10時33分
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勝利条件は二つ。
一つは当該パラドクス能力者の物理拘束。
一つは能力そのものの発動制限。
前者は比較的容易。殺害は手札から除外するとしても、近接の格闘技術・運動性能で花蕗静が眼前の『本体』……老齢の男に遅れを取る事はないだろう。
問題は後者。身体拘束が能力の制限にならない場合、物理的に肉体を押さえ込む事自体の意味が希薄になる。
両立不可能な無理難題。
生け捕りが前提の静達にとって超えるべき……ある意味敵そのものよりも難解な問い——本来なら。
ただし、相対するは仙波星翠。
幻想世界の超能を操る、実存する魔法使い。
阿島京介、禪茉伸之、久遠寺御言……逆理蔓延る世界において尚、異彩を放つ異端の少女。
幻想の天上兵器【封露の天印】。
被弾対象のあらゆる動作を強制封印する、最強の枷。その制限項目には『パラドクス』運用も含まれる。
行動と異能。常理と逆理を同時に封殺しなければならないという無理難題はしかし、現実の魔法使い仙波星翠にとってはそもそも問題たり得ない。問題があるとすれば……少女は〝魔法使い〟であって、〝戦士〟ではないこと。
多種多様——〝逆理〟の枠には到底収まらない超然の奇跡を操る少女はしかし、戦闘技術においては一般人並みか、僅かに下。異形の爪を操る【影】と対峙すれば、瞬きの間にその命を奪われるだろう。
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たたらを踏む【影】。
本人の意思によらない後退を視認するよりも速く、静が右足を踏み出す。
一秒前とは逆。右半身が前に出る体勢。
潰された間合いに対しての警戒は当然緩まない。だが、この期に及んで尚、【影】のガードは正面やや下方……明らかに脚技に対して意識が向いたものであった。
その誤認に、花蕗静の常理が牙を剥く。
膝を柔く。低い腰の位置から打ち出されるは、右の肘。
クロスガードの更に下……正面からの打破ではなく、腕による防御を押し上げる形で突き崩す動作は、そのまま重心移動による加速を纏い、強烈な肘打ちとして【影】の胸部を叩いた。
挑打頂肘。
八極拳の六大開拳……基礎的で基本的な技。
ただし、技を放つは花蕗静……常軌を逸する身体操作術を持つ、逆理の徒。
恵まれた身体と、卓越した運動能力によって打ち出されたその威力は絶大であった。
【影】が苦悶から、その身をくの字に折り曲げる。
下がる顎。自然落下と合わせる形で打ち出されたのは、既に手元に引き戻されていた右腕に、腰の捻りによる速力を乗せたアッパー。
初手——人中へのジャブから始まった五連撃は、【影】の動作を寸断するには十二分過ぎる代物であった。
崩れ落ちる【影】の異形を躱し、静が男の下へと駆ける。
老いた男に苦悶の色はない。
生成された【影】に対してのダメージが本体にフィードバックされないという事実の検証を終えた静の警戒が、周囲へと跳ぶ。
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痛み……ダメージが本体に通らないなら、思考や判断力の低下は見込めない。なら、次に警戒するべきは——
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皺の奥の眼光が、怪しく煌めく。
その光に呼応する様に、映画館側の暗闇から新たに二体、【影】の異形が姿を現し、静に迫る。
突進する少年と、本体の男。隔てる距離の間に身を投げ出す様に、二体の異形が爪を振るう。仮に攻撃が成立せずとも、物理的な壁としてその行手を阻みさえすればいいという発想由来の布陣であった。
静の体躯は超前傾姿勢。
最速での本体到達のみを目的としたその肉体は、急には止まれない。加えて〝走る〟事に肉体駆動の方向性を振り切った今、横槍の様に差し向けられる切先に対して、満足に防御行動を取ることもできない。
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『故に、迎撃可能である』
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人間の反応・反射速度を容易く踏み越える超高速駆動。
一手速く、既に紐解かれていた花蕗静の逆理が、異形の凶器を薙ぎ払う。
撃ち落とされた二体それぞれの爪。
突進動作の継続されている花蕗静。
双方交錯のその刹那——静の身体が地面スレスレまで沈み込んだ。
滑らかな膝抜き。両の手が地面を突き、沈み込み——次の瞬間、その体躯が勢い良く旋回した。
膝を伸ばしたまま、全周に渡って旋回する脚が、異形のそれを刈り払う。
太極拳・後掃腿。二体の異形の体が、地に落ちる。
そして、この瞬間。
悶え苦しむ最初の一体。
地面に落とされた二体。
そして、体躯を沈み込ませた花蕗静。
本体の男と仙波星翠——直線上、その射線を阻む障害は全て取り除かれた。
右手を前に突き出して、真っ直ぐに視線を投げる少女の姿に、男がたじろぎ、逃走の構えをみせる——だが、もう遅い。
天上兵器の展開は既に完了している。
瞬き程の間も置かず、放たれるは白き光の柱。
弾丸の如き速度で打ち出された、四本の【天印】が三体の異形……そして、老齢の男の腹部をそれぞれ打ち抜く。
「ぐ——がぁっ——!」
苦しげな呻き声をあげながら、男が地に伏せる。
それが、合図。
ここに、【影】の『パラドクス』……その本体の制圧は完了した。
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緩慢な動作で立ち上がり、地に伏せる男へと目を向ける。
なんの興味も感慨も含まれない、退屈そうな視線。
その横に駆け寄り、星翠が静の顔を見上げる。
そこには、作戦達成の喜びも、充足感もありはしなかった。ひたすらに無色透明……何を考えているのか、その表情から彼の内心を推し量る事は到底出来なかった。
「——————」
必死に平静を装う。少なくとも今この場……差し迫った窮地は脱した。自らにそう言い聞かせながら、なんでも無い様に振る舞おうとする。
そんな内心とは裏腹に……泣き出す寸前——沈鬱な表情のまま、それでも。星翠がインカム越しに天麻に呼び掛ける。
「——天麻さん、星翠です。能力者の確保に成功しました」
一拍の間を置いて、天麻からの返答が。
「お疲れ様です、お二人とも。これより迎えの者を向かわせますので、今暫くその場で待機をお願いいたします」
会話を終え、軽く息を吐いてから星翠が周囲を見回す。
何度か訪れたことのある館内。日中にも関わらず、ひとっこ一人いないがらんとしたその様子はどこか物悲しく、どうしようも無くうら寂しいものだった。
——ずっと、考えていた。
昨晩久遠寺御言から告げられた、聞きたくもなかった……けれど確かに、この仙波星翠こそは知らなければならなかった事実。その向こう……過ぎ去ってしまった過去の先、花蕗静を苛むあらゆる現実。
何が出来て。
何が出来なくて。
何をしてはいけないのか。
何一つ、答えは出ていなかった。
唇を噛む。
手のひらが真っ白になるまで、握り締める。
そして……脱力する。
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仙波星翠は考える。
考えても、考えても、考えても。
答えの出ないことばかりを、ずっと——————
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「はっは〜。追い込まれてるじゃね〜か、三流仕事人。気まぐれだ、手ぇ貸してやろうか」
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刹那。
『エルミレオ』館内は、闇の只中へと叩き落とされた。




