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パブロドグマ  作者: ほたて
パブロドグマ
34/46

10時57分

 ——————


 仙波星翠は、考える。


 ——————


『私はシジマを助けないわ』

 女王デケムは、一通り話を聞き終えたのち……はっきりとそう告げた。

『彼の事は好き。でも、その為に彼の生き方を歪めるのは嫌。歪めた先に残るものが、私の愛した彼と同じものではきっと無いだろうから。刹那的で愚かしい……けれどその狂気や病理もまた確かに、今の彼を形作る一端なら、私は彼を救わない。美しいまま、愛らしいまま、死んでしまって構わないわ』


 言葉は辛辣で。とてもとても、甘んじて受け入れられるものではなかったけれど……けれどそれを、ただただ利己的で傲慢なばかりの言葉と断ずる事は出来なかった。


 彼を救う為に、彼を歪める。それはけれど、花蕗静の救いと言えるのだろうか。限界に近い断崖に立ちながら、それでも彼が守り続けた矜持を歪めてまで命〝だけ〟を救い、生きながらえさせる事は、正しいのだろうか。


 女王デケムの選んだ選択は、その問いに対する……一つの確かな答えだった。


 それは気高く、歪で、美しくて、愚か。

 数多の矛盾を内包したまま、その身の朽ちるその日まで進み続ける。その行末を見届ける……あるいは見守る事こそは、彼の生き方を尊重するということでは無いのだろうか。


 答えは出ない。

 久遠寺御言はああ言ったけれど、仙波星翠に花蕗静は救えない。デケムにだって、そんな事は出来ない。

 たがらせめて。

 ならば、せめて。

 狂気の道を直走る、彼の邪魔だけはしない様に。息を潜め、何も知らないふりで、彼から離れ、その心の負担を軽くしてあげる事——それだけが、仙波星翠に残された選択なのだろう。


 ——————そうか、なるほど。


 ——————


「ああ、本当に——つまらない話」

 仙波星翠は、呟いた。


 ——————


 星翠の身体を拘束していた【影】——三体の体が、音もなく崩れ落ちる。その異常を察した〝管制〟を司る【影】が、即座に追撃命令をその他の異形へと向けて発信した。


 ——仙波星翠に不審な動作は見受けられなかった。

 助けを呼ぶ声はおろか、指一本ですら動かしてなどいない——では一体、三体の【影】は何者の攻撃を受けたのか。


 答えは、すぐにわかった。

 未だ体を地に伏せたままの仙波星翠……少女へと襲いかかる【影】の軍勢の前に——青年は、その姿を現した。


 ——————


 古き大国『テサウル』。

 王権を手中に収め、列強諸国全てを支配下に置かんと目論んだ女王デケム。その悪逆に立ち向かった、一人の勇者があった。


 国を奪われ。

 その名を封じられ。

 それでも、その気高き精神と不撓不屈の心を燃やし、世の泰平の為に立ち上がった、捨てられし王子がいた。


 顔半分を面で隠し、ボロ布の様な外套に身を包んだ金髪隻眼の剣士。

 注がれし一片は仙波星翠の勇気と愛情。

 テサウル国物語の【主人公】——その名を、ソムヌス。


 ——————


 携えられしは幻想の聖剣。

 繰り出されるは鍛え抜かれし剣戟。

 迫り来る【影】を一息に切り伏せ、青年は尚構えを解かない。蒼穹を思わせる紺碧の眼には、燦然たる決意の光が宿っていた。


 少女がゆっくりと立ち上がる。

 その目には——幻想の勇者と同じ光があった。


 ——————


 仙波星翠は考えていた。

 ずっとずっと、考え続けていた。


 矜持も、決意も……それら全ては確かに、花蕗静を形成する一編だろう。だけどでは——それは果たして、彼の全部なのだろうか。


 楽しそうに笑ってくれたあの笑顔も。

 ちょっとだけ荒っぽいあの軽口も。

 ——夢を諦めた私に、それでもその生き方には価値があった筈だと応えてくれた、あの言葉も。何もかもが全部、終わりに向かう道すがらの戯言に過ぎなかったのだろうか。


 そんな事、認めない。

 そんな悲しい話は、嫌だ。

 そんな寂しい結末は、受け入れられない。


 仙波星翠は怒っていた。


 自罰、内罰——そうかもしれない。

 決して高潔で崇高な動機じゃなかったのかもしれない。

 けど、そんな事は些細な話だ。

 彼が色んな人たちに向けてきた救いの手、助けに応える声の価値とは何の関係もないじゃないか。


 仙波星翠は、怒り狂っていた。


 彼の父親に。

 母親に。

 無力な自分に。

 ——花蕗静に。

 

 あれだけ誰かの幸せの為に傷付き、痛み、それでも立ち上がってきた彼の幸せを担おうとしなかった、この世界の全てに。少女は、怒っていた。


 彼の矜持も決意も、それは勿論大切だろう。

 それを歪めてしまうかもしれない、恐怖。

 そんな恐怖に蓋をしてでも、彼の幸福を願ってしまう、矛盾。その源泉を、仙波星翠は考える。


 価値がなくても。

 意味がなくても。

 それでも一緒に——側にいて欲しかった、その理由は、なんだ。それは果たして、数多の何かと戦うに足る理由なのか。


 削って、削って。

 削り落としたその先に残った、願いの正体は——


「——…………」


 息を吐く。吐いて、前を見据える。


 この願いはきっと、誰かと争う理由には程遠い。

 叶える為に犠牲を払うだけの重さなんて、この願いには無い。それほどに俗っぽくて、他愛無くて……どこにでもある、誰にだってある程度の望みでしかない。


 けど、それでいい。それがいい。


 どこにでもあって、誰にだってあり得るなら。

 その望みは、誰かに踏み躙られていいものじゃないはずだから。なら、賭けられる。私の覚悟も、決意も、全部。


 そう。全部だ。

 私はこの先、この願いを果たす為に、私の全部を使う。


 ——誰も。花蕗静自身ですら、彼の幸せを担わないというならば、もういい。

 誰にも、神様にも、世界にも——彼自身にも頼まないし、願わない。


 もう、いい。


 ——————


「——ホシミ、指示を」


 幻想の勇者が、短く問う。

 仙波星翠は一度だけ、ゆっくりと目を閉じた。


 そして——その目が開かれる。


「薙ぎ払って——全部」


 私は、私の身勝手で。

 私の大好きな人を、幸せにしてみせる。

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