9時12分
『お、映ってる映ってる。いぇ〜い』
駅前。ビルの屋上に設置された大型のLED看板に、突如一人の男の顔が映し出された。
軽薄そうな笑みを浮かべながらひけらかされる、取って付けたようなピースサイン。看板には、男のスマートフォンのインカメラ映像がリアルタイムで映し出されていた。
街ゆく人々が立ち止まり、看板を見上げる。
男の顔に見覚えがあるでもなし、人々は一様に困惑を露にした。そしてそれは、現存最強のパラドクス能力者・阿島京介もまた、同じだった。
但し、彼の視線は上空ではなく、正面へと向けられていた。
——————
くたびれたスーツ姿の男が、スマートフォンを見ながらピースサインを作っている。
LEDに映し出された男は今、京介の目の前に立っていた。
その目線がカメラから外され、京介へと向けられる。
上から下。不躾な、値踏みの気配を隠そうともせず、無遠慮にその全身を睨め付ける。
『「阿島京介、で間違いね〜よなぁ」』
肉声と、スピーカーから流れる声とが重なり合って問い掛ける。これに京介が眉を顰める。
フーディパーカーに、オーバーサイズのデニムパンツ。
短髪に顎髭を蓄え、巨大なオーバルタイプのメガネを掛けた、筋骨隆々の男。訝しげな顔をした阿島京介の風体は、到底堅気には見えなかった。
『「……誰だ、お前は」』
看板のスピーカーから響いたのは、低く、威圧的な気配を多分に含んだ京介の声。男のスマートフォンが拾った、外見に相応しい、静かな圧を纏った言葉。
だが、男はまるでたじろがない。
どころか彼は、一層愉快気に笑ってすらいた。
『「はじめましての自己紹介だ、最強。名前は明石真、好きな食べ物はいぶりがっこ、趣味はマッチポンプだ」』
『「明石真、だと?」』
その名に、京介の目の色が変わった。
道路沿いの歩道。ビルのすぐ脇で向かい合う二人。
やがて幾人かの人々が、明石真の存在に気付き、足を止めた。好奇の目に晒されながら、明石真が大きく腕を真上に上げる。
『「宣誓ー!私こと明石真はこれから、阿島京介をぶっ殺そうと思いま〜す!」』
民衆がざわつく。
喧騒の一歩手前、不気味な緊張を引き裂いて。
『「それではさよ〜なら!お達者で!」』
10t超の巨大なトレーラーが、ガードレールを薙ぎ倒しながら阿島京介目掛けて突っ込んできた。
——————
踏まれなかったブレーキ。
最大踏力を維持したまま、道路から一直線……歩道を踏み越え尚加速した巨大な車体が、阿島京介を巻き込んだまま、看板の設置されたビルに激突する。
爆撃の如き轟音。続け様響き渡る悲鳴と喧騒。
「いいね〜。開幕七ページにしちゃあ上出来だ」
スマートフォンをジャケットのポケットに突っ込みながら、明石真がうんうんと頷く。だが、間も無く。その表情に、僅かな翳りが差した。
「……思ったよりパッとしね〜なぁ。やっぱ大爆発は必須だったか……タンクローリーとか突っ込ませた方が良かったかぁ?」
そんな言葉に呼応したわけでもないだろう。
だが、次の瞬間。漏れ出した燃料、オイル類に引火したトラックのキャビンが爆発音と共に燃え上がる。
「ん〜。ちょい地味」
明石真は、不満げに首を捻った。
黒煙燻る豪炎。
燃え盛る灼熱を引き裂いて姿を現したのは——阿島京介。ところどころ服に汚れと焦げこそあるものの、その身体は、当然の如く無傷。
相変わらずの、威圧的な無表情。だがその眼光が宿した鋭さは、数秒前とは比べ物にならない。
「——念の為聞く。貴様の仕業か、明石真」
「この状況で確認する必要あるか〜、それ。律儀通り越して馬鹿っぽいぜ……まぁ、ヒーロー様が証拠も無しにいきなり殴りかかれやしね〜か。配慮が足らなかったわ、悪ぃな」
「——————」
阿島京介が拳を握りしめる。
その手に握られるは、『逆説の異能』。人知れず世に蔓延る、常理の外縁に属する異質な超能——その中でも〝最強〟を冠する『破壊不能を破壊する』能力。
その様子を眺めながら、明石真は尚、自らの配慮不足を嘆いていた。
「初手マックスは悪くなかったが、問答でぐだったのは減点だな。上手くいかね〜もんだ……ま、失敗したなら次に活かしゃい〜だけだわな」
「貴様——」
「ってことで、遠慮しなくてもいい様にしてやるよ——コイツもちゃんと、俺の仕業だ」
ぐしゃ、と。
落下に伴う、何かがひしゃげる音。
背後から響いたその音に、阿島京介が振り返る。
見知らぬ一般人の女性。どこからか転落してきた女性の手足はどれも見当違いの方向へ不自然に曲がり、打ち付けられた頭部は潰れ、その周囲はみるみる真っ赤に染まっていく。
——どこから。
疑問はすぐに解決する。
トレーラーの突っ込んだビルの上階。
窓ガラスを割って、次々と人々が地面に向かって落下して来た。
飛来する、恐怖と焦燥に駆られた絶望の顔。
自らへと向かって落下してくるその姿を視認するや、京介がビル方向へと向かって走る。
落下地点に体を滑り込ませ、落ちて来た内の一人を抱き止める。
だが、それだけ。
ビルの各階、そこかしこから落下してくる人々全てを救うなど出来るわけがない。
ある者はトレーラーに。ある者は地面に。
叩きつけられ、砕け、ひしゃげる。
周囲に飛び散る血液、砕け散った歯、脳漿、焦げる臓腑。
阿鼻叫喚の地獄、その只中で明石真が難しそうな顔をする。
「名付けて人間投下爆弾、ってな。けどなぁ、思いついた時は超天才だと思ったけどよ〜、攻撃としてはまるでヘボいな、コレ。インパクトも爆発以下だし、やるならせめて順番逆のがよかったぜ」
受け止めた一般人を地面に寝かせ、阿島京介が明石真を向く。
ここに至り遂に、京介の無表情が崩れる。
その顔には、極大の怒りがありありと浮かんでいた。
「お、今更やる気出て来たみて〜じゃね〜か」
「——————」
阿島京介は語らない。
これだけの所業を前にその目的を問う愚を犯さない。今はとにかく、目の前の男を拘束し、行動不能にする。
決然と向かってくる京介を愉快気にながめてから、おもむろに明石真は口元に手を添える。
遠くへ呼びかける様な仕草。大きく一つ、息をして。
「向こうの芝生は青いぞー!急げー!」
その声を合図に、反対側の歩道から成り行きを見守っていた通行人達が一斉に京介……その後方、炎上するトレーラーに向けて駆け寄ってくる。
「——止まれ!」
京介が短く叫ぶ。だが、恐怖と狂乱に蝕まれた人々に、その声が届く事はない。
焦燥と恐怖に支配されたまま、何かから逃げる様に、次々と炎に身を投げる人々。その肩を、腕を、背中を。掴み、その凶行を止めようとする京介。だが、余りにも人数が多すぎる。
「はっはー。走れ走れ〜」
人の波に逆らって、道路を横断し、反対車線の歩道まで歩を進める。
近くの自動販売機にスマートフォンを近付け、電子決済でコーラを購入すると、取り出したそのプルタブを開け、ぐびりと一口飲み下す。
狂乱と狂騒に彩られた状況をのんびりと眺めながら、明石真がにやりと笑う。
「これがホントの人海戦術、座布団一枚ってトコだな——さてどうするよ、最強の逆理」
——————
阿島京介。
現存する地上最強の『逆説の能力者』にして、百戦錬磨の超人。それでも、その能力は万能ではない。故に、この場の全員を救う事は叶わない。
京介が一度、ゆっくりと瞬きを挟んで、身を翻す。
狂乱に駆られた人々、その全ては救えない。
なればこそ、立ち止まってはいられない。
元凶である災厄、諸悪の根源——明石真を名乗るあの男を一刻も早く制圧する。
被害にも、被害者に対しても、もう立ち止まらない。
その代わり、奴は必ず、今ここで行動不能にする——。
——————
「ま、そ〜なるわな。だけど残念、一手遅い」
刹那。走行していた複数台の車両が一斉に暴走し、歩道を踏み越え、阿島京介を含めた人の海へと、ノーブレーキで突っ込んでいった。
「バトル中の回想はテンポを悪くするって少年ジャンプで習わなかったかよ。お覚悟決めは及第点だが、それじゃ〜花丸はやれね〜なぁ」




