第八巻 軍産業 第九回 弾薬工業
「お帯の金具を」
門の脇の若い吏が言った。
修平は足を止めた。
楚州の淮水と運河の交わる岸の北の荒れ地だった。羅蘭徳の化学の工場の鉛の部屋の三棟を過ぎ、塁に囲まれた小屋を過ぎ、さらに一里北へ行ったところに、土を高く盛った塁がぐるりと巡っていた。塁の切れ目に門が一つあった。
門の脇に小さな小屋があり、小屋の窓の前に若い吏が座っていた。
二十を一つか二つ越えたくらい。日に焼けた塩の浜の村の顔だった。左の袖が手首から先、空だった。袖の口は紐できちんと結ばれていた。
「帯の留めの金具が鉄でございます」
吏は右の手で、窓の脇の籠を指した。籠の中に鉄の留め金や、小刀や、火打ちの鉄がいくつも入っていた。どれにも木の札が括り付けられていた。
「ここでお預かりします。お帰りの際にお返しします。——お履き物も、そちらの藁の沓に」
修平は帯の金具を外した。籠に入れた。吏が札に修平の名を書いた。字は右の手だけで、ゆっくりと、確かに書かれていた。
「丁小乙どのですね」
修平は言った。
吏は顔を上げた。
「林詳定を存じ上げております」
丁小乙は言った。
「二年前の冬、私の暮らしのことを工部の尚書さまに上げてくださった、と羅蘭徳どのから聞きました」
丁小乙は帳面を開いた。
「入る方のお名前と刻と。——この門を通る者は、皆ここに書きます。判軍器監さまも。羅蘭徳どのも」
修平は帳面に名を書いた。
帳面の頭の紙の端に小さな字で一行書かれていた。
——事が起きたら、隠さず上げよ。上げた者を罰しない。
二年前の冬、工部尚書の沈維新が楚州の工場の決まりに添えた字だった。
◇
弾の作坊はこの春に火を入れていた。
四年前の冬、軍器監の奥の広間で、羅蘭徳は紙の上に三つの四角を離して描いた。弾を作る小屋と、弾をしまう倉と、火薬を作る小屋とを分けます。——その三つの四角が今、楚州の荒れ地の上に、土の塁に囲まれて建っていた。
三つではなかった。八つだった。
火薬を作る小屋。火を付ける薬を作る小屋。紙の包みを巻く小屋が四つ。砲の弾に火薬を詰め、頭の仕掛けを捩じ込む小屋。弾をしまう倉。
小屋と小屋との間は二百歩離れていた。小屋ごとに土の塁が三方を囲んでいた。塁の開いた一方は人のいない荒れ地の方を向いていた。
「一つが爆ぜても」
羅蘭徳は塁の上を歩きながら言った。
「火と爆ぜる力は、塁の開いた方へ逃げる。——隣の小屋へは届かない。届かぬように、二百歩」
小屋ごとに屋根より高い鉄の柱が立っていた。柱の足から鉄の帯が地の中へ埋められていた。
「雷を地へ逃がします」
羅蘭徳は柱を見上げた。
「白朗どのに、柱の高さと帯の埋め方とを見ていただきました。——電信の柱の雷の備えと同じ理屈だそうです」
倉の中には湿りを測る器が三つ掛かっていた。羊の毛を細い枠に張った器だった。空が湿れば、毛が伸び、針が動く。倉の番の者が日に三度針を読み、帳面に書いた。
「針がこの線を越えたら、倉の戸を閉める。窓の湿りを吸う炭の箱を替える」
羅蘭徳は言った。
「硝石に浸した紙の包みは、湿りを吸います。——吸った包みは火が付かぬ。付いても弱い」
◇
包みを巻く一つ目の小屋の中は、静かだった。
長い卓が四列並んでいた。卓ごとに十人ずつ女が座っていた。楚州の塩の浜の村の女たちだった。
一人目の女が紙を型の棒に巻いた。二人目の女が、巻いた紙の筒の底に火を付ける薬の小さな紙の皿を落とした。三人目の女が鉛の弾を落とした。四人目の女が升で量った火薬を注いだ。五人目の女が筒の口を捻って、糸で縛った。
卓の端に型が二つ置かれていた。通る型と通らぬ型。縛り終えた包みを一つずつくぐらせる女がいた。
小屋の壁に手順の紙が貼られていた。一つずつの手順の横に絵。——開封の作坊の閉じ具の班の小屋と同じ形の紙だった。
小屋の隅の別の卓で、樊守正の房から来た吏が包みを秤に載せていた。
「ひと口は一万です」
吏は言った。
「同じ日に同じ卓で、同じ火薬の樽と、同じ紙の束と、同じ火を付ける薬のその日の分とで、巻いた包み一万。——一万から百を抜きます。抜くのは巻いた女ではなく、私です。どの百を抜くかは、札を引いて決めます」
吏は秤の上の包みの重さを帳面に書いた。
「百の重さ。長さ。太さ。——それから、十を塁の外の小屋の炭火の脇でひと晩乾かして、乾かす前と後との重さの差を量ります。差が大きければ湿っている」
「残りの九十は」
「開封の試しの場へ送ります。五十を撃ちます」
◇
五十を撃つのは、試しの場の新しい小屋だった。
修平は楚州から開封へ戻った次の月に、その小屋を見た。
小屋の奥に太い木の梁が渡されていた。梁から四本の鎖で大きな木の塊が吊るされていた。塊の手前の面には鉄の板が張られていた。
「振り子の的です」
韋金森が言った。
「弾が塊に当たる。塊が後ろへ振れる。どれだけ高く振れたかを脇の目盛りで読む。——塊の重さと、弾の重さと、振れた高さとから、弾がどれだけの速さで当たったかが出ます」
韋金森は塊の脇の目盛りの板を指した。
「克魯澤どのの国の砲の兵もこうやって弾の速さを測ったそうです」
試しの台に締めた銃の、筒の尻の脇に小さな穴が穿たれていた。穴に鋼の栓が捩じ込まれていた。栓の奥に鉛の小さな柱が一本入っていた。
「撃つと、火の力で柱が潰れる」
韋金森は言った。
「潰れた長さで、筒の中の火の力の強さが分かる。——一つのひと口の中で、潰れ方がばらばらなら、火薬の量か、火薬そのものが揃っていない」
五十発のうち、火の付かぬものがいくつ。振り子の振れの散り。鉛の柱の潰れの一番強いもの。——その三つの数が、ひと口ごとに帳面に書かれた。
線は四年前の冬に修平と韋明遠とで引いてあった。五十のうち、火の付かぬものが二つ以上。あるいは、鉛の柱が決めた線より潰れたものが一つでも。——そのひと口は、一万全部を倉の隔てた棚に移す。出さない。捨てもしない。調べ直すまで隔てておく。
撃ったのは五十。残りの九千九百五十が、この五十と同じだと言えるのか。
四年前、広間で洪克勤が問うたのは、つまりはそういうことだった。
今は帳面の数で答えられた。この夏、隔てた棚に移ったひと口は、二百のうち七つ。七つのうち、五つは調べ直して出した。二つは捨てた。
◇
夏の半ば、陳橋の北の試しの営から狄承武の名の文が届いた。
——都の稽古にて、火の付かぬ包み、この十日、常の三倍。
文の末に包みの袋の札の番号が三つ書き写されていた。兵の腰の包みの袋には、ひと口の番号の札が付いていた。弾の箱の表書きと同じ番号だった。
樊守正の房が三つの番号を帳面で辿った。
三つとも、楚州の弾の作坊の同じ月のひと口だった。どれも、試しの場の五十発は線を越えていなかった。——五十のうち、火の付かぬものは一つずつ。線のすぐ内側だった。
「紙です」
楚州から羅蘭徳が電信で打ってきた。
三つのひと口の紙は、同じ紙屋の同じ月の束だった。その紙屋はその月から、紙を漉く簀を新しいものに替えていた。新しい簀で漉いた紙はわずかに厚かった。厚い紙を硝石の水に浸して乾かすと、底の火を付ける薬の皿の下で、紙が一枚余分に重なった。
銃の針がその一枚の分、薬の皿に届ききらなかった。
「五十のうち一つ」
修平は韋明遠の部屋で言った。
「線の内側。——線の内側で出したひと口が、兵の手で撃たれて、三倍の火の付かぬ包みを出した」
韋明遠は算木の箱を机に置いた。
「五十では足りなかったか」
「五十は足りています。——線の内側のぎりぎりのひと口が、三つ続けて、同じ紙屋から出ていた」
修平は帳面を指で叩いた。
「ひと口ごとに線の内か外かを見るだけでなく。線の内でも、線に近いひと口がどこかに固まって出ていないかを、月ごとに見る。紙屋ごと。火薬の樽ごと。卓ごと」
韋明遠はしばらく黙っていた。
「物の値で言えば」
韋明遠は言った。
「一つの月の値が目当ての幅の内でも、三月続けて幅の上の縁に張り付いておれば、何かが起きている」
「はい」
紙屋には太府寺の度量衡の蔵から、紙の厚さを測る器の写しが送られた。紙の厚さが包みの図に書き足された。
狄承武の営には、三つのひと口の残りの全部を返すよう、文が出た。返した包みの代わりに、別のひと口が送られた。
◇
秋の初め、修平は開封の枢密院の奥の広間にいた。
四年前の冬、軍器監の奥の広間で、修平は兵部の稽古の帳面と、枢密院の戦の帳面とを一つの机に並べてほしい、と言った。
今、一つの机の上に帳面が三冊並んでいた。
兵部の稽古の帳面。試しの営のこの夏の稽古で、兵が一人、ひと月に何発撃ったか。
枢密院の戦の帳面。西の遠征と北の辺りの小競り合いの記録から、戦の一日に稽古の何倍射たか。
そして三冊目。軍器監と、楚州と、開封の作坊のこの夏の出来高の帳面。
董元礼と、曹允恭と、韋明遠と、洪克勤とが机を囲んでいた。
韋明遠が計算の機械で足し上げた数を読み上げた。
「新しい銃の兵が稽古でひと月に一人、六十発」
「戦の一日に一人、四十発。——枢密院の見立てでは、戦の続く日には一日四十発を撃つ」
董元礼が言った。
「枢密院は北の辺りの最初の戦に、新しい銃の兵を三万、と見立てている」
韋明遠は珠を弾いた。
「三万の兵が一日、四十発。——一日に百二十万」
広間の中が静かになった。
「楚州と開封の包みのひと月の出来高は」
修平が訊いた。
「この秋の見込みで」
洪克勤が帳面を見た。
「……ひと月に百二十万」
洪克勤は帳面を閉じなかった。閉じられなかったのかもしれない。
「戦の一日で、ひと月の出来高が尽きる」
曹允恭が低い声で言った。
四年前の夏の廷議で、楊崇武は言った。十万の兵がそれぞれ百ずつ撃てば、一戦で弾が千万。——あのとき、それは紙の上の数だった。
今は作坊の帳面の数だった。
「砲は」
董元礼が言った。
「丙と丁とで秋までに二十門。戦の一日に一門、八十発を撃つ」
「一日に千六百」
韋明遠が言った。
「砲の弾のひと月の出来高は、六千」
「四日足らずでひと月」
◇
「蓄えは何日分要るか」
董元礼が言った。
「四年前、韋明遠どのが言われた」
修平は言った。
「作坊が、戦になってから作る数を増やし始めて、増えた数が戦の野に届くまでに何日かかるか。その日数の分だけは、蓄えておかねばならぬ」
「楚州の作坊を倍にするのに」
洪克勤が言った。
「巻く女を集めて、教えて、卓を並べて、ふた月。火薬の小屋をもう一つ建てるのに、三月。——火を付ける薬は、羅蘭徳どのの小屋の奥の奥で、羅蘭徳どのと弟子二人しか作れぬ」
「三月として」
修平は言った。
「三月の間、戦が毎日続くわけではありません。枢密院の戦の帳面では、戦の続いた日はひと月に何日ですか」
「西の遠征で十日。北の辺りの小競り合いで三日か四日」
董元礼が言った。
「ひと月に十日の戦が三月。——三十日分」
韋明遠が珠を弾いた。
「包みで三千六百万。砲の弾で四万八千」
誰も何も言わなかった。
「今の出来高でそれだけ蓄えるのに」
韋明遠はもう一度珠を弾いた。
「……今の稽古の分を引いて。包みで三年あまり」
「その数を」
董元礼が言った。声が少し嗄れていた。
「どこに置く」
◇
曹允恭が机の上に北の半分の地図を広げた。
「蓄えを一か所に置かぬこと」
曹允恭は言った。
「四年前、韋金森どのが作坊を一か所に集めるな、と言われた。——弾の倉も同じだ」
曹允恭は地図の上に印を付けていった。
北の軍鎮の城の内の倉。大名府。真定府。
軍鎮の後ろの倉。
鉄の道の結び目。衛州の河の港。鶴壁。磁州。
「軍鎮の倉は軍鎮がすぐ使える。ただ、軍鎮が囲まれれば、倉ごと失う。後ろの倉は失いにくい。ただ、前へ運ぶのに日がかかる」
董元礼が地図の上の線を指でなぞった。
「運ぶ日数を倉ごとに書いてください」
董元礼は言った。
「衛州の港の倉から大名府まで何日。一日に何箱運べるか。——鉄の道は衛州から北へ、鶴壁、磁州まで。大名府へは衛州から車で。開封から衛州へは黄河を渡し舟」
「黄河の渡しは一日に何箱」
修平が訊いた。
曹允恭は兵部の駅の房の帳面をめくった。
「今の渡し舟で一日に、弾の箱なら八百。——ほかの荷を全部止めれば」
「包みの箱が一つ、千二百。戦の一日に百二十万。千箱」
韋明遠が言った。
「黄河を渡る包みだけで、渡しの一日を越える」
広間の中がまた静かになった。
「国の中に弾があっても」
董元礼が言った。
「前へ届かなければ、弾ではない」
董元礼は地図の上の黄河を指で押さえていた。
「黄河の北に倉を。渡る前に渡しておく」
◇
最後に、修平は紙を一枚出した。
四年前の冬、同じ紙を書いた。硝石。硫黄。炭。鉛。銅。紙。蝋。糸。木。釘。
今日の紙には数が並んでいた。ひと月に包みを百二十万、砲の弾を六千作るのに。
硝石、一万三千斤。硫黄、二千斤。炭、二千斤。鉛、六万斤。銅、四千斤。鉄、三万斤。紙、九十万枚。糸。木の箱、千二百。釘。
そして水銀、三十斤。
「水銀は三十斤でよいのか」
洪克勤が言った。
「火を付ける薬は、一つの包みにほんの一つまみ」
修平は言った。
「三十斤は少ない。——けれど、どこから来ているか」
「西南の辰州の丹砂の山から」
洪克勤が言った。
「ほかには」
洪克勤は答えなかった。
「辰州の山の道が崩れたら」
修平は言った。
「硝石がどれだけあっても。鉛がどれだけあっても。——包みは撃てません」
硝石の横には羅蘭徳の書き込みがあった。北のある地方の古土から、今は七割。中牟の牧監の厩の脇の硝石を育てる畑から、二年前から、一割。——四年前の冬、今日の話ではありません、と言った青図が、牧監の厩の土の上でようやく一割になっていた。
修平は紙の数を見ていた。
硝石は北の古土の地方と牧監の畑から。硫黄は西南の山から。鉛は南の坑。銅は坑冶寺の銅の山。鋼は磁州の鋼の場。紙は江南の紙屋。木の箱はどこかの山の木。水銀は辰州。
弾は楚州の土の塁の中で巻かれていた。
けれど、弾は国中の山と、坑と、紙屋と、畑とから来ていた。
◇
楚州の門の丁小乙の小屋に修平がもう一度立ち寄ったのは、秋の半ばだった。
丁小乙は窓の前で帳面を付けていた。
「倉の湿りの針の帳面です」
丁小乙は言った。
「倉の番の者から日に三度写しをもらっています。——羅蘭徳どのが門の帳面と一緒に見ておけ、と」
丁小乙は帳面のある日の行を指した。
「この日、倉の針が線を越えました。倉の番の者が戸を閉めて炭の箱を替えた。——私はその日、門を通った者の名を並べてみました。倉に入った者が湿った沓のまま入っていた」
丁小乙は少し照れたように笑った。
「門の帳面と倉の帳面とを並べれば、分かることがあります」
修平は丁小乙の空の左の袖を見なかった。
「二年前の冬のあの小屋のことを」
丁小乙が言った。
「私はときどき思い出します。——凍った油を火鉢で溶かした。硝子の栓を捻った。捻る前に、誰も止めなかった。止める決まりがなかった」
丁小乙は帳面を閉じた。
「今は決まりがあります。決まりを門で一つずつ守らせるのが、私の仕事です。——判軍器監さまでも、帯の金具はお預かりします」
修平は少し笑った。
「私の金具も」
「林詳定の金具も」
丁小乙は籠を指した。籠の中に修平の帯の金具が名の札を付けて入っていた。
修平は帰り際にその金具を受け取った。
門の外に出ると、秋の日が荒れ地の上に傾いていた。土の塁の上の鉄の柱の影が長く伸びていた。塁の中の八つの小屋から、煙は一筋も上がっていなかった。火を使わない小屋だった。
この塁の中でひと月に百万の包みが巻かれていた。開封の作坊の二十万と合わせて、百二十万。
百二十万は、北の辺りの一日の戦の分だった。




