21時05分_b.
「……マジかよ」
スマートフォンの画面を苦々しく見つめながら。重苦しく、深刻な表情と声色で、【ソレ】は呟いた。
「——なにか、都合の悪い、事でも、あったのかしら」
幻想の女王が問い掛ける。その声色に、数分前までの余裕の一切は存在していなかった。
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地を抉るは数多の天印。
赤き光によって構成される、幻想兵器。地面に突き立つそれらと、結果齎された破壊の痕跡。住宅街の一角……ありふれた民家の庭先は今や、神代の戦場それそのものであった。
立ち並ぶ影は二つ。
絢爛豪華にして荘厳美麗。
紛う事無き人外、幻想世界の君臨者……女王デケム。
未だ無傷——身に纏った純白のドレスにすら解れ一つ無いその姿にはしかし、誰の目にも明らかな消耗の色がありありと浮かんでいた。
「——エアコン付けっぱだった……」
「——は?」
相対するもう一つの影が、闇夜の底で肩を落とす。
「いやよ〜、ここ何日か家ぇ空けててな。本日はお久しぶりのご帰宅だったんだけどよ〜……しくったぜ。こんな事ならやっぱ、スマート家電導入しとくんだったぜ……」
自らの失態に落胆の溜息を吐く男。——問題は、その落胆が余りにも日常に根差した、途方も無く瑣末な話であった事。
「——本当に、どこまでもふざけた道化ね——」
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この男は、何かがおかしい。
切り結んだ数合を経て、幻想の頂点は確信していた。
男の技術は驚異的であった。
この世ならざる即死の剣に一瞬も臆する事なく、初動の気配を捉え、回避し、襲いかかってくる。それらは最早観察眼に優れる、などという生易しい代物ではなく、殆ど未来予知に近い水準の洞察が為せる業であった。
……だが、それらはこの男の異常性——その本質ではない。
「ふざけてね〜よ、こいつぁ死活問題だぜ。現実世界の物価高を舐めるんじゃね〜ぜ、幻想出身」
「——私がお前達の都合など、知るわけがないでしょう……もっとも、お前の不機嫌そうな面は、悪く無いけれども、ね……」
「あ〜、そうだな。今日一日の中じゃ、コイツが最悪の難敵だぜ」
スマートフォンをジャケットのポケットに戻して、明石真が顔をあげる。向けられたその眼差しに、デケムが唇を噛む。
デケムは戦士では無い。
戦いに矜持や誇りを持ち込んで、実利以外の戦果に対して心を荒める事などありはしない。——常ならば。
「ねぇ、お前」
「ぁあ?こちとらご傷心だぜ……ご質問ならサポートセンターまで問い合わせてくれよ……」
「——お前はどうして、私を殺さないのかしら」
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五度。五度だ。
天印を掻い潜った男の手が、デケムの命に届き得た回数。そして同時に、【アレ】がそれらを見逃した回数。
何人の侵略をも許さない絶対強者たる自身を、現実に住まう単なる人間が、終始圧倒する。それは、あり得ぬ事態であった。
「『故に』、という奴かしら。あの伽藍堂といいお前といい、本当に厄介なものね——『パラドクス』」
逆理を以て現実を歪める、逆説の異能。
デケムの世界には存在しない、現実のみに実存する異質な超能。あり得ぬ現状の根拠を、あり得ぬ代物に求めるという荒唐無稽に、デケムは表情を曇らせる。
——だが。
「…………な〜に言ってんだアンタ。使う訳ね〜だろ、んなもん」
「——え?」
【ソレ】は、さも当然のことの様に、そう言った。
「はじめに言ったろ、こいつぁただの『遊び』だぜ?だってのに、一々そんな興醒めしちまう代物、使う訳ね〜だろ」
「——なん、ですって……?」
では。では、では。
なんの能力も用いない、本当の意味でのただの人間が、女王デケムを圧倒したとでもいうのか。
「——————あり得ない」
馬鹿げている。
そもそも『天印』に、明確な予備動作などない。
展開から射出に至るまでの工程は原則シームレス……なんらかの特異な能力を用いなければ、その軌道を予測することなど出来る訳が……
——————
「目だよ」
「——は?」
【ソレ】が、自らの眼球を二本指で指し示す。
「そのびっくり素敵飛び道具、飛んでく先の設定方法二つあるだろ。一つは事前に設定した地点へのオートマ……もう一個はアンタが直接操作するマニュアル」
【ソレ】が、嗤う。
「制御方法までは知らね〜けど、ソイツを飛ばす前、アンタは必ず俺の動作動線を目視で確認してた……射線読むなんざ、チラ裏のクロスワード解くよりイージーだぜ」
「…………っ」
「——とは言え、だ」
【ソレ】が肩をすくめて、不敵な笑みを浮かべた。
「それでもアンタが俺の頭ん中より、よっぽどやり手で、楽しませてくれた事にゃ変わりね〜……アンタを贋造物ってこき下ろしたのは撤回するぜ、女王陛下」
「……殊勝な言葉だこと!どんな心変わりかしら、道化」
「なんも変わっちゃいね〜さ……それにお生憎だ。テメェの浅薄省みるのに、特別理由付けなんか必要としてね〜んだよ」
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刹那。
地面に突き立てられていた『天印』が、光の解ける様に消え始める。それを合図に、女王デケムの姿が透過し、霞み始めた。
意図しない消失。微かな困惑を口の端に浮かべるデケムへと向けて、【ソレ】が口を開いた。
「出やがったな、【中庸】。相変わらず寒いタイミングでお出ましになられる王様だこった……ま、今日に関しちゃ悪くね〜頃合いだけどな」
そこまで言って、【ソレ】の目が、びたりとデケムを見据えた。
「『遊び』の続きは後日に延期だ、クイーン。気が向いたその時は、改めて相手してくれよ」
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混沌も、邪悪も。
男を言い表すには到底足りない。
あれは恐らく、この世界の巨大なバグ。
現実とも幻想とも付かぬ何処より現界した、常理の外縁に聳える、無間の虚。
現実との接続が途絶える寸前。
女王デケムは、ぼんやりと確信した。
あの男こそが、頂点にして底辺。
花蕗静、仙波星翠の持つ『パラドクス』——それらの到達点。
あの男こそ、世界の逆理。
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夜が、終わる。




