9時17分
血飛沫。悲鳴。轟音。
全てを踏み越えて今一度、阿島京介がその姿を現す。
その目線は真っ直ぐ、元凶たる男へと向けられる。
明石真は引き続き、自らのスマートフォンへと視線を落としたままだった。画面を眺めている内に、訝しげな表情を一瞬だけ浮かべ——それでもすぐに顔を上げ、目の前の最強へと視線を返した。
握り込まれた拳。立ち止まらない歩み。
迫り来る〝最強の逆理〟へと、ピストルの形を模した自らの手を突き付ける。
人差し指を突き付けて、明石真が嗤う。
「動くな、って奴だ。それ以上寄るなよ〜」
「——今更、ふざけるな」
阿島京介は止まらない。
悠然と、決然と。
車道を渡り、明石真の立つ歩道まで辿り着く。
間合いは数メートル。
超人阿島京介にとってはなんの障害にもならない、あまりにも瑣末な距離。その間を踏み抜き、渾身の一撃を放とうとした、その瀬戸際。
「——でなきゃ、あそこの暴徒共の命はないぜ」
予想外の言葉に京介は戸惑い、思わず顔を顰めた。
後方。
自らが見捨てた地獄——阿鼻叫喚の修羅へと振り返る事はなく。それでも——意味の分からないその言葉に阿島京介が怒気を強める。
「——それこそ今更だろう」
「い〜や?そいつぁ単に、認識の違いだぜ」
明石真が楽しげに笑う。
「今この数分間で吹き飛んだ連中。俺なら全員元に戻せるぜ。あの死人どもの命が惜しけりゃ……ま〜先ずは一回立ち止まってみろよ」
言葉を鵜呑みにした訳では、決してなかった。
だが、余りにもあっさりと口にされたその言葉——後方に広がる地獄とのコントラストは、阿島京介の足を止めるには十分。それは確かに、意味不明な脅迫であった。
当惑する〝最強〟を見て、明石真が自らのこめかみをコンコンと指で叩いてみせる。
「俺のパラドクスは特別製でな。ま、信じるか信じないかはぁ、ぅあなたぁ次第!って奴だ」
「——————」
おどけて、ふざけて。
口にするその姿に、阿島京介が思考を巡らせる。
——〝認識〟だ。
目の前の男が有する逆理は『他者の認識』——或いは『肉体操作権』に干渉する能力だ。
単純な洗脳か、それとも何か別の性質を有しているのかまでは、現時点では特定出来ない。
だが。
トレーラー、一般車両の暴走。
自ら身を投げた人々。
突如狂乱状態に陥った群衆。
繰り広げられた無軌道な事象を実現させるとすれば、干渉領域はそれらどちらかの可能性が高い。
だからこそ『明石真』の言葉は、本来ならあり得ない。
能力は一人につき一つ。
引き起こされたこれだけの破壊を復元する能力が男にあるとは思えない——にも関わらず、あの断定的な物言い。
阿島京介の『感知』は、自身の周囲の生物、非生物を正確に捕捉する。そしてこの能力は、『明石真』との遭遇よりも前段階から常時起動していた。
奴の能力が『認識』に干渉する類のものだとしても、複雑な脳内マッピングという形で成立する『感知』のパラドクスを完璧に欺く改変が出来るとは考えにくい。
——惨劇は、現実だ。
考えられる可能性はブラフ……もしくは、言葉を実現可能な能力を保有する協力者がいるか。そうでなければ、
——自らと同じ、極大のイレギュラー。
「……お前は一体、何がしたい。なんの目的があって、ここまでの被害を出した」
阿島京介が問う。
思考時間を稼ぐ為と……論理的ではなかったとしても、何かしらの思惑を詳らかにするための問いかけ。これに明石真は肩をすくめる。
「最初に言ったじゃね〜か。アンタを殺すって。その為の——ま、施策の一環だな」
「論点がズレてるな。俺が聞いているのは、『何故俺を殺そうとしているのか』だ」
「認識が間抜けだな、スーパーヒーロー。アンタが阿島京介だから。それ以上の理由は特にね〜よ。あぁ、けどそ〜だな。噂に名高い最強っぷりを見学したかったってのもあるか。ま、予想通りで、想像以上じゃね〜って感じで肩透かしだったけどな」
明石真が続ける。
「けど収穫はあったな」
「なに?」
「アンタ自身さ。スペックは兎も角、アンタのその、間の抜けた正義感みて〜なのは思い描いてたよりずっと面白かったぜ。そこで、だ。ちょっとばっか、ちょっかいの掛け方かえてみよ〜と思ってな」
明石真がコーラの空き缶を足下に置き、両腕を上げる。
「降参する。反省するので、許してくださ〜い!」
空気が凝固する。
臨界に到達した怒りが質量を纏い、周囲諸共重苦しく圧迫する。錯覚と片付けるには余りにも強烈な感情の出力。
怒りを最早隠すことも繕うこともせず、最強の逆理が口を開く。
「そんなふざけた戯言に付き合いそうな程、俺が温厚に見えたか?」
だが、明石真はまるで動じない。
「さ〜?でもほら、なんでも食わず嫌いはよくね〜だろ?出来っこないをやらなくっちゃって、サンボマスターだって歌ってたし」
「貴様——!」
「さて、ここで質問だスーパーヒーロー。アンタの掲げる善が罰するのは罪か?それとも人か?」
ホールドアップの姿勢のまま、明石真が嗤う。
「——なに?」
「みんな大好き哲学の時間だニーチェ。引き起こされた被害と、それを引き起こした加害者。アンタはどっちを物差しに、アンタの正義を振りかざす?」
問答に意味は無い。
引き起こされた現実は既に厳然と横たわり。ならばこそ、明石真の言説は論ずる前から破綻している。
「——————前者だ」
それでも阿島京介が言葉に応えた理由こそ、彼が人外の化け物ではなく、合理の守護者たる所以であった。
明石真がホールドアップを解き、大きく一つ、手を叩いた。
「あ〜、よかったぜ!アンタが善良な正義の味方で!晴れてめでたく、俺らがいがみ合う理由もなくなったってわけだ!」
「——なんだと?」
「それでは、あちらをご覧下さ〜い」
明石真が京介の後方を指差す。
一切の警戒を解くことのないまま、阿島京介が首を回し、後方を振り返る。
振り返って——愕然とする。
「——残念。もう戻しちまった」
火災も。
破壊も。
喧騒も。
血も。
巻き起こった全ての狂乱、その一切が忽然と消え失せていた。文字通り、街ゆく人々は、まるではじめから何も無かったかの様に日常を過ごしていた。
「リセットボタン——だと、今の若い連中には伝わんね〜か?俺の素敵宣誓の手前あたりからな、起きたエンタメは一通り元に戻しといたぜ。帰るまでが遠足、ってな」
「……治したからといって——」
眼前の怪物の罪が消える訳では無い。事実、引き起こされた全ての暴虐を阿島京介は記憶している。
——だが。
「やった事は消えないってか?そいつぁおかしな話だぜ、ミスター。何も壊れちゃいね〜、誰も死んでね〜。何も起きちゃいね〜のに、一体俺は何に対して裁かれるんだい?疑って掛かるんなら、SNSでも防犯カメラでも見りゃ〜いい。欠片でも証拠が挙がるんなら、菓子折り持って詫びに行ってやるよ」
「——俺は、貴様の蛮行を見た。未来において、貴様が同じ事をしないという証明は出来ない」
もう一つ。
明石真が手を叩く。
「まったくもってその通り!——けど、やるって証明も出来ない。言っただろ?俺ぁ反省したんだ!もうしないぞー!」
おー、と。
腕を高く振り挙げて言い放つその様に、京介は再び抑え難い憤りを抱いた。
「——————ふざけるなよ、明石真」
「大真面目さ。人の心を色眼鏡で見るなよ、差別主義者」
挙げていた手を下げ、空き缶を拾う。
それを自販機横のゴミ箱に放り込みながら、明石真は踵を返した。
「本当は今日中に終わらせるつもりだったんだけど、大事な野暮用忘れちまっててな。続きはまた明日にでも、お互い忌憚の無い意見を交わそうぜ」
「急用だと……!」
明石真が振り返り、スマホの画面を京介に向ける。
画面には、空欄が目立つスケジュールアプリが表示されていた。
「オーダースーツの採寸予約忘れててよ、さっきLINE来るまですっかり抜けてたぜ。いや〜全く、これぞまさしく作者都合って奴だ。反省反省」
「——どこまでもふざけた事を……俺が貴様を逃すと思うのか」
「思うさ。不安一杯胸一杯、正義の味方はまず、俺の言葉の真偽を確かめなきゃ〜ならねぇ。人死にが出てね〜か、しっかりチェックしといてくれよ」
「するさ。ただし、貴様をここで拘束してからな」
「血の気が多いね〜……けどやっぱ、今のアンタにゃ無理だよ」
「何——?」
「今度は戻してやらね〜ぜ?」
明石真は去っていく。
去り際、背を向けたまま。
ひらひらとその腕を振りながら。
「そんじゃま、良い一日を。また明日〜」
阿島京介はその後を追う事が、出来なかった。




