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第七巻 資本市場 第十九回 信用取引

 游子敬の店の奥の帳場の一冊の帳面には、名が四十一並んでいた。


 帳面の表紙には游子敬の右上がりの字で書いてあった。——貸し。


 修平は提挙証券司の孟季常と、市易務の倉の奥の部屋でその帳面を開いていた。游子敬が自分から持ってきた帳面だった。


「秋の終わりから始めました」


 游子敬は言った。


「客が株を買う銭の足りない分を、店が貸す。——客が買った株は、店が質として預かる。店の銭で足りない分は、竇どのの行から店が借りる」


 修平は帳面の一番上の名を指でなぞった。


 童大順。汴河の荷の組の頭。


 ——自分の銭、百三十貫。店の貸し、二百六十貫。合わせて三百九十貫で磁邢の株を十三貫で三まとまり。三十株。


「童どのは荷の組の頭を二十年」


 游子敬は言った。


「汴河の糧船の荷を揚げ下ろしする組です。百三十貫は、組の頭として二十年かけて貯めた銭。——三百九十貫の株を持てば、磁邢の値が一割上がるだけで、三十九貫儲かる。自分の銭だけの株なら、十三貫。童どのはそう言っていました」


 孟季常が帳面から顔を上げた。


「一割下がったら」


「三十九貫損をします」


 游子敬は言った。


「童どのにはそう話しました」


  ◇


 修平は紙を一枚出した。


 十二年前、戸部の詰所で書いた表と同じ形の表だった。持ち物。負い目。元手。


「童どのの、この株の帳面です。——数を丸めて書きます。自分の銭が三つに一つ。借りが三つに二つ。その形は同じです」


 修平は書いた。


 持ち物。磁邢の株、三百貫。


 負い目。游どのの店への借り、二百貫。


 元手。百貫。


「元手は童どのが自分で出した分です。丸めて百貫」


 修平は言った。


「磁邢の株が一割上がったとします」


 持ち物を線で消して、三百三十貫、と書いた。


「負い目は二百貫のまま。——元手は百三十貫。童どのの百貫が三割増えた」


 修平はその下にもう一つ同じ表を書いた。


「一割下がったら」


 持ち物、二百七十貫。負い目、二百貫。元手、七十貫。


「童どのの百貫が三割減る」


 孟季常がゆっくりと言った。


「梃子の効き」


「はい」


 修平は言った。


「十二年前、銀行の元手の話で申し上げたことと同じです。——元手が持ち物に比べて薄いほど、儲かる年には大きく儲かり、損が出た年にはあっという間に元手が消える。銀行でも、工場でも、株を買う一人の荷の組の頭でも」


 修平は表の持ち物の欄を指した。


「童どのは、百貫の銭で三百貫の株の上がり下がりを全部自分で受けている。——株が三割下がったら」


 游子敬が少し黙った。


「持ち物、二百十貫。負い目、二百貫。元手、十貫」


 游子敬は言った。


「三つに一つ下がったら、元手はなくなる」


「そしてそれより下がったら」


「店の二百貫が返ってこない」


 游子敬は言った。顔は平らだった。


「だから店は途中で止めます」


  ◇


「どう止める」


 孟季常が言った。


「童どのの元手が、ある線を割ったら」


 游子敬は言った。


「童どのに知らせます。——株の値が下がって、質の値打ちが減った。店の貸しを守るために、足りない分の銭を店に入れてくれ、と」


「入れられなかったら」


「店が童どのの株を板で売ります」


 游子敬は言った。


「売った銭で店の二百貫を先に返してもらう。——残りを童どのに返す」


 修平は紙に書いた。


 ——株を借りた銭で買う。自分の銭は、証拠の銭として証券商に置く。


 ——株が下がって証拠の銭が足りなくなれば、証券商は追いの証拠の銭を求める。


 ——追いの証拠の銭が入らなければ、証券商は株を板で売る。


「私の国ではこれを信用の売り買い、と呼びました」


 修平は言った。


「自分の銭を越えて、証券商の信用で株を買う。——置いておく自分の銭を、証拠の銭。株が下がって追って求める銭を、追いの証拠の銭、と」


 孟季常が帳面に書きつけた。


 ——信用の売り買い。証拠の銭。追いの証拠の銭。


  ◇


 竇守義が部屋に入ってきた。遅れて来る、と朝のうちに言付けがあった。


 竇守義は紙をしばらく見ていた。


「追いの証拠の銭が入らず、証券商が株を板で売る」


 竇守義は言った。


「童どのだけならよい。三十株。——だが、童どのと同じように借りて磁邢を買っている者が、游どのの店に四十一人。他の十五軒の証券商にもいるだろう」


 竇守義は紙の上に指で円を描いた。


「磁邢が何かの噂で一割下がる。——四十一人の何人かの元手が線を割る。証券商が追いの証拠の銭を求める。入れられない者の株を証券商が板で売る。売れば、磁邢はまた下がる。下がれば、別の何人かの元手が線を割る。また売る」


 竇守義は指を止めた。


「皆が一度に売る。——永豊櫃坊の三日間と同じ形だ」


 部屋が静かになった。


 修平は紙に竇守義の円を写した。


 ——下がる。質の値打ちが減る。追いの証拠の銭。入らない。証券商が売る。さらに下がる。


「一度始まれば、自分で自分を押し下げる」


 修平は言った。


「誰も悪いことをしていなくても。——証券商は自分の貸しを守るために売る。それは正しい。童どのは追いの銭が入れられない。それも責められない。けれど、皆がそれぞれ正しいことをして、値が崩れる」


 游子敬が口を開いた。


「では、信用の売り買いはやめるべきですか」


「やめるべきだとは思いません」


 修平は言った。


「借りて買う者がいるから、板の上の買いたい者が厚くなる。売りたい者が来たとき、すぐに相手が見つかる。——流れがよくなる。童どのの百貫が三百貫の働きをする。それも悪いことではない」


 修平は紙の竇守義の円の脇に書いた。


 ——信用の売り買いは、流れをよくし、銭を働かせる。同時に、平らな日には見えない脆さを積み上げる。


「脆さがどれだけ積み上がっているかを見ておくことです」


  ◇


 鄭仲謙が来たのは日が傾いてからだった。


「中央銀行として一つ言うておく」


 鄭仲謙は言った。


「游どのの店は、足りない分を竇どのの行から借りておる。——竇どのの行が游どのの店に百貫を貸すと、竇どのの行の帳面に游どのの店の預りが百貫生まれる。游どのの店はその預りで童どのに貸す。童どのはその預りで株を買う。株を売った者の預りが増える」


 鄭仲謙は修平を見た。


「秋に相州の行の卓で牛把頭が株を売ったときは、石炭の問屋の預りが牛把頭の預りに移っただけだった。——今度は違う。行の貸しが新しい預りを作っておる」


「はい」


 修平は言った。


「信用の売り買いは、株の市と行の貸しとを繋ぎます。——行が証券商に貸し、証券商が客に貸す。その道を通って、行の貸しが株の値を押し上げる。株の値が上がれば、質の値打ちが増えて、行はもっと貸せる」


「逆も」


「逆も。——株の値が下がれば、質の値打ちが減り、行は証券商に貸した銭を急いで返させようとする。証券商は客に追いの証拠の銭を求める。売りが売りを呼ぶ。行の帳面も傷む」


 鄭仲謙は腕を組んだ。


「統計局の表に秋に欄を足した。株を質にした行の貸しのうち、株を買うための分。——その欄の数がこの冬ひと月で倍になった」


 鄭仲謙は紙を卓の上に置いた。


「今はまだ小さい。国中の行の貸しの百に一つにも届かぬ。——だが、倍、倍と増えていけば」


 鄭仲謙はその紙を指で押さえたまましばらく黙っていた。


「利を上げるべきか」


 鄭仲謙は言った。


「株を買うための貸しが倍、倍と増えるなら。——中央銀行の利を上げれば、行の貸しの利も上がる。借りて株を買う者は減る」


「株を買う貸しを減らすためだけに、利を上げれば」


 修平は言った。


「米を買う者、鉄を買う者、舟を造る者、工場を建てる者の借りも全部重くなります。——株の市の百に一つの貸しのために、国中の残りの九十九の貸しを締めることになる」


「では、放っておくのか」


「放ってはおきません」


 修平は言った。


「利は、国中の物の値と職人の賃とを見て決める。十一年前からそうしてきたとおりに。——株を買うための貸しは、利ではなく、行を検める者たちの目で見る。行が証券商にどれだけ貸しているか。証券商が客にどれだけ貸しているか。証拠の銭の割合を守っているか」


 鄭仲謙は少し考えた。


「中央銀行の行を検める者は今、行の貸し倒れと元手とを見ておる。——そこに株の質の割合を足す」


「はい。それと客の自分の銭は、買う株の値打ちの少なくとも四割、という線を決まりに書きます。その四割の線を中央銀行が動かせるようにしておく」


 修平は言った。


「株を買うための貸しが膨らみすぎたと見たときは、四割を五割に上げる。——利は国中を締める。四割の線は株を借りて買う者だけを締める」


 鄭仲謙は帳面に書きつけた。


 ——証拠の銭の割合は、中央銀行と提挙証券司とが相議して動かせるものとする。


「道具を分けるのか」


「分けます」


 修平は言った。


「一つの道具で全部を直そうとすれば、どこかが壊れます」


  ◇


 決まりはその十日後、提挙証券司の名で開封証券取引所の壁に貼り出された。


 ——信用の売り買いをさせる証券商は、提挙証券司に届け出る。


 ——客の自分の銭は、買う株の値打ちの四割を下回ってはならない。百貫の銭で買えるのは、二百五十貫の株まで。


 ——株の値打ちは、前の日の最後に成った値で数える。ひと月に十株に満たぬ売り買いしかない株は、質に取らない。


 ——客の元手が株の値打ちの二割五分を割ったら、証券商は追いの証拠の銭を求める。三日のうちに入らなければ、証券商は株を板で売ってよい。売るときは、ひと刻にまとまり五つまでとし、全部を一度に成り行きで出さない。


 ——一人の客に証券商が貸す額に限りを置く。証券商の元手の十に一つまで。


 ——証券商は、自分や店の者やその家の者に、信用の売り買いの銭を貸してはならない。


 ——行が証券商に貸す額は、行ごとに中央銀行に月ごとに届ける。


 游子敬は貼り出された紙を長いこと読んでいた。


「四割」


 游子敬は言った。


「童どのは自分の銭の倍を借りて買った。今の決まりなら、一倍半しか借りられない」


「はい」


 修平は言った。


「童どのの株は今のまま持っていていい。——新しく借りるときから四割です」


 游子敬は少し黙った。


「他の証券商が決まりの外で三割で貸したら。客はそちらへ行きます」


「だから全部の証券商に同じ決まりをかけます」


 修平は言った。


「開封証券取引所の板に注文を出す証券商は全部。——一軒だけが厳しければ、その一軒が客を失う。全部が同じなら、客はどこへ行っても四割です」


 游子敬は紙から目を離した。


「値が上がり続ければ、客の株の値打ちが増える。四割の線を超えて余りが出る。——余った分でまた借りられる」


「借りられます」


 修平は言った。


「値が上がる間は、借りられる額が増えていく。借りた銭でまた株が買われ、値が上がる。——それがこの決まりの一番危ういところです。四割の線は下がるときには止めになる。けれど、上がるときには止めにならない」


 游子敬は少し笑った。


「林詳定はいつも決まりを作りながら、その決まりの穴を自分で言う」


「言っておかなければ、穴が見えなくなります」


 修平は言った。


 游子敬は貼り紙の前を離れた。店に戻って、四十一人の帳面の一人一人の証拠の銭の割合を手代に弾き直させる、と言った。四割を割っている客には、新しくは貸さない。——それでひと月の手間の代が二割は減るだろう、と。


「減っても構いません」


 游子敬は言った。


「杭州の茶引の市で、札を借りて買った者たちが一度に潰れた年を見ました。——十五の時でした。あの年、父の店も半分傾いた」


 游子敬が自分の見込みの外れた話をするのを、修平は初めて聞いた。


  ◇


 冬の半ばの終わりのある朝、磁邢の株が十三貫から十二貫に下がった。


 邯鄲の南で、測りの組の一人が凍った滏水の支流に落ちた。命は助かった。けれどその話が開封に届くまでに、橋の石が崩れたという話に変わっていた。——昼過ぎに晏崇礼の名で会社から電信で打ち消しが届いた。夕方には十二貫八百文に戻った。


 その日の昼、游子敬の店から童大順のもとに使いが走った。


 十二貫なら、三十株で三百六十貫。借りは二百六十貫。元手は百貫。株の値打ちの二割七分あまり。


 線は割っていなかった。


 けれど、游子敬は使いを出した。——線に近づいています。十一貫まで下がれば、追いの証拠の銭をお願いすることになります。


 童大順はその日の夕方、自分で游子敬の店に来た。


 荷の組の揚げ下ろしの短い上衣を着たままだった。


「わしは十三貫で買うた」


 童大順は言った。


「十一貫まで下がったら、いくら入れればいい」


 游子敬の手代が算盤を弾いた。


「十二貫と五百文あまり」


 童大順は黙った。


 それから懐から組の荷の揚げ賃の手形を一枚出した。糧船の組の次の月の揚げ賃の手形だった。


「これで足りるか」


「手形は証拠の銭にはなりません」


 手代は言った。


「行で割り引いて銭に替えていただかねば」


 童大順は手形を握ったまま、しばらく店の壁の手間の代の表を見ていた。


 夕方、磁邢の株は十二貫八百文に戻っていた。


 童大順は手形を懐にしまった。


「今日は戻った」


 童大順は言った。


「——戻らぬ日が来たら、また来る」


 童大順は店を出ていった。


 暮れかかった州橋の上で、童大順は一度立ち止まった。橋の下を汴河の糧船が一艘上ってきた。舳先に組の若い者たちが綱を持って立っていた。明日の朝その船の荷を揚げるのは、童大順の組だった。


 童大順は船をしばらく見ていた。


 それから懐の手形をもう一度上から押さえて、橋を渡っていった。


 修平はその話を翌日、游子敬から聞いた。


 童大順の百三十貫は、荷の組の頭として二十年かけて貯めた銭だった。その百三十貫が、三百九十貫の株の上がり下がりを全部受けていた。一日、凍った河に測りの組の一人が落ちただけで、童大順は次の月の揚げ賃の手形を握りしめて、夕方の証券商の店の壁の前に立った。


 ——今日は戻った。


 戻らない日がどういう日なのかを、修平は自分の世の本で読んで知っていた。

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