↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
123/440

第九巻 軍制 第五回 師団という軍隊

 工兵の橋はまだ半ばだった。


 小さな川のこちらの岸から向こうの岸へ丸太の脚が四本立っていた。脚の上に板が半分まで渡されていた。工兵の兵たちが腰まで水に浸かって五本目の脚を立てようとしていた。


 川のこちらの岸には歩く兵が二つの指揮、八百人あまり着いていた。


 着いて待っていた。


 修平は岸の上の少し高いところで狄承武の脇に立っていた。春の終わりの陳橋の北の野だった。


「香篆がひと巡り」


 狄承武は言った。


「歩く兵はここに着いてから、香篆がひと巡りするまで待っている。——八百人が」


 狄承武は橋の方を見ていた。


「本当の戦で川の向こうに敵がいたら。八百人が岸に固まって待っていたら」


 狄承武はそれ以上言わなかった。


  ◇


 野の反対の端でも別のことが起きていた。——修平がそれを知ったのは夕方だった。


 克魯澤の砲の隊は野の東の高いところへ着いていた。四門。据えるのは速かった。——けれど弾の車が来ていなかった。


 砲の車の前の小さな車に三十発。それを撃ってしまえば、弾の車を待つしかない。


 弾の車は野の南の道を来ていた。その道の途中で歩く兵の三つ目の指揮とぶつかっていた。歩く兵は道の真ん中を四列で歩いていた。弾の車は道の端に止められて、兵が通り過ぎるのを待っていた。


「誰が先に通るかを」


 夕方、兵営に戻る道で克魯澤は修平に言った。


「決めていなかった」


 克魯澤は訛りの強い声で一語ずつ言った。


「歩く兵の長は自分の兵を先に通した。——正しい。弾の車の長は歩く兵を先に通した。——正しい。二人とも正しい。けれど砲は撃てない」


  ◇


 試しの営の演習だった。


 春の初めに国の軍の文が下りた後、試しの営は四百から大きくなった。開封の禁軍のいくつかの指揮が移ってきた。河北の廂軍の青い旗の五十人も。砲の隊が四門から十二門に。騎兵が慕容雄の二百騎。工兵が三百人。


 合わせて一万を少し越えた。


 一万の兵を一度に野に出したのは、この日が初めてだった。


 夕方、野の端の兵営の広間で、狄承武は卓の上に野の図を広げた。


 沈廷策がいた。克魯澤がいた。董元礼と、曹允恭と、慕容雄と、谷長順と。工兵の長と弾の車の長と。


「今日分かったこと」


 狄承武は言った。


「歩く兵は、歩く兵の速さで動いた。砲は砲の速さで。工兵は工兵の速さで。弾の車は弾の車の速さで。——誰も誤っていない。けれど合わせると、合わない」


 狄承武は図の上に指を置いた。


「一万の兵は一つの軍ではなかった。四百の兵が二十五、並んでいただけだ」


  ◇


「私の国の軍には」


 克魯澤が言った。


「歩く兵と、砲と、馬の兵と、工兵と、弾の車と、医と。——全部を一つに束ねた隊がありました。一万から一万五千」


 克魯澤は卓の上の図の野の端に指で大きな輪を描いた。


「その隊の長の下に何人かの官がいた。戦の筋を考える者。敵を見る者。弾と飯と馬とを考える者。人を考える者。報せを考える者」


「一万五千を束ねる隊」


 董元礼が言った。


「その隊は独りで何日戦える」


「何日か」


 克魯澤は言った。


「後ろから弾と飯とが来なくても。——三日。四日。その間に後ろが追いつく」


 修平は克魯澤の指の描いた輪を見ていた。


 修平が本で読んだことのある言葉を、克魯澤は使わなかった。克魯澤の国の言葉で何と呼ぶのかも言わなかった。ただ、一万五千と、三日と言った。


「呼び名は」


 狄承武が訊いた。


「この国の呼び名で」


 董元礼が言った。


「昔、師と言った。二千五百の兵を一師。——古い書の言い方だ」


「師」


 狄承武は繰り返した。


「一つの師が全部を持つ。歩く兵も砲も工兵も弾の車も医も。——師の団」


 沈廷策が小さく書いた。


 師団。


  ◇


 師団をどう組むか。


 ひと月、試しの営の兵営の広間で議が続いた。


 沈廷策が紙に欄を引いた。縦に隊の名。横に兵の数、長の位、持つ物、一日に要る物。


 一番下の隊から決めていった。


「都」


 狄承武は言った。


「百人。——これは昔のままでよい。谷長順の都は百人で動いた。一人の長の声が届くのは百人まで」


 昔の都はこれから中隊と呼ぶ。中隊の下に三つの小隊。小隊の下に十人ほどの組。


「指揮」


 昔の指揮は四百から五百。これから大隊と呼ぶ。四つの中隊で一つの大隊。


 大隊を三つ束ねて連隊。連隊を二つ束ねて旅団。


 旅団を四つ。——歩く兵がそこまでで一万に少し足りぬ。


「砲を」


 克魯澤が言った。


「師団に十二門。三つの砲の隊。——私の国では倍を持たせた。けれどこの国の作坊の砲は二年で八十門」


 克魯澤は指を折った。


「十万の兵に八十門。一万の師団に八門。——それでは少ない。十二門持たせる師団を先に作る。持たせられぬ師団は後で」


「騎兵を」


 慕容雄が言った。


「師団の前を見る者。四百騎。——戦うためではない。見るため。見て報せるため」


「工兵を」


 工兵の長が言った。五十がらみの、手の大きな男だった。


「橋を架ける。道を直す。土を掘る。——三百では足りぬ。今日分かった。五百」


「報せの兵を」


 沈廷策が言った。


「電信の線を、師団の後ろから師団の長の所まで引く兵。旗と使いとで大隊まで報せを運ぶ兵。天機の機械は師団には置かない。軍の上に置く」


「弾の車と飯の車と」


 曹允恭が言った。


「医と」


 狄承武はそれだけを言った。


  ◇


 師団の長の下に官を置いた。


 戦の筋を考える官。敵を見る官。弾と飯と馬とを考える官。人を考える官。報せを考える官。


「この官たちは」


 沈廷策は言った。


「どこの師団でも同じ形の報せを書く。——兵の数。どこにいるか。弾は何日分。飯は何日分。敵はどこにいくら。道は通れるか。同じ順に同じ欄に」


「なぜ同じ形に」


 慕容雄が訊いた。


「一つの師団の報せなら、形はどうでも読める」


「十の師団の報せが一度に枢密院に届いたら」


 沈廷策は言った。


「十の形で書かれていたら。——枢密院でそれを一枚の図に写し直す者が一晩かかる。一晩の間に戦の野は動く」


 沈廷策は帳面を閉じた。


「上だけ新しくしても。下の報せが古い形のままなら、上は古い報せを速く受け取るだけです」


「その官を誰がする」


 董元礼が言った。


「戦の筋を考える官。弾と飯とを考える官。——一つの師団に五人。十の師団で五十人。それぞれに、下に書く者と算える者と」


 董元礼は広間の中を見回した。


「今この国に、弾と飯とを考える官の勤めができる武の官が何人いる」


 誰も答えなかった。


 曹允恭がしばらくして言った。


「兵部の装備の房の吏なら。——数は算えられる。けれど戦の野を知らぬ」


「武の官なら戦の野を知っている」


 慕容雄が言った。


「けれど一日に干し草が六万斤と算えられる者は、私の騎兵の指揮使の中にはいない」


 狄承武は表の官の欄を見ていた。


「今年は両方を組ませる」


 狄承武は言った。


「戦の野を知る者と算えられる者とを二人、一つの勤めに。——その間に両方を知る者を育てる手立てを考えねばならぬ」


  ◇


 師団の一日に要る物を、曹允恭と秦牧之とが算えた。


 人の飯。粟と麦と塩と干した肉。馬の干し草と豆麦と水。針銃の包み。砲の弾。替えの品。薬と布。


「兵、一万二千」


 曹允恭は言った。


「馬、三千頭あまり。——一日に」


 曹允恭は紙に書いていった。


 人の飯、三百石あまり。馬の干し草、六万斤。豆麦、一万五千斤。——戦の日なら包み、二十万あまり。砲の弾、千。


「一日に」


 狄承武が繰り返した。


「これを一日で運ぶのか」


「一日で」


 曹允恭は言った。


「戦のない日にも。飯と干し草は。——荷車一台に、千斤。飯と干し草だけで一日に百台に近い」


 広間の中が静かになった。


「師団の帳面には」


 修平は言った。


「兵の数の隣にこの数を」


 修平は紙の上の一日に要る物の欄を指した。


「兵が何人いるかだけでなく。一日動かすのに何が何斤要るか。——その数が師団の名の隣にいつもあるように」


 曹允恭が頷いた。


「百台の車が」


 秦牧之が言った。


「一本の道を通るのにどれだけかかる」


 秦牧之は太僕寺の古い帳面を開いた。牧監から都へ馬の干し草を運んだときの帳面だった。


「車と車の間を二十歩。一台が十歩。——百台で三千歩。道が乾いていれば、車は一刻に十里あまり。百台の頭から尻まで道の上に並べば」


 秦牧之は珠を弾いた。


「頭が着いてから、尻が着くまで。——一刻近く」


「一つの師団の飯と干し草だけで」


 狄承武が言った。


「一本の道が一刻塞がる」


「弾の車を足せばもっと」


 秦牧之は言った。


「そして歩く兵も同じ道を歩く。——今日の弾の車と三つ目の指揮と」


 広間の中の誰も答えなかった。


 修平は紙の上の師団の輪を見ていた。一つの師団が一本の道の上に一日並ぶ。二つの師団が同じ道に並べば。


「一本の道には一つの師団」


 克魯澤が言った。一語ずつゆっくりと。


「私の国でも同じでした。——けれど今日はそこまで考えない。まず一つの師団が一本の道の上で自分の車に自分でぶつからないように」


  ◇


 その夜、修平は狄承武と兵営の外を歩いた。


 野の上に星が出ていた。遠くで馬が鼻を鳴らしていた。


「医と、と言われましたね」


 修平は言った。


「今日の議で。——医と、とだけ」


 狄承武はしばらく黙って歩いていた。


「西の遠征の医官は三人だった」


 狄承武は言った。


「三千の兵に三人。——一人は包囲の二日目に死んだ。一人は腕を射られた。残った一人が、退く十日の間、四百人の傷を見た」


 狄承武は足を止めた。


「退く途中で歩けぬ兵が二百あまりいた。糧の荷車を捨てて空いた車に乗せた。——乗せ替えるまでの二日。歩ける兵が歩けぬ兵を背負った。背負った兵は銃を持てなかった。いや、あの頃は弓だった」


 狄承武は野の暗い方を見た。


「師団の表の砲の行の隣に。医の行を同じ太さで書きたい。——そう言おうとしたら、言葉が出てこなかった」


 修平は何も言わなかった。


「残った一人の医官は今、太医局にいる」


 狄承武は言った。


「戴守仁という。——いずれ林詳定にも会ってもらう」


  ◇


 夏の初めにもう一度野に出た。


 今度は決まりが一つ増えていた。


 道を誰が先に通るか。——師団の弾と飯とを考える官が朝のうちに道の割り当ての表を作る。どの刻にどの隊がどの道を通るか。表は全ての隊の長に渡される。


 川の橋は工兵が先に出た。歩く兵が着くより一刻早く。


 野の北に敵の役の兵がいた。慕容雄の騎兵の半ばと、河北から来た五十人の青い旗の兵と。


 師団の前に慕容雄の騎兵の残りの半ばが出ていた。その後ろに谷長順の中隊と、工兵の一隊と、報せの兵と。——前衛、と狄承武は呼んだ。


「前衛は敵を破らない」


 狄承武は朝、前衛の長たちに言った。


「見つける。見つけたらそこに留める。——師団の残りが野に広がる刻を作る。それだけでよい」


 昼前、慕容雄の騎兵が野の北の低い丘の陰に敵の役の兵を見つけた。


 騎兵は敵に向かって行かなかった。


 丘の手前で止まり、二騎が後ろへ駆けた。谷長順の中隊の所へ。谷長順は報せを聞いて、中隊を前へ出した。


 中隊が伏せた。


 百人の兵が五歩ずつ離れて横に長く伸びた。——射手の鎖、と兵たちは呼んでいた。鎖の何人かが撃った。砂の弾ではなく、空の包みの音だけの弾だった。


 鎖の後ろに別の中隊が二つ、四列の小さな縦隊で控えていた。


「縦隊は戦うための並び方ではない」


 狄承武は丘の上で修平に言った。


「速く動くための並び方だ。——敵の前で固まって撃たれるためのものではない。走って、要るところで横に開く」


 鎖の兵が撃っている間に、控えの中隊の一つが右の窪地を伝って前へ出た。窪地の端まで来て横に開いた。新しい鎖ができた。


 前の鎖が撃つのを止めた。今度は新しい鎖が撃った。前の鎖の兵が立ち上がって前へ這い出した。


 二つの鎖が交互に前へ出た。


 そのとき、野の東の高いところで克魯澤の砲が鳴った。


 空の弾だった。音だけだった。けれど今度は砲の隊の脇に弾の車が着いていた。


 修平は香篆の火を見なかった。見なくても分かった。——前よりずっと速かった。


  ◇


 野の北の低い丘の陰で敵の役の兵が退き始めた。


 慕容雄の騎兵が追いかけようとした。


 旗が一本上がった。


 丘の上の狄承武の脇の報せの兵が上げた旗だった。赤と白の二色の旗。


 ——追うな。


 慕容雄の騎兵は止まった。


 丘の陰のさらに向こうに敵の役の騎兵が二百騎伏せていた。追ってきた者を囲む手筈だった。


「十年前の乾いた河床で」


 狄承武は言った。旗の方を見ていた。


「ロマニエの重い騎兵が退く敵を追った。私はその脇に玄甲の一隊を付けた。——川の床の曲がりを越えたところで、左右の丘から別の騎兵が出た。止めよ、と角笛を鳴らしたのは半刻遅かった」


 狄承武は修平の方を見なかった。


「今日は追わない。敵がどこへ退き、その先に何があるかを見た者が報せてくるまで。——師団の長がそれを決める」


  ◇


 夏の初めの終わりに、枢密院と兵部との連名の文が試しの営に届いた。


 試しの営を解く。


 試しの営の兵と、開封の禁軍の移ってきた指揮と、砲の隊と騎兵と工兵と報せの兵と弾の車と医とを、合わせて国の軍の第一の師団とする。


 師団の長に狄承武を充てる。


 その日の夕方、狄承武は兵営の広間の卓の上に、沈廷策の作った師団の定めの表を広げた。


 隊の名。兵の数。長の位。持つ物。一日に要る物。——そして表の一番上に師団の名。


 第一師団。


 狄承武の名は表のどこにもなかった。


「長の名は書かぬのか」


 董元礼が訊いた。


「書きません」


 狄承武は言った。


「長は替わります。——私が倒れても。私がよそへ移っても。この表のとおりに隊があり、官があり、報せの形があり、一日に要る物の数がある。次の長が明日この表を受け取れば、明日から同じ師団を動かせる」


 狄承武は表の上に手を置いた。


「強い将軍の兵ではない。——そういう軍にしたい、と思っていた」


 董元礼は黙って頷いた。


 広間の外で夕方の戻りの笛が鳴っていた。一万二千の兵がそれぞれの兵営へ戻っていく足音が、野の方から低く続いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。