第八巻 軍産業 第十一回 戦争を作る工場
紙には一行しか書かれていなかった。
——北に戦始まらば、この国は何日戦い得るや。
枢密使、楊崇武の名だった。宛先は、兵部尚書、呉承烈。
呉承烈はその紙を、工部の書庫の長い卓の真ん中に置いた。
「枢密使は、この一行に答えよ、と言われる」
呉承烈は言った。六十八になった兵部尚書の声は、低くゆっくりとしていた。
「兵の数ではない。銃の数でもない。——何日戦えるか、だ」
秋の終わりの冷えた朝だった。
卓の周りに人が並んでいた。兵部から呉承烈と曹允恭。戸部から孟季常。工部から沈維新と韋金森と賀通遠。軍器監から洪克勤と樊守正。統計局から韋明遠と鍾九思。兵部の駅の房から田守信。枢密院から董元礼。
修平は鍾九思の隣に座っていた。
「兵部だけでは答えられぬ」
呉承烈は卓の周りを見回した。
「それで、皆に来てもらった」
◇
最初に卓の上に広げられたのは、鍾九思の表だった。
縦に品の名。針銃。丙の砲。丁の砲。包み。砲の弾。火薬。替えの閉じ具。替えの針。替えの筒。車輪。馬具。天機の機械。電信の線。
横に欄が三つ。今、倉にある数。ひと月に作れる数。——それと、もう一つ空いた欄。
「空いた欄は」
孟季常が訊いた。
「今日埋めます」
鍾九思は言った。五十を過ぎた算盤の名手は、表の上に指を置いた。
「ひと月に作れる数は、作坊がそう申し出た数です。作坊の帳面の上の数。——戦になって、それをひと月、ふた月、三月と作り続けられるか。作り続けられる数を空いた欄に書く」
董元礼が枢密院の紙を隣に広げた。
北の最初の戦の見立てだった。
「今始まれば、針銃を持つ兵は三千に満たぬ」
董元礼は言った。
「枢密使が問うておられるのは、針銃が三万挺揃った日のことだ。——今の作坊のままなら、二年の後」
その日の見立てが紙に並んでいた。兵、十万。そのうち針銃の兵、三万。丙と丁の砲、八十門。戦の続く日は、ひと月に十日。戦の一日に、針銃の兵一人、四十発。砲一門、八十発。——戦の一日に、針銃が百挺に一挺、壊れるか失われる。砲の筒は、五百発ごとに検めて、十に一つ替える。
「この数で戦うとして」
董元礼は言った。
「作坊が今の数を作り続けられるなら、何日戦えるか。作り続けられぬなら、何日か」
◇
「針銃は、ひと月に千二百挺」
洪克勤が言った。
「開封と磁州とで」
「千二百挺を作り続けられますか」
修平が訊いた。
「作り続けられる」
洪克勤は言った。それから、樊守正の方を見た。
樊守正が帳面を開いた。
「千二百挺は作れます。——ただ、倍にせよ、と言われたら、倍にはなりません」
「どこで止まる」
「閉じ具の班です」
樊守正は言った。
「閉じ具の茸の傘を仕上げる者が、開封に十四人、磁州に八人。枠があっても、傘の最後のひと擦りは、腕の要るところです。——新しく教えてひと擦りを任せられるまで、ふた月」
「溝を刻む台は」
韋金森が言った。
「今、六台。一台で、一日に筒を七本。筒を穿つ台は、この夏に九台に増やしました。溝の台の方が遅い。——倍にするには、溝の台を六台足す。台を作るのに、親のねじから写した送りのねじが要る。ねじを一本写すのに、ひと月。二本ずつ写して、六本で、三月」
修平は紙に欄を引いた。
縦に針銃を作るのに要る工程と、物と、人。閉じ具の傘の仕上げ。溝を刻む台。筒の鋼。刃の鋼。焼き入れの炉。木の部の乾いた胡桃の木。——横に一つだけ欄。
倍にするのに、何日。
一つずつ、卓の周りの者に訊いていった。
閉じ具の傘の仕上げ。ふた月。溝を刻む台。三月。筒の鋼。杜布林の別の壺をもう一つ焚くのに、ひと月。ただし、道の棒の鋼がその分減る。刃の鋼。磁州機械の三年分の注文の分で足りる。焼き入れの炉。十日。胡桃の木。——軍器監の木の倉に、三年乾かした木は、今の数の一年分しかなかった。
「胡桃の木を三年乾かすのに」
洪克勤が言った。
「三年」
卓の周りが静かになった。
「三年乾かしていない木で、銃の木の部を作れば」
「割れる」
洪克勤は言った。
「台の尾と同じだ。——丙の砲の尾が、乾いていない楡で割れた」
修平は欄に、三年、と書いた。
書き終えて、欄を見直した。
十日。ひと月。ふた月。三月。——三年。
「倍に作れるまでにかかる日は」
修平は言った。
「一番遅い欄の日です。ほかの欄が、どれだけ速くても」
鍾九思が小さく頷いた。
「帳面の上の数と、作り続けられる数との違いは、ここですな」
鍾九思は言った。
「作坊は今の数を申し出た。今の数なら作れる。——戦は、今の数では済まぬ」
◇
同じことを包みでもした。
包みは、楚州と開封とで、ひと月に百二十万。巻く女を集めて教えるのに、ふた月。火薬の小屋をもう一つ建てるのに、三月。硝石。北の古土の地方から倍を掘り出すのに、半年。中牟の牧監の硝石の畑は、何年経っても一割からそう多くは増えない。
水銀。
「辰州の丹砂の山」
修平は言った。
「倍にするのに、何日」
沈維新が、坑冶寺から写してきた紙を見た。
「辰州の山は、今掘れるだけを掘っている。——倍にはならぬ。坑冶寺が、西南のほかの丹砂の山を探している。見つかるかどうかは分からぬ」
修平は水銀の欄に、分からず、と書いた。
砲の弾でもした。弾の殻を鋳る炉。帯を締める枠。頭の仕掛けの燃える導火の輪。——導火の輪は、羅蘭徳の、楚州の奥の奥の小屋でしか作れなかった。
石炭は、賀通遠が言った。
「鶴壁の坑は、冬、雪で道が塞がる日がある。——鉄の道は雪の日にも走る。けれど、坑の口から道までの荷車は、雪に止まる」
鋼は、杜布林の名の紙があった。
——鋼の場の鋼を戦のために倍に軍器監へ回すなら、道の棒の鋼をその分止める。道の棒を止めれば、磁州から邢州への道が止まる。
「磁邢の道は会社の道だ」
孟季常が言った。
「あの会社の株を、八千の者が持っている」
卓の周りの誰も、それには答えなかった。
◇
「では、どうする」
呉承烈が言った。
「戦の日まで、作坊を今の倍にしておくか。——戦がなければ、倍の作坊は遊ぶ」
「遊ばせぬ手があります」
韋金森が言った。
「四年前の春、軍器監の作坊で申し上げました。民の工場を使います」
韋金森は紙を一枚出した。
軍器監と工部とで、この秋に作り始めた帳面の写しだった。民の工場の名。どこにあるか。今、何を作っているか。——戦になったら、何を作れるか。そのために、何を足さねばならぬか。足すのに、何日かかるか。
磁州機械。今は、刃と軸の受けと、鋤と手押しの筒。戦になれば、針銃の引き金の仕掛けと、ねじと、閉じ具の粗削り。足すのは、枠と型と、検める者。——十日。
衛州の車を直す工場。今は、鉄の道の車の軸と車輪。戦になれば、砲の車と、弾の車の軸と輪金。足すのは、型。——五日。
揚州の船の釜を直す工場。今は、通済の舟の釜と軸の受け。戦になれば、弾の殻の削り。足すのは、刃と、型と、枠。——ひと月。
「型と枠とを、平時からこの工場に預けておきます」
韋金森は言った。
「封をしてしまっておく。戦になったら、封を切って使う。——検める者は、年に一度、預けた型を元の型と比べに行く」
「天機の機械の替えの歯車の組と、同じだな」
董元礼が言った。
「封をして先に置いておく」
「民の工場を全部、戦の工場にするのではないのだな」
孟季常が念を押した。
「しません」
韋金森は言った。
「平時は、鋤と、軸の受けと、船の釜を作っていてもらう。——鋤が作られなければ、麦が育たない。麦が育たなければ、戦の兵は食えない」
修平は孟季常の顔を見た。
孟季常はこの秋、戸部郎中になったばかりだった。葉正言の下で、国の証文の帳面を十年あまり付けてきた男だった。
「戸部から、一つ」
孟季常は言った。
「倉に積めば積むほど安心だ、と思うておられる方が、いるかもしれぬ。——積むのにも銭が要ります」
孟季常は自分の紙を広げた。
「包みは倉に置けば、年に一割ずつ火の付かぬものが出る。楚州の倉の番の帳面から、鍾九思どのが割り出した。——三年置いた包みは、三つに一つ撃てぬ。だから、古いものから稽古で撃って、新しいものに入れ替えねばならない。入れ替える分を、毎年巻き続ける」
孟季常は指を折った。
「倉を建てる銭。倉の番の禄。湿りを吸う炭。雷の柱。——それに、いつか甲の図が乙の図に取って代わるかもしれぬ。そのとき、倉の乙の替えの品はどうなる」
孟季常は紙を置いた。
「倉に無限に積むことはしない。倉に積むのは、作坊を倍にするまでの日数の分。それを越える分は、作坊を倍にできる支度と、民の工場に預けた型とで備える。——三つの組み合わせで、一番安く、一番長く戦えるところを探したい」
韋明遠が算木の箱を卓に置いた。
「探せます」
韋明遠は言った。
「計算の機械を三台ください。十日で」
◇
鉄の道の話は最後だった。
賀通遠と田守信とが、並んで紙を広げた。
衛州の河の港から、鶴壁、磁州までの鉄の道の刻の表だった。今、一日に石炭の車が、上りと下りとで八つ。客の車が二つ。区間ごとに一枚の木の札。札を持つ車だけが、その区間を走る。
「戦になったら、この表をどう変えるか」
賀通遠は言った。
「石炭の車を減らせば、軍の車を増やせる。——けれど、石炭の車を減らせば、鋼の場の炉が止まる。炉が止まれば、筒の鋼が止まる」
「どこまで減らせる」
董元礼が訊いた。
「鋼の場の石炭の蓄えは、十日分」
賀通遠は言った。
「石炭の車を半分に減らして、軍の車を四つ足す。——十日の間なら、炉は止まらない。十日を過ぎたら、また石炭の車を戻す」
田守信が紙の別の頁を開いた。
「切り替えの刻の表を、今のうちに作っておきます」
田守信は言った。七十に近い老吏の指が、紙の上の細い升をなぞった。
「戦になった、と枢密院から報せが来た日の次の朝から、この表で走らせる。——札の渡し方も、駅での積み下ろしの刻も、全部先に書いておく。戦になってから表を作れば、表ができるまでに三日かかる。三日、道が混む」
賀通遠は紙の黄河のところを指で叩いた。
「そして、ここです」
黄河の渡し舟。
「鉄の道が、どれだけ速くても。弾の箱は、開封から黄河を渡し舟で渡る。——一日に、八百箱」
「黄河の北の倉は」
「この冬から、衛州の港の脇に建て始めます」
曹允恭が言った。
「渡す前に、渡しておく。——董元礼どのが、この秋言われたとおりに」
賀通遠は何か言いかけて、やめた。
修平には、賀通遠が何を言いかけたのか分かる気がした。黄河に橋を。——鉄の道の橋を。
それは、まだこの卓の話ではなかった。
◇
十日の後、同じ卓の上に新しい表が広げられた。
鍾九思の表の空いていた欄は、全部埋まっていた。
その隣に、韋明遠のもう一枚の表があった。
表の頭に、こう書かれていた。——二年の後、針銃三万挺の揃う日。支度を、表の下の行のとおりにしたるものとして。
縦に北の軍鎮の名。大名府。真定府。——横に欄。
弾、何日分。針銃の替え、何挺。砲の筒をひと月に何本替えられるか。鉄の道と、車と、渡し舟とで、一日に何箱届くか。開封の禁軍が着くまでに、何日。
大名府。包み、十二日分。針銃の替え、二千挺。砲の筒の替え、ひと月に四本。一日に届く弾の箱、六百。禁軍の着くまで、九日。
真定府。包み、八日分。針銃の替え、千挺。砲の筒の替え、ひと月に二本。一日に届く弾の箱、二百。禁軍の着くまで、十四日。——二つの軍鎮に届く箱は合わせて八百。黄河の北の倉から出す。渡しの八百は、その倉を満たし続けるのに使う。
表の一番下に、一行あった。
——今の作坊のまま二年を過ごせば、針銃の兵の増えるにつれ、稽古に撃つ包みも増え、倉に残る包みは少ない。三万挺の揃う日の蓄えは、戦の日にして七日。作坊のひと月の出来高は、戦の一日の分。戦の日、ひと月に十日ならば、ひと月の半ばで撃つ数を半ばに落とさねばならぬ。
その下にもう一行。
——民の工場に型を預け、包みの作坊を倍にし、黄河の北に倉を建て、閉じ具の傘の仕上げの者を倍に教え、胡桃の木を今年より倍に乾かし始めれば、二年の後の蓄えは、戦の日にして二十日あまり。出来高は、戦の二日の分。戦の日、ひと月に十日ならば、三月。
水銀の欄だけが、分からず、のままだった。
◇
楊崇武が書庫に入ってきたのは、その日の午後だった。
六十四になった枢密使は、杖をついていた。この春の風邪から、足が少し弱っていた。
楊崇武は卓の脇に立ち、韋明遠の表を長いこと見ていた。
誰も口を開かなかった。
「七日」
楊崇武は言った。
「九年前、西の遠征で三千の兵が、国境の平原から包囲の三日目まで戦った。——あれは、三月あまり続いた」
楊崇武は表の上の真定府の行を、指でなぞった。
「あのとき、私は何日戦えるかを知らなかった。知らずに送り出した。報せが四月かかって届いたとき、もう戦は終わっていた」
楊崇武は指を止めた。
「今日は知っている」
楊崇武は書庫の中の者たちを見回した。
「七日では足りぬ。三月でも足りぬかもしれぬ。——けれど、七日だと知っている。知っておれば、何をどう使うかを決められる。二年の後に三月にするために、今何をすればよいかも、この表に書いてある」
楊崇武は表から手を離した。
「銃も、砲も、弾も、天機の機械も、作るのは作坊だ。——作坊が作った火を軍鎮まで運ぶのは、鉄の道と、渡し舟と、荷車と、倉だ」
楊崇武は言った。
「火は、工場で生まれる。線で保たれる。——工場と線とを数えずに、兵だけを数えて戦を始めるな。後の者に、そう書き残しておけ」
董元礼が筆を取った。
◇
皆が書庫を出た後、呉承烈が楊崇武の脇に残っていた。
修平は卓の上の紙を揃えていた。二人の声が聞こえた。
「この表を毎月、誰が作る」
呉承烈が言った。
「作坊の数は、兵部と軍器監。戦の見立ては、枢密院。倉は、兵部。鉄の道は、工部と兵部の駅の房。——今日は、皆が一つの卓に集まった。毎月集まれるか」
楊崇武はしばらく黙っていた。
「集まれぬな」
「集まれぬ」
呉承烈は言った。
「この秋、職人の兵籍のことで、照会の文がまた二通になった。天機の機械の兵がどちらの兵かで、また二通。替えの品の数をどちらが決めるかで、二通。——この表を毎月作ろうとすれば、毎月何十通になるか」
呉承烈は、杖をついた枢密使を見た。
「枢密使。兵部と枢密院との線を、一度引き直さねばなりますまい。——どちらが何を持つか」
楊崇武は呉承烈を見返した。
「私も、それを言おうと思っていた」
楊崇武は言った。
「近いうちに、陛下に申し上げる。——兵部尚書と枢密使との連名で」
二人は、それきり何も言わなかった。
並んで書庫を出ていった。
◇
その夜、修平は、軍器監の城の西の作坊の前を通った。
通るつもりで通ったのではなかった。詰所へ戻る道を一本外れて歩いていたら、水路の脇に出た。
門の中から音が聞こえていた。
夜の組の小屋の灯が、水路の上手から下手へ並んでいた。上手の小屋から、重い音が、一定の間を置いて。その下手から、軽い、細かい音。さらに下手から、擦るような音。
揃った音だった。
修平は、門の外の暗がりに立って、その音を聞いていた。
十二年前の初夏、宮城の小殿で皇帝は、北辺の軍費は歳出の半ばを超える、と言った。あの夜、修平は銭と、紙幣と、行とのことしか考えていなかった。
八年前の春、敗報の廷議の後、修平は葉正言に自分の誤りを認めた。銭が続けば、職人と鉄と硝石は集まる。——集まらなかった。
四年前の春、この門の内で韋金森は、揃っていない、と言った。
今、音は揃っていた。
揃った音の中で、今夜も閉じ具の傘が仕上げられ、筒の溝が刻まれていた。楚州では、塩の浜の村の女たちが、包みを巻き終えて眠っているだろう。丁小乙は、門の帳面を閉じただろう。辰州の山では、誰かが丹砂を掘っているだろう。鶴壁の坑の底でも、誰かが。
その全部が、一つの表の一つの行になっていた。
——七日。
門の脇の欠けた茶碗が、石の上に伏せて置かれていた。鄧四のものだった。
修平はそれをしばらく見ていた。
それから、詰所の方へ歩き出した。
背中で、揃った音が夜の中に続いていた。




