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第七巻 資本市場 第二十一回 市場の規律

 羅蘭徳の指先は冬でも黄色かった。


 工部の化学の技官たちの部屋だった。窓際の長い卓に、唐州から届いた石の箱が三つ並んでいた。石はどれも割られていた。割った面に白い筋と灰色の粒とが見えた。


「三つの箱。四十二の石」


 羅蘭徳は言った。書き役の葛元亮がその言葉を宋の言葉に直していった。


「石、百斤の中の銀。——四十二の石のならしで台帳の見積もりの一倍と少し」


 羅蘭徳は卓の端の細長い紙を修平の前に置いた。石の番号ごとの数が並んでいた。


「一倍と少し」


 修平は言った。


「四倍ではない」


「四倍の石が一つありました」


 羅蘭徳は四十二の石のうちの一つを手に取った。拳ほどの灰色の石だった。


「この石だけ、四倍。——白い筋のすぐ脇の石です。残りの四十一は、台帳とほとんど変わらない」


 羅蘭徳は石を卓に戻した。口髭の端が少し震えていた。


「私の名で四倍と、揚州の茶館で流れたそうですね」


 羅蘭徳は言った。


「私はまだ何も出していなかった。——化学の者の名で嘘をつかれるのは、酸をかけられるより腹が立つ」


 葛元亮が最後の一言をどう直すか、少し迷った。それからそのまま直した。


  ◇


 羅蘭徳の見積もりは翌朝、工部の名で開封証券取引所の唐州銀山会社の板の脇に貼り出された。唐州の会社にも電信で送られた。


 唐州の株は前の日、十七貫二百八十文で終わっていた。


 その日は下の端の十三貫八百三十文から始まった。売りたい者が板の左に並んだ。買いたい者はほとんどいなかった。成ったのは百株ほどだった。


 翌日も、下の端。十一貫七十文。


 三日目も、下の端。八貫八百六十文。


 四日目、八貫の手前で、ようやく買いたい者が少しずつ板の右に並び始めた。


 その買いたい者の中に蒲文逸の名があった。八貫二百文で三百株。——冬の半ばに十三貫で借りて売った株だった。上へ崩れた二日の間、蒲文逸は追いの預け銭を二度入れていた。


 揚州の塩の商人の家の次男は、二十一株をまだ持っていた。そのうちの二十株を蒲文逸に貸していた。蒲文逸は買い戻した株を、游子敬の店を通して次男に返した。借り賃と一緒に。


 次男の手元に二十一株が戻った。一株、八貫あまり。


 揚州の聶仲和から修平に手紙が来た。——次男が父に二十一株のことをついに打ち明けた、とのことでございます。父は叱らなかった、そうです。ただ黙って次男の書いた損の数を見ていた、と。


  ◇


 刑部の賈知節が唐州へ吏を送ったのは、羅蘭徳の見積もりが出た、その日だった。


 吏が戻ってきたのは二十日後だった。賈知節はその間に開封で、取引所の成った売り買いの帳面と、証券商たちの注文の紙の写しと、電信の局の送り受けの帳面とを突き合わせていた。


「唐州の会社の掌事は宗仲明という男だ」


 賈知節は提挙証券司の部屋で言った。孟季常と、范汝舟と、鄭仲謙。修平。


「元は京西の銀の坑の坑冶の吏。坑を二十年見てきた男だ。——あの山の古い坑にまだ銀が残っていると、本気で信じておった」


 賈知節は帳面を開いた。


「秋の半ばに株を売り出した。告げ書には台帳の見積もりではなく、坑の奥の白い筋の脇のあの一つの石の見積もりを書いた。——あの石の見積もりは、宗仲明が自分で唐州の町の銀細工の職人にさせた。四十二のうち一つ。一番よい石を」


「一つの石を全部の石のように書いた」


 孟季常が言った。


「宗仲明は嘘ではない、と言うておる」


 賈知節は言った。


「その石は本当に四倍だった。奥へ掘れば同じ石がもっと出る、と本気で思っておった。——ただその石が四十二のうちの一つだとは告げ書に書かなかった。書けば株が売れぬと分かっていたからだ」


 賈知節は帳面の次の頁をめくった。


「秋の終わりに坑の奥で筋が細くなった。蒸気の機械を磁州機械から据えたばかりだった。機械の代の残りを払わねばならぬ。——会社の預りは減っていた。宗仲明は冬にもう一度株を売り出すつもりだった。そのためには、株の値が高くなければならぬ」


 部屋が静かになった。


「揚州の茶館に坑夫風の男を送ったのは」


「唐州の会社の董事の一人の甥だ」


 賈知節は言った。


「董事は宗仲明に頼まれたのではない、と言うておる。自分の考えだ、と。——その董事は、茶館の話が流れる三日前に、唐州の株を二百株買い足していた。十三貫五百文で。十八貫に跳ねた日に全部売った」


 賈知節は帳面の取引所の売り買いの写しを指で叩いた。


「刻と、番号と、証券商の名。——全部帳面に残っておった」


 賈知節は少し黙ってから続けた。


「宗仲明は刑部の取り調べでこう言うた。——坑は生き物だ。筋は細くなったり太くなったりする。細くなった秋に銭が尽きれば、坑はそこで死ぬ。太くなる冬まで坑を生かしておくために、株の値が要った。自分は株を持つ者たちを騙したのではない。坑を生かそうとしたのだ、と」


「坑を生かすために、株を持つ者たちに嘘の坑を見せた」


 孟季常が言った。


「宗仲明には、それが同じことに見えておらなんだ」


 賈知節は言った。


「二十年、坑を見てきた男だ。坑の中のことなら、誰よりもよく知っておった。——知らなかったのは、告げ書を読む千九百人が坑を見られぬ、ということだった。坑を見られぬ者にとっては、告げ書と帳面とが坑の全部だ」


「羅蘭徳どのの四倍の話は」


 修平が言った。


「同じ甥が流した」


 賈知節は言った。


「羅蘭徳どのの部屋に唐州から石が届いた、と会社の者から聞いて、四倍の石が一つあることも聞いていた。——それを全部の見積もりのように茶館で話した。そのときも董事は前の日に株を買っていた」


  ◇


「帳面もある」


 賈知節は最後の頁を開いた。


「唐州の会社の秋の終わりの半年の帳面。鍾どのの刷った白い帳面の形で付けてあった。——持ち物の欄に、坑の口に積んだ掘った石の山が載っていた。その値打ちを告げ書と同じ四倍の見積もりで数えておった」


 鄭仲謙が顔をしかめた。


「掘った石の値打ちを高く数えれば、持ち物が膨らむ。儲けが出ているように見える」


「監事は見ていなかったのか」


 范汝舟が言った。


「監事は宗仲明の妻の兄だった」


 賈知節は言った。


 部屋の者たちが黙った。


 修平は夏に詳定官の詰所で閻守業と、晏崇礼と話したことを思い出した。——監事は、掌事とも董事とも、縁のない者から。


 会社の法にはそう書いた。


 唐州の会社はそれを守っていなかった。守っているかどうかを誰も確かめていなかった。


  ◇


 唐州の株を持つ者は千九百人あまりいた。


 株の値は十貫で売り出されて、八貫あまりになっていた。十八貫の頃に買った者もいた。株を持つ者たちはそれぞれ買った値と今の値との差を失った。


 けれど、株を持つ者の家の蔵へ唐州の会社の借りが取り立てに行くことはなかった。唐州の会社はまだ潰れてもいなかった。坑の中には台帳のとおりの銀がある。細い筋を少しずつ掘れば、小さな儲けは出るかもしれない。


 賈知節は宗仲明と、董事と、その甥と、監事とを刑部で裁いた。


 董事が十三貫五百文で買い、十八貫で売った二百株の儲けは、取り上げられた。董事と宗仲明の家の蔵に刑部の吏が行った。株を持つ者たちに、告げ書と帳面とで欺いた分を償わせるために。


「有限の責めは、欺いた者には及ばない」


 賈知節は修平に言った。


「春に林詳定が刑部の広間の壁に書いた一行だ。——あの一行がなければ、刑部は董事の家の蔵に手を出せなかった」


  ◇


 暮れの近い御前廷議だった。


 提挙の葉正言が唐州の件を述べた。賈知節が刑部の裁きを述べた。


 皇帝は黙って聞いていた。


「林詳定」


 皇帝は言った。


「株の市は安全か」


 修平は少し考えた。


「陛下の安全、とは何を指しておられますか」


 座の間が少しざわついた。皇帝に問い返す者は多くない。


 皇帝は少し笑った。


「値が下がらぬことか、と問うておる。——唐州の株を持っていた者たちは、十貫が八貫になった。十八貫で買った者は十貫を失った」


「値が下がらぬことを安全と呼ぶなら」


 修平は言った。


「株の市は安全ではありません。これからも安全にはなりません」


 座が静まった。


「株の値は先の儲けの見込みです。見込みは外れます。外れれば値は下がる。——値が下がらぬ市を作ろうとすれば、朝廷が値を支えねばなりません。支えれば、朝廷の倉が損を積み上げる。太府寺の市易の倉が三十年前にそうだったように」


 范汝舟が座の端で少しうつむいた。


「では、何を安全と呼ぶ」


 皇帝は言った。


「損が出たときに」


 修平は言った。


「売り買いの約束が果たされること。成った売り買いの銭と株とが確かに受け渡されること。会社が告げたことが本当であること。証券商に預けた客の銭と株とが、証券商が潰れても、客に戻ること。——借りて買う者、借りて売る者の決まりが崩れないこと」


 修平は少し言葉を切った。


「損をしない市ではなく。損が出ても、決まりが崩れない市。——それがこの市の安全です」


 皇帝は長いこと修平を見ていた。


「唐州の件で崩れた決まりは」


「会社が告げたことが本当であること、です」


 修平は言った。


「告げ書に一つの石を全部の石のように書いた。帳面に掘った石を高く数えた。監事が掌事の縁の者だった。董事がまだ誰も知らぬことを知って、先に株を売り買いした。——それを確かめる者がいませんでした」


「確かめる者を置け」


 皇帝は言った。


「去年の冬の廷議で林詳定がそう申した。朕も会社の法を裁可したとき、同じことを申した。朕が負うのは、欺かぬための決まりだと」


 左丞相の李徳彰が口を開いた。


「確かめる者を誰にする。——会社の帳面を外から検める者だ。国中の会社の数が増える。刑部の吏では足りぬ」


「統計局の鍾どのが帳面の形を作りました」


 修平は言った。


「その形を読める者を育てます。転運司で、勾当の官を務めた者。行で、帳場を二十年見てきた者。——提挙証券司がその者たちの腕を確かめて、札を与える。会社は札を持つ者の中から外の検め手を選ぶ」


「札を持つ者が会社に買われたら」


「札を取り上げます」


 修平は言った。


「検めた帳面が偽りだと分かれば、検めた者の名も一緒に掲げる。——名を掛けて検めさせる」


 李徳彰は少し考えてから頷いた。


 右丞相の張文謹が座の端で目を閉じていた。眠っているのではなかった。話が終わると、目を開けて一言だけ言った。


「会社は法の下に立つ。——夏にそう書いた。書いた一行を守らせる者が、ようやく要るようになった」


  ◇


 年の暮れの五日前、提挙証券司の名で決まりが開封証券取引所の壁に貼り出された。


 紙は長かった。


 ——取引所の板に載る会社は、年に二度帳面を外に見せる。持ち物、負い目、元手。稼ぎと費え。主な借りとその利と満期。新しく建てたもの、買ったもの。分け前をどう決めるかの考え。帳面の形は統計局の刷る形とする。


 ——監事は、董事・掌事と三代のうちの縁のない者から選ぶ。帳面は、監事のほかに外の者が検める。外の者は、提挙証券司が帳面を検める腕を確かめて札を与えた者から会社が選ぶ。


 ——会社の株の値に大きく響く報せが出たときは、会社はその日のうちに、取引所の板の脇に会社の名で告げる。坑の銀の見積もり、橋の崩れ、火事、大きな注文、掌事の交代。


 ——董事・掌事・監事とその家の者は、会社がまだ告げていない報せを知って、その会社の株を売り買いしてはならない。会社の株を売り買いしたときは、その月のうちに取引所に届けて掲げさせる。


 ——嘘の報せを流して値を動かすこと。売り手と買い手とが裏で示し合わせて成ったように見せる売り買い。一人が多くの名を使って値を吊り上げること。——いずれも刑部が裁く。儲けは取り上げる。


 ——証券商は、客の銭と株とを自分の銭と株とから分けて預かる。証券商が潰れたときは、客の銭と株とを、証券商に貸した者たちより先に客へ返す。証券商は客ごとの口の帳と提挙証券司の吏の帳とを、月に一度突き合わせる。


 ——信用の売り買いと借りて売ることとの決まりは、先に掲げたとおり。


 紙の一番下に一行あった。


 ——この市の決まりは、損をさせぬための決まりではない。損が出たときに、約束と、受け渡しと、報せと、客の持ち物とが崩れぬための決まりである。


  ◇


 貼り出された紙の前に人が群がっていた。


 修平は倉の隅で賈知節と並んで立っていた。


「刑部の仕事が変わる」


 賈知節は言った。


「今までの訴えはたいてい、言った言わないだった。証人を呼び、書き付けの日付を比べ、半年かけてようやくどちらかに決める。——唐州の件は、刻と番号と電信の帳面とで、二十日で線が繋がった」


 賈知節は倉の壁の成った売り買いの帳面の棚を見た。


「残っておれば辿れる。辿れれば裁ける」


「残すための決まりです」


 修平は言った。


 賈知節は少し笑った。


「林詳定は春からずっと同じことを言うておる。——書いておけ、残しておけ、見せておけ」


 賈知節は倉の扉の方へ歩き出した。


 扉の脇に唐州銀山会社の板があった。板の頭に墨で八貫四百文と書いてあった。その脇に羅蘭徳の見積もりの紙と、刑部の裁きの紙とが並んで貼られていた。


 修平は板の前で足を止めた。


 八貫四百文は下がりすぎなのかもしれない、と修平は思った。唐州の坑には台帳のとおりの銀がある。宗仲明と董事がいなくなった会社が、細い筋を正直に掘れば、小さな儲けが出る。——それを見込む者がいずれ板の右に並ぶだろう。


 値はまた動く。


 動くことは止められない。止めるべきでもない。


 修平にできるのは、値が動くときにその理由を皆が確かめられるようにしておくことだけだった。


 倉の外はもう暗かった。州橋の上を、年越しの荷を背負った人々が足早に渡っていった。その中の何人が懐に株の預りの書き付けを入れているのか。修平には数えられなかった。

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