21時33分
街の中心部。立ち並ぶビル群の中にあって、一際背の高い一棟。
地下駐車場からエレベーターへ。
通された最上階、最奥の一室。物の少ない、広いばかりで飾り気のない部屋には、小さめなローテーブルを挟んでエル字型のソファが向かい合って二台置かれているだけだった。
「でけー部屋が形無しだな。こんなもん、四畳半でも釣りが来るじゃねーか」
「実の所、ここに滞在している時間というのはそれほど長くもなくてね。たまの機会もこうやって、言葉を酌み交わしたい誰かとの舞台としてって事ばかりだから、これで十分なんだよ」
花蕗静の悪態に気を悪くしたそぶりもなく。久遠寺御言は小さく微笑むばかりであった。
「まぁ文字通り、ではあるけどね。三人とも、どうぞ座って座って」
促され、仙波星翠と松下馨がそれぞれソファに腰をおろす。その対面には御言が座る。帯同していた吉國天麻はその後方、姿勢正しく立って待機していた。
そんな天麻の挙動には指摘することなく、御言の言葉は腰を下ろすことのないもう一人……星翠と馨の隣、険しい表情のまま屹立する静へと向けられる。
「座らないのかい?静」
「はっ、あったりめーだろ」
眼光鋭く。不遜な笑みを伴いながら、その全身からひりつく様な警戒心を立ち昇らせて、花蕗静が応える。
「悪ぃが俺ぁアンタを一ミリも信用しちゃいねーからな。結果論助けて貰った現状にゃ感謝してるけどよ、手放しで何もかんも促されるまま寛げてたまるかよ」
「そうかい?君にこそは少し、ゆっくりしてほしいと思ったのだけれど……まぁ、咎められる話でもないからね。自由にして貰って構わないよ」
「そいつぁ結構だ。お言葉に甘えるぜ」
ちらり、と。星翠が静を見やる。
色濃い隈。
青ざめた肌。
戦闘終了後それなりの時間が経っているにも関わらず、明らかに回復し切っていないその様子に、少女は小さく唇を噛んだ。
そんな星翠……次いで静へと視線を投げかけ、不安げな表情を浮かべる馨。
そんな三者を順繰りに見やって尚、御言はやはり、柔らかな微笑みを浮かべるばかりであった。
「さて。それじゃあ三人とも……これからの話をしようか。これまでの話も含めて、ね」
——————
「気分の良くねー言い回しだな。真相の首根っこふん捕まえたまんま、さも話の手綱はそちらさんで、みてーな面ぁ感心しねーけど」
「単に情報量の問題さ、静。実の所、馨に纏わる『俺』達の事情というのは、多分君が想像しているよりもずっと複雑でね。全てを順序立てて話していたら、それこそ夜が明けてしまう……だから先ずは、君達がいの一番に聞きたい事に優先して答えようと思ったんだ」
「そいつぁ有難い配慮ですこった」
吐き捨てる様な静の言葉にも、御言はまるで揺らがない。そんな落ち着き払った姿に、疑問をまず口にしたのは——星翠だった。
「……久遠寺さん、あの」
「御言でいいよ、星翠。何でも聞いておくれ」
星翠が一瞬言葉を躊躇して……しかし意を決し、言葉の続きを口にする。
「……はい。では、御言さん。あの『影』のパラドクス……アレは何者で、何故馨さんを狙って来たんですか?」
「あぁ、あの子は伸之に雇われた、フリーの『パラドクス』能力者だね。彼自身に何か明確な目的がある訳でもなし、単純に業務の一環として馨を狙ったに過ぎない」
「急に登場人物増やすじゃねーかよ。誰だよ、そのノブユキってのは」
「禪茉伸之。パラドクス能力者による武装集団を率いている——まぁ、身も蓋もない言い方をするならテロリストだね。今回の事件の首謀者は、あの子だよ」
「……さらっととんでもねー話が飛び出しやがんな。こんなトンデモ能力者が他にもゴロゴロ居るってだけでも胸焼けしそうなのに……ったく、どこの少年漫画だよ」
静の喩えがツボに入ったのか、御言が楽しげに声をあげて笑った。
「言い得て妙だね。けど静、だったらこの先の話——君ならもっと気に入ってくれるんじゃないかな」
「……聞くだけ聞こうか」
「現在『パラドクス』を巡る情勢は二分化していてね。逆説の能力者による新社会秩序の構築を目論む……伸之率いる能力者集団【無名】と、『俺』の意見に賛同してくれた友人達による組織——【青い通行券】。この双方が、喧嘩しつつもそれなりに仲良くやってる……これがついこの間までの話だよ」
「なんだよ、取り繕えねー類の揉め事でもあったのかい」
「爆弾が落ちてきたのさ。ね、馨」
「………………え、私?です、か……?」
突然話を振られて目を丸くする馨。その緊張を解きほぐす様に、御言の声色が更に一段、柔さを増す。
「質問だ。『パラドクス』能力者による武装集団……現実に反旗を翻した逆説の者達が徒党を組み、現実に挑む時……最大の懸念は何だと思う?星翠」
仙波星翠は考える。
現実に反旗を翻す。
言葉にすれば随分と大袈裟で、想像し辛いスケールの話。それでもなんとか思考を巡らせ、必死に具体的なイメージの構築を試みる。
——————
『パラドクス』能力の最大の強みは、徒手空拳のまま、近代兵器の戦力に肉迫できる事。そして、その能力の詳細を調べる術が通常存在しない事。
例えば、花蕗静。
静の『パラドクス』……『迎撃不可能を迎撃する』という仕様・能力の連続駆動時間の制限などを把握しているならばまだしも、それらを推し量る術を持たない相手ならば……それがたとえ近代兵器で完全武装したプロの軍人であっても、彼を拘束することは恐らく不可能だろう。
仙波星翠の『パラドクス』などは更に極端……対人戦闘において、殆ど反則的な威力を有する【天印】の召喚と行使に加え、コントローラブルとは言え、条件さえ満たせば超強力スペックの自立幻想——女王デケムすら召喚可能。
強力無比な逆理の異能。
単体として、無能力者に遅れをとる道理は無い。
そんな彼らが兵力として、現実に遠く及ばぬ点があるとすれば——
「——母数、ですか」
「その通り」
逆説の異能『パラドクス』。
自らも有するその異能の出自を、仙波星翠は知らない。
花蕗静も……阿島京介ですら。
個々の能力の仕様こそ各能力者が把握しているが、もっと根源的な枠組みとして——その疑問の答えを持つ者は誰もいない……筈だった。
即ち。『パラドクス』とは、なんなのか。
「発現条件は不確定、現時点における総数もわからない。そもそも個々の能力者も当然人間、思想の違いもある。個体として如何に強力でも、訓練された群体には及ばない……例外はあるけどね。それでもやはり、戦力の補強が偶然頼みというのが、『パラドクス』能力者による組織、その最大の弱点となる訳だ——けれど星翠、よくよく考えると少しおかしいと思わないかい?」
「——え?」
「全世界に人間は星の数ほど居る。その中でさえ、『パラドクス』はマイノリティだ。にも関わらず、だ。一年半前、合掌抄帷は『パラドクス』能力者にその身を狙われ、無能力者だった静は『パラドクス』を獲得した。そして二ヶ月前、幻想世界の創造主として目覚めた君を救う為、再び静は戦地に赴いた——たった一年半程の期間に、だよ。偶然にしては出来過ぎだと思わないかい?」
星翠が押し黙る。静もまた、二の句を継げずにいた。
——実の所その疑念は、幻想世界における戦いの後から長く、二人が抱き続けていたものであった。
「その疑問の答えを、今は先ず二人に伝えよう」
眼差しが、再び松下馨を射抜く。
意図を理解出来ないまま困惑する当人……そして、星翠と静へと向けて、
「この世界に存在する、全ての『パラドクス』……その起源は、あるたった一人の人間なんだよ。つまり——君だ、馨」
この世界の根源を、口にした。




