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パブロドグマ  作者: ほたて
パブロドグマ
35/46

10時57分_b



 ——————

 

 目を閉じるのは危ない。

 当たりどころを間違えると、洒落にならない大怪我になってしまう。そうなればその間、この人の世話が出来なくなってしまう。


 かと言って大袈裟に避けるのも良くない。

 行き場の無い怒りを溜め込み過ぎれば、より大きな暴力を振るわれる。


 投げつけられた灰皿を見る。

 軌道を予測し、引き付け、ごく自然に急所を外す。

 泣くのは愚策。神経を逆撫でてしまう。

 笑うのはもっと下策。怒りに火を付ける。

 かと言って、完璧な無表情も駄目。


 神妙な面持ちで、申し訳なさそうに。謙り過ぎず、反省の色は濃く。それが最も効率的に彼女の……母の怒りを鎮める術だと学んだのは、十歳になる少し前だった。


 ——————


「あの嬢ちゃんの能力は今、自覚的に封印されててな……ま、天下無敵の最強ヒーロー様の入れ知恵だろ〜な。展開するフィクションワールドの射程距離をマイナス……自身の内側に限定する事で能力の発露を抑制、高効率で中のファンタジーだけを取り出してるって訳だ」


 遠く。男の……明石真の声が聞こえる。


「燃費効率は悪くね〜し、そもそもファンタジーのシステムが『パラドクス』と別枠な事考えりゃ、かなり理に適っちゃいる……が、面白味はね〜な。そんなエコ運転じゃ満足出来ね〜だろ」


 倒れているのか、立っているのか。

 判然とせず、明滅するばかりの意識のまま、それでも何とか身を起こそうと試みる。


「なんと言っても最大の弱味は、ハリボテファミリーの召喚が出来ね〜トコだな。あの能力のメインディッシュが永久お預けってのも、締まらね〜話だろ……だから、拡大させてやるのさ。瀬戸際まで追い込んでな」


 ……立てない。

 恐らくこの身は地に伏している。

 だが、立てない。

 身体に、力が入らない。


「今の、省エネモードの嬢ちゃんじゃ三流仕事人にも及ばね〜。いよいよ差し迫りゃ、秘められたパワーを解放するしかね〜って寸法さ。ピンチはチャンス、ってな……ま、要はあの文系乙女にゃ思ってるより期待を寄せてるって話なんだけど……それに比べて、だ」


 明石真の腕が、花蕗静の首を掴み……そのままグイッと自らの目線の高さまで持ち上げた。

 食い込む指に気道が狭められ、苦悶に歪む静の表情を一秒眺めて、明石真は退屈そうに溜息を吐いた。


 ——————


「あり得ない位弱いな〜、アンタ」


 ——————


 ひょい、と。明石真が、静の体を適当な所作で放り投げる。

 受け身もまともに取れず、しこたま身体を地面に打ちつけたその衝撃と痛みに、静が顔を歪める。


「『パラドクス』はスーパーヒーローの下位互換。格闘技術は中の下……まぁ、本職学生ってんならギリ及第点か?ま、どちら道、碌々大した代物でもね〜わな」


 明石真が歩み寄り、しゃがむ。

 悶えるその姿をつまらなそうに見やりながら、肩を落とす。


「終いにゃヘラってコンディションもボロカスだってんだから、世話ね〜話だよなぁ?弱っちい奴が更にデバフ、セルフサービスしてど〜すんだよ、間抜け」


 言葉は、ない。

 痛みと不調に苦しみ続ける様を暫し眺めてから——明石真が、嗤った。


 ——————

 

「それで?気分はど〜だいリトルヒーロー。テメェの惚れ込んだガラクタを貶されて、守ろうと息巻いたガキ一匹満足に助けられず、なけなしの矜持も形無し。ついでに、テメェの仇にゃ手も足も出ね〜ときたもんだ……なぁ、教えてくれよ。人生は楽しいかい?青少年」


 ——————


 明石真の蹴りが、横たえられた静の鳩尾に突き刺さる。

 むせ返り、咳き込み……更なる苦悶に歪むその顔へと向けて、言葉は続く。


「なぁ、死にたがり。お前の正体を教えてやろうか?」


 言いながら、明石真が静の髪を鷲掴み、その頭を無理矢理にあげさせる。

 

「アンタの中に高潔さなんざありゃしね〜。アンタはただ、薄っぺらで何もね〜自分自身の免罪符に『善行』を選び続けて来ただけの卑怯者だよ。助けた人間からの感謝を貪って、這いずって生きてる寄生虫さ」

 

「——……——……」

 

「その癖助けた相手の人生の責任を負う度胸も器もね〜。だから胸を張って、テメェの善行を誇ることすら出来ねぇ。イカした面でなんちゃってニヒリズム醸し出して、適当な言葉で煙に巻く。よく出来た仕組みだなぁ、厨二病」


「——……………………」


「教えてやるよ、虫けら。テメェは生涯救われないし、報われもしない。テメェの望みは何一つかなわねぇよ、伽(・)藍(・)堂(・)」


 顔はそこかしこ腫れ上がり。口元からは血を流し。

 薄汚れた表情の奥の瞳に、最早光は無く。


「当然、俺はアンタを殺さない。世界全部を皆殺しにしても、アンタだけは生かしてやる。アンタの命を脅かす何もかもから、アンタを守り抜いてやる。そんで、不様に生き延びたアンタの前に、アンタの守りたかったモノの死体を順番に並べてやるよ」


 ここが。花蕗静の、終着点だった。


「もう一度聞こうか、ミスター。人生は楽しいかい?」


 ——————


 明石真の言葉は、正しい。

 わからないけれど、多分、きっと。

 だって、否定しようがない。否定の仕方が、わからない。

 俺は結局なんの価値も生み出せず、なんの意味も持てず、自己満足で死を選ぶことすら許されない——ただそれだけの何かなのだ。

 だから。多分。明石真は、正しい。


 ——————


「——とは言え、だ」

 明石真が、静の頭から手を離し、テラス窓まで歩み寄っていく。窓の側で息を潜めていた老齢の男……【影】の『パラドクス』能力者には目もくれず、真っ直ぐに進む。そして、そのすぐ側まで行くと、ぴたりと立ち止まった。


 〔[テラスは、初めから無かった]〕

 

 〔[外と館内を隔てる窓ガラスは、粉々に砕け散った]〕


 蹂躙される現実。

 過程も方法も明示されぬまま、残されるのは結果のみ。

 今や外と館内とを隔てるものは、何一つなかった。


 吹き込む風に髪を揺らし、明石真が深呼吸をする。


「ん〜、気分爽快って奴だな。映えを気にするんならも〜ちょい高層階のが良かったけど……ま、我儘はよくね〜か」


 言って、吹き抜けに背を向けて、両手を大きく左右に広げる。眼前に倒れ込む静にはその意図が分からず……さりとて何か言葉を紡ぐ余裕も無く。


「なんの、つもり、だよ——」


 それでもどうにか辛うじて搾り出された言葉に、明石真は嗤った。


「昨日のアンタの真似さ、死にたがり——アンタに逆転のチャンスをやろうって話さ」

「——ん、だと——?」


 明石真が、わらった。


 ——————


「ア(・)ン(・)タ(・)の(・)今(・)日(・)ま(・)で(・)の(・)全(・)部(・)が(・)間(・)違(・)っ(・)て(・)た(・)っ(・)て(・)認(・)め(・)ろ(・)よ(・)、(・)リ(・)ト(・)ル(・)ヒ(・)ー(・)ロ(・)ー(・)。(・)そ(・)う(・)す(・)り(・)ゃ(・)こ(・)の(・)首(・)、(・)ア(・)ン(・)タ(・)に(・)く(・)れ(・)て(・)や(・)る(・)ぜ(・)」


 ——————


「——————は?」


「言葉の通りだぜ。アンタの御涙頂戴の幼少期も、積み重ねてきた偽善の数々も。拠り所にしてた贋造物、それそのものも。何もかも間違ってて、結局は全部アンタの自己満足の自己欺瞞だって認めろって言ってんのさ——アンタ自身でな」

「——————」

「そんで対価は、俺の——明石真の首一つだ。それほど値打ちの付くもんでもね〜が、アンタにとっちゃ憎き仇の首だ。レギュレーション的には悪くね〜だろ?」

「——そんな、それは、テメーに、なんの……」


 ——————


「あぁ、メリットなんかね〜よ?それに、信じろなんてほざくつもりもね〜。俺は俺の自己満足の為に、誰の為でもなく、俺自身の為に、勝手に命を張るのさ……意味がね〜から燃えるんだよ、こ〜いうのはよ」


 ——————


 何を、認めろというのか。


「言葉なんかいらね〜。言い訳を並べ立てる必要もね〜。アンタの二択は沈黙か、ダッシュさ」


 何を、捨てろというのか。


「そうだな——カウントスタートで十秒、その場にとどまりゃアンタの勝ちだ。アンタの抱え込んできた矜持は守られて、アンタの大事にしてるもんは片っ端から俺に殺される。ディストピア極まり、って奴だな」


 何を、拾えというのか。


「逆に、十秒以内にここから俺を突き落とせたらアンタの負けだ。明石真は死に、アンタの大事な人間は守られる。そして、アンタの今日まで全ては屑籠行きだ。燃えるゴミの日にでも捨てとけよ」


 俺は——


「引っ張り過ぎのエンタメは趣味じゃね〜。次の一秒……次の一歩が、アンタの答えだぜ?」


 ——俺は……


「んじゃ、早速いってみようか、ミスター。アンタの空っぽな人生の、答え合わせの十秒だ——」


 明石真が胸ポケットからスマートフォンを取り出し、タイマーを起動する。

 表示されるカウントダウン。

 人生で最も重い、十秒間。


 ——————


 刹那。

 建物が大きく揺らいだ。


 大地震どころの騒ぎでは無い。立っていることすらままならない様な、激しい揺れ。

 僅かにバランスを崩しつつ、明石真が愉快気に笑った。


「はっは〜、やるなぁ文学少女。ちっと負けた気分だぜ〜……っと、お?」


 ——————


 その衝撃は、誰にとっても予想外だった。

 明石真にとっても、花蕗静にとっても……そして、【影】の『パラドクス』……老齢の男にとっても。


 徹頭徹尾。明石真の指示に従う形で窓際に身を潜めていた男の体が、ぐらりとふらつく。倒れ込むその先は、テラスの吹き抜け。身体を受け止める窓ガラスは、既にない。


「——————」


 落ちる。

 数秒先、男は外へと投げ出され、地面に向けて落下するだろう。その姿を目の当たりにして、その事実を理解して。



 ——————


 花蕗静は、駆け出していた。

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