22時10分
「……別に大した動機付けや理由なんかねーよ。あの時ぁただ必死こいて、頭ぁ回ってなかっただけだよ」
「嘘」
「——ぁあ?」
「追い詰められても、窮地に立たされても。考える事を止めないし、軽々に諦めたり、何かを投げ出したり。そんな風に思考を放棄する人じゃ無いの、知ってるよ。だから、そんなの嘘だよ」
静が眉を顰める。その眼光が、異質な光を宿す。
「……黙って聞いてりゃ随分と知った口きくじゃねーかよ。見知った面だと思って甘い顔してりゃ、エラく図に乗ったもんだなぁ、おい」
仙波星翠がたじろぐ。それは、これまで何度も見てきた……けれど今日まで、たった一度も仙波星翠に向けられた事のない顔だった。
傲慢不遜。狂気を孕んだ、凶暴そのものの笑み。
不条理に挑み掛かるその場面で、花蕗静がいつも浮かべてきた……凶悪な嗤顔。
異様な迫力を伴って向けられる、突き立てられる様な眼差しに、一瞬だけ身を固くして、しかし——
「——知ってるよ。だって私は、そんな花蕗君に救われたんだもん。私の憧れた人の事だから、わかるに決まってるよ」
仙波星翠は怯えない。退く事も、恐怖する事もない。
何故ならば。あの笑顔こそ——今日まで何度も仙波星翠を救い出してきた少年の顔なのだから。
「はっ」
花蕗静が、嗤う。
「甘言吐けば俺がほだされるとでも思ったかよ、読書家。何を根拠にそこまでつけ上がってんのか知りゃしねーけど、人の内側まで決めて掛かるなんざ傲慢この上ねーなぁ」
——やめろ。
「良い機会だ、ハッキリ言っとくぜインドア女。テメーの異能は悪くねー。頭も切れるし、度胸もある。仕事仲間として信頼してんのは事実だ、そら間違いねー……けどな、それ以上じゃねーんだよ」
——やめるな。言い切れ。
「縁が連なって何を勘違いさせたか知らねーけどなぁ、俺自身がテメーを必要とした瞬間なんて一瞬もねーよ。思い上がりも甚だしいぜ。俺の人生によー、テメーの席はねーんだよ、ジャンル違い」
——あぁ、確かに。これはいい機会かもしれない。
「命を投げ出したかって?おおよ、ぶん投げてやったぜ。そいつをまさかテメー、自分の為に〜、なんて美談で消化しようとしてんのか?笑わせるぜ、文筆家。ロマンスはお得意のフィクションの中だけにしてくれよ」
——そう。俺が俺を使い潰すのは、俺自身の選択で……俺自身の為でしかない。だからほんの少しも、ごく僅かな一片ですら……仙波の心に引っ掛かりなんて残したくない。
明日。明日が最後だ。
その最後が終わった、その先で……どうか。
「くっだらねーセンチメンタルだぜ、女子高生。こちとら別に、テメー個人への思い入れなんざ欠片もねーよ。行き当たった先で、俺の矜持が由来で、投げ捨てた先の結果論がテメーの利になっただけなんだよ。そこんとこ履き違えて、したり顔で俺を語るなよ、仙波星翠」
出来るだけ笑っていてほしい。
なるったけ色んな連中と連んで、楽しくやってほしい。
興味があるならその内に、いい男でも捕まえりゃいい。
……時代的には女でもいいけどよ。
どうか幸せに。
一つでも多く、幸福に。
それが叶うなら——他は、別にいいから。
——————
花蕗静の言葉は——正しい。
仙波星翠は彼の全てなんて知らない。どころか恐らく、大部分を。あるのはか細い——たった一度きりの、奇跡みたいな奇妙な縁だけ。その一度きりだけを根拠に——宝物の様な経験だけを後ろ盾に、少女は少年を理解しようとしていた。
出来るわけが、ない。
生きてきた世界が違う。
見えている世界が違う。
花蕗静の痛みは彼だけのもの。
仙波星翠の痛みは彼女だけのもの。
——何が逆鱗に触れてしまったのだろう。
そこまで何か、口汚く言われないといけない程悪い事を言ってしまったのだろうか。彼の言葉は本心だろうか。
私が宝物の様に大切にしていたあの日の記憶は、取るにも足らない結果論の産物でしかないのだろうか。
頭が真っ白になる。
気を抜けば涙が溢れて……一度流れ出せばきっと、もう自分の意思で止めることなんて出来やしない。
だから——
『故に』
「いいよ」
「……はぁ?」
「いくらでも、好きなだけ。罵倒でもなんでも、言ってくれていいよ」
決然と、花蕗静を睨み付ける。
燃え盛る、白熱した決意と意思を宿した双眸に、涙などなかった。
——泣いてたまるか。
屈するものか。
彼の思い通りになんて、なってやらない。
「花蕗君がどれだけ言葉を重ねても……口汚く私を罵っても、構わない。知ってるって決めつけたのはごめん、言い直す——私は、私の知ってる花蕗君を信じてる。だから、いくらでも言えばいいよ」
「……こらまた随分と訳のわかんねー論理引っ張り出してくるじゃねーかよ。今ここにいる俺の言葉より、後生大事に抱え込んだ花蕗静の方を重宝しようってか」
「あの日の花蕗君が大切だから、今の花蕗君も同じ様に大事なの!」
大きく声を荒げた訳ではなかった。
だが、放たれた声には、積み上げられたこれまでの言葉とは一線を画す迫力が宿っていた。
気圧すでも、威圧するでもない。
それでも、あまりに強く言い切られた言葉に再び、静が思わず半身を引いた。
「助けてくれなくていい!上手くやって欲しいなんて思ってない!私の事なんて、全然守ってくれなくて構わない!」
「——ざけんなよ!だったら俺が、ここに居る意味なんざどこにもねぇじゃねーかよ‼︎」
「意味なんかなくてもいいから‼︎一緒にいて欲しいの‼︎」
——————
あぁ、本当に。心底敵わないと思った。
コイツは——仙波星翠はやっぱり、俺なんかよりも全然強い。強くて、優しい——善人だ。
「……言うに事欠いてそれかよ。まったく、大した夢想家だ」
——嬉しいなぁ。
コイツの言葉をそっくりそのまま受け取って、胸ぇ張って生きられりゃ、ソイツぁきっと何にも代え難い位嬉しいだろうなぁ。
叶うなら。そんな生き方が、してみたかったよなぁ。
——————
「——お言葉だけは有り難く、墓場まで持っていかせて貰うぜ」
「——っ、まだそんな——」
激しい怒り。決然とした意思。
歯止めの効かない感情の濁流を堰き止めたのは……穏やか過ぎる微笑みだった。
「——っ」
そんな顔をしないで欲しい。
それならまだ、口汚く罵られた方がいい。
まだここに居るのに。すぐ側に居るのに。
どうして、そんな——————
——————
「あら、お取り込み中だったかしら?では、そちらの用事はまた後日にして頂戴」
「ぅおわ、びっくりした!」
「じょ、女王陛下⁉︎」
歯止めの効かない感情の濁流を堰き止めたのは……穏やか過ぎる微笑みと……突如室内に顕現した幻想の頂点——女王デケムの傲慢すぎる言葉であった。




