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第九巻 軍制 第十回 士官候補試験

 貼り紙の前に人が集まっていた。


 開封の兵部の門の脇の壁だった。秋の晴れた朝で、貼り紙の白さが目に痛かった。


 ——国の軍の尉の官の候補を選ぶ試し。


 ——受ける者。年、十八より二十六まで。下士の位を持つ者は三十五まで。読み書き、算の心得ある者。兵に在る者は、下士の位を持つ者、また長の推す者。


 ——試しの事。読むこと、書くこと。算。図を読むこと。軍の法。戦の手立ての初め。撃つことの理。病を防ぐこと。運ぶこと。隊を治めること。


 ——試しの後、候補の者は陳橋の軍の学び舎にて一年学ぶ。次に師団にて半年勤む。しかる後、考課を経て少尉に任ず。


 貼り紙の前に若い男が一人立っていた。


 二十になるかならぬかの痩せた男だった。書肆の丁稚が着るような青い短い上着を着ていた。貼り紙の字を一つずつ口の中で読んでいた。


 修平は兵部の門を入ろうとして、その男の横を通り過ぎた。


 男は貼り紙の最後の行を読んでいた。


 ——家の門の高さを問わず。


  ◇


 この試しを置くと決めたのは夏の終わりだった。


 兵部の武の官の選びの房の、卓の上に紙が二枚並んでいた。


 一枚目は国の軍にこれから要る尉の官の数だった。


「十の師団で」


 曹允恭は言った。


「小隊の長、中隊の長、師団の官の下の書く者と、算える者。——尉の官が一つの師団に四百あまり。十の師団で四千。戦になって傷つき死ぬ者を補うのに、年にその三つに一つ」


 二枚目は今、尉の官になれる者がどこから来ているかの数だった。


 武の科挙。——三年ごとに三十人から五十人。


 武学。——毎年百人に足りぬ。


 古い兵の中から、長が選んで上げる者。——数えられていなかった。


「武の科挙は」


 曹允恭は言った。


「弓と馬と、それに兵書を書かせる。——三十人選んで、三十人とも弓と馬は見事だ。けれど、一日に干し草が六万斤、と算えられる者は、三十人のうち何人か」


「武学は」


 修平が訊いた。


「武学は兵書を読ませる。古い戦を学ばせる。——弓と馬も少しは。けれど、針銃を撃たせたことはない。師団の飯の車の順を算えさせたことも」


 曹允恭は紙を指で叩いた。


「数が足りぬ。中身も合わぬ」


  ◇


 新しい試しの中身を決める卓に、狄承武と、戴守仁と、秦牧之と、谷長順とが呼ばれた。それに陳橋の下士の学び舎で字と算とを教えている田守信の吏と。


「小隊の長が戦の野で何をするか」


 狄承武は言った。


「それを一つずつ書き出してくれ。——それがそのまま試しの中身になる」


 谷長順が指を折った。


「命の文を読む。目当てを掴む。組の長たちに伝える。——図を見る。どこが窪地か。どこから敵が来るか」


「兵の撃つ数を数える」


 秦牧之が言った。


「馬がいれば、馬の飼い葉と水を」


「厠の場所を決める」


 戴守仁が言った。


 何人かが笑った。戴守仁は笑わなかった。


「兵が傷ついたら札を結ぶ。どこへ運ぶかを決める」


「民の物を取るときに紙を書く」


 曹允恭が言った。


「捕らえた者をどう扱うか。軍の法の何が罪か」


 修平は紙に欄を書いていった。


 読むこと、書くこと。算。図。軍の法。戦の手立て。撃つことの理。病を防ぐこと。運ぶこと。隊を治めること。


「弓と馬は」


 武の官の選びの房の、年かさの吏が言った。


「欄にない」


「なくてよい」


 狄承武は言った。


「弓も馬も学び舎で教える。——入る前にできる必要はない。入る前にできねばならぬのは字と、算と、考えることだけだ」


 吏はしばらく黙っていた。


「武の官に弓を問わぬ試し」


 吏は言った。


「百年前の祖宗の方々が聞いたら、何と言われるか」


「百年前の戦には」


 狄承武は言った。


「針銃も鉄の道もなかった」


 狄承武は少し言葉を和らげた。


「弓を問わぬのではない。——弓より先に問うべきことが増えた」


  ◇


 受ける者の門をどこまで開くか。


「家の門の高さは問わぬ」


 曹允恭が言った。


「文の科挙と同じだ。——農の家の者も、商の家の者も、職人の家の者も」


「兵に在る者は」


「下士の位を持つ者。——長が推す者」


「年は」


「十八から二十六」


 狄承武が首を振った。


「兵に在る者は年を問わぬ」


 狄承武は言った。


「段七は四十を越えている。——段七が尉の官の試しを受けたいと言ったら、年で門を閉じるのか」


「下士から上がる者は」


 曹允恭は少し考えた。


「年を三十五まで。——それを越えた者は、上士のまま下士の長として残る道を太くする」


 狄承武は頷いた。


「下士から上がる者は、字と算とで若い者に負けるかもしれぬ」


 谷長順が言った。


「私もそうでした。——都頭になるとき、帳面が付けられなかった」


「では、下士から受ける者には試しの前に学ぶ場を」


 修平は言った。


「字と算とを補う。三月。陳橋の下士の学び舎で」


「試しの線は」


「線は下げない」


 狄承武が言った。


「補うのは入り口まで辿り着くための道だ。——入り口の高さは同じ。下げれば、下士から上がった尉の官は、若い尉の官に軽く見られる。それは下士から上がった者のためにもならぬ」


  ◇


 秋の半ばの試しの日。


 兵部の南の庭に机が三百二十並べられた。


 受けた者は三百十二人。


 修平は庭の端の屋根の下から机の列を見ていた。


 十三年前の春の初めに、修平は礼部の貢院の狭い房で筆を握っていた。鎖された門の内で三日。


 今日の試しは一日だった。朝に字と、算と、図と。昼に軍の法と、病と、運ぶことと。夕方に戦の手立てと、隊を治めること。


 机の列の真ん中あたりに、青い短い上着の若い男が座っていた。


 兵部の門の貼り紙の前で字を口の中で読んでいたあの男だった。


 その三つ後ろの机に鮑順が座っていた。


 中牟の牧監で馬の砲の兵の長をしていた男だった。秋の初めの位の任じる文で上士を受けていた。それから陳橋の下士の学び舎の夜の組でひと月半、字と算とを補ってきた。


 鮑順の筆は遅かった。


 青い上着の男の筆は速かった。


  ◇


 算の問いの一つはこうだった。


 ——兵百人の中隊。一人一日、粟一升五合。三日の行軍。荷車一台に、粟十石。荷車は何台要るか。また、三日目の朝に雨にて、道、半ばまで塞がる。荷車は半ばしか着かず。三日目の夕、兵に何合ずつ配るか。


 図の問いは陳橋の北の野の図だった。窪地と、丘と、川と、石の橋と、下手の瀬と。


 ——敵、北より来る。汝の小隊、橋を夜明けまで押さえよと命を受く。霧、出づ。汝、何を見、何を聞き、どこに兵を置くか。


 修平はその問いを読んで少し笑った。書いたのは谷長順だった。


 病の問いは戴守仁が書いた。


 ——汝の小隊、川の畔に宿営す。厠をどこに掘るか。図に記せ。またその理を書け。


 隊を治める問いの一つはこうだった。


 ——汝の小隊の兵、父の病の報せを受け、夜、無断にて兵営を出づ。十四日にして戻る。汝、何をなすか。またこの兵の再び出づるを防ぐため、汝、何をなすか。


  ◇


 試しの後、答案は名を伏せられた。


 文の科挙の写し直しのやり方を兵部が借りた。答案は番号だけを付けられて、読む者たちの机に回った。読む者は兵部の官と、枢密院の官と、師団の上尉と、上校と。——それに図と病との答案だけは谷長順と、戴守仁と。


 百二十人が試しを通った。


 名が開かれた。


 青い上着の男は郁文遠といった。開封の州橋の近くの書肆の次男だった。十九だった。文の解試を一度受けて落ちていた。


 鮑順も通った。


 試しを通った者の中で下から七番目だった。


  ◇


 名が開かれた日の夕方、修平は州橋の近くの書肆に寄った。


 十四年前の冬、開封に着いたばかりの修平が模範の答案の集を筆写して、宿の代を稼いだ店だった。任官してからも年に何度か本を買いに来ていた。


 店の主は七十に近い背の丸い男だった。修平の顔を見ると、いつものように奥の棚から新しく入った本を二、三冊出してきた。


 それから少し言いにくそうに言った。


「林さま。——兵部のあの試しのことをご存じで」


「尉の官の候補の試しですか」


「次男が受けまして」


 主は帳場の奥を見た。奥の薄暗い部屋で若い男が一人、本の背に糊を引いていた。青い短い上着を着ていた。


「文の解試を一度落ちました」


 主は声を落とした。


「もう一度受けろ、と言いました。この店は四代、書を売ってきた。子の一人くらいは官に、と。——次男は文の官ではなく、軍の官の試しを受けると言い出しまして」


 主は困ったように笑った。


「通ったそうです。今朝、兵部の貼り紙に番号がございました」


 修平は奥の部屋の若い男の背中を見ていた。


「軍の官も官です」


 修平は言った。


「国に任じられて、国に禄を受けます。——試しの中身は文の科挙より、算と図とが重い」


「算は、あれは昔から得意でした」


 主は言った。


「帳場の算盤をわしより速く弾く。——それが文の科挙では何の役にも立たぬ、と本人がこぼしておりました」


 主は本を紙に包み始めた。


「軍の官の試しでは役に立った、と」


「立ったのでしょう」


 修平は言った。


 奥の部屋で若い男が糊の刷毛を置いて、こちらを振り返った。修平と目が合った。若い男は少し頭を下げた。


 修平も頭を下げた。


 十四年前、この店の同じ奥の部屋で、修平は他人の答案を一字ずつ写していた。写しながら、自分がどこへ向かっているのか分からなかった。


  ◇


 通った百二十人は秋の終わりに陳橋の軍の学び舎に入った。


 試しの場の脇の土の壁の細長い小屋が四つ。下士の学び舎の隣だった。


 はじめの半年は皆同じことを学ぶ。歩く兵のこと。砲のこと。工兵のこと。騎兵のこと。——それに軍の法と、捕らえた者の扱いと、徴発の紙と、病を防ぐことと。


「砲の兵になる者も」


 克魯澤が最初の日に小屋の前で言った。


「歩く兵がどこで伏せるかを知らねばならない。——歩く兵になる者も。砲がどこからどこへ撃つかを知らねば。自分の兵の前に砂の弾を落とさぬように」


 克魯澤は谷長順の方を見て少し笑った。谷長順は苦い顔をした。


 その日の午後、第一師団の法の司の長が学び舎の小屋に来た。


 法の司の長は候補の者たちの前に、刷り上がったばかりの国の軍の法の写しを置いた。最初の頁の大きな一行を指で叩いた。


 ——兵を持つ者ほど、手続きを重くす。


「お前たちは一年半の後に少尉になる」


 法の司の長は言った。


「少尉は兵を三十人持つ。——三十人の兵が薪を書かずに取れば、お前の禄から引かれる。三十人の兵が捕らえた者を殴れば、お前の名が書き付けに残る」


 法の司の長は写しを閉じた。


「勇ましく攻める者はこの国の軍にはいくらでもいる。——書き付けを正しく書ける尉の官が足りぬ」


 郁文遠が写しを手元に引き寄せて、最初の頁を開いた。鮑順は写しを両手で持ったまま、しばらく表紙を見ていた。


 後ろの半年に、兵の種ごとに分かれる。歩く兵。砲。工兵。騎兵。輜重。医と報せと。


 学び舎を出たら、師団に半年。小隊の長の下について勤める。


 それから、考課。


 それから、少尉。


  ◇


 学び舎に入ってひと月目に野での試しがあった。


 候補の者を五人ずつ組にして、兵を二十人預ける。陳橋の北の野を半日歩かせる。


 郁文遠の組は途中で小さな木の橋に行き当たった。


 橋の真ん中の板が外されていた。——審べの官が前の夜に外させていた。


 橋の脇に札が立っていた。


 ——この橋、渡れず。


 郁文遠は札を見た。組の他の四人を見た。


「下手へ回ろう」


 郁文遠は言った。


「図では下手に瀬がある」


「下手の瀬まで半里」


 組の一人が言った。


「上手に戻れば別の橋がある。一里」


 郁文遠は図を見た。それから兵たちの足元を見た。


 二十人の兵のうち、一人が足を引きずっていた。——これも審べの官の札だった。この兵、朝より足を痛む。


「瀬は冷たい」


 郁文遠は言った。


「足の悪い兵を瀬に入れるのか」


 組の者たちが黙った。


 郁文遠はしばらく考えていた。


「足の悪い兵を二人で背負う。——いや」


 郁文遠は首を振った。


「背負えば二人が銃を持てない」


 郁文遠は組の一人に言った。


「足の悪い兵ともう一人とをここに残す。橋のこの岸に。——残った二人は橋の番をする。後で迎えに来る者のために、橋が渡れぬことを知らせる」


「残してよいのか」


「置いていくのではない」


 郁文遠は言った。


「どこに、何人残したかを書く。——書いた紙を、戻るとき審べの官に渡す」


 郁文遠は懐から紙を出した。炭の芯で書いた。


 ——足を痛む兵、一。付き添い、一。木の橋の北の岸に。刻。


 郁文遠の組は下手の瀬へ回った。


  ◇


 その夜、審べの官の天幕で、狄承武は郁文遠の組の紙を読んでいた。


「残した」


 狄承武は言った。


「置いていかずに」


 修平は狄承武の隣にいた。


「足の悪い兵を瀬に入れれば、組は遅れる。背負えば銃が減る。——郁文遠は残すことを選んだ。残した場所と、数と、刻とを書いて」


 狄承武は紙を置いた。


「正しいかどうかは分からぬ」


 狄承武は言った。


「本当の戦なら、残した二人を敵が見つけるかもしれぬ。——けれど、郁文遠はなぜそうしたかを書いた。書いたから、正しいかどうかを後で皆で考えられる」


 狄承武は天幕の外を見た。学び舎の細長い小屋に灯がついていた。


「鮑順の組は」


「上手の一里先の橋へ回りました」


 修平は言った。


「足の悪い兵を自分で背負って」


 狄承武は少し笑った。


「鮑順らしい」


「組の者が途中で代わると言いました。鮑順は代わらせませんでした。——組の者に銃を持たせたまま、歩かせるために」


 狄承武はしばらく黙っていた。


「郁文遠は字と算とで鮑順に勝つ」


 狄承武は言った。


「鮑順は兵の背の重さを知っている。——二人を同じ学び舎で一年並べておく」


 天幕の外で、夜の見張りの交代の笛が短く鳴った。


 学び舎の小屋の灯が一つずつ消えていった。最後まで、一つだけ消えなかった。


 修平はそれが誰の机の灯か、知っていた。鮑順が算の補いの帳面を夜ごと開いていた。

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