第八巻 軍産業 第四回 銃身切削・気密の壁
銃は人の手に握られていなかった。
試しの場の真ん中に太い木の台が据えられていた。台の上に銃が一挺、鉄の金具で締め付けられていた。銃の引き金に細い紐が結ばれていた。紐は地面を這って十歩ほど後ろの土を盛った塁の陰まで伸びていた。
塁の陰に鄧四の弟子の卜長生がしゃがんでいた。三十前の肩の厚い男だった。左の頬に赤黒い古い火傷の痕があった。
「引きます」
卜長生が言った。
紐が引かれた。
乾いた音が荒れ地に弾けた。銃の口から白い煙が噴き出した。——同じ時に銃の尻の閉じ目の脇からも、細い黄色い火が横に走った。
火は一瞬で消えた。
塁の陰から卜長生が立ち上がった。台の方へ歩いていき、閉じ目の脇に顔を寄せた。それから紙を一枚、閉じ目の脇にかざした。
紙に黒い焦げの筋が一本付いていた。
「漏れました」
卜長生は言った。
「この前より細い。——けれど漏れました」
◇
夏の半ばだった。
開封の城の北、黄河の堤から少し離れた軍器監の試しの場だった。三年前の秋、克魯澤が城の火筒の台を蹴った同じ荒れ地だった。
修平は塁の陰でその焦げの筋を見ていた。隣に工部尚書の沈維新が立っていた。五十七になった尚書は、この夏何度かこの試しの場へ来ていた。
「紐で引くのですね」
修平が言った。
「二年前からだ」
沈維新が言った。
「一つ目の段の古い火筒を作り直した試しで、閉じ目から火が漏れた。構えて撃っていた卜長生の頬を焼いた。——それから新しい筒は人が構えぬことにした。台に締めて紐で引く。百発漏れずに撃てた筒だけを人が構える」
沈維新は卜長生の頬の痕の方を見なかった。
「一つ目の段はそれを知るための段だった。洪克勤が三年前の廷議でそう言うた」
一つ目の段はこの春の初めで終わっていた。古い銅の火筒の尻に口を開け、閉じる仕掛けを付け、紙の包みを込める。十挺を作り直し、二千発あまりを撃った。閉じ目からの火漏れ。筒が強い火薬に耐えぬこと。包みの燃え残りが尻の中に張り付くこと。泥と雨で仕掛けが動かなくなること。——三年前の廷議で洪克勤が、うまく行かぬであろう、と並べたことがほとんどそのまま起きた。
起きたことは全部帳面に書かれていた。
二つ目の段はその帳面から始まった。
◇
筒は鋼の場の甲の等の鋼だった。
杜布林が別の壺で燐の少ない山の石から焚いた鋼だった。延ばす機械で太い棒にした。その棒の真ん中をまっすぐに穿つ。
穿つのは韋金森の新しい台だった。
工部の工房の裏の、母の機械の隣の建屋に、細長い台が三台並んでいた。どの台も長さが一丈を越えていた。
「母の機械は、両端で棒を支えて筒の内を削りました」
韋金森は台の一つの脇で言った。
「大きな釜の筒ならそれでよい。——けれど銃の筒は細くて長い。細い棒を長く伸ばして筒の奥まで突っ込めば、棒が撓む。撓んだ棒で削れば穴が曲がる」
韋金森は台の上の筒の塊を指した。
「ですから逆にします。刃は動かさない。筒の方を回す。回る筒の中へ刃を少しずつ送り込む。刃の先から油を押し込んで、削り屑を押し出す」
台の上で鋼の棒がゆっくりと回っていた。棒の端から細い螺旋の屑が、油と一緒に途切れずに流れ出していた。
「三尺の筒を一本穿つのに半日」
韋金森は言った。
「穿った後に、もう一度別の刃で穴を滑らかに広げる。それから溝です」
溝を刻む台は建屋の奥にあった。
長い鋼の棒の先に小さな鉤のような刃が付いていた。棒の反対の端にねじれた鋼の板があった。刃の棒を筒の中へ引き通すとき、ねじれた板が棒を決まった角だけ回す。
「ねじれの型です」
韋金森はねじれた板を指でなぞった。
「筒の長さを一度引き通す間に、刃が四分の三、回る。一度引き通すと、刃は髪の毛の半分ほどの深さを削る。刃をほんの少し出してまた引き通す。——四本の溝をそれぞれ二十度ずつ」
「一本の筒に八十度」
「八十度引き通します」
韋金森は少し笑った。
「蘇玄機どのにねじれの型を作っていただきました。親のねじを作ったときと同じ目で」
◇
筒は秋までに二十本揃った。
揃った二十本を、韋金森は一本ずつ測った。
筒の口の径。溝の深さ。——蘇玄機が親のねじから作った、盤の縁を百に刻んだ測る器で。工部の者が蘇どのの目を測る器、と呼ぶ器だった。
修平はその数を韋金森から受け取った。
二十本の筒の口の径はほとんど揃っていた。揃っていないのは溝の深さだった。同じ筒の四本の溝のうち、一本だけ深い。一本だけ浅い。筒の口の近くでは揃っているのに、尻の近くでは、ずれている。
同じ二十本を台に締めて、三百歩の的へ撃った。一本の筒で十発ずつ。
的の上に当たった痕が散った。散り方は筒ごとに違った。十発が盆ほどの輪に収まる筒もあった。戸板ほどに散る筒もあった。
修平は統計局の紙に二十の点を打った。
横に、四本の溝の深さの差。一番深い溝と一番浅い溝との差を筒ごとに。縦に、十発の散りの大きさ。
二十の点は左の下から右の上へ斜めに並んだ。
「溝の深さの差が大きい筒ほど散る」
修平は紙を韋金森に見せた。
「こうして並べれば見えます。——二十本ではまだ少ないけれど」
韋金森は紙をしばらく見ていた。
「差が出るのは尻の近く」
韋金森は言った。
「刃の棒を筒の奥まで引き通すとき。——棒が長く伸びた分、ねじれの型から遠くなる。遠くなった分、刃の回り方が遅れる」
韋金森は紙を卓に置いた。
「ねじれの型を刃の近くへ。棒の途中に支えを足します」
修平は紙の二十の点を見ていた。
点を打ったのは自分だった。けれど、点が斜めに並んだ理由を言えたのは韋金森だった。
◇
閉じ目の火漏れは秋を越えても止まらなかった。
閉じ具は筒の尻を後ろから塞ぐ鋼の棒だった。棒の脇に取っ手があり、取っ手を起こして引けば尻が開く。紙の包みを押し込む。押し戻して取っ手を倒せば閉じる。閉じ具の真ん中を針が通っている。
閉じ具の頭と筒の尻との間に、どうしても髪の毛ほどの隙間が残った。隙間がなければ閉じ具は動かない。動くだけの隙間があれば、火はそこから漏れる。
試しの場の小屋の壁に紙が貼られていた。卜長生が一枚ずつ書き足していた紙だった。
閉じ具の頭に何を嵌めたか。何発撃ったか。漏れたか。
麻の縄。——三発目で燃えた。
牛の革。——十発目で焦げて縮んだ。
油で煮た革。——四十発。縮みは少ない。けれど四十発目で漏れた。
銅の薄い輪。——火に押されて輪が広がり、隙間を塞ぐ。百発漏れない。百二十発目で輪が痩せて漏れた。
修平はその紙を見たことがあった。去年、工部の工房の壁に同じような紙が貼られていた。大きな釜の湯気を止める気密の素材の比べ。麻の縄、脂の縄、牛の革、油で煮た革、綿の帯、銅の輪。
「同じ話です」
韋金森は言った。
「釜の湯気を止める。銃の火を止める。——ただ、湯気はじわりと押す。火は一度に叩く」
冬の初め、韋金森は閉じ具の頭の形を変えた。
閉じ具の先に茸の傘のような鋼の頭を付けた。傘の軸に油で煮た革の座と銅の薄い輪とを重ねて通した。撃てば火が傘を後ろへ押す。傘が革と輪とを押し潰す。潰れた革と輪とが横に広がり、隙間を塞ぐ。
百発。漏れなかった。
三百発。漏れなかった。
四百発目に革が焼けて痩せた。
「四百発ごとに革と輪を替えます」
韋金森は言った。
「替えられるように作ります。——兵が野で替えられるように」
◇
針は二百発で折れた。
撃つたびに針の先は紙を突き破り、火を付ける薬を叩き、それから火薬の火の中に一瞬晒される。熱くなり、冷え、また熱くなる。二百回で先が脆くなり折れる。
「針を粘る鋼に」
杜布林が言った。
「刃の鋼ではなく、ばねの鋼に近いもの。——それでもいつかは折れます」
「兵に替えの針を持たせます」
韋金森が言った。
「一人二本。閉じ具を抜けば、針が指で替えられるように」
包みの燃え残りは羅蘭徳が引き受けた。
撃った後、紙の包みの燃え残りの紙が尻の中に張り付く。張り付いたまま次の包みを押し込めば、包みが奥まで入らない。十発に一度、兵は棒で尻の中を掻き出さねばならなかった。
羅蘭徳は包みの紙を、硝石を溶かした水に浸した。浸して乾かした紙は、火の中でほとんど残らずに燃えた。
「燃え残りは減ります」
羅蘭徳は言った。黄色い指先で乾いた紙をつまんでいた。
「ただ、この紙は湿気を吸いやすい。そしてよく燃える。——倉でしまうとき。運ぶとき。紙そのものが火薬の仲間になります」
羅蘭徳は紙を置いた。
「弾の作坊と倉の決まりを、この紙の分だけ重くせねばなりません」
火を付ける薬も羅蘭徳の仕事だった。
叩けば必ず火が付く。叩かなければ決して付かない。三年前、韋金森が廷議でそう言った薬だった。
羅蘭徳はそれを水銀から作った。水銀を楚州の硝の酸に溶かし、汴河の南の酒の塔の一の等の雫を加える。沈んだ灰色の細かい粉。ほんの一つまみを、紙の包みの弾の尻の小さな紙の皿に置く。
「作るのは私の小屋の奥の奥で」
羅蘭徳は言った。
「粉は乾けば、指で弾いても爆ぜます。——一日に作る量を決めます。作った日のうちに皿に置きます」
修平は羅蘭徳の言った、水銀、という言葉を帳面の端に書き留めた。
水銀はどこから来るのか。
訊こうとして、そのときは訊かなかった。
◇
試しは季節をまたいだ。
夏の焼ける日盛りに撃った。冬の息が白い朝に撃った。
百発を続けて撃った。五十発を越えたところで、筒は手を当てられぬほど熱くなった。八十発を越えたところで閉じ具が重くなった。熱で鋼がわずかに膨らんだ。
泥水の桶に銃を閉じ具ごと沈めた。引き上げて振って撃った。閉じ具の溝に砂が噛んだ。取っ手が途中で止まった。
一丈の高さから石の上に落とした。目当ての金具が曲がった。
冬の朝、閉じ具の油が固まった。取っ手を両手でないと起こせなかった。
倉に半年置いた包みを撃った。十に一つ火が付かなかった。
卜長生は一つずつ紙に書いた。
書いた紙は冬の半ばには小屋の壁に貼りきれなくなった。
◇
筒が一本裂けたのは冬の終わりだった。
台に締めた筒だった。紐で引いた。音がいつもと違った。煙が晴れると、筒の尻から一尺ほどのところが縦に裂けていた。
誰も怪我はしなかった。筒は台の上に締められていた。人は塁の陰にいた。
その日の夕刻、試しの場の小屋に人が集まった。沈維新。洪克勤。韋金森。杜布林。羅蘭徳。鄧四と卜長生。軍器監の樊守正。
修平も呼ばれた。
裂けた筒が卓の上に置かれていた。
「札を」
洪克勤が言った。
樊守正が裂けた筒の札を読み上げた。鋼の場の壺の番号。その日のひと口。粗く削った者。精しく削った者。溝を刻んだ台。焼きを戻した炉。検めた者。——包みのひと口の番号。火を付ける薬の作った日。
「撃った包みの同じひと口のものを、残り全部測りました」
羅蘭徳が言った。
「火薬の重さは許す幅の内です。多すぎてはいません」
「筒の溝の深さは」
「許す幅の内です」
韋金森が言った。
杜布林が裂けた筒の裂け目を灯にかざしていた。
杜布林は裂け目の断面を指先でなぞった。それから小さな拡大の硝子を目に当てた。長いこと黙っていた。
「ここです」
杜布林は言った。
裂け目の断面の真ん中あたりに、豆粒ほどの黒い小さな穴があった。穴の縁は滑らかだった。
「巣です。鋼を壺から注ぐときに、気が抜けきらずに残った。——筒の外からも内からも見えない。壁の真ん中にあった」
杜布林は硝子を下ろした。
「この壺のこのひと口の鋼から筒を何本作りましたか」
「七本」
樊守正が帳面を見て言った。
「残り六本」
洪克勤が言った。
「六本とも人が構えずに試す。——込める火薬の一倍半で。台に締めて紐で」
六本のうち一本が、一倍半の火薬で裂けた。
残りの五本は裂けなかった。
◇
その夜、修平は試しの場の小屋に残っていた。
卜長生の紙の束をめくっていた。この夏からこの冬の終わりまでの全部の紙だった。
修平は一枚ずつ紙を分けていった。
閉じ具のこと。筒のこと。火を付ける薬のこと。包みのこと。——撃った者の扱いの誤り。
最後の束が一番薄かった。取っ手を倒しきらずに紐を引いた。包みを逆さに押し込んだ。泥の桶から引き上げて振らずに撃った。
薄かったが、なくはなかった。
「兵の誤りの束も要りますか」
卜長生が訊いた。小屋の隅で灯の油を足していた。
「要ります」
修平は言った。
「兵が誤りやすいところは、兵の誤りではないかもしれない。——取っ手を倒しきらずに撃てる形なら、倒しきらずに撃つ兵は必ず出ます。倒しきらねば引き金が引けぬ形にできるなら」
卜長生は少し驚いた顔をした。
「それは、韋金森どのに」
「はい。私の仕事ではありません」
修平は束を揃えた。
「私の仕事は束を分けることまでです」
◇
春の初めの朝、試しの場で人が初めて新しい銃を構えた。
百発を漏れずに撃ち、一倍半の火薬の試しを越えた一挺だった。閉じ具の頭は茸の傘。針は粘る鋼。包みの紙は硝石の水に浸した紙。取っ手は、倒しきらねば引き金が引けない形に、韋金森が変えていた。
構えたのは卜長生だった。
卜長生は地に伏せた。伏せたまま取っ手を起こし、引き、包みを押し込み、押し戻し、取っ手を倒した。三百歩の的を狙った。
撃った。
伏せたまま、また取っ手を起こした。
鄧四が塁の脇でそれを見ていた。
卜長生は伏せたまま十発を撃った。十発目を撃ち終えたとき、的の盆ほどの輪の中に七つの痕があった。
卜長生は起き上がり、銃を胸に抱えて鄧四の方へ歩いてきた。
鄧四は銃を受け取った。
閉じ具を抜いた。茸の傘を指でなぞった。針を灯に透かすように、朝の日にかざした。筒の尻の閉じ目の縁を爪でなぞった。
それから閉じ具を差し戻した。
「これは、よい銃だ」
鄧四は言った。
皆が鄧四を見た。
「わしと卜長生とで、閉じ具と閉じ目とを、ひと月かけて擦り合わせた」
鄧四は銃を卜長生の手に返した。
「これは、わしの銃だ。——国の銃ではない」
試しの場の朝の風が、塁の上の草を揺らしていた。
韋金森が黙って頷いた。




