0:00
——————
振るわれた、最後の一撃。
その拳の先は、虚空。
静も星翠も。デケムもソムヌスも——そして、阿島京介でさえ、状況が理解出来ず、固まった。
唐突に訪れたその沈黙の中に、声が。
———天辺の逆理の賞賛が、響いた。
「いや〜、大したもんだぜ。流石小っ恥ずかしくも世界最強名乗るだけの事ぁあるな。まぁまず間違いなく、人生最大の窮地だったぜ」
全員が、声の方を向く。
——————
窓際、陽光、外の景色。
昼の街を背に——無傷の明石真が、愉快気に笑っていた。
「タッチの差だったな、ミスター。あと一秒早けりゃ、アンタの拳は俺に届いてたぜ……つっても、殺すつもりで来ね〜んならどっち道、結果が変わった訳でもね〜けどな」
「……いつまでも戯言ばかりだな、貴様は。それで?貴様はまたそうやって逃げるつもりか?」
臨戦の構えを解かない京介。
鋭く輝くその眼光すら満足気に——明石真は笑って、肩をすくめた。そして、余りにもあっさりと——
——————
「そらそ〜よ。なんたって俺ぁ、負けたんだからな」
自らの敗北を宣言した。
——————
「昨日の夜、女王様にはもう言ったけどよ。アンタら幻想組を贋造物呼ばわりは二度としね〜。この世界の何者がアンタらの存在を否定しても、この先一生、全ての悪の免罪符が、アンタらの実存の証明だ。特に女王様——アンタは別格だ。機会があったらまた遊ぼ〜ぜ」
一瞬だけ、狐に摘まれた様な顔をしてから。
デケムが色濃い嫌悪を表情に出す。
「あぁ、本当につまらない話!お前の証明なんてこれっぽっちもいらないわ!お願いだからもう二度と、その薄気味悪い顔を私に晒さないで頂戴!」
「うは、手厳し〜」
明石真が、笑う。
「嬢ちゃん……仙波星翠、だよな。アンタの能力は、こらまた別格だ。こっから先、アンタ目当てで悪い虫がわらわら寄ってくるだろ〜から、精々気を付けてくだされや……これもなんかの縁だ。マジにど〜にもなんなくなったら、一回位は手ぇ貸してやるよ。必要になったら呼びな」
「…………」
「あら、無視かい。さみしいね〜」
明石真が——わらう。
そこには悪意も、敵意も、害意もなく。
「よぉ〜、静」
「……クソ馴れ馴れしいじゃねーか。なんだよ」
——————
「楽しかったなぁ!機会がありゃ、またやろ〜ぜ」
ただ。言葉通りの満足があった。
——————
何をか考えて。口を開いて、閉じて。
そしてまた、もう一度開いて、ようやく。
「楽しかった訳ねーだろ、サイコ野郎。好き放題やってくれやがって、ったく。そんな爽やか捨て台詞で、実はちょっといい奴でしたポジでも狙ってんのかよ」
静は辛うじて、憎まれ口を叩いた。
そして、それにこそは一際楽し気に、明石真は笑う。
「はっは〜、そいつぁ見込み違いだぜ。そんな退屈なモン、まっぴら御免だね」
「はぁ?」
訝しむ静へと向けて、もう一度。
邪悪そのものの笑みを浮かべて、明石真が肩をすくめる。
——————
「人間なんざ、虫ケラ程にうじゃうじゃしてる世界だぜ。そもそも善も悪も、退屈だってんなら両方揃ってカスなんだよ。俺がよ、この世界で一等気に入らね〜のはそれさ。退屈と安穏——そいつらの分厚い面の皮剥いでやるにはよ、此処がいいのさ。悪が一番、都合がいいのさ」
明石真が、嗤う。
「繰り返すぜ。俺は全ての悪の免罪符だ。この世界の悪は、なんもかんも全部俺のせいで——俺のもんなのさ」
明石真が両手を広げ、後ろ向きに一歩後方へと進む。
「それでは皆さんごきげんよう——精々丁寧な暮らしを、どうぞ」
ふわりと、その身が外へと投げ出される。
それが、結末。
慌てて駆け寄り、地上を見下ろした静の目に映ったのは……変わり映えのしない、見慣れた街並みでしかなかった。
——————
〔[明石真の姿は、そこにはなかった]〕
——————
光が、途絶える。
全身を強化していた、この世ならざる雷の加護——【雷神依】が解除される。
常と変わらぬ赤髪の風体へと戻った静が、ソムヌスの下へと駆け寄る。
「大丈夫か、〝名無し〟!最後しこたまぶん殴られてたけど……」
〝名無し〟——ソムヌスは……本当にようやく、穏やかな笑みを湛えて、これに応える。
「この程度、なんてことはない。それよりも——今は全員が無事だった事を喜ぼう。改めてになるが——また君と会えて嬉しい、シジマ」
その笑みを真っ直ぐに見つめて——ふと、静の表情が曇る。
その変化を鋭敏に察しながらしかし、問い詰める様な真似はせず……ソムヌスは暫し、少年の言葉を待った。
やがて。痛みを堪えるかの様な暗さを孕んだ表情を、それでもあげて。
「——精々頑張れ、だそうだ」
「——なに?」
「アイツの——ラキエスの、最期の言葉だ」
あの日伝えられなかった遺言を、今こそようやく……花蕗静は口にした。
「タイミングがなかった——いや、違ーな。どうしても言えなくて、言い出せなくて……今日まで来ちまった。——ごめん、〝名無し〟」
——————
生き方は決めた。
その為の宣誓も済ませた。
だけど、痛みが消えた訳じゃない。
それでも、伝えなくては。
あの日言い出せなかった……託された別れの言葉を、今こそ。
痛みを抱えたまま…それでも前へと進むというのならば、その痛みから目を逸らすことは、もう許されない。
責められようと。怒りを向けられようと。
この痛みの責任から逃れながら、此処より先を目指すことなんて、出来るわけがないのだから。
——あぁ、だけど。
——————
ソムヌスの手が、静のそれを両手で包む。
祈る様に、願う様に。
強く、優しく。
「……今日まで君は、その痛みをずっと——たった一人で担ってくれていたんだな」
「——っ」
「ありがとう、シジマ。私の友達の最期を、孤独のままにしないでくれて。私の友達の言葉を、届けてくれて。そして、すまなかった——ここから先は、私もその痛みを共に背負おう」
「——————俺、は——っ」
震えそうな声をどうにか押さえ込んで。
けれど、言うべき言葉がなんなのかはわからないまま。
握られた手を握り返して、顔を伏せる。
——————
「さぁ!シジマ、終わったわよ!行きましょう、食事!」
「アンタさぁ!」
——————
「あら、大きな声!威勢が良いシジマは好きよ!」
「ブレねーお人だな……あれ?」
繋いだ手を離し、デケムへと向き直った静が、その姿をみやって不思議そうに首を傾げた。
「あら、なぁに?」
「いや……なんか背ぇ縮んだ?」
長身の静と並び立っていた筈のデケムの目線が、僅かに下がっている。細やかなその違和感の原因は何かと、女王の足元まで目線を下げて……静は、苦々しく顔を歪めた。
埃にまみれ、僅かに血の滲んだ、細くしなやかな素足。
見やれば、一番初めに彼女が立っていただろう場所に、高い白のピンヒールが投げ捨てられていた。
——最終盤。明石真に対し、近接で肉迫する為に女王がとった行動。そこに、安っぽい同情や憐憫などありはしなかっただろう。
——————
思うところがないではなかった。
ラキエスの仇——マールスを率いていたのは、間違い無く彼女だ。だから本当に、思うところがない訳じゃなかった。
けれど、それが彼女の目的の全てだった訳じゃない。
傲慢不遜でも、傍若無人でも。彼女は彼女の求めるものの為に全霊を尽くしていた筈なのだ。——明石真とは、違う。
だから、無理だ。
こんなにも真っ直ぐに俺を見てくれた彼女を。
命を賭けて俺に力を貸してくれた人を。
どんな過去があったって——今嫌いになってしまうなんて、どうしても無理だ。
だから。
「——デケム、何食べたい?」
「そうねぇ……本当は豪華絢爛であればいいのだけど……でも、貴方と二人ならどこだっていいわ!だからシジマ、ちゃんと私をエスコートして頂戴!」
「荷が重いなー」
——————
「……随分と賑やかだな」
ゆったりとした動作で歩み寄り、京介がそう口にした。
「新手の愉快な仲間達ってとこすよ。っつーか、良く来れましたね。なんかヤバめの用事こなしてたんじゃないんすか?」
「そうだな……確かに、ギリギリだった。あのタイミングで参戦出来たのは、吉國の『パラドクス』ありきだったがな」
「吉國——って、やっぱあの人も能力持ちか……」
「A地点からB地点への経緯省略移動……有り体に言えば瞬間移動能力だな。当該対象の座標情報を観測して——」
「あー、大丈夫っす。細い話は、どうせ聞いてもわかんねーんで」
話を遮りつつ、静が京介に向けて頭を下げる。
「重要なのは、阿島さんが来てくれなきゃ詰んでたってとこだけっすよ……助かりました、ありがとうございます」
——————
「久遠寺御言が率いる組織の者達が救助に向かっている。だが、既に一般人の避難が完了している今、無理にそれらを待つ必要もないだろう。長居する意味もない、身体に問題がないなら離脱しよう」
京介の言葉に頷きかけて、静がはたと立ち止まる。
「——阿島さん、先に行ってくれ」
「どうした?」
疑問を表情に浮かべる京介に対して、静が——言語化しにくい、不思議な顔を浮かべる。
「いや、今じゃなくてもいいっちゃいい——いや、良くねーわ。もう一つ、どうしても今、やっとかなきゃいけねー事が残ってんだ」
「——野暮用か?」
「——いや、死ぬ程大切な用事だ」
——————
杖が、消える。『パラドクス』によって引き出した、彼の大魔法使いの触媒が、その手を離れる。
砕けた窓ガラス。少しだけ強い風。頬に掛かる髪。
差し込んだ陽光の、その只中で。
「——————仙波!」
仙波星翠は、顔をあげた。




