『あなたへ』
「…………」
「…………」
夕方。取り巻く様々な後始末を久遠寺御言に押し付けるだけ押し付けて、ようやっと花蕗宅に戻った二人が目の当たりにしたのは、昨晩の破壊、その痕跡の一切が消え失せた家屋の姿だった。
「こー……れ、は……」
驚きつつも、既にその答えには辿り着いている——それは、花蕗静も同じであった。尤も、彼などは仙波星翠ほど温厚なわけでも無く……そもそも直した当人のせいで壊れた様な側面も多分にある中で、悠長に謝意を述べる心持ちにもならなかったらしい。
「本当にあの野郎は、テメェで壊してテメェで直して……とことんなにがしてーかわっかんねー都市伝説野郎だな、ったく」
悪態を吐くだけ吐くのであった。
「ま、まぁほら。壊れたまんまよりは幾分良かった、の、かなぁ……?」
「っつーより、アイツの手が加わった家で寝食しなきゃなんねーって事実がまずムカつく。腹立つぜ、マジで」
玄関の鍵を開け、引き戸を開ける。その動作のまま自らは傍に避け、星翠を中へと促す。
誰に向けたでもない、小さなお辞儀をしつつ、星翠が家の中へと入る。昨晩目にした時の印象通りの、うら寂しい部屋の景観に、星翠は少しだけ目を伏せてしまった。
「どーした?なんかあったか?」
なんでもないことの様に口にする静。——否、彼にとっては真実、なんでもないことなのだろう。
花蕗静という人間をパッケージするための籠。
雨風を凌ぎ、生活を保証するだけの金銭を掛け、一人の人間を幽閉する為だけの、孤独の虚。
だけど、何より寂しいのは。
彼自身が、それを受け入れてしまっていること。
「ねぇ、花蕗君」
「ん?」
「ここ、ここにさ!何か飾ろうよ!」
「おぉ?急に食いつくじゃねーか」
星翠が下駄箱付近の空いたスペースを両手で示しながら、熱っぽく口を開く。そんな少女の様子を愉快気に眺めながら……静は首を横に振る。
「飯食って眠るだけのスペース、そこまで彩り気にする趣味ねーんだけど」
「そうかもしれない……けど!帰ってきて、何か自分の好きなものとかが目の届くすぐ近くにあるのって、ちょっと嬉しくなったりしない?」
「考えた事もなかったけどなー……っと」
否定の言葉を口にして、静はふと、星翠の顔をじっと見つめる。見つめて、しばし考えてから、
「……でもそーだな。アンタがそう言うんなら、そーかもしんねーな」
それだけ言って、小さく笑った。
——————
「美味しかったー!ご馳走様でしたー!」
大きな笑顔と共に、星翠が手を合わせる。
「悪ぃな、連日炒飯でよ。こんなんなら、スーパーにでも寄れば良かったぜ」
少しだけ申し訳なさそうな顔をする静に向けて、星翠がふるるっと首を振った。
「昨日も今日も、花蕗君の作ってくれたご飯は美味しかったよ……それにごめんね、連日任せちゃって」
エルミレオにおける戦闘。
幾つかの事後処理。
その忙しなさの中、肉体的に大きく消耗しながら、二人は昼食を取る時間を作る事ができなかった。
結果。夕方前の非常に中途半端な時間ではあったものの、静の提案から、二人は花蕗宅にて少し早い夕食をとっていたのだった。
「それはいーんだけどよー……っとに、もーちょい別のもん食わせてやりたかったんだけどなー……なんも材料ねーんだもんなー……」
ブツブツと独りごちりつつ、二人分の食器を持ち、静が立ち上がる。
——少年の食器に盛られた炒飯は、かなりの量が残されていた。本人はいつもの調子で「ま、明日の朝飯行きだなこいつぁ」なんて言っていたけれど……きっとそれも難しいのだろう。
ぎしりと、締め付けられる様な胸の痛みを感じながら、それでも。
「——ねぇ、花蕗君。また作ってくれる?ご飯」
——今、彼の痛みを無理に掘り下げる様な真似はしたくない。昨日の今日……何一つ回復してなどいないだろう心のまま、それでも。今度は自身を含めた二人分の食事を用意してくれた、その前進を蔑ろにはしたくなかった。
「はっ、許可取りなんざ不要だぜ大将。こんな男飯で構わねーなら、毎日だって食わせてやるよ」
「………………」
「ぁあ?どーした今度は」
「…………花蕗君ってさ、時々凄いよね」
「………………?」
——————
食事の後。洗い物の為に台所へ向かう静。
その背中に、星翠が声をかける。
「花蕗君、手伝うよ」
「はっ、前にも言ったろ。客人炊事場に——」
そこで一度言葉を切って、静が黙り込む。やがて思い直した様に、顔をあげる。
「——んじゃ、悪ぃけど頼むわ」
「うん!」
星翠が、大きな笑みで応えた。
——————
「——仙波」
洗い物をしながら。ふと、静が呼び掛ける。
「なに?」
「や、大した話じゃねー……事もねーか。大事な話だな」
「?」
星翠が首を傾げる。その無邪気な様子に小さく笑って。静は、肩をすくめた。
「答えられなかった分と、オマケのコメントだよ。ま、どっかの都市伝説風に言うなら寒い自分語りってやつさ」
その笑みは穏やかで、晴れやかで。故にこそ、次の一言がどんな言葉なのか予想が出来ず、星翠は微かな不安を感じた。そんな揺らぎを察しながら……それでも、静は口を開いた。
「助けてくれなくていい。自分のことなんか全然守ってくれなくて構わない……昨日の夜、アンタはそう言ったけどよ——やっぱりそれは、それだけは無理だぜ、仙波」
それは、痛切な怒りの言葉。
花蕗静の自己犠牲を断固として拒絶する為に選んだ、強い言葉。その意味も、意図も理解しながら——けれど今一度、花蕗静はその懇願をはっきりと否定した。
「……それは、花蕗君の生き方、だから?」
彼の生き方を変えない、変わってくれなくていいと……確かに言った。その果ての言葉だとすれば……苦しいけれど、仙波星翠には最早その想いを否定する術がない。
——けれど、そうではなかった。
「……いや、それも違う」
「……?」
「——……」
「…………」
「……あー」
「えぇ、なに?」
星翠が少し困った様に問い掛ける。
その姿に、静は頭を乱暴に掻いた。
「いやー、改めて言葉にしようと思うと、思いの外小っ恥ずかしくてよー」
穏やかな表情。
自らを蔑ろにしないと、彼は確かに約束してくれた。
彼は、約束を守るだろう。
だから、無理はしないで欲しいと。星翠は控え目に逃げ道を提示したが、
「……やめとく?」
「いや、言う」
他の誰でもない、彼自身が、逃げ去る事を確かに拒んだ。
静が手を止め、星翠を見つめる。
——————
「——エルミレオでも言ったけどよ。やっぱり俺は、俺自身よりアンタが大切だ。大事で、大切で、死ぬ程特別だ。何遍考えても、どんな理屈をこねても、これだけはどうしても変えられなかった」
「——————っ」
「アンタがこの先どこに行って、何者になって、誰と生きていっても。アンタに助けがいる時は、地獄の釜の底でも駆けつける。神様とだって喧嘩するし、悪魔とだって殴り合う……アンタにゃ危ない事はしないでくれってお願いされたけどよ、やっぱりその約束だけは呑めない。その代わり、アンタが望む限りは絶対に生き延びるってのを代わりに誓う。だから——俺がアンタを助ける事を、アンタにも許して欲しい」
「——————」
「話は終わりだ……悪かったな、つまんねー話聞かせて」
「ううん」
…………。
——————
「ねぇ」
「ぁあ?」
「今の」
「おぅ」
「もう一度聞かせて」
「………………………………やだ」
「なんで」
「なんでも」
「言ってよ」
「無理」
「お願い」
「駄目」
「なんで‼︎‼︎」
「なんでも‼︎‼︎」




