第八巻 軍産業 第三回 軍需工場
門をくぐると、音が揃っていた。
軍器監の、城の西の作坊だった。汴河から引いた水路の脇に小屋が並んでいた。四年前の春と同じ水路だった。同じ小屋もいくつか残っていた。
けれど、音が違った。
水路の上手の小屋から、重い音が一定の間を置いて聞こえた。その下手の小屋から、軽い細かい音。さらに下手から、ほとんど音のない擦るような音。——一つの小屋が一つの音を出していた。音の順に品が流れていた。
「揃いました」
韋金森が言った。
四年前の春、韋金森はこの門の内で、揃っていない、と言った。一つずつの小屋が一つずつの品を初めから終わりまで作っている音だ、と。
「揃ったのは音だけです」
韋金森は少し笑った。
「中身が揃ったかは、あの小屋で分かります」
韋金森が指したのは、水路の一番下手の窓の多い小屋だった。
◇
作坊が組み替えられたのは、去年の夏からだった。
春に、鋼の場の鋼が工部と兵部と軍器監の三つの印で配られ始めた。軍器監には、銃の筒の試しの分が回ってきた。二つ目の段が始まった。——古い火筒を作り直すのではなく、一から新しく作る段。
二つ目の段を始めるなら、作坊も二つ目の形にせねばならぬ、と洪克勤が言った。
水路の上手から、小屋の並びを工程の順に組み替えた。受け入れ。粗く削る。精しく削る。焼き入れ。組む。試しに撃つ。包む。しまう。——四年前の春、韋金森が空いた小屋の壁に貼った一本の線の、ほぼそのままの順だった。
品には一つずつ札が付いていた。
厚い紙の札だった。札の頭に品の番号。その下にひと口の番号。その下に工程の欄が八つ。一つの工程を終えるごとに、その工程の者が欄に印を押し、日を書く。検めた者が検めた数を書く。
「筒が一本、どこかで割れたら」
韋金森は札を一枚修平に見せた。
「札を見れば、どの鋼の、どの壺の、どの日の鋼で。誰が粗く削り、誰が精しく削り、どの炉で焼き入れし、誰が検めたか。——全部辿れます」
修平は札を指でなぞった。
鋼の場の壺の番号。四年前、磁州の滏水の岸で、霍長庚が壺の止め時を火の色で読んでいた。その壺の番号が、今、開封の作坊の筒の札の一行目にあった。
◇
窓の多い小屋の中は明るかった。
小屋の奥にもう一つ、小さな部屋があった。部屋の戸には錠が二つ掛かっていた。
「標準と検めの房です」
戸の前で、一人の男が頭を下げた。
樊守正。四十半ばの猫背の男だった。修平はその顔に見覚えがあった。
「磁州でお会いしましたね」
「はい」
樊守正は頷いた。
「四年前の春、洪判監の使いで磁州の試しの炉へ。兵器の鋼を検める吏として」
樊守正は軍器監で、鋼と出来た品とを十五年検めてきた。去年の夏、洪克勤は作坊を組み替えるとき、検めの房を作坊の長の下から外した。判軍器監の直の下に置き、房の長に樊守正を据えた。
樊守正は錠を二つ外した。一つの鍵は樊守正が持ち、もう一つの鍵は洪克勤が持っている、と言った。
部屋の中に漆の箱が並んでいた。
「元の図と元の型です」
樊守正は箱の一つを開けた。
黄色い絹に包まれて、鋼の型がいくつも並んでいた。通る型と通らぬ型。対になって、それぞれに細い字で番号が刻まれていた。
「銃の筒の内の径。溝の深さ。尻の穴の径。閉じ具の首の太さ。針の長さ。——型の一つずつに、許すずれの幅を決めてあります」
樊守正は別の箱を指した。
「あちらは鋼の等級です。杜布林どのに決めていただきました。筒に使う鋼は甲の等。閉じ具は乙の等。ねじとばねは、また別。——受け入れの小屋で、鋼の場の札と等級とを突き合わせます。札のない鋼は受け入れません」
「作坊で使う型は」
「この元の型から写します」
樊守正は言った。
「写した型にも番号を振ります。写した型は、ひと月ごとに元の型と比べます。——写した型からさらに写すことはしません。写しの写しは、どこでずれたか辿れなくなりますから」
修平は箱の中の型の番号を見ていた。
去年の夏、賀通遠が太府寺の蔵の黄色い絹の尺を指して言った。この物差しがなぜ正しいと言えるのかを辿れる仕組み。
同じ黄色い絹が、軍器監の奥の部屋にもあった。
「検めの否は」
修平は訊いた。
「覆せません」
樊守正は言った。
「作坊の長が、数が足りぬと言っても、私が否と言えば出しません。——覆すなら、判軍器監が名と理由を帳面に書く」
樊守正は少し間を置いた。
「組み替えてから、判軍器監は一度も覆しておられません」
「一度も」
「一度覆しかけて、筆を置かれました」
樊守正はそれ以上言わなかった。
◇
民の工場の話が揉めたのは、秋の終わりだった。
磁州の汪徳潤の機械の工場に、軍器監は銃の引き金の仕掛けの小さな部品とねじとを頼んだ。国の図と国の型と国のねじで作れる工場を、平時から帳面に載せておく。四年前の春、韋金森が作坊で言った話の最初の一つだった。
汪徳潤の工場から最初の千個が届いた。
樊守正の房は、そのうち三百個に否を出した。
汪徳潤は自分で開封まで来た。
修平はその日、たまたま作坊にいた。検めの小屋の前で、汪徳潤と樊守正とが向かい合っていた。
「寸法は合っております」
汪徳潤は言った。怒ってはいなかった。けれど、目が硬かった。
「工部の型で、一つ残らず検めて送りました。私の工場の検める者が。——工部の型は、軍器監の型から写したものと聞いております」
「寸法は合っております」
樊守正は言った。
「否を出したのは、寸法ではありません」
樊守正は否を出した部品の一つを卓の上に置いた。それから小さな鋼の錐を取り出した。錐の先を部品の平らな面に当てた。軽く押した。
錐の先が面に浅い傷を付けた。
樊守正はもう一つ、軍器監の作坊で作った部品を置いた。同じ錐を当てた。同じ力で押した。
傷は付かなかった。
「焼きが足りません」
樊守正は言った。
「引き金の爪は、何千回、ばねに押されても減ってはならぬ。減れば、引き金を引かぬうちに爪が外れる。——弾が勝手に出ます」
汪徳潤は黙って、卓の上の二つの部品を見ていた。
「焼き入れの票は」
樊守正が言った。
「焼き入れの炉の熱さと、時と、冷やす油の熱さの票。——この三百個のひと口の分を見せていただけますか」
「……付けておりません」
汪徳潤は言った。
「私の工場では、焼き入れは鍛冶の頭が色で見ております。三十年、色で見てきた者です」
小屋の中が静かになった。
修平は汪徳潤の横顔を見ていた。磁州の工場で汪徳潤は、工場とは建屋ではない、物と人と銭と報せとを同じ拍子で動かす仕組みだ、と言った。その汪徳潤が、焼き入れの色を票にしていなかった。
汪徳潤も同じことを考えているようだった。
「鍛冶の頭の目を否とは申しません」
樊守正は言った。
「霍長庚どのも、火の色で壺の止め時を読まれる。——ただ、霍どのは、読んだ色の横に熱さの器の数を書かれます。書いておけば、霍どのがいない日にも辿れる」
汪徳潤は長く息を吐いた。
「票を付けます」
汪徳潤は言った。
「三百個は持ち帰って焼き直します。焼き直したものを、もう一度検めていただきたい」
「お願いします」
樊守正は頭を下げた。
汪徳潤は帰り際に、修平の方を振り返った。
「林どの。——民の工場に国の注文を出すというのは、こういうことですか」
「こういうことです」
修平は言った。
「国の注文は儲けになります。ただ、国の検めも付いてくる」
汪徳潤は少し苦く笑った。
「軍器監の検めを通った品なら、民の客も信じてくれる、とは言えますな」
汪徳潤はそう言って、門の方へ歩いていった。
修平は樊守正を見た。
「最後に検めてよしと言うのは、どこまでも軍器監ですか」
「軍器監です」
樊守正は言った。
「民の工場にどれだけ頼んでも。国の兵が手に持つ前に、最後に見るのは軍器監の目です。——その代わり、汪どのの工場には、月に一度うちの房の者を送ります。否を出すだけでは、否が減りませんから」
◇
冬の間に作坊は一つ増えた。
磁州の鋼の場の滏水の岸の下手に、軍器監の分の作坊が建った。鋼の場から、鋼が荷車で半刻で届く。銃の筒と、いずれは砲の筒の、粗く削るところまでをここでやる。
正月に火が入った。
分の作坊の長は、判官の一人だった。長の下に、開封の作坊から腕のよい職人が十人移った。残りは磁州と相州で募った。
図は開封と同じ。型は、元の型から写した番号の付いた写し。鋼の等級も、札も、票も同じ。
韋金森はそれに、もう一つ決まりを足した。
開封と磁州の作坊は、互いの品を互いに組めること。——磁州で粗く削った筒を開封で精しく削る。開封で焼き入れした閉じ具を磁州の筒に組む。
「一つが止まったら、もう一つが代わりをする」
韋金森は言った。
「四年前、この作坊の壁に地図を貼って申し上げました。いずれ、淮水と運河の交わるあたりにも、長江の中ほどの河港にも作坊を置く。——四つの作坊が、同じ図と同じ型で作る。一つが止まっても、残りで替えがきくように」
楚州には、弾と火薬の作坊を置く話が進んでいた。羅蘭徳の化学の工場の塁の小屋から、さらに一里離れた荒れ地に。長江の中ほどの河港は、鄂州の対岸に場所だけが決まっていた。
替えがきくかどうかは、春の初めに試された。
開封の作坊の焼き入れの炉の底が抜けた。
炉の煉瓦が焼け抜けて、中の炭が床に崩れ落ちた。誰も怪我はしなかった。けれど、炉を築き直すのに十日かかる、と炉の頭が言った。
十日、開封の作坊の焼き入れが止まる。
洪克勤はその日のうちに、電信で磁州へ文を打った。
——閉じ具、四百。焼き入れを磁州にて。票と型は、開封と同じ。
四百の閉じ具が、荷車と鉄の道と舟とで磁州へ運ばれ、磁州の炉で焼かれ、また開封へ戻ってきた。
戻ってきた四百の閉じ具を、樊守正の房が検めた。
否は九つだった。
開封の炉で焼いたときの否の数と、ほとんど変わらなかった。
「九つは、なぜ」
修平は樊守正に訊いた。
「札を見ました」
樊守正は言った。
「九つとも、磁州の炉の同じ日の最後のひと口です。——その日の暮れ、磁州の炉の冷やす油の槽が熱くなりすぎていた。票の油の熱さの欄に、そう書いてありました」
樊守正は少し嬉しそうだった。
「書いてあったから、分かった」
◇
春の初めのある日、兵部から一人の吏が作坊に来た。
兵部郎中の曹允恭の下で、作坊と指定の工場とを見て回る吏だった。この冬から、兵部はそういう吏を三人置いていた。
吏は、統計局の鍾九思が作った白い帳面を抱えていた。
作坊ごと、月ごとに欄が並んでいた。作った数。否の出た数。否の出た工程。刃を替えた日。鋼の受け入れた重さと品になった重さ。怪我をした者の数と怪我の場所。頼まれた日と納めた日。
修平はその帳面を、磁州の分の作坊の頁からめくっていった。
否の出た数が、月の中で波を打っていた。十日ほど少ない日が続き、それから四日ほど急に多くなる。また、少なくなる。
「刃を替えた日と並べてみてください」
修平は言った。
吏が刃を替えた日の欄を指でなぞった。
否が多くなるのは、決まって刃を替える前の四日だった。
「刃が減っている」
修平は言った。
「減った刃で削れば、径が少しずつ細くなる。細くなりきる前の最後の四日で、型に通らなくなる」
吏は帳面を見て、しばらく黙っていた。
「刃を四日早く替えれば」
「刃の代は嵩みます」
修平は言った。
「否になった筒の鋼と、削った手間と、どちらが嵩むか。——それもこの帳面で比べられます」
開封の作坊の頁では、怪我の欄が目についた。
怪我をした者の七割が夜の組だった。夜の組は、昼の組の半分の数しかいなかった。怪我の場所は、ほとんどが指だった。
修平は帳面を閉じた。
「この帳面は兵部だけのものではありませんね」
吏が頷いた。
「写しを、軍器監と工部と枢密院へ。——枢密院は、どの作坊が戦の時にどれだけ作れるかを、この帳面で見るそうです」
「枢密院へ写しを送るのに、照会の文は」
「要ります」
吏は言った。当たり前のことを言うようだった。
◇
その照会の文の話を、修平は夕刻、作坊の奥の広間で、もう一度聞くことになった。
曹允恭と董元礼とが、洪克勤の前で向かい合っていた。
磁州の分の作坊の職人のことだった。
この冬、磁州で禁軍の兵を募った。枢密院の兵籍の房の命だった。募りに応じた者の中に、分の作坊の職人が三人いた。三人とも磁州で募った者だった。三人とも、開封から移った十人に筒の粗削りをようやく教え込まれたところだった。
「職人の兵籍は、両方の印、と四年前に決めたはずだ」
洪克勤が言った。
「決めました」
董元礼が言った。
「枢密院の兵籍の房は、募りに応じた者が作坊の職人だとは知らなかった。——作坊の職人の名簿は兵部にある。兵部から枢密院へ名簿の写しが来ていなかった」
「写しを送るには、枢密院から照会の文が要る」
曹允恭が言った。
「枢密院から照会は来ていなかった」
広間の中が静かになった。
誰も怠けてはいなかった。兵部は名簿を正しく付けていた。枢密院は兵を正しく募っていた。——正しく付けた名簿と正しく募った兵とが、磁州の一つの作坊の三人の上でぶつかっていた。
修平は広間の隅で、鍾九思から借りたもう一冊の帳面を開いた。
この一年の兵部と枢密院との間の照会の文の数だった。鍾九思がこの冬、白い帳面を作るついでに、両方の役所の文の出入りの帳面から数えてくれていた。
作坊と、指定の工場と、職人と、鋼の配りとに関わる照会の文。
百四十二通。
四年前、修平は自分の帳面の端に照会の文の数を書き付けていた。秋の終わりに数えるのをやめた。
鍾九思は頼まれもせずに数えていた。
修平は帳面を閉じずに、洪克勤の方へ差し出した。
洪克勤は数を見た。曹允恭も董元礼も覗き込んだ。
「……百四十二」
曹允恭が低く言った。
「一つの作坊が二つになった年に」
董元礼が言った。
「作坊が四つになれば」
誰もその先を言わなかった。
三人の職人は、枢密院と兵部の両方の印で兵籍から外され、磁州の作坊へ戻った。印が揃うまでに十二日かかった。
◇
日が落ちてから、修平は作坊の門の方へ歩いた。
門の脇に鄧四が座っていた。欠けた茶碗で白湯を啜っていた。四年前の春と同じ場所だった。
鄧四は六十をいくつか越えていた。作頭の座は、去年の夏、一番上の弟子の蒙大川に譲っていた。けれど、毎日作坊へ来て、検めの房の元の型の箱の前に座っていた。元の型の半分は、鄧四が作ったものだった。
「林詳定」
鄧四は言った。
「今日、洪判監が枢密院の方と話しておられた」
「聞いておられましたか」
「戸の外で、な」
鄧四は白湯を啜った。
「これからは、一挺の出来では見ぬそうだ」
鄧四は言った。
「一万挺目が、一挺目と同じかどうかで見る。——戦になって、一万挺壊れたとき、一万挺を同じに補えるかどうかで見る。そう、枢密院の方が言うておった」
「はい」
「わしが、若い頃は」
鄧四は茶碗を膝の上に置いた。
「よい弩機を一つ作れば、褒められた。二つ目が一つ目よりよければ、もっと褒められた」
鄧四は作坊の揃った音の方を見た。夜の組の小屋の灯が、水路の上手から下手へ並んでいた。
「一万挺目が、一挺目と同じ。——一挺目よりよくてはならぬのだな」
「よくて、ならぬわけではありません」
修平は言った。
「ただ、よくなったなら、元の図と元の型を替えねばなりません。替えたことを、全部の作坊に報せねばなりません。——一挺だけよくなっても、一万挺はよくならない」
鄧四はしばらく黙っていた。
「わしの作った型が、わしの後の一万挺を決めるのか」
「はい」
鄧四は茶碗の底の白湯を足元に撒いた。
「……重いな」
鄧四はそう言って立ち上がった。
小屋の方へ戻っていった。検めの房の錠の二つ掛かった部屋の方へ、ではなかった。夜の組の粗く削る小屋の方へ、だった。
修平はその背中をしばらく見送っていた。
夜の組の怪我の七割。指。
鄧四はあれを見に行ったのかもしれなかった。




