『14時05分』
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呼び鈴が鳴る。
小気味良いその音が止むのを待ってから、静が声を上げる。
「おつかれーす、花蕗でーす」
十数秒ほど間を空けて、扉が内側から開け放たれる。
「こんにちは、花蕗君っ」
出迎えたのは、仙波星翠。
人懐っこい笑顔を浮かべて、来訪者・花蕗静を招き入れる。
「よー、邪魔するぜ」
静が促されるまま、事務所の中に足を踏み入れる。
「明智大先生はいねーのか?」
「公共料金の支払いに行かれました」
「生活感出しやがるなー……阿島の兄貴は?」
「朝から外出。何してるかはわかんない」
「あの人も大概、肝心な時にいねー人だからなぁ……」
二人掛けのソファに腰をおろし、静が大きく息を吐く。その姿を、星翠がまじまじと見つめる。
「なんだよ」
「いや……相変わらず凄い格好だな、と」
赤と金、差し色に青が使われたスカーフ柄の襟付きシャツに、黒のスキニーパンツ。使い込まれた、無骨なコンバットブーツ。言葉の通り確かに、花蕗静の風体は中々に激しいものであった。
「ツラが騒がしいもんでな。首から下で帳尻合わせてんだよ」
「……いつも思うんだけど、そういう服ってどこで買ってるの?」
「古着屋の安モンだよ。こだわりがある訳じゃねーからな。大概はなんだっていーんだよ」
「ふーん……」
もう一度。まじまじと上から下、その姿を見つめた後、花が咲くように星翠が笑う。
「でも、すごく似合ってる。カッコいいよ」
その笑顔に、少しだけ目を丸くして。けれどもすぐに、なんでもない風に、肩をすくめて。
「お褒めに預かり、有難い限りだ。神棚にしまっときてー位の金言だぜ」
おどけたように、口にした。
そんな静をにこにこと眺めていた星翠が不意に真顔になる。
「急にスンとするじゃねーか。情緒でも壊れたかよ」
「……それ、どうしたの?おでこ」
言われて、静が自らの額を指で軽くなぞった。
「うぉ、やっぱ少し腫れやがった」
「……もしかして、喧嘩?」
咎める様な。それでいて、不安な様な。
先程までの明るさから一転、やにわに曇ってしまったその表情を、静はあっさりと笑い飛ばす。
「人の事どんな風にみてやがる。そもそも、腐っても俺ぁ超能力者だぜ。気分次第でパンピーと喧嘩なんか出来るかよ」
「……じゃあ、その怪我は?」
「人懐っこい、でけぇ虫にじゃれつかれたんだよ」
「……この流れで喧嘩より怖い話出てくる事ある?」
ふるる、と身を震わせる星翠を愉快気に眺め、静が口元を綻ばせた。
「ま、なんにしたって大したもんじゃねーさ、こんなモン」
言いながら、自らの傷口をコツコツと指先で叩く。と、その衝撃で傷が開き、一筋、赤い血が伝った。
「わ、わ、もう、なにやってるの!」
言いながら、星翠がティッシュを箱ごと静に渡す。
「悪ぃ悪ぃ。こんなんで事務所汚したら明智さんらに何言われっかわかんねーからな」
一瞬だけ、星翠が明確に眉を顰めた。
だが、それも束の間。
何をか思い立って事務所の裏へ駆けていく。
一分も間を置かず、星翠は戻ってきた。その手には、絆創膏。デフォルメされた犬のイラストのあしらわれた、可愛らしいデザインのそれを静へと渡す。
「あげる」
「いや、別に平気だって」
「あげるよ」
「いらねーって」
「…………」
僅かばかりの逡巡。
沈黙を破ったのは、言葉ではなく動作。
封を切った絆創膏を両手で構えて、星翠がずずいと静に体を寄せる。
まさか体を押しのける訳にも、向けられた手を振り払う訳にもいかず。初手を阻止出来なかった静はなす術もなく、されるがまま、絆創膏を貼られるしかなかった。
「目、突っ張ったり開け難かったりしない?」
仕上がりを確認しながら問い掛ける。そんな姿に息を一つ。
「……仔細問題無しだ、大将。強いて文句を言うなら、デザがポップでキュートすぎる事くらいか」
「クレームの受付はしてません!」
「新手の当たり屋みてーな話だな」
星翠が、笑う。
「最後の一枚だったからね。有り難く受け取るといーよ」
明智小理が戻ったのは、その直後だった。
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「警護ぉ?」
「はいっす」
ソファにもたれかかったまま、静は怪訝そうに目を細める。
テーブルを挟んで対面。星翠の横へと腰をおろして、小理が頷く。
「警護対象の名前は松下馨。広告代理店に勤める会社員の女性で……私らの基準で言えば『一般人』すね」
「ぁあ?超能異能絡みの話じゃねーのか」
「それがなんというか、微妙なところみたいなの」
星翠の言葉に、静は一層難しい表情を浮かべる。
「ある筋からの情報……こっちは信頼できる話なんすけど、恐らく松下馨は『パラドクス能力者』なんす。ただし、自身の『パラドクス』に無自覚な、っすけどね」
「……どっかで聞いたような話だこって」
星翠をチラリと見やって、静が意地の悪い笑みを浮かべる。これに少女は申し訳無さそうに微笑む。
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二ヶ月前。
ある一人の少女によって無自覚のまま引き起こされた、一つの事件。創出された幻想世界による、現実の侵食と侵略。
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「……『パラドクス』保有はほぼ確、ただしその能力がどんな代物で、どんな被害を生むかがわかんねー。加えてその松下女史自体はそもそも『パラドクス』なんてトンデモ知りもしねー……『暫定現状一般人』って訳だ」
静が足を組み、頬杖を突く。
「明智さん、その依頼人って何モンだ?」
「京介の知人で、ある団体に属している人なんすけど……」
「団体ってのは、『パラドクス』絡みか?」
「…………はいっす。団体には複数名の『パラドクス能力者』が居るらしいっす」
静が暫し考え込む。軽薄な態度も、不遜な笑みもなく、至って真面目な顔で。
やがて、その目を星翠へと向けて、
「ま、当たり前の結論だけ先に宣誓しとくけど、俺ぁ反対だ。いくらなんでもきな臭過ぎんだろ」
はっきりと、そう告げた。
「……それは、松下さんを狙っているらしい勢力が?それとも、依頼そのもの?」
「両方だけど、引っ掛かりが強ぇーのは後者だな」
言いながら、静が三本指を立てて示す。
「でけぇ理由は三つ。一つ、能力がどんな代物かわからねーってのはガセだな。松下って奴の能力の概要がある程度割れてる上で、そいつを欲しがってるアホがいなきゃ、まずもってこの起承転結は成り立たねー訳だしな。そのポイント濁してる時点でグレーにゃ違いねー」
「でもそれは、松下さんを狙っている勢力側の話だよね?だとしたら、吉國さん……依頼者を疑う根拠にはならないんじゃないかな」
「ソイツが理由その二。依頼者……というより団体の能力者共の中には恐らく、他人の『パラドクス』を覗ける野郎が居る……だろ?明智さん」
小理が難しい顔で……それでもはっきりと頷いた。
「私も、団体の能力者の全容を知ってる訳じゃないっすけど……それはほぼ間違い無く」
「なら、理由二はより厳しくなったぜ。松下女史を狙ってる野郎とその依頼者……吉國っつったよな。多分どっかで繋がってるぜ」
「——!」
「人の逆理を覗き込む逆説持ちが、そうポンポン居てたまるかよ。偶然で片付けちまうには、どーにも気持ちが悪ぃじゃねーか」
星翠が険しい顔を見せる。
——実の所、静が口にした可能性は、星翠自身も考えていた事だった。
「——で、三つ目な……ま、ぶっちゃけ個人的にはコイツが一番で、手前二つはおまけみてーなもんだけどよ」
静の声が、一段低くなる。その眼光は、鋭利な光を湛えていた。
「指定された条件が気持ち悪過ぎる。長々喋らせて貰っといて悪ぃが、心理的にはこれだけでも釣りが来るぜ」
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松下馨の警護にあたって、吉國天麻が提示した条件は三つ。
一、依頼の進捗状況を逐一、合掌抄帷と共有すること。
二、現場には花蕗静を帯同すること。
三、護衛対象の希望、意向は可能な限り尊重すること。




