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パブロドグマ  作者: ほたて
パブロドグマ
36/46

11時02分

 ——————


 何を考えていたのかと問われれば、答えはきっとただ一言。


「なにも」


 ただ、誰かが傷付こうとしている。その傷の先に、避けられぬ死があるかもしれなかった。だから走った。思考は精々、その程度だった。


 明石真の横を素通りに、ただ真っ直ぐに窓へと向かう。

 滑って自分まで落ちてしまえば何にもならない。故に左手は窓枠に。砕けたガラスの破片へと向けて、叩きつけるが如く掌を。

 破片が食い込み、裂けた肉から血が吹き出す。だが、構わない。

 痛みなら耐えればいい。今はただ、その腕を伸ばす。


 既に半ば外へと放り出されかけていた老人の手を、花蕗静の腕が——確かに掴んだ。


「——っいってぇぇぇ‼︎‼︎」


 思わず叫んで、静が顔を歪める。歪めてそれでも——大きく息を吸って、吐いて。全霊を込めて、叫ぶ。


「——じぃさん!絶対に離すなよ!俺も絶対に離さねーから!」


 吹きこぼれた血が、滴る。

 その血を顔に受けながら——老いた男は驚愕に目を見開いていた。信じられないものを見る……正に、そんな眼差しであった。


「——君は、私は、君達を——」


 言葉は最後まで続かない。

 投げ出された先。足元には遠い地上。

 断崖の向こうにあって、辛うじて紡がれた途切れ途切れの疑問。その全容はしかし、確かに花蕗静にも伝わっていた。伝わって——それでも。


「——だからって死んじまう事もねーだろ!くたばりてーんなら俺の目の届かねー、他所でやってくれ!」


 ——————


 ご大層な矜持も、高尚なお覚悟もありゃしねー。

 ただなんとなく、って奴だ。

 俺の生き方が、誰かの為に何かをしようとしてる、みたいに他所から見えたとすれば……そこにある動機なんざ、その程度のもんだ。


 ——笑えるぜ。


 明石真の言葉は、正しい。

 俺は俺の空っぽを誤魔化す為に、偽善を積み上げ続けてきた伽藍堂だ。そんで、そんな自分を多分——俺はこの先も変えることが出来ない。


 先着順で片っ端から手当たり次第、困り顔の連中を拾い続ける。なんの責任感も、決意もないまま。だからこれは善行なんかじゃない。ただの、俺の生き方だ。


 ずっと昔からそうだった。

 それが今になってこんなにもゴチャくそ考えちまうのは、欲が出ちまったからだ。

 ——アイツから教わっちまったから。もっとカッコいい生き方があるってのを、アイツから。


 ——————


 そう。これは、憧れだ。

 俺はアイツに——ラキエスに、憧れたんだ。


 ——————


 幻想世界の童顔魔法使い。

 口煩くてお調子者で……多分死ぬほど気の合う奴だった。


 アイツが教えてくれた、テメェの生き方に名前を付けるってのの、最初の実践相手がアイツだった。


 そんで——俺は、しくじった。

 しくじって、ラキエスを亡くして、ビビって芋引いたんだ。本当に間抜けで、しょうもない話だ。


 だから、もう全部どうでもよくなっちまったんだ。

 パラドクスだの母親だの、花蕗静だの。

 もう何もかも全部どーでもよくて……捨てちまおうと思った。しくじった挙句に恥晒しながら生きていくのもしんどくて、その割に投げ捨てる事もできなくて。


 だけど、捨てられなかったもんがあった。

 俺は結局、染みついた偽善を捨てられなかった。

 しんどそうにしてる奴には手ぇ貸したくなっちまうし、それで俺が迷惑被ったって笑っていられた。放っておくってのが出来なかった。


 それと、もう一つ。

 どうしても幸せになって欲しい、なんて小っ恥ずかしい事を思っちまう相手が残っちまった。


 頭が良くて、ツラが良くて。

 気が利く割に控え目で、変なところで妙に抜けてる。

 弱くて、弱くて——そんで、俺よりずっと強い、アイツ。


 仙波星翠。

 俺の憧れた友達と、同じ魂を持った奴。


 ふと、考える。

 俺はアイツの幸せの為に、どこまでやれるか。

 アイツの幸せのトレードオフに、どこまでだったら差し出せるか。そう考えて答えが出ちまった時……俺はアイツから離れようと思った。


 全部だ。全部。

 アイツがそれを望むなら、俺は俺の全部をアイツにくれてやれる。

 アイツも、アイツの家族、友人、恋人。そんな全部を守れるってんなら、俺は俺の全部を賭けられる。……我ながらドン引きする位重い話だから、本人には一生伝える気もないけどよ。


 ——————


 腕が上がらない。

 万全の体力ならまだしも、今の消耗し、痛み切った花蕗静に人一人を片腕で持ち上げるだけの余力は、ない。

 吹き出す汗と、手のひらから溢れる夥しい出血。それでも——花蕗静は、歯を食いしばる。


「うへぇ、痛そ〜。手ぇ貸してやろうか?青少年」

「いらねーよ、都市伝説!ただ、今ぁ手ぇ出すんじゃねーぞ!」

「合点承知……飲み物掻っ払ってくるけど、なんかいる?」

「水!」

「りょ〜かい〜」


 立ち去っていく明石真へと視線を向ける余裕は無い。

 それでも——この手を離す選択肢など、ありはしない。


 ラキエスの仇だった。

 仙波の、俺の仇だった。

 その首を落とせる千載一遇を棒に振ってまで、俺は一体何がしたかったのだろうか。思わず、自嘲気味な笑みが溢れる。


 それでも。

 諦めるな。

 手を離すな。

 責任なんか負えやしない。それでもいいから、無責任のまま人を助け続けろ。


 ——こんな自分に、意味は……価値はあるだろうか。

 ふと、今はもう届かない記憶の少女へと問い掛ける。


 ——————


 思い出すのは、青髪の少女。

 丘陵の只中、風吹く中心に佇む雷霆の魔法使い。

 記憶の中のラキエス・シーシスは——確かに笑っていた。


 ——————


「——ムシの良い話だよな、ったく」


 俺は、間違ってる。

 正しくなんて無い。

 仮に、この今日を超える事が出来たとしても——いつか必ず、この偽善は俺自身を殺すと思う。

 でも、もう構わない。それならそれで、もういい。


 それでも、証明してみせる。

 自罰も、内罰も糞食らえだ。

 もう、諦めた。


「——見てろよ、ラキエス」


 今はもう追いつけない遠い背中に、今こそ宣戦布告を。

 彼女の救ったこの命が、救うに足るものだったと。俺自身の手で証明してみせる。


 ——————


「花蕗君‼︎‼︎」


 声に、顔をあげる。

 どうやって登ってきたのか……十メートルほど離れた位置に、仙波星翠の姿があった。その背後には、両手にコーラと水のペットボトルを持った、明石真。


「——————」


 引き上げることは出来ない。

 左手は既に見る影もない程に斬り裂かれ、仙波星翠の救助を待てるだけの余力など、残されてはいない。

 

 俺だけの力では、もうどうにもならない。



『故に』


「——明石真‼︎」

「んん?」


 花蕗静は、笑った。


「テメー、すぐに戻ってくるからよ!ちっとここで待ってろ!——後、仙波に手ぇ出すんじゃねーぞ!」

「お〜、了解。ごゆっくり〜」

 

「っと、仙波‼︎」

 明石真には目もくれず。花蕗静が、仙波星翠を見つめる。見つめて……ニヤリと不敵に笑ってみせた。


「愛想尽かしてくれてなきゃ、って話だぜ」

「——え?」


 次の、瞬間。


「——頼む、助けてくれ!仙波!」


 手は窓枠から離れ——花蕗静と【影】の男は共だって、外へとその身を放り出された。

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