第八巻 軍産業 第一回 天機一号
箱は楠の木でできていた。
蓋を開けると手前に十の鍵が一列に並んでいた。鍵の頭には零から九までの十の数字が一つずつ刻まれていた。その奥に薄い銅の輪を嵌めた歯車が三枚、軸に通されて立っていた。三枚の奥にもう一枚、形の違う歯車があった。さらに奥の黒い漆を塗った板の上に小さな鉄の槌が十本並んでいた。槌の先にはそれぞれ数字の型が付いていた。槌の下を細い紙の帯が通っていた。
箱の脇に酸の壺が六つ、木の枠に収まっていた。
「押します」
艾琳・哈特が言った。
哈特は卓の脇に立てた紙を見ながら、鍵を一つずつ押していった。四。七。〇。二。一。
鍵を押すたびに手前の歯車がかちりと一つ回った。奥で槌が一本跳ねた。紙の帯に数字が一つ打たれた。
打たれた数字は押した数字と一つも合っていなかった。
五つを押し終えると、哈特は紙の帯を小刀で切り、隣の部屋へ持っていった。
修平は哈特の後について隣の部屋へ入った。
隣の部屋の卓にも同じ楠の箱が置かれていた。蘇玄機が箱の前に座っていた。白い眉の下の目が紙の帯の数字を読んだ。蘇玄機の節の太い指が鍵を一つずつ押した。
奥の槌が跳ねた。
四。七。〇。二。一。
蘇玄機は紙の帯を指でつまんで灯に透かした。
何も言わなかった。長いこと紙の帯を見ていた。
「三年だ」
蘇玄機がようやく言った。
「三年かかった」
◇
工部の工房の一隅の蘇玄機の仕事場だった。
鶴壁から衛州の河の港まで鉄の道が開いてから、五日目の朝だった。開通の式の日の皇帝の言葉は、まだ工房の者たちの口に上っていた。——負う者が門の前に立たずに、誰が立つ。
その五日目の朝に哈特の使いが修平の詰所へ来た。天機の機械が二台揃いました。使う側の方に見ていただきたい。
使う側、と使いは言った。
「二台なのですね」
修平は言った。
「はい」
哈特は頷いた。
「一台なら、去年の秋にできていました」
哈特は仕事場の壁際の棚を手で示した。
棚の上に楠の箱が三つ並んでいた。蓋に墨で甲、乙、丙と書かれていた。どれも今、卓の上にある二台より少し大きかった。
「甲の機械で数を変えて、甲の機械で戻す。——それなら去年の秋にできました」
哈特は甲の箱の蓋を開けた。
「乙の機械で変えた数を甲の機械で戻そうとすると、戻らなかった」
蘇玄機が隣の部屋から出てきた。
「同じ図で削った」
蘇玄機は言った。
「甲も乙も丙も、わしが同じ図で同じ手で削った。歯車の一枚一枚。歯車の中を通る十本の銅の線の繋ぎ方。——同じはずだった」
蘇玄機は甲の箱から歯車を一枚抜き出した。歯車の平らな面に小さな銅の点が十、輪になって埋め込まれていた。裏の面にも十。
「歯車が回る。この表の十の点が隣の歯車の裏の十の点に触れる。触れた点から点へ壺の力が流れる。どの点からどの点へ流れるかで、入れた数が別の数に変わる」
蘇玄機は銅の点の一つを爪で叩いた。
「この点が隣の点より髪の毛ひと筋低い。——それだけで、歯車が回りきったとき、触れるはずの点に触れぬことがある。触れぬと力が隣の点へ逃げる。逃げた力が別の槌を叩く」
「甲の中では、それでも合う」
哈特が言った。
「甲で変えて甲で戻すなら、同じ点が同じようにずれる。ずれたまま元に戻る。——けれど甲と乙とではずれ方が違う。送る側と受ける側の機械が違えば、戻らない」
修平は棚の上の三つの箱を見た。
「送る側と受ける側とは別の町にある」
「はい」
哈特は言った。
「一台だけ、どれほどよくても意味がないのです。二台が同じでなければ。——いえ、枢密院と北の軍鎮と、その先の全部の局の機械が同じでなければ」
◇
今、卓の上にある二台は丁と戊だった。
「歯車はわしが削っておらぬ」
蘇玄機は言った。
「韋金森どのの子の台で刻んだ。——計算の機械の歯車と同じだ。この春、あの台で刻んだ歯車を二百組んで、千回足し算をさせて、一度も誤らなんだ。それでこちらもあの台にやらせることにした」
蘇玄機は丁の箱の中の歯車の軸を指でなぞった。
「銅の点の高さは、通る板と通らぬ板で検める。歯車がひと刻み回ったときの角も板で検める。軸と軸の受けの遊びも」
蘇玄機は少し口を歪めた。
「わしの目より板の方が揃う。——それを三年かけてようやく飲み込んだ」
「歯車の回り方はどうなっているのですか」
修平は訊いた。
「手前の一枚は鍵を押すたびにひと刻み回る」
蘇玄機は手前の歯車を指で押した。
「十、回るとひと巡りする。ひと巡りしたとき、爪が隣の歯車をひと刻み押す。隣がひと巡りすると、その隣を押す」
「計算の機械の繰り上がりと同じだ」
「同じだ」
蘇玄機は頷いた。
「数を足す機械の繰り上がりの爪が、そのまま数を変える機械の歯車を回す。——兄弟だ、と三年前、哈特どのが言うた。兄弟どころではない。同じ腹から出た」
蘇玄機は奥の形の違う一枚を指した。
「これが折り返しの歯車だ」
「折り返し」
「三枚を奥へ抜けた力を、この一枚が折り返して、もう一度三枚を手前へくぐらせる。——それで送る側と受ける側とが同じ機械で同じ鍵のまま使える。送る側が四を押して九が出たなら、受ける側が九を押せば、四が出る」
修平は奥の一枚を見ていた。
哈特が横で何か言いかけてやめた。
◇
午後、仕事場に枢密院から董元礼が来た。
董元礼は五十を越えていた。十年前、西の遠征に副使として出た男の頬の線は、年ごとに細くなっていた。董元礼の後ろにもう一人、男がいた。
「枢密院の鍵を作る房の、応伯寧です」
董元礼が言った。
応伯寧は四十前の痩せた男だった。黙って頭を下げた。
三年前の春、哈特は枢密院の奥の一室で、鍵を作る者を軍令の中身を知らぬ者に、と言った。その房が枢密院の中に置かれた。房の長に選ばれたのがこの男だった。枢密院の文書の房に十五年いた。字験に使う古い詩を将と枢密院の間で選ぶ役を、長く務めてきたという。
応伯寧は懐から紙を一束出した。
「鍵の票の試しです」
紙は横に長い一枚ずつの表だった。一行が一日だった。行の頭に、日。その横に三つの数。その横にまた三つの数。
「前の三つが、五枚の歯車のうちどの三枚をどの順に差すか」
応伯寧は言った。低い、平らな声だった。
「後の三つが、その三枚の最初の位置。——ひと月分で一枚。票は同じものを二枚だけ作ります。一枚は送る局へ。一枚は受ける局へ」
「字は誰が書くのですか」
修平が訊いた。
「私の房の吏が、二人」
応伯寧は言った。
「二人が別々に書きます。書き終えたら二人で読み合わせます。——二人とも、票の中身が何の文に使われるかは知りません」
董元礼が言い足した。
「鍵の房の者は軍令を読まない。軍令を書く者は鍵を作らない。——三年前、哈特どのが言われたとおりに」
哈特は票を一枚手に取って、しばらく見ていた。
「冬の半ばに大名府で試しましょう」
哈特は言った。
「この仕事場の卓の上では、もう戻ります。——戻らないのは、きっと卓の外です」
◇
枢密院の線は秋に大名府まで届いていた。
開封から陳橋へ。陳橋から黄河の南の岸へ。黄河は線で渡れなかった。白朗が水の底に線を沈める工夫を試していたが、まだものにならなかった。南の岸の局で受けた長い短いを紙に書き取り、渡し舟で北の岸の局へ運び、打ち直す。北の岸から大名府まで。
三百六十里の線だった。
冬の半ば、丁の機械は枢密院の局の奥の新しく仕切った一室に据えられた。戊の機械は荷車に積まれ、大名府へ運ばれた。哈特と董元礼と蘇玄機の弟子が一人、荷車に付いていった。
修平は開封に残った。
冬の半ばは、工部の書庫に鉄の道と工場の申し出が四十通を越えて積み上がっていた頃だった。修平は、昼はその束を読んでいた。夕刻になると枢密院の局へ歩いた。
試しの文は四十通と決めてあった。開封から二十通。大名府から二十通。
試しを始めてから、大名府の文は一日に一通か二通戻らなかった。四日目の夕刻、枢密院の局の奥の一室で、丁の機械を扱う吏が首を振った。
「今日の分はどれも戻りません」
吏は紙の帯を修平に見せた。
大名府から来た文だった。数字を鍵で元の電碼に戻す。電碼を表で字に戻す。
出てきた字は途中から意味を成していなかった。
◇
大名府の局は、城の北の兵営の脇の土の壁の小屋だった。
董元礼は小屋の戸口に立って中を見ていた。
小屋の中は寒かった。炭の火鉢が一つあった。機械の据わった卓は火鉢から遠かった。火の粉と灰とを機械にかけたくなかったからだ。
機械の前に若い通信の兵が座っていた。冉三郎。二十四。大名府の兵営から選ばれ、陳橋の局で一年半、長い短いを習い、この秋、線と一緒に大名府へ移った。打つのも受けるのも、局で一番速かった。
その冉三郎がこの四日、青い顔をしていた。
哈特が機械の脇に屈み込んでいた。蓋を開け、歯車を一枚ずつ抜き出していた。
「二枚目の軸がずれています」
哈特が言った。
蘇玄機の弟子が軸を指で確かめた。
「荷車です」
弟子は言った。
「六日揺られた。軸の受けの留めの楔が一つ緩んでいる。着いたときにはまだ持っていた。——据えてから日を追って緩んだ。三つ目の日の夕刻に爪がひと刻み飛んだ。飛んだまま回っていた」
「大名府に着いて蓋を開けたとき、誰も楔を検めなかった」
董元礼が言った。
「検める板がここにはない」
弟子が言った。
「板は開封の仕事場に」
董元礼は黙った。
哈特は別の紙の束を手にしていた。四日分のこの局の書き付けだった。
「二つ目の日の三つ目の文」
哈特は言った。
「鍵の票の行を一つ読み違えています。——十三日の行を使うべきところで、十二日の行を」
冉三郎が唇を噛んだ。
「日の欄の字が小さくて……」
「小さかった」
哈特は責める声ではなかった。
「票の字は吏が手で書いています。十二と十三は、手で書くとよく似る。灯は暗い。寒くて、指はかじかむ」
哈特は票を董元礼に渡した。
「三つ目の日の昼は壺です」
哈特は機械の脇の酸の壺を指した。
「この寒さで壺の力が落ちています。槌が紙を叩ききらない。——四と九が薄く打たれて、見分けがつかなかった。冉どのは九と読んだ。四でした」
「四つ目の日は」
「四つ目の日は、機械のせいではありません」
哈特は別の紙を出した。
「字を電碼に直した書き手が、表の一行下を引いた。——機械は正しく変えて、正しく戻した。戻した電碼が初めから違っていた」
冉三郎が顔を上げた。
「では、私の誤りでは」
「二つ目の日はあなたの誤りです」
哈特は言った。
「三つ目の日の昼は、壺とあなたとの半分ずつ。四つ目の日の一通は書き手の。——三つ目の日の夕刻からは、荷車と、蓋を開けた日に楔を検めなかった私たちの」
冉三郎は黙った。
董元礼は小屋の中を見回した。
土の壁の隙間から細い風が入っていた。卓の上の機械の蓋の縁に、うっすらと黄色い土の埃が積もっていた。蓋を開けた歯車の銅の点のいくつかが、鈍い緑に曇り始めていた。
「開封の仕事場の卓の上では、戻った」
董元礼は言った。
「……はい」
哈特は歯車を一枚ずつ布で拭いていた。
「研究の卓の上で動く機械と、兵が雪と埃と夜の中で扱う機械とは別のものです」
哈特は言った。
「私の世でもそうでした。——そして、私の世でもそれを戦の最中に知った者がたくさんいました」
◇
四十通のうち、戻らなかった文は十一通だった。
大名府から戻った董元礼と哈特とを、修平は枢密院の局の奥の一室で迎えた。
卓の上に四十通の紙の帯と、四十通の書き付けとが並べられた。
「十一通を一通ずつ分けましょう」
修平は言った。
「何が原因だったか。——一つの文に原因が二つあれば、二つとも」
修平は紙に欄を引いた。
機械。壺。人の読み違い。字を電碼に直すときの誤り。運ぶ間の揺れ。
董元礼と哈特が一通ずつ読み上げた。修平が欄に印を付けていった。
十一通の印が揃った。
機械そのものの歯車の癖で戻らなかった文は、一通もなかった。
運ぶ間の揺れが四通。壺が三通。人の読み違いが三通。字を電碼に直す誤りが二通。——二つの欄に印の付いた文が一通。
董元礼は紙をしばらく見ていた。
「機械は悪くない」
董元礼は言った。
「機械は悪くない」
修平は頷いた。
「悪いのは、機械の周り全部です」
哈特が小さく息を吐いた。笑ったのかもしれなかった。
◇
その夜から十日かけて決まりが書かれていった。
枢密院の奥の一室に、董元礼と哈特と応伯寧と蘇玄機が集まった。兵部の駅の房から田守信が呼ばれた。電信の文の通し番号と名の復唱とを、二年前に言い出したあの老いた吏だった。修平は使う側の者として末席にいた。
最初に人を四つに分けた。
線で長い短いを打ち、受ける者。通信の兵。
字を電碼に直し、電碼を天機の機械に通し、戻す者。——機械の手、と田守信が名を付けた。
機械を直し、検める者。
鍵の票を封の箱にしまい、その日の行を機械の手に渡し、使い終えた票を焼く者。鍵の保管の官。
「一人が二つを兼ねてはならない」
哈特は言った。
「小さな局では人が足りませぬ」
田守信が言った。
「足りぬ局では、二人まで兼ねてよい。——ただ、鍵の保管の官と機械の手とは兼ねない。票を持つ者と文を読む者とが同じなら、一人を買えば、全部漏れる」
次に書き方を決めた。
文は、数を五つずつの組に切って送る。組の数を文の頭と尻とに書く。受けた側は組の数を数え直す。合わなければ、そこで送り直しを求める。送り直しは、同じ鍵で同じ文を二度送らない。——同じ文を同じ鍵で二度送れば、読む側に二つの紙を並べさせることになる、と哈特が言った。送り直すときは、その日の票の別の行の最初の位置で送る。
受けた刻と送った刻とを、両方の局が書く。
「字を電碼に直すのは、二人」
田守信が言った。
「一人が直す。一人が表を引いて確かめる。——駅の文の写しを取るときと同じです。二人で読み合わせる」
鍵の票は手で書くのをやめた。
「活字で刷ります」
応伯寧が言った。
「私の房に小さな刷りの台を置きます。数字の活字は、国の算用数字の形のもの。日の欄は大きく。——刷った票を二人で読み合わせる。刷った版はその日のうちに崩します」
壺は寒さに弱かった。
「局の小屋に壺を置く暖かい箱を」
蘇玄機の弟子が言った。
「それと、壺の力を測る針の器を機械の脇に。——朝、機械を使う前に針を見る。針がこの印より下なら、壺を替える」
「朝ごとに見ること」
哈特が言った。
「朝ごとに機械の蓋を開け、銅の点を鹿の革で拭く。月ごとに歯車を抜き、板で検める。荷車で運んだ後は、必ず蓋を開けた日に検める。——検める板を局ごとに一組置く」
「板を局ごとに置けば、板が足りぬ」
蘇玄機が言った。
「子の台で作る」
蘇玄機の弟子が言った。
「板は、一の等の元の板から写します。写した板に番号を振ります」
修平はそれを黙って書き留めていた。
ほんの半年前、衛州の車を直す工場で、開封の軸と磁州の軸の受けとが合わなかった。国の物差しがなぜ正しいかを辿れる仕組み、と賀通遠は言った。——同じ話が、天機の機械の銅の点の高さにまで降りてきていた。
最後に機械が使えないときのことを決めた。
壺が尽きたとき。機械が壊れたとき。局が雪に埋もれたとき。
「そのときは機械を通さずに送ってよいか」
董元礼が言った。
「送ってはなりません」
哈特は言った。
「機械を通さない文は送らない。——送らねばならぬ文は、字験と出陣ごとの番号の表とで送る。それでも送れぬ文は騎馬の使いで送る」
哈特は三年前と同じことを言った。
「決めておかぬことは、急いでいてもしない」
◇
決まりが書き上がったのは、年の暮れの少し前だった。
枢密院の奥の一室で、楊崇武がその束を一枚ずつ読んでいった。
六十三になった枢密使は、読むのが遅くなっていた。灯を手元に二つ寄せていた。
四つの人の分け方。五つずつの組。送り直しの決まり。刷った票。暖かい箱と針の器。朝ごとの鹿の革と月ごとの板。機械が使えぬときの三つの段。
読み終えると、楊崇武は束の上に手を置いた。
「三年前の春、そなたは、機械は半分だ、と言うた」
楊崇武は哈特を見た。
「はい」
「残りの半分がこれか」
「残りの半分の半分です」
哈特は言った。
「この決まりを兵が覚えていなければ、決まりは紙です。——陳橋の駅に機械の手の学びの場を置かせてください。北の軍鎮へ行く者は、そこで二十日学ぶ。票の読み方。壺の針の見方。鹿の革の使い方。字験への切り替え方。——冉三郎どのを最初の教え手に」
董元礼が顔を上げた。
「大名府で読み違えたあの兵を」
「どこで読み違えるかを一番よく知っているのは、読み違えた者です」
哈特は言った。
楊崇武はしばらく黙っていた。
それから束を董元礼に渡した。
「写しを兵部へ」
楊崇武は言った。
「通信の兵は兵部の駅の者の務めでもある。機械の手と鍵の保管の官とは、枢密院の者だ。——一つの局に二つの役所の者が並んで座る。その並び方も、兵部と書いておけ」
董元礼は束を抱えて一礼した。
照会の文がまた二通になる、と修平は思った。
楊崇武は修平を見た。
「林詳定。使う側としてどう見る」
修平は少し考えた。
「枢密院の机が変わると思います」
修平は言った。
「今日、大名府で何が起きたかが、今日のうちに分かる。——ただ、今日のうちに分かることが増えれば、今日のうちに決めねばならぬことも増えます」
「決めることが増えるか」
「はい。——それを誰が決めるのか。それは機械の話ではありません」
楊崇武は修平を見ていた。
何も言わなかった。
◇
年の暮れのある朝、修平は陳橋の駅へ行った。
駅の裏手に新しい小屋が一つ建っていた。土の壁の厚い小屋だった。壁の内側に板が張ってあった。隅に壺を入れる暖かい箱があった。
小屋の中に楠の箱が五つ並んでいた。丁と戊の後に蘇玄機の仕事場で組まれた、己から癸までの機械だった。箱の蓋に、墨の字の代わりに焼き印で番号が押されていた。
五つの箱の前に若い兵が十人座っていた。北の軍鎮から呼ばれてきた兵だった。
冉三郎が兵たちの前に立っていた。
手に、刷った鍵の票を一枚持っていた。日の欄の数字が大きく、はっきりと刷られていた。
「ここを読みます」
冉三郎は言った。声が少し震えていた。
「今日の日の欄。——指で押さえてから読む。読んだら、横の者に声に出して言う。横の者が同じ欄を指で押さえて、同じだ、と言う。それから歯車を差す」
兵の一人が手を上げた。
「急いでいるときも、ですか」
「急いでいるときも」
冉三郎は言った。
「急いでいるときに、私は読み違えました」
小屋の中が静かになった。
修平は戸口に立ってそれを聞いていた。
小屋の外で電信の柱が北へ並んでいた。黄河の岸まで。渡し舟を挟んで北の岸から大名府まで。
あの線の上を、今日から数の列が走る。誰が読んでも意味を成さない、五つずつの組の数の列。——その列を元の字に戻せる者は、国の中に何人もいない。
その何人かが今、この土の壁の小屋で、指で票の欄を押さえていた。
修平は小屋を出た。
冬の朝の空は白かった。
小屋の中から冉三郎の声が聞こえてきた。
「では、もう一度。——指で押さえてから」




