれを二つ目の箱に入れた。


 二枚目は幽州からだった。


 ——山の北の道、雪にて塞がる。袁都部署より。


 莫子期は紙を持って北の壁の大きな図の前へ行った。幽州の北の山の道のところに小さな紙を一枚貼った。紙の隅に刻と自分の名とを書いた。


 図の隅はまだ白かった。年が明けたら、版の字を入れる。——図の課の測り手たちがそう言っていた。


 この小さな紙が図の上に何枚か溜まったら。版を替える日が来る。


 莫子期は卓に戻った。三枚目の報せを手に取った。

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